「夫を成功」へ導く妻の秘訣 座談会

ベトナム人の方又はベトナムに詳しい方にお尋ねしたいのですが。

確かに米国はベトナム戦争でベトナムに対して宣戦布告はしなかったのですが、実質は米国と北ベトナムとの戦争であったことは明らかですし、米国は多くのベトナム人を殺し、都市を破壊し、枯葉剤で多くの奇形児を生ませました。謂わば、残虐の限りを尽くしました。

この行為に対して、ベトナムは和平協定締結時に補償を請求しなかったし現在も請求していないと聞きました。なぜ、請求しないのでしょうか。的外れのお叱りを覚悟で、請求しない理由をいくつか考えてみました。

(a)ベトナム人は、謙虚、謙遜な国民性なので、賠償請求などということをそもそも考えないから。
(b)1973年の和平協定で損害賠償を放棄したから。
(c)ベトナムにも悪い点があったためにベトナム戦争になった(つまり、ベトナム戦争はベトナム人にも責任があった)ので、反省しているから。
(d)米軍がベトナム内に残したインフラが相当の価値を有しており、それだけで賠償額に充分匹敵するから。
(e)つらかったベトナム戦争のことをもう思い出したくないから。
(f)米国人はいい人だし、米国文化は面白いし、今さら賠償請求する気にならないから。
(g)米国経済に既にどっぷりと浸かっているので、賠償請求して米国の機嫌を損ねると大変な経済的痛手を被るから。
(h)政府高官が米国から賄賂を貰っており、国民の「米国に賠償請求せよ」の声を圧殺しているから。
(i)請求していないという報道は誤りであり、実際には何度も強く請求しているが米国が突っぱねて払わないだけである。

上記の理由は、多分どれも正しくないと思います。

(1)
理由がたくさんある場合はそれを全部教えていただけませんか。

(2)
その中でいちばん大きな理由はこれだというのを示していただけませんか。

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A 回答 (9件)

五番からです、一番のベトナ認識は間違いだらけかと。


北と南が戦してたとか―南が弱すぎて米が介入したとか、間違いですよ。
仏軍から米軍介入の流れはどうなのかな?
南ベトナムは米公の傀儡政権の件は?
ベトコン*南ベトナム解放戦線の件は?
これらを簡略に回答してない、一番は回答で無くて質問者の立場ではないのかな?
それとベトナムが如何して米国に賠償求め無いのかなはー―質問者
米軍が南ベトナムから引き揚げる時の映像でブザマな映像が残ってるから米が敗戦の様に映って世間に広まってますが本当に敗戦何ですか、戦闘休戦.引き分けで撤退と思ってましたが、だから賠償も無いし極東軍事裁判らしき戦犯裁判も無いと認識してましたが、
もし、完全勝利だったら南朝鮮派遣軍とか、米軍将校も軍事裁判で二桁.三桁単位で処刑されてたと思いますよ、
枯葉剤散布゛から村々の焼き討ちからラオス等越境攻撃、朝鮮軍の虐殺.強姦.ライタイハン迄、勝ってたら皆裁かれてたと思います、米軍はロシア.シナに考慮しなかったら敗戦は有り得無いと思います、互いに
有る時点での妥協の産物と思いますが?
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この回答へのお礼

たくさんの御回答を頂き有り難うございます。

ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
勉強になりました。

お礼日時:2012/09/23 12:32

 最近、ベトナムがらみの質問を見かけるようになりましたが、話題になるようなことがあったのでしょうか。

不思議に思っておりますが、ベトナム戦争は現代史の重要な事件でしたから、忘れさられるよりずっと良いことですね。
 ことにベトナム戦争にいたる経緯はいまなお教えられることが多いと思います。

 ベトナムがフランスからの独立を求めて戦った第一次インドシナ戦争においても、アメリカはフランスを支援していましたが、あまり本腰を入れていませんでした。アメリカは「植民地」というもの自体を否定的に見ていたことと、太平洋戦争中はベトナム独立同盟(ベトミン)と協力関係にあったことがその背景にはあるのでしょう。
 フランスに代わってベトナムに本格介入することが検討されたのはアイゼンハワー政権の時代でした。しかし分析してみたところ、ベトミンは共産主義者に率いられているもののその本質は民族主義であり、かつ第二次大戦のような体制をしかなければ勝てないことがわかって、深入りしないのが長期的には得策と判断しました。

