人生最悪の忘れ物

大学四年生です。
民間企業と小学校教員の進路をどちらにするか決め切れず、就活と採用試験の勉強を並行して行っていました。
先日教員採用試験の一次発表があり、合格していたのですが、民間企業にも内定を頂いているため、二次を受けるか迷っています。
自分の中でいずれ教師になるかもしれない、というビジョンはあるものの、色々と考えた末、今の段階では民間企業で働きたいと思うようになりました。

理由は、下の三つが大きいです。

(1)教師から民間への転向は厳しいが、民間から教師への転向は可能であるため、将来的に見て選択肢を多く持つことができる
(2)就活を通してキャリア教育に興味がわいたため、もしいつか教員になりたいと思った時、民間での経験が役に立つと思った
(3)民間でしか培えない能力や経験を得るチャンスを今手放すのはもったいないと思った

そのため、教員採用試験二次を辞退しようか悩んでいます。
今回辞退した場合、記録などは残るのでしょうか?
もしも、以後同じ自治体で試験を受けたいと思った際に不利になってしまうのでしょうか?
私の場合、正当な理由というよりは自己都合の面が大きいので、今回の辞退を理由に、はじかれてしまうのでは不安です。

優柔不断なのは自分でも分かっていて、反省しているのですが、教師という仕事の特殊性やつぶしがきかないことから、慎重に決めたいと考えています。
また、自治体は東京都や大阪府など大都市ではなく、地方です。
ご存じの方、是非教えていただきたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

>(1)教師から民間への転向は厳しいが、民間から教師への転向は可能であるため、将来的に見て選択肢を多く持つことができる


(2)就活を通してキャリア教育に興味がわいたため、もしいつか教員になりたいと思った時、民間での経験が役に立つと思った
(3)民間でしか培えない能力や経験を得るチャンスを今手放すのはもったいないと思った

そのため、教員採用試験二次を辞退しようか悩んでいます。
今回辞退した場合、記録などは残るのでしょうか?
もしも、以後同じ自治体で試験を受けたいと思った際に不利になってしまうのでしょうか?
私の場合、正当な理由というよりは自己都合の面が大きいので、今回の辞退を理由に、はじかれてしまうのでは不安です。

多少知ってる者です。いくつかのn数を基に話しますね。
まず、(1)については「甘い」
可能ですけどキャリアとしては損です。民間、社会人経験者採用については、質量の確保と言う苦肉の策と言うのが背景にあって、まだまだ教育大を出て1,2年目の若者を多く採りたいと考えている自治体が多いです。
民間はどこもそれなりにキツイです。そこで3年頑張ったとしてそれを評価されないとすれば嫌じゃないですか?(2)(3)も同様。
迷うなら民間もいいけど、正直すすめない。

恐らく記録は残るけど、不利にはならないです。そういう人はたくさんいますので。
ドタキャンとかじゃなきゃ辞退しても問題ないでしょう。
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>教師から民間への転向は厳しいが、民間から教師への転向は可能であるため



これは、「教員採用試験の方が門戸が広い」というだけで
「教師から民間は厳しいが、民間から教師は容易い」という事ではありません。

※言葉の対比として、「…は厳しいが、…可能である」は可笑しいです。
※「…は厳しいが、…は容易い・容易である」或いは「…は不可能だが、…は可能である」或いは「…は可能性が低いが、…は可能性が高い」等とすべきです。

そして、「民間企業を経験してから、教師」と言っても
「ただ、『民間企業に勤めていた』だけ」
「ただ、『民間企業で就職活動を経験し、採用されて、漫然と働いていた』だけ」
だけの人では
「最初から教師を目指している・いた人」よりも優勢になる事はありません。


「教員は大学出てすぐ『先生』と呼ばれて偉いつもりになっている勘違いな輩ばかり」
「教員は世間知らず」
「教員は社会常識を知らない」
「何であれ民間で働いたという経験は、大学卒業後すぐに教師になった人間にはない強み」
「民間を経験していない教員は使えない人間ばかり」

等というのを「本気で信じている民間企業勤め」の人は多くはありません。
世間でそういうのは、所謂「いじめ」と同じく「相手を貶めて、自分が優位に立った気になりたい下種な人間の行動」です。
(或いは、「自身が児童・生徒・学生の時に「自分に非があって叱られた」経験を根に持ち、教師を恨んでいる人間の行動」です)

「社会が素晴らしくて、学校だけが可笑しい」
「民間企業勤めの人間は優れていて、教員だけが劣っている」

もし、それが「本当」ならば、「いじめ」は起こらない・起こりにくい筈です。

何故、学校で「いじめ」が起こるのか。
それは、
「社会が、他の大人達が、学校・教員をいじめているから」
「だから、学校・教員は『親よりも、児童生徒よりも、下の立場』で、何をしても叱られる筋合いはないから」
「親や社会に不満があるけど、親には金を出して貰っているから、親の前では良い子でいなきゃ」
「その分、学校で発散する(学校は「それをしても許される」場所だから)」
という事です。

