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論理解釈の定義が、「法令の文字のみにとらわれることなく色々な道理、理屈を取り入れて解釈する」ということから、類推、拡張、縮小のみを意味するわけでなくて、文言(反対)解釈も包含(否定していない)していると考えるべきだったのかもしれません。
文理解釈=文言(反対)解釈として、論理解釈=類推、拡張、縮小解釈と対立的にやってしまったのが、混乱の原因だったのかもしれません。
文理解釈<論理解釈であって、論理解釈は具体的妥当性という必要性のために解釈の幅を持たせたと同時に法的安定性という許容性のために、形式的には条文の趣旨に実質的には妥当な結論に求めたということでしょうか。
No.4
- 回答日時:
補足を拝見しました。
補足というよりも、感想というような印象を受け、それに対して何かコメントするのも如何なものかという気もいたしますが、乗りかかった船なので、私なりの感想を書いておきます。
>しっくりこない部分といいますのは、、、、、。原則として文理解釈して、・・・
結局は言葉の定義の問題。物事を厳密に議論するためには、はじめに定義づけが必要で、質問文その他を読む限り、されていません。実際に議論に耐えうる定義づけをするのは大変ですが。
>論理解釈には多様な解釈がありますが、類推解釈と反対解釈でいいのではないかと思うことがあります。
大きく分ければその2つかもしれませんね。
ただそれは、例えるならば大学受験の予備校において、理系クラスと文系クラスの2つがあればいいのでは?といっているのと同じ。人数も少なく、それほどレベルの高くない予備校ならばその2つのクラスで十分かもしれないが、大きな予備校に行けば、理系コースの中にも、東大クラス、医学部クラス、早慶クラス・・・などいくつにもわけ、よりきめ細かい対応が必要となる。
No.3
- 回答日時:
>自覚がなく、違いに気づいておりませんが、論理解釈が文理解釈を包含しているという表現が異なる点だったのでしょうか。
おっしゃるとおりです。
>文理解釈=文言(反対)解釈として、論理解釈=類推、拡張、縮小解釈と対立的にやってしまった
その2つは純粋に独立とは言いがたいが、並列の関係にあるという風に私は整理しています。
>「法令の文字のみにとらわれることなく」というのは、国語的意味だけではないということであって、国語的意味で解することをも包含していることではないかと思います。
そういう整理の仕方もできると思います。結局それは学理的解釈、文理解釈、論理解釈をどういう定義で使うかだけの問題。(私ならば学理的解釈の下に文理解釈と論理解釈と2つに分けたほうがスッキリと整理できると思いますが、最後は好みの問題だと思います)
>私の理解では、沿革的には文理解釈が初めで、・・・
沿革的とはどういう意味ですか?歴史的に見た場合、例えば世界初の成文法は紀元前2000年頃制定されたリピト・イシュタル法典といわれていますが、その当時は文理解釈しか存在せず、その後論理解釈がされるようになったというような意味ですか?
であるならば、想像するに違うのではないかと思います。
というのも成文法が制定される前に慣習法があり、それをまとめて成文化(全部で50条程度であり、今で言う民法と刑法をあわせたようなもの)したわけですが、当然全ての慣習法をきっちり成文化できるはずもなく、かなり不完全であることは当時の人間も十分に理解していたはず。そのため、文理解釈だけして個別具体的事件をしていたとは到底思えません。
リピト・イシュタル法典は現存するのは欠損だらけで、はっきりとした条文はよくわかりませんが、例えばその約200年後に制定されたとされるハンムラビ法典で考えてみます。
当該法典は「目には目を、歯には歯を」で知られますが、その条文の根拠は
第196条 もし人が人の眼を潰した時は彼の眼を潰す。
第197条 もし人が人の骨を折った時は彼の骨を折る。
の2条だそうです。もし人が人の耳をちぎったという事件があった場合に、条文にはないから、無罪。などという運用がされていたと思えず、恐らくはこの2条の立法趣旨である「目には目を。歯には歯を」を鑑み、類推解釈して耳をちぎったのではないかと思いますが、如何でしょうか?
>文理解釈<論理解釈であって、論理解釈は具体的妥当性という必要性のために解釈の幅を持たせたと同時に法的安定性という許容性のために、形式的には条文の趣旨に実質的には妥当な結論に求めたということでしょうか。
「文理解釈<論理解釈」とはどういう意味ですか?上位概念?より優先される解釈?その他?