 ところが、その後アメリカで吹き荒れた赤狩りによってオーウェン・ラティモアをはじめとするアジア問題の専門家が国務省から追放され、ケネディ政権誕生時にはアジアを理解するスタッフが極端に少なくなってしまったのだそうです。おかげで、ケネディ政権は現実のベトナムを見つめることもないまま、ただ冷戦のイデオロギーにとらわれてベトナムへの本格的な介入を進めてしまったのです。
 こういう道の誤り方は人ごとには思えません。――という話はご質問とは関係ありませんでしたね。

 ご質問の点についてはすでに他の方も回答しておられますが、アメリカは公式にベトナムと戦争をしていたわけではありません。1964年のトンキン湾事件を受けた議会決議は大統領の軍事行動を支持するものであって、公式に戦争の開始を告げたものではありません。この中途半端な姿勢はベトナムをなめていた証しでもありますが、アメリカが勝てなかった原因のひとつでしょう。
 基本的にベトナムにおいては、アメリカの傀儡国家であるベトナム共和国(南ベトナム)と、ベトナム民主共和国(北ベトナム)と一体となった南ベトナム解放戦線が戦っている、というのが公式見解です。北ベトナムに対する北爆があったり、インドシナ半島全域に戦場が拡大していたのですから、しょせんタテマエでしかないのですが。

 ただ、こういう経緯を辿っているために、1973年のパリ和平協定においてもアメリカは敗北を認めたわけではなく、ただインドシナ半島での軍事介入をやめたにすぎません。北ベトナムにしても喫緊の目標はアメリカの撤退だったのですから、これが達成できるなら賠償云々にこだわる気はなかったのです。こだわって撤退が遅れるほうが損だし、どのみち賠償金は実現しないと判断しました。
 実際、アメリカ撤退後の南ベトナムはあっという間に崩壊したのですから、彼らの判断は現実的だったと言えるでしょう。

 1995年のアメリカとの国交回復にあたっては、行きづまるベトナム経済の建て直しのためにアメリカとの関係(特に経済)を構築することが急務と判断したので、やはり賠償にはこだわりませんでした。すでにソビエト連邦が崩壊し、隣国の中国とは微妙な(敵対的な)関係にありましたから、結構切実だったのです。ベトナム戦争時に指導的な地位に就いていた人たちが引退したという事情も、こだわらない理由になったのかもしれません。
 その後もアメリカに対して賠償を求めていないのは、求めたところでアメリカが応じるはずもないとわかっていることと、彼我の力関係には圧倒的な差があること、すでにベトナム経済はアメリカを抜きにして成り立たなくなっていること、大国中国が隣にいること、などを勘案してのものと思われます。

 あとは、アメリカ撤退以後も中国と戦火を交えたり、カンボジアに侵攻したりで記憶が上書きされているから、という理由もあるのではないでしょうか。国をまとめる物語が「抗米」だけではないということでしょう。
 ベトナムの事情については、現在の日本がアメリカを敵視していないことも参考になると思います。だいぶ事情がちがいますので同列にはおけませんが。

 長々書いてしまいましたが、一番大きい理由はいまのベトナムにとってアメリカとの関係が有用だと、ベトナム人が判断していることだと思います。けっしてベトナム戦争当時のアメリカをありがたがっているからではないでしょう。個人的に感謝する人はいると思いますが、賠償問題は別です。
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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
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お礼日時:2012/09/23 12:33

戦争倍賞というのは、負けた国から買った国が


とるものです。

昔は、勝った方が、負けた方の領土や財産を強奪しましたが、
現在ではそれの名前が戦争倍賞と呼ぶようになっただけです。

米国は負けた、と言われていますが、正確にには
勝てなかった、というだけです。
だから倍賞は請求できません。
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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
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お礼日時:2012/09/23 12:32

質問者さんの認識は根本的に間違っています。

元々北ベトナムと南ベトナムは、歴史・民族・言語・宗教・文化が違います。現代日本人にベトナム人と認識されているのは、キン族(ベト族)で、北ベトナムの主要民族です。キン族は中国南部が起源といわれ、言語はベトナム語、宗教は大乗仏教(中国経由で漢字で伝わった)で漢字文化圏です。歴史的に中国との関係が大変深いのです。