そういう風に考えた事はありますか。


「学校が可笑しい。教師が愚か」と口にする人間が多かったら、口にする勢いが強かったら、それは「事実」なのでしょうか。

「いじめ」の被害者よりも加害者の人数の方が多かったら、被害者が声を上げられず加害者の方が勢い強く主張していたら、その「いじめ」は正当化されますか。

違いますよね。

「教員叩き」
「学校叩き」
でも同様です。

教育現場の一線から退き、大学教員になったり評論家になったり活動家になったりしている人や
民間の教育業界(塾、予備校、○○スクール、教材製作、等)の人で

「親の未熟さ・身勝手さ」
「家庭教育・しつけの崩壊」
「一般社会に根強い、イジメ体質」
「マスコミによる学校叩きこそが、『イジメの構図』の縮図」

等を指摘せず、教育現場(学校)を非難していたり
教員を「一般の社会人よりも質が低い人間」であるかの様に語ったりしている人達は

「いじめられるのが嫌で、いじめる側に回った人間」
「いじめる側の人間に媚びを売り、自分には矛先が向かない様にしている人間」

と大差ありません。

「教員から民間へ」という人も少なくありません。
それは、「民間勤めの人間(保護者)からのいじめ」に耐えがたくなり
「学校を辞める」からです。

「いじめ」から解放されるには
「自ら死ぬ」か「自分が、その場から去る」かしかないのは
子供でも教員でも同じです。

そして、使命感と責任感を支えに、ボロボロになりながらも教育現場に踏み止まる人が教師を続けているのです。


「公務員・教員の中で、不祥事・問題を起こす人の割合」が
「民間企業勤めの中で、不祥事・問題を起こす人の割合」よりも
「格段に高い訳ではない」のですよ。

公務員・教員だから、一々ニュースに取り上げられているだけです。
「民間企業勤めの人間が起こした不祥事・問題」
「民間企業でのいじめの実態」
等を報道すれば、24時間専門チャンネルが必要でしょう。それでも追い付かないかも知れません。

そんな「マスコミによる情報操作」にも気付かず
「公務員・教員になる奴らは、ろくでなしばかり」
と考えている人が少なくないのです。

児童生徒に対する「メディアリテラシーに関する指導」や「情報を精査する能力の向上」「健全な批判力の育成」も、教師の仕事です。

又、当然ながら「大学新卒者の就職活動に於ける、小手先のテクニック」「民間に就職すれば、将来公務員や教員に転職出来る」などを教えるのは
「キャリア教育」ではありません。

「真っ当な職業倫理感を育成する」
「目先の事に囚われず、5年後10年後20年後の人生を見据えた働き方を考える」
「働くという事の『真の意義』を理解する」
「自立した人生を生きる為の精神的成長を促す」

等が、「学校におけるキャリア教育」です。



仮に、「貴方がかつて教員採用試験一次合格、二次未受験・辞退だと、何の記録にも残らず、誰にも指摘されない」としても

「何故、民間企業勤めから教育の世界へ?」

という質問はされるでしょう。

「民間での経験を教育現場で活かす為に」
としても
「民間での、どの様な経験・実績・成果を、どんな形で教育現場に活かすのか」
を具体的に提示する位でないと。


「公務員・教員にはノルマが無いから」
というのを批判材料にしている人は、「ノルマ」の意味を「目標販売・売上数」でしか考えていない人でしょう。

そういう意味では、ある意味「民間勤め」の方が気楽でしょう。
「自分の能力の低さ」を棚に上げ
「会社が、もっと売れる商品を作らないから」
「上司・先輩の指導が悪い・親切でないから」
「不景気だから」
「他社の製品の方が魅力的だから」
等と、「全て、自分以外の責任」にして愚痴をこぼしても
一般社会では「ある程度」許容されているのですから。

現役教員が
「いじめの加害者家庭・保護者の実態」(事実のみでも)公に向けて口にすれば

「守秘義務違反」「プライバシーの侵害」
「精神的苦痛を与えられた」
「客(児童生徒・保護者は『客』ではありません)の個人情報を漏らした」
「加害者の子供の教育を受ける機会を奪った」

等と言われますよ。

厳しくするのも非難され、忍耐強く接するのも非難され。
教員達が子供と信頼関係を築こうとしても
マスコミによる「学校や教員は信用するな」キャンペーン。

いじめを目撃した子供達の中で、自分の親に
「今、○○君・さん・ちゃんが可哀相なの。大変なの」
と話をした人がどの位いるでしょう。

そして、自分の子供からそういう話を聞かされて
○○君・さん・ちゃんの為に動く大人(親)が
どの位いるでしょう。

「チクリ」になるから親には言わない・言えない、というのは
それだけ
「親と子の信頼関係が弱い」
「親が『大人として』頼りない」
「親が、基本的に自己中心的だと理解している」
という事に他なりません。


そういう問題点に対して、どんな「民間企業での経験」が活きるのか。

先ずは、そんな問題意識を持ちながら、民間勤めを経験されるのも良いと思います。
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地方で合格にも関わらず辞退ですが、多少なりとも記憶には残ります。


それが将来もう一度受けた時に不利に働くかはまったくの未知数です。

採用試験をする人だって異動します。同じ人が見ていても気にしない人もいますし。
根にもって面接まで覚えている人がいる可能性だったります。
そしてあなたも一番きにしてしまうでしょう。

なのでとりあいず2次試験も受けてはどうでしょうか?
落ちればそれでいいですし、合格したらそのときまた考えましょう。
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