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こんばんは☆
応天門の変の真犯人て 伴大納言こと伴善男なんですか?
何だか色々書いてあって真実がわかりません…泣
ウィキペディアは信用できないし

A 回答 (4件)

名探偵コナン呼んでくるしか手はありません。



>その後、密告があり

政治家や企業汚職、企業犯罪は殆どが内部告発でバレているんですよ。


>大納言伴善男は左大臣源信の犯行であると告発した

普通、夜中の相手の行動など知る事など出来はしません。
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この回答へのお礼

そうですよね
でも夜中に目撃者が…☆

お礼日時:2012/09/18 06:34

歴史の謎の部分ですよね。

ご指摘の伴善男はその後、一貫して容疑を否認していますからね…

もちろん正確な史実を期待するものではなく、現在はどのように考えられているのか?を前提にお話させてください。

まず、事件の概略は御存じでしょう。『日本三代実録』貞観8年3月10日の条に「夜、応天門に火あり、棲鳳・翔鳳の両楼延焼す」と記される火災が発生します。この火災につき大納言・伴宿禰善男はこれを放火事件と断定、犯人は左大臣・源信とあるとし信の失脚を謀ろうとします。
その後の調査において藤原良房の活躍もあり、源信と火災とは無関係であることが分かります。
そして、事態が急変するのが事件から5カ月が過ぎた8月3日。応天門の放火犯人は伴善男とその子である中庸であるとされます。その後、2か月近くたった9月22日、一貫して容疑を否認する伴善男をしり目に、首謀者5人は罪一等を減じられ遠流。ここに同事件は一応の解決を見ます。

以上が大まかな事件の流れですね。
それでは上記を参考に犯人は伴善男なのか?現在において善男以外に疑いをもたれているのが藤原良房なんです。理由は簡単。応天門の変を機に、彼は摂政に任じられます。現代の推理小説と同じ理屈ですね、一番利益を得たものを疑う。ということです。
しかし現在では良房黒幕説は否定されています。というのも、詳細に彼の事績を調べた結果、彼は太政大臣の任にあり、清和天皇を輔弼していましたが、応天門の変の少し前の貞観6年、清和天皇の元服を機に政治から退き、以降は仏教三昧の隠居を決め込んでおり、猟官の意志などは見えないという事からなんです。

そういったわけで、現在「応天門の変の犯人は誰ですか?」と問われれば「伴善男が最終的に罪を問われましたね」としか答えられないかな?と思います。
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この回答へのお礼

やっぱり伴ちゃんで決まりか…
ありがとうございます

お礼日時:2012/09/18 06:34

>ウィキペディア以外の信用がおけるものって知らないですか?



「信用のおける」と言われても、信用するかどうかは個人の主観なので、なんとも。

一般書で、定番というと、中公の「日本の歴史」でしょうか。
http://www.amazon.co.jp/dp/4122044111
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この回答へのお礼

ありがとうございます
ウィキペディアよりは信用できると思います

お礼日時:2012/09/18 06:33

真実はわからないしょう。

文献をそのまま信じるのか、疑ってかかるのかということで、現在からは推論しかできないです。
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この回答へのお礼

ウィキペディア以外の信用がおけるものって知らないですか?
そこに書いてあるといいんですけど

お礼日時:2012/09/17 21:46

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