日清戦争のちょうど10年前の1884年~1885年に清仏戦争が起こります。阮朝に進出を図るフランスと阮朝の宗主国である清の対立が戦争に至ったものです。清にすれば朝貢国である阮朝に手を出すなという感情がフランスに対して存在したわけです。戦争の動機も結果も、まるで日清戦争に似ている。その阮朝が北ベトナムの王朝だったわけです。清仏戦争で清が敗れたことで阮朝は1887年にフランスに保護国化され独立を失います。

これに対して南ベトナムには、192年 - 1832年チャンパ王国が存在しました。チャンパ王国の主要民族はチャム族で、マレー系・インドネシア系と系統が近い民族で、言語はチャム語で宗教は、イスラム教が主でヒンズー教、仏教もある。南ベトナムは文化的にインドと近く、漢字文化圏ではありません。

近代に至るまでの北ベトナムと南ベトナムの歴史の詳述は煩雑すぎるので避けますが、北と南はそれぞれ別な歴史だったのです。ところが1832年にチャンパ王国は阮朝に滅ぼされてしまう。こうして南ベトナムの領域が阮朝に植民地化される。ところが、そのわずか30年後に南ベトナムはフランスに軍事侵攻されフランスに奪われ仏領コーチシナとされてしまいます。フランスによる南ベトナム植民地化には清は介入しなかった。なぜなら元々チャンパ王国は清の朝貢国ではなかったからです。こうして清仏戦争の時点では南ベトナムは既にフランスの植民地になっていた。しかし清仏戦争では南ベトナムは戦場になっていません。清仏戦争で戦場になったのは北ベトナムだけなのです。

以上のように元々北ベトナムと南ベトナムは、歴史・民族・言語・宗教・文化が違います。

ここで北ベトナムのキン族に話を戻します。現在、キン族はベトナムの他に、アメリカ、カンボジア、フランス、台湾、オーストラリア、カナダ、ラオス、マレーシア、ドイツ、イギリス、チェコ、ポーランド、日本、ロシア、中国、フィリピン、タイ、ノルウェー、オランダ、フィンランドに居住しています。

最も多くの難民を受け入れたのは例によってアメリカなのですが、まるでベトナム以外ならどこでも良いといった勢いで多くの国にベトナム戦争後、移住していったのです。この事実だけでもベトナム戦争をベトナムvsアメリカという構図で捉える認識が全く間違いであることが分かります。

ベトナム戦争の本質は、ソ連・中華人民共和国の支援を受けたベトナム共産党が起こした赤化統一戦争に南ベトナム支援を名目にアメリカが介入したといったことなのです。朝鮮戦争と同じです。結果が朝鮮戦争と違ったのは、反共を旗印にかかげた南ベトナム政府が弱体だったからです。朝鮮戦争と同じとはいったが、ベトナム戦争を北ベトナムによる南ベトナム侵略と見るのも単純すぎる見方です。貴族(地主)vs小作人の内戦にアメリカが貴族(地主)の味方をして介入したとみることも可能です。この構図は中国の国共内戦と同じです。国民党が地主の利益を代表し、中国共産党が小作人の利益を代表した。

南ベトナムの歴史はどんなものだったか。それはあまり明らかにもなっていない。私が理解するところは、無学文盲のキン族の小作人をチャム族貴族→キン族貴族→フランス人の地主が支配した歴史であるというものです。それが仏領コーチシナ→仏領インドシナ時代にフランス人宣教師がローマ・カトリックを布教することでアルファベットによるベトナム語表記が普及します。いわばベトナム式ローマ字とでもいうのでしょうか。これで無学文盲の小作人にも文字が普及します。これが現代ベトナムの公式文字であるクオック・グーなのです。

文字の歴史で見れば北ベトナムの貴族=漢字、南ベトナムの貴族=チャム文字、南北ベトナムの小作人=無学文盲の時代が、仏領インドシナ時代に漢字vsクオック・グーの2本立てとなり、ベトナム共産党が南北ベトナムを統一したことで、漢字が廃止されクオック・グーに一本化されたといった歴史です。漢字とクオック・グーの関係は、韓国の漢字とハングルの関係にそっくりです。

さて、確認されてください。質問者さんのいうベトナム人とは誰のことなんですか?どの階級のことなんですか?どの民族のことなんですか?

