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「縁の下の力持ち」

これはことわざでしょうか?
それとも慣用句でしょうか?

どちらの辞典にものっているので、


この慣用句と諺の違いなどわかりやすく表現すると
どう言う事ができますか?
ご存知の方よろしくお願いいたします。

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A 回答 (4件)

はっきりした分け方はないと思いますが、


私は次のような風に考えています。
【慣用句】
動作、状況をわかりやすく説明するために使われる言葉ですね。
慣用句を使うことではっきりした状況がつかめます。
【例】
息が詰まる
生きた心地がしない
縁もゆかりもない
縁の下の力もち
手が塞がる
生死の境
エンジンがかかる
「縁の下の力持ち」という言葉は慣用語だと思います。
目立たないところで人のために苦労、努力するという意味ですね。
【ことわざ】
言葉にある種の警告、注意、反省が含まれいます。
その言葉を使うことによって、相手にはっきりと意思を表示できます。
また会話の中でうまく使うと話が進むことがよくあります。
【例】
金の切れ目が縁の切れ目
清水の舞台から飛び降りる
袖振り合うも多生の縁
玉磨かずば 光なし
こういったものが「ことわざ」ですね。
地域、時代で人生の知恵として、人を攻める言葉として広く使われました。
日本のことわざは五五、五七、七五、七七調で語呂がよく、
相手の耳に入りやすいのが特徴です。
中国のことわざは故事を元にしたものが多いのが特徴です。
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 ことわざと慣用句の違いは確かに判然としないことが多いと感じます。

その違いがわからないと日常生活の支障になることはありませんよね。ところが、困る局面が一つだけあります。それは試験勉強の時なのですが、試験問題に出る以上はっきりとわかるものしか出題されないはずですので、そういう前提で考えるとうまく説明できるやり方があります。私にとってはン十年か前の話で今でも通用するのかわかりませんし、手練れの回答者の方々がふれていないので、以下は自信なしとさせていただきます。

 ことわざは広い意味で慣用句の一部とも言えると思いますが、教訓、警告となる内容を含み多くの場合主語と述語を備え、それ自体ストーリー性があります。例えば「能ある鷹は爪を隠す」「雉も鳴かずば撃たれまい」「果報は寝て待て」「善は急げ」「義を見てせざるは勇無きなり」のように一つの文章として意味をもち、それ自体独立して成り立つものと考えます。

 一方、ことわざでない一般の慣用句の場合は、それだけでは意味が完結せず、文章の一部にしかならないという特徴があるかとおもいます。日本語にはたくさんありますが、古くからの表現を用いて話主の主張を補完、強調する役割が多いと言えます。「乗りかかった舟」「背水の陣」のように、単純に体言とそれを修飾する言葉から成り立つものは意味がある文章とはなりえず、ことわざではない普通の慣用句の範疇にはいります。ですので「縁の下の力持ち」は慣用句と考えてよいでしょう。
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両者はまったく同じではありませんが、多くの場合、使う人が目的、語呂などで使い分けていると思います。


特に講義や原稿でその違いを詳細に説明する必要に迫られない限り、日常生活で使い訳に困ることはないはずです。

慣用句・・文字通り使い慣らされた句ですから、文法的に正しいかどうか、詩や俳句、短歌などの形式を踏んでいるかは問われません。例:足を洗う、襟を正す。
話し言葉として「xxxxと慣用句にもありますように」と断りながら使うことはまれです。何故なら、ある事(場面)を自分の言葉で表現する代わりに、誰でも知っている表現(慣用句)を使用するので断る必要がありません。英語ではイディオムに当たると思います。英語でも断りながらイディオムを使うことはありません。

諺・・・先人が生活の知恵や教訓(処世上の知恵)として磨き上げてきた表現なので語調よくまとめられています。慣用句とダブル訳ですが、違いは引用する人が「諺にもありますように」などと諺であることをのべるケースが多いことです。何故なら諺には地域性、社会階層差、職業差などが反映されているので、説明を必要とするケースが多く、誤解を招かないためかと思われます。
(私はこういう意味で使っていますと断っている)

諺と慣用句に定義がないため、同じ部分を見る人は両者は同じだというでしょうし、違いに注目する人は、必ずしも同じではないというでしょう。

いずれも長い年月に耐えて生き残った表現なので、その間の生活慣習の変化などにより理解できない表現となったものが多数あります。例:わらじを履く、足を洗う、
鎬を削る、
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 おはようございます。



 どちらの辞書にも載っているとおっしゃっているとおり,違いはあいまいのようですね。
 ことわざに定義はないそうですし,慣用句とは「二つ以上の単語や語句が組み合わさり,独特な意味を持つもの」ということですから,ことわざも慣用句と言えないこともないということですね。

http://www.kotowaza-world.com/column/c1.html

参考URL:http://www.kotowaza-world.com/column/c1.html
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Qことわざと慣用句の違い

