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ロンドン五輪、いま柔道競技まっただ中ですが、テレビで試合を観ていると、何だかこれ本当に柔道なの?と思ってしまうのは自分だけなのでしょうか。
左右の手をちょこまかちょこまか、突つき合いながら、おいおい軍鶏の喧嘩じゃあるまいし、と突っ込み入れたくなっている全国の日本人の方々、特に柔道をしておられた方々、本当にどう思いますか。
こんなもの、柔道でも何でもなく、JUDOという全く異なる"スポーツ"でしょうに、多分。
何故どうして、こんなことになってしまったのですか?教えてください。

A 回答 (7件)

強かった日本に対しての対策が現在こんな感じになったのですよ。



日本はレベルが高いので、一本を取りに行く柔道を最近までしていました。

それに対し各国は一本を取らせないような対策をしてきたのです。それがまともに組み合わない、組んでも背中越しで帯をつかんだりするなど、変則的な組手で技をかけづらくするのです。また、うまく逃げてポイントを取らせないようにやっています。やりすぎると指導や掛け逃げの反則がありますが。

日本は子供から大人までずっと一本を取りに行く柔道をしてきたので、国際試合になってから急遽の対策、それでも一本にこだわったあまり、最近の成績が落ち込んできたとも言われています。

今回も日本の選手が技をかけて決まりかけたとき、相手は尻から落ちて有効で逃れた試合がありました。相手はこのまま我慢したら背中から落ちて一本か技ありを取られると考え、とっさに踏んばらずに力を抜いて落ちて有効に逃れたと言われています。このとっさの判断は子供の時からのポイントを取らせない柔道を教わり、体にしみついていると言われている、「JUDO」です。

日本は今でも子供は一本取らせる「柔道」を教わっているので、大人になってからの「JUDO」対策では不十分でないかと言われています。まぁ、今オリピックでやってるのは「柔道」ではないのは確かです。
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この回答へのお礼

真に強い且つ信念を持つ柔道家は、JUDOなどという、ちゃらけたダンスに参加する必要など、ないのではないか、と思います。
オリンピック対策としてのJUDO選手の強化・育成は、真の柔道家の精神・哲学を全く考慮しない、という人達の中で行えばよいだけのことでは、と思います。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2012/08/02 20:47

私は「レスリング・ジュードウ」と呼んでます。


点取り合戦の、ポイントを取る練習。
【心・技・体】
何故、【心】が一番目になってるか、なんて外国人には、無理なんでしょう。
「柔道」経験の無い、試験で資格を得た(審判)に、ジャッジされるなんて、たまったもんじゃない。
「日本人」選手は、どんなジャッジされるかわからないから、[一本]を狙えと、指導されている。
「オリンピック」の「柔道」は柔道で無くなりつつある。
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この回答へのお礼

真の柔道家が、あえて何もJUDOなどに、参加することはないのではないでしょうか。
いま、オリンピックで行われているJUDOなるものは、柔道の精神にそぐわないというか、逆にそれに反する精神の上で、行われているとしか思われないのですが。
ポイント?そんなもの、それそのもののが、もうすでに柔道ではないでしょう。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/02 20:54

 根性論や精神論に特化したがために日本のスポーツ競技はレベルが下がり国際標準から取り残される結果となりました。

その象徴が「柔道」です。いまやスポーツ競技としての「JUDO」ですから、そうした旧態依然の老人意識では世界を相手に戦うことなど不可能です。「参加することに意義がある」とはJOCの年寄り達が好んで使うフレーズですが、これは「参加して、アスリートが持つ最高レベルのパフォーマンスで競う」ことを誤解しているだけであり、いつも言い訳を繰り返す根拠でしかありません。
 そして試合が終わったら互いに相手の健闘を讃え合う。これで「柔道の精神」も保たれていると評価すべきではありませんか、本当に「道とやらの意味」をご理解されているならば。
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この回答へのお礼

そうですね、そうかもしれません。
これからは「JUDO」と「柔道」を完全に異なるものとして、対応していくことが、最もよいのでは、とも思います。
ありがとうございます。

お礼日時:2012/08/02 20:59

確かに日本人から見ると違和感があるが、これだけ世界に普及しグローバル化したら「柔道は武道だ」の日本流概念は、他国の人には理解してもらえないだろう。


所詮多勢に無勢。
仕方ないと諦めるしかない。
世界で行われているのは「JUDO」であり「柔道」ではない。
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この回答へのお礼

でしたら、"柔道"と"JUDO"を全く別のものとして捉えて、考えていくべきではと、私個人的には、思ってしまいます。
オリンピックで見せられているのは、JUDOかもしれませんが、決して、柔道ではないことは、明らかです。
オリンピック競技はJUDO、そんなものは柔道ではないという真の柔道は別途に世界大会を行えば、どうですか。
そうしてほしいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/02 20:33

私も同じ思いで見ていました。


あれじゃダンスですね。
嘉納治五郎は柔道には1本勝ちしかないと言っていました。それが日本の武道です。
それがいつのまにやらスポーツという名のもとにダンスになってしまったのですね。
指導に判定、何これは?という感じです。

原因としては現在の国際柔道連盟が欧州の主導になっているからではないかと思います。
武道の精神よりもルールを守らせることが主体になってしまったように見えます。
他の日本が強い競技は同じですが、日本人には勝たせないようにどんどんルールを変えていき、こうなってしまったようにも思えます。
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この回答へのお礼

ダンス?ですか。なかなか、きついお言葉ですね。
ユウコウ?何ですか、これ。
技有り、まででしょう。
これからは、柔道とJUDOを全く別のものとして、選手育成を図っていくのがよいのでは、と思ってしまいます。
ありがとうございました。

お礼日時:2012/08/02 20:13

別にオリンピックだけでないよ。


国内の試合もそう。

20年ぐらい前からつまらんくなってる。
 (私の目が肥えたのかもしらんが?)


まあ、仕方がないけどねぇ・・
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日本の大会でもこんなもんですよ。


好い組み手をしたかったら自然にそうなります。
しっかり持ってから技にはいるのは中学生の試合くらいまでです。

柔道は嘉納先生が「柔術」をスポーツにするために作ったものです。
全世界に広まったことは喜ばしいことです。
勝っても負けても「礼をする」。
自分一人では何もできませんからね。
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