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宇宙ができて以来、一度しか起こらなかった現象って、科学として考えることができるのでしょうか。

例えば、空気中のある範囲の気体が、同じ方向に動く確率って、とっても小さいけれども、ないわけではないはずです。とすると、今までに一度ぐらいは起こったかもしれません。このような場合、それを科学としては常識から外れていると言って相手にしないとしたら、偶然それを見た人は、変わり者と思われてしまうかもしれません。

それとも、例外として、そういう事もあるってことになるのでしょうか。

A 回答 (6件)

アイザックアジモフが使う言葉に


「カメラの部品を袋に入れてぐるぐる振り回して開けたらカメラが出来ているくらいの可能性」というものがあります。
まるっきりありえないことではないけれど、
「一度それでカメラが出来たんだ」と言ってもたぶん「変わり者」と思われるだけで信じてもらうことは出来ないと思います。
質問中の「空気中の期待が・・・」という仮説がちょっとよくわからないのですが「ありえないほどの偶然」がなんで起こったかの理由付けするのが「科学」ではないでしょうか?
同じ方向に動いたことを「偶然」と考えずに、「なんで全て同じ方向に動いたか」を考えるのが科学ですよね?
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 私も学生の頃、箱の中の気体がすべて箱の半分に集まる確率はどのくらいだろう?と思い計算したことがあります。

結果は、太陽系の消滅よりずっと長かったのではないかと思います。しかし、いろいろ想像することは夢があっていいですよネ!
 
 中学生のときに、同じクラスの友達が文学の時間に短歌を発表したときに、先生にひどく怒られたことがあります。彼の短歌は「雪の朝 二の字二文字の 下駄の後」のようでした。これ芭蕉の句だそうです。彼は芭蕉の句など知らないと言っていましたが、本当だろうと思います。しかし、このような偶然はあるのでしょうか?

偶然、あってもよいですよね?
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

ちょっと、話がそれますが、私の友達は、あるお店を歩いている時、たまたま通りかかった横で、売られている鏡が倒れて割れてしまって、言い訳ができなかったそうです。ま、そういう事もあるわけです。

ところで、私がこの質問を考えたのは、世界にはいろんな人がいて、いろんなことを言っていますが、中には誰も信じないようなことをいう人もいます。でも、もしかしたらその人が言っていることが、本当の事だってあるかもしれないと思ったからです。

> 偶然、あってもよいですよね

いいと思いますよ。自然はときとして、驚くべき現象を見せますから。

お礼日時:2001/05/14 00:26

科学としては、「そういう事例も例外としてある」というかたちで認めるのはマズイんじゃないでしょうか。


起こりうる可能性がゼロでは、ありえないことが起こった事になり、現実に起こった事を確認した時点でその自然科学の定義が間違っていた事になると思います。確率は低くとも、そういう事が起こる可能性が全くのゼロでは無い事が、科学上真理とされている事が追認される条件でしょう。未知なる条件、要素がある為にそのような事が起こり得た、という柔軟性を有さないものはもはや真理ではありえないですよね。
問題は、あり得ない事が起こった事実を、本当に事実として確認できるか、受け入れられるか、という事だと思います。一度しか起こらなかった、シミュレートできない、となると、よほど前向きな姿勢の科学者で無い限りは、起こり得た可能性の探究という方向には向かわないですよね。結果的に黙殺されることになるのでしょう。
宇宙とのかかわりに関しては、定期的に起こる現象であっても、サイクルが数十年、数百年、というものも多いです。宇宙についての研究がすすめば、黙殺されていた「変わり者のたわごと」のなかにもスポットライトが当たるものがでてくるのではないでしょうか。
新しい何かがわかった事で、いままで「そんなバカな」と笑い飛ばされてた事に説明がつくようになる可能性もあると思います。
科学は現時点で完成・完結しているわけではない、というような事を言いたかった訳でした。
長々と失礼しました。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございました。

宇宙のことを考えている科学者たちって、すごいですね。宇宙の誕生なんて、何度も起こっているなんて考えずらいですからね。しかも、天体現象のサイクルも長いでしょうから。そう言うことに取り組んで、論文を何枚も書いていくなんて、ホントすごい人達だと思います。

お礼日時:2001/05/14 11:23

 一度しか起こらなかった現象を科学的に考えることは可能です。


 一度しか起こらなかった現象を考えることは科学としてなにも間違ってはいないと思います。(それが有意義かどうかは別問題ですが)
 
 科学では可能性があることは否定されません。否定的に考えられることはいくらでもありますが、それは個人の思想上の問題です。
 可能性があることを否定することは非科学的です。(だからといって可能性があるかといってその現象がおこったというわけでもないのでしょうが)
 真理の探求においてはすべての可能性が検討されます。例外がないことが真理であって、そうならない可能性はすべて排除されていなければならないのです。

 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

幽霊についても当てはまるかもしれません。本物の幽霊、いるかもしれませんね。会ってみたいです(怖いだろうけど)。

お礼日時:2001/05/14 11:26

 「宇宙ができたという事実」自体は、何回も起こっていないわけですが、科学的研究の対象ですね。



 「科学として考える」というのが、何を考えるか、ということになります。ガラス板を100円玉が分子の隙間をぬけて、通り抜ける確率、というのを考えることが、実際に「宇宙ができてから起こったかどうか」を考えることは科学的でないでしょうが、確率として「宇宙ができてからいままで1回おこったかどうか、ぐらいの確率だ」という計算をすることは科学でしょう。

 だから、○リ・○ラーの「超能力」を、確率としてゼロでないからそういうことを起こすことは可能でないか?という解説者は科学的でないのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2001/05/16 02:33

「科学として考えること」は勿論可能です。

それは「科学として考える」の意味を考えれば明らかです。

「科学として考える」という事は,今までの科学的事実・理論に基づいて,与えられた課題が正しいか,まちがっているかを考える事です。

また,場合によってはある前提条件を出して,それが満たされた場合に,その課題がどうかを考える場合もあります。


ご質問の例にあげてある「空気中のある範囲の気体が、同じ方向に動く確率って、とっても小さいけれども、ないわけではないはずです」を考えた場合,現在の物理理論から考えると,何の力も働かないのにものが動く事は理論にあいません。では,どんな条件があれば実現するのか。この様に考える事が「科学として考える」という事です。

ですから,考える事は可能です。ただ,それを誰もが認めるかどうかは別問題でしょうね。場合によっては「その理論は正しいが証明できないよ」という場合もあるでしょうし。

なお,「科学」において,常識に合う合わないは関係ありません。理論的かどうかが問題となるだけです。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

最後の二行、かっこいいですね。私も、常々、考えるところがあるのです。科学における発見って、興奮しますよね。興奮するのは、新しいことだからです。でも、新しいことばかりを発見するのは難しいので、普通の人々は、常識的な方法論で研究して、論文書いていくのでしょうね。

お礼日時:2001/05/16 02:31

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