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本能寺の変の時堺を見物中だった徳川家康に同行していた 茶屋四郎次郎は家康と一緒に浜松まで逃げたのでしょうか?
それとも伊賀で別れたのでしょうか?

伊賀越えの時に 家康の首を狙う伊賀衆に金銀を配って伊賀を通過したのはわかりますが
その先はわかりません

伊賀で別れ 堺に引き返したのか やはり浜松まで同行したのか…
もし浜松まで同行していたとしたら 服部半蔵が一緒だったので 四郎次郎の同行は必要なかった気もするのですが…

教えてください

A 回答 (3件)

こんにちは。



そうなんです。
家康と影武者が入れ替わった説は多いのです。
・伊賀越えの時
・関ヶ原の戦いの時
・大阪夏の陣の時
誰にも解けないミステリーかもしれませんね。
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この回答へのお礼

なんと そうでしたか ほかにもあったとは☆

お礼日時:2012/08/18 09:53

ついでですけど、徳川家康が死亡し、影武者と入れ替わったのは


この伊賀越えが有力です。
大河ドラマ『江』では北大路欣也さん演じる徳川家康は
馬で伊賀越えをしていましたが、御輿の説が有力です。
事実御輿に火縄銃の弾痕があり、血痕もあります。
(御輿は現存しています)
また神社に氏名と生年月日を記した書面を奉納した際にも
家康より2歳若く記しています。
(この書面も現存しています)
伊賀越えの時点で世良田二郎三郎(影武者)が徳川家康と
入れ替わった可能性は充分あります。
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この回答へのお礼

家康が影武者になったのは大阪夏の陣では?
真田幸村に追い詰められ 葬儀の棺に隠れて逃げようとしたところを後藤又兵衛の槍に突かれ死んだと

そして小笠原秀政が家康の影武者になったと

お礼日時:2012/08/18 09:03

おはようございます。



本能寺の変を馬に乗って、家康の元に知らせた人物は
茶屋四郎次郎で間違いありません。
(馬に乗る位ですから同行していても、
若干の距離があったと推測される)
ただ四郎次郎は京の二代目を襲名した豪商です。
家康について浜松まで逃げる必要はありませんし、
明智光秀に命を狙われる理由もありません。
直ぐに京へ戻ったでしょう。
伊賀で金をばら蒔き、その際に服部半蔵を配下にしました。
以上です。
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この回答へのお礼

そうですね 茶屋家がのちに幕府御用達になった事を考えると 四郎次郎の行動に家康は感謝していたとも考えられるかもですね

お礼日時:2012/08/18 09:05

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