教科書には
ことわざ、「昔から言いならわされている一まとまりの語句」
慣用句、「昔から使いならされていて一語のようになった語の連なり」
とかいてあるのですが、いまいち区別がつきません。
たとえばミイラ取りがミイラになるは慣用句?やけぼっくいに火がつくは…?
その他、どうやって区別すればいいのでしょう。

Aベストアンサー

たしかに分かりにくい面がありますが、ことわざは短い文章です。一方、慣用句は多くの場合二つの単語を結んでひとつの意味を持たせた句です。その句で表すこととは違うことを云うための一種の造語ともいえます。ことわざには人生の知恵、処世術、教訓などが、多くの場合、7-5調の覚えやすい短い文章に込められています。

<ことわざ>
ミイラ取りがミイラになる
子供叱るな来た道じゃ、老人笑うな行く道じゃ
豚もおだてりゃ木に登る
待てば海路のひよりあり
やけぼっくいに火がつく

<慣用句>
えりを正す(襟、正す)心を引き締め真面目な態度になること。
足を洗う(足、洗う) あることをやめる。悪い行いをやめること。
油を売る(油、売る) 用事の途中で人目を避けて休むこと。
間髪をいれず(間、髪、入れず)時を移さず、ただちに。
目が無い(目、ない) 見る目がない。何かが異常に好きなこと。

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q「目からうろこ」ってどういう意味

よくテレビを見ていると、(バライテー系の情報番組)アナンサー諸氏が「これが本当の”目からうろこ”ですね。」
と、コメントしている場面をみかけます。この
「目からうろこ」とは、どんな意味ですか?

Aベストアンサー

目からうろこが落ちる
普通、「目から鱗が落ちる」という場合、思いもよらなかった発想や考え方に、目が開かれるような思いになったことや、全く新しい体験を経験することによって、考え方がいっそうされたようなときに使うようです。つまり、偏見や先入観から解放されて、自由なものの見方や考え方に至った場合に、「目から鱗が落ちる(あるいは落ちた)」と言うようです。

実は、この「目から鱗が落ちる」という言葉は、「豚に真珠」と同じように聖書の中の言葉なのです。この言葉は、使徒行伝の9章にでてくるのですが、この9章は、イエス・キリストが死んでまもなくの、キリスト教がキリスト教としての歩みを始めた極めて初期の時代のことが記されています

アナニヤがサウロの上に手を置き、「イエス・キリストが、あなたのところに私をおつかわしになった」ということを告げたとたん、サウロの目が見えるようになったのです。このとき聖書は、「サウロの目から鱗のようなものが落ちて、再び見えるようになった。」といっています。そしてここに、「目から鱗が落ちる。」という言葉の語源があるのです。

 サウロという人は、当時のユダヤ教の学者の中では一級の人物ガマリエルと言う人の弟子でした。そういった意味ではエリートと呼ばれるような立場にあり、自分の力と才覚でいろんなことを考え実行できる人であったと言えるでしょう。そのサウロが、人生の一大転機の時に視力が奪われ、人に手をひいてもらい、自分の力ではなく他人に頼らなければ何事もできないということを経験するのです。まさしく、人間の能力や力の限界といったものを経験したのです。

それは、厳格なユダヤ教徒からキリスト教徒になるという、信じる内容の変化だけでなく、自分の力と才覚によりすがって生きていく生き方から、自分の力と才覚の限界をしって、ただ神によりすがって生きていく生き方へと目が開かれていく転換でした。その境目に「目から鱗のようなものが落ちた」のです。
 そういった意味では、「目から鱗が落ちる」ということの本当の意味は、人間が自分の力や才覚を誇り生きていくような生き方ではなく、自分の限界や無力さを知り、神に頼るということに気がつくということなのかもしれません。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/mitaka-christchurch/scales.html

目からうろこが落ちる
普通、「目から鱗が落ちる」という場合、思いもよらなかった発想や考え方に、目が開かれるような思いになったことや、全く新しい体験を経験することによって、考え方がいっそうされたようなときに使うようです。つまり、偏見や先入観から解放されて、自由なものの見方や考え方に至った場合に、「目から鱗が落ちる(あるいは落ちた)」と言うようです。

実は、この「目から鱗が落ちる」という言葉は、「豚に真珠」と同じように聖書の中の言葉なのです。この言葉は、使徒行伝の9章にでてく...続きを読む

Q「おおざと」と「こざとへん」の区別の起源

「おおざと」と「こざとへん」をよく間違います。

例えば、左にある「こざとへん」を「ひだりざと」、 右にある「おおざと」を「みぎざと」、などのように言えばわかりやすいと思います。

なぜ、「おお」と「こ」で区別することになったのでしょうか。

Aベストアンサー

そもそも「おおざと」と「こざと」では、それぞれの文字の起源が違い、まず「おおざと」があって、これに対して「こざと」という言い方になったようです。

「おおざと(邑)」は、
 「□(領地)+人の屈服したさま」で、人民の服従するその領地を表す。
 中にふさぎこめるの意を含む。
 のち阝(おおざと)の形となり、町や村、または地名に関する漢字の部首となった。

「こざと(阜)」は、
 もと、ずんぐりとした形に土を積み重ねたさまを描いた象形文字。
 「自+十(あつめる)」で、まるくふくれる意を含む。
 従って、ずんぐりとした形にふくれたおかのこと。

現在は、双方とも似た文字(阝)になっていますが
「おおざと(邑)」の名称は、大きな村里の意を文字通りに示すのに対して、
「こざと(阜)」の名称は、「おおざと(邑)」に対して付けられました。
阝の部首(旁ツクリ・扁ヘン)の位置関係ではないのです。

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q『更迭』と『罷免』の意味

皆様、こんにちは。

最近何かとよく耳にする『更迭』と『罷免』ですが、意味が同じように思えてなりません。(他にも『解任』などもあったりして)

どちらも、『人を辞めさす』という意味で間違いないと思いますが。
gooの国語辞典で調べると、『罷免』は単に辞めさす事。
『更迭』は他の人に変える事とでてきます。
だとしたら、『更迭』の用法としては『○○を△△に更迭する』という形となると思うのですが、新聞やTVなどメディアでは『○○を更迭』と使っている気がします。
これは単にメディアがきちんとした使い方をしていないという事なのでしょうか?

なんだかうまくまとまりませんが、『更迭』と『罷免』について分かりやすい用法や明確な違いをご存知の方がいらっしゃれば是非教えて下さい。
よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

罷免--免職と同じで、辞めさせる事. **を罷免する。はやくいえば首
解任---任を解く  課長の任、地位を解く。**さんを解任するはその人の任(地位)を解くで、**さんを辞めさせるという事ではない。結果的には首もあるでしょう.
更迭---人を変える。**を更迭する。--に***を更迭でもいいし、**を更迭するでも、どこへ行こうが更迭をされる事実がわかれば、いいのだから、**を更迭でもかまわいと思います.地位を下げられる人もあり.

Q大さじ一杯 小さじ一杯って・・・

それぞれ何グラムぐらいなんですか?困っています教えてください。私はさじを持っていないので測れないのです

Aベストアンサー

重さは量るものによって違いますが、
大さじ一杯=15cc
こさじ一杯=5cc
です。

Q「すいません」と「すみません」どちらが正しい?

 タイトルにあるとおり、素朴な疑問になりますが、「すいません」と「すみません」ではどちらが日本語として正しいのでしょうか。分かる方ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

もともとは「すみません」ですが、「すいません」と発音しやすく変えたものもたくさん使います。
話す時はどちらでもいいですよ。

ただ、私個人の語感で言うと、公式的な場では「すみません」の方がいいような気もします。「すいません」はちょっとくだけた感じかな。でも、これはあくまで私個人の語感。人によって、あるいは地方によっても感じ方は違うだろうと思います。

書くときはもちろん「すみません」にしましょう。

発音しやすく変化した発音の他の例としては
手術(しゅじゅつ→しじつ)
洗濯機(せんたくき→せんたっき)
などがあります。これも、話す時にはどちらでもいいです。「しじつ」「せんたっき」と書いてはいけませんが。

Q「幕府」と「朝廷」の違いを教えて

中学校1年生の子供からの質問なのですが、

・「幕府」と「朝廷」の違いが分からない。
・そもそも「幕府」って何?「朝廷」って何?

と言われました。
お恥ずかしながら的確に説明できません。
教科書には説明が載ってないし、「先生に聞いてみたら?」と言うと
「先生は授業が終わるとすぐに職員室に戻ってしまうし、あまり質問しやすい先生じゃないもん!o(;△;)o 」
とのこと・・・(´_`;)

どなたか教えていただけますか?
私も勉強したいです。よろしくお願いします。<(_ _;)>

Aベストアンサー

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるということはほとんどなく、武士に言われるがままに任命していたわけですから、実権は武士の側にあったということになります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%81%E5%A4%B7%E5%A4%A7%E5%B0%86%E8%BB%8D
これを端的にお子さんに説明するのは難しいかもしれません。
ただ、今の天皇陛下も政治的な実権はまったくなくて象徴として存在しているわけなので、それとちょっと似ているというような説明は、できるかもしれませんね。(今でも首相を任命するのは天皇と決まっています。ただし天皇が首相を選ぶことはできず、国会が選んだ人を形式的に任命するだけです)

朝廷というのは天皇を頂点とした政府のことですが、ここが日本全国を完全に支配していたのはせいぜい平安時代までで、その後紆余曲折はありますが、鎌倉時代、室町時代、戦国時代(この時代は全国を支配した政権はありません)、安土桃山時代から江戸時代まで、ほとんどは武士が支配することになります。
ただ、ややこしいのは武士が支配していた時代でも一貫して朝廷は存在していたことです。幕府の長は征夷大将軍ですが、これは形式的には天皇の部下なんですね。ただ、現実には天皇が将軍を自由に選べるという...続きを読む

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134


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