ある具体的事件を解決するに、まずはじめに価値判断があって、それを説得するための法技術が法律構成。そして法律構成を組み立てるにあたって、抽象的な条文を個別具体的な事例にあてはめる作業、言い換えれば条文の内容を確定すること、つまり解釈が必要となります。
法的安定性を鑑みて、文理解釈がまず優先されるでしょう。そしてどうしてもそれでは価値判断が導かれない場合に、条文の趣旨を鑑みての論理解釈をします。しかし、論理解釈の濫用は条文の軽視につながり、法的安定性を害するので許されません。文理解釈から離れて、どこまで論理解釈が許されるのかというのは、必要性と許容性の観点から説明される。といった感じではないでしょうか。
(刑法では罪刑法定主義の要請により、類推解釈は原則禁止。論理解釈の中に反制定法的解釈なるものがあります。これは、民法典その他の制定民法のある条文の規定内容に反するが、形式上その条文と無関係な形で論理的に成り立ちうるように構成された解釈のこと。具体例では、制限行為能力者の取消権があります。制限行為能力者が自らがした取消しは、条文の規定上は取消すことができるはずなのに、これは当該解釈によって取消すことができないとされています。)
長文で失礼しました。
この回答への補足
論理明快な回答をありがとうございます。
法の歴史等についてもとても勉強になりました。
おしゃることはごもっともと存じます。
しっくりこない部分といいますのは、、、、、。原則として文理解釈して、やむえない場合に論理解釈すると考えるのはいいのですが、文理解釈で妥当な結論が出る場合を考えますと、やはり文理解釈することが、その条文の存在目的である正義・公平を満たしているからに他ならいと思います。
法や制度には、正義、公平を実現するという存在目的があり、それを実現すべく法解釈するというのは、解釈の本質であると思いますが、これは論理解釈の定義そのもののように思います。
そして文理解釈も解釈である以上は、この本質から逃れるわけにはいかように思います。
論理解釈には多様な解釈がありますが、類推解釈と反対解釈でいいのではないかと思うことがあります。
債権者代位権の転用、表見代理の重畳適用も、類推解釈だと聞いた記憶がありますし、拡張解釈にしても、類推でもよいように思います。
でも拡張といい、類推とは言わないのは、国語的意味を大事にしている(法的安定性への配慮)表明ではないかと思えます。
反対解釈は文理解釈に分類されることがあるように国語的意味に忠実であるように思います。
多様な論理解釈の解釈名は着眼点を表していると同時に国語的意味との乖離の程度を表しているようにも思えます。
そして、文理解釈はこの点について最も厳格な解釈であるに過ぎないのではないかと思います。
解釈の沿革につきましては、成文法以降のつもりでした。
成文法の成立と同時に、文理解釈の限界は見られたのではないかと想像します。
「目には目を、歯には歯を」というのは非常に面白いですね。
当時の法では神の存在が大きかったのではないかと想像します。
そこで、解釈には神の意図を探る(立法者意思の萌芽)ことが重要であったのではないかと想像します。
そして、神が死んだとすれば、立法者意思さらには正義公平の実現という目的論がそれに代わったように思えます。
No.2
- 回答日時:
前回及び今回の質問を拝見しましたが、私の理解とは大分異なるので、私なりの見解を述べたいと思います。
ただし、内田先生の著によれば、
「『法の解釈』とは何かは、法律学における永遠の問いともいえ、難しい論争が続いている。法の解釈を実践した経験を持たずにいきなりそのような哲学的論争に立ち入るのは、詩も小説も読んだことのない人がいきなり文学とは何かを論ずるようなもので、有害でありこそすれ何の益もない」と書かれている位難しい話であり、ごくごく単純な私の理解にすぎません。
なお同じ用語を使っていても、学者によって色々な定義が存在しているので、質問者が間違っていると主張したいわけでもないことをあらかじめ断っておきます。
まず法の条文の解釈とは、(どうしても抽象的に書かざるを得ない)「条文の内容を確定すること」と定義します。
そして、その方法には大きく分けて2つあり、一つは立法的解釈。もう一つは学理的解釈です。
前者は、立法者が自ら条文の内容を確定させることであり、具体的には通達、通知、回答等(場合によっては、雑誌に寄稿された論文等も含む)によってなされます。ただし、通達等をするのは、立法府でも司法府でもない法務省の局長等であり、どこまで意味のあるものなのかは、議論のあるところではありますが、法的安定性という面からは、重要であるともいえます。
後者は学問上の努力によって個々の解釈者がするものであり、それには文理解釈と論理解釈の2つの方法があります。
文理解釈は、国語的意味を尊重する解釈のことであり、要は文字通り解釈すること。
論理解釈は、文字のみにとらわれることなく、法令の趣旨を鑑み、色々な道理、理屈によって解釈すること。
ただし、実際の条文の解釈においては、この2つは完全に独立というわけでもないです。条文が言語によって書かれている以上、ある程度までは国語的意味によって解釈せざるを得ないので論理解釈のみというのは、現実問題として不可能ですし、言葉には多義性抽象性があるために文理解釈のみで解釈できる場合もほとんどない。もし文理解釈のみで解釈できるならば、そもそも解釈が問題とならない場合ではないかと思われます。
そういった意味では、条文を学理的解釈するには、文理解釈と論理解釈の双方が必要であるが、その両方のどちらを重要視したかで、結論が変わる場合についてのみ、あえて文理解釈と論理解釈という用語が使うべきなのかもしれないです。
この回答への補足
回答ありがとうございます。
立法的解釈というのがよくわかりせんでしたが、ご回答によりよく分かりました。
>私の理解とは大分異なるので
自覚がなく、違いに気づいておりませんが、論理解釈が文理解釈を包含しているという表現が異なる点だったのでしょうか。
私の理解では、沿革的には文理解釈が初めで、その問題点を克服するかたちで国語的意味から一歩進んで、立法者意思、さらには制度趣旨により読み解くことになったように思います。
例えば、類推解釈は類似していることが適用の根拠ではなくて、類似していることによりその条文の制度趣旨に合致するということではないかと思います。
文理解釈の根拠は法的安定性ということ、乱暴ですが「悪法も法なり」で決めたものだから守るべきだということしかないように思います。
一方、論理解釈は多様な解釈の仕方があることと思いますが、立法者意思とか制度趣旨を考えたときに、文言を国語的に解するのが趣旨に合致し妥当であり、国語的意味から逸脱すれば却って制度趣旨等を害するとすれば文言解釈するということになると思います。
「法令の文字のみにとらわれることなく」というのは、国語的意味だけではないということであって、国語的意味で解することをも包含していることではないかと思います。
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