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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
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お礼日時:2012/09/23 12:32

質問者に逆質問します、ソモソモは仏国の植民地から大東亜戦で日本軍が一時仏軍を追っ払って解放して*日本が善政を引いてたからと古代から貿易で国交が有りタイのような日本人街が有ったからの関係かと思うが親日的*から敗戦で日本軍が撤退したら間髪入れず未来を予測出来ない破廉恥仏軍が米公の援護で逆上陸して、仏に留学してたホーチミン他が独立戦争を起こしたのが始まりです、独立軍は武器.弾薬が圧倒的に不足してるので主戦はゲリラ戦です。


このような破廉恥国は日本が一時解放して善政を引いてた国は何処も似たりヨッタリ、イギリスでもオランダでもベイでも。
だから仏軍と独立軍の戦争で仏がべの峠か山の支配権の作戦*...ビエンフーだったかな*で仏が大敗して撤退即米公が共産主義南下阻止を大義名分にドロ沼戦争に入っていった、外貨稼ぎの為米側で参戦した南朝鮮軍が一番残虐でライタイハンも残して問題になってるし。
だから仏植民地時代から質問して繰れないと、歴史の流れって有るんですから、ポット、北ベトナム×米じゃ無いと思いますよ、米傀儡政権の南ベトナムでのベトコン×米軍から北爆への流れです。
だから東南アジアの戦後の独立には日本軍が敗戦撤退で即欧米列強がスケベ根性出さないで独立を承認さえしてればホトンド血を流さなくて済んでた、北アフリカも同じです。
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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
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お礼日時:2012/09/23 12:31

bです。

パリ和平協定で賠償金が出されなかったからです。
なぜ出されなかったかというと、アメリカを追い出すことが最優先であって、賠償金問題まで持ち出せるほどの余裕がなかったからです。

CやDなどは全くありません。
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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

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お礼日時:2012/09/23 12:31

3.謎です。



だから答えは出ません。
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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
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お礼日時:2012/09/23 12:31
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たくさんの御回答を頂き有り難うございます。

ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
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お礼日時:2012/09/23 12:30

Cですけど…


そもそもベトナム戦争は北ベトナムと南ベトナムのベトナム同士の戦い
それを南がアメリカに泣きついて仕方なく参戦
つまりは小牧長久手合戦の徳川家康みたいなものです

アメリカは賠償を申し出ています
しかしベトナム政府はアメリカと経済協定を結ぶことで賠償を放棄しました

目先の数億円より 長期の経済支援を選んだ賢い国といえます
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ベトナム戦争にこのような深い歴史があったとは知りませんでした。ベトナム戦争には、米国、フランス、中国、韓国、日本(そして、それ以外の多くの国)が関係し、ベトナムに大きな傷を与えてしまったんですね。

日本は、黒船とマッカーサーの力を借りて、やっと今日の繁栄を築くことができました。自力では何もできなかっただろうとは容易に推測できます。

日本がこれから自力で繁栄を続けるためには、腹をくくる必要があると思いました。
勉強になりました。

お礼日時:2012/09/23 12:30

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Q韓国が返す気のない日本から借りたお金の額

ネットの掲示板を見ていると時々、わけの分からない回答に出くわします。
その1つが韓国が返す気がまったくないとされる日本からのお金です。
先日も64兆円さっさと返せという投稿を見かけました。
それも複数の箇所で。ということはそういう情報でもあるのでしょうか。

64兆円はさすがに現実離れしていますが、噂は一向に後を絶ちません。
日韓W杯のスタジアム建設も日本に泣きついて来たといいます。
なのにW杯では日本を貶める行動ばかり。本当なら非常に不愉快です。

一方で、借りた金はしっかりと返している。そんなの妄想だという意見も目にします。
そんなこんなで実態がよく分かっていないわけです。
韓国が返す気のない日本から借りたお金というのは存在するのでしょうか。
あるとすれば、それはODAのようなものなのでしょうか。
もし金額まで分かれば、お願いします。

Aベストアンサー

>一番上の資料だと韓国の借りた累計は1兆円にも届いてないようですが?

 すいません。韓国の場合はこのような累計です。
 借款のほかに無償供与、資産放棄も含めですね。

 1965年の韓国と日本と日韓基本条約で
 無償金3億ドル・有償金2億ドル・民間借款3億ドル以上(当時1ドル=約360円。現在価格では合計4兆5千億円相当を供与
 後は韓国独立に伴って遺棄せざるを得なかった在韓日本資産(GHQ調査で52.5億ドル、大蔵省調査で軍事資産を除き計53億ドル)
 これだけで現在価格45兆円ほどです
 後国際協力銀行とかを含め最大に計算して60兆という数字になります

>それにしてもスタジアム建設の話は本当なのでしょうか?
 はい

最初に手を挙げたのは日本で、それを知った韓国があわてて手を挙げた。
立候補は他になく、日韓の一騎打ちになった。

開催国決定は当初、1996年6月1日のFIFA臨時理事会で会長、副会長を含む理事21人の投票によって決定される予定だった。しかし、時期を同じくしてFIFA会長選挙を控え、一貫して日本を推していたFIFAのアヴェランジェ会長の会長派と欧州のFIFA理事派の勢力が次期会長職を巡って対立し始める。そして、アヴェランジェ会長の会長続投を阻止しようと反会長派の欧州理事たちは日本と韓国の共同開催(日韓共催)を強く推進したが、南米の会長派はあくまでも日本による単独開催を支持した為にアフリカの理事らの動向が投票を左右することとなった。ただ、こうした状況の中で次第に日韓共催案が現実味を帯び始める事となる。

直前になって欧州理事らが、欧州の各国サッカーリーグに選手を受け入れてもらう立場にあるアフリカ理事の票を押え多数派となった。その為、開催国を決定する投票日前日の定例理事会前に行われたパーティー会場でアフリカ理事らとの歓談から趨勢を悟ったアヴェランジェ会長は定例理事会で日韓両国による共同開催案を自ら提案、満場一致の拍手の賛成決議で定例理事会は幕を閉じた。結局、投票を待たずして1996年5月30日FIFA理事会は「ワールドカップは単独開催」という規則を無視し、FIFA事務局長のジョセフ・ゼップ・ブラッターの名でホテルで投票を待つ日本招致委員会に対し日韓共催を打診する文書を送り、欧州アフリカ理事らの動向を掴めなかった日本は想定外となる共同開催決定に苦渋の決断で受け入れを表明。翌日の5月31日には、FIFAと開催国に決定した日本と韓国による共同開催決定の会見が開かれた。ちなみに、もしも日本が共同開催の受け入れを拒否した場合は「韓国の単独開催」か「開催地決定の延長」、「中国での開催」などといった諸案があった。

結局、決着はアヴェランジェ会長・南米派と反会長・欧州派のFIFA内部の政治的対立の産物でもあったが、アヴェランジェ会長は名誉ある退席を選んだが、アヴェランジェ会長は程なくしてFIFAの会長職から引退する形で退いた。また、当ワールドカップ組織委員会委員長には、FIFA副会長の鄭夢準大韓サッカー協会会長が就任した。

その後、1997年後半に韓国はアジア通貨危機に巻き込まれてデフォルト寸前の不況に陥り、国際通貨基金 (IMF) の管理下に入った。IMF経由の日本を中心とした金融支援やIMFによる米国式経済の導入によって大量の失業者を生みながらも経済はV字回復した為に最後まで日本単独開催には至らなかった。しかし、経済回復は対米輸出に頼った状態であった為に2001年のアメリカ同時多発テロ事件で韓国経済がまたも失速し、試合会場となるスタジアム建設が滞る事態となった。結局、開催1年前を切って既に観戦ツアーやチケットの販売が始まっていた事や韓国での開催が韓国経済を上向きにさせるとの見解に立った日本政府からの融資(輸銀融資30億ドル)を受けて、韓国でのスタジアム建設は続けられて日韓共催はようやく実現した。

 まず日韓開催決定し、その後金融危機で韓国が金がなくなり日本から金を借りてスタジアムを完成させた、の順です

>一番上の資料だと韓国の借りた累計は1兆円にも届いてないようですが?

 すいません。韓国の場合はこのような累計です。
 借款のほかに無償供与、資産放棄も含めですね。

 1965年の韓国と日本と日韓基本条約で
 無償金3億ドル・有償金2億ドル・民間借款3億ドル以上(当時1ドル=約360円。現在価格では合計4兆5千億円相当を供与
 後は韓国独立に伴って遺棄せざるを得なかった在韓日本資産(GHQ調査で52.5億ドル、大蔵省調査で軍事資産を除き計53億ドル)
 これだけで現在価格45兆円ほどです
 後国際協力銀...続きを読む

Q韓国はどういう意図でベトナム戦争参戦?

韓国はベトナム戦争で6千人以上の戦死者を出したと聞いています。なんで関係のない戦争に参戦したの? アメリカの手伝って欲しいの要求を受け入れて今後もアメリカの関係を強固にしたかった?兵士の戦意は高かったのですか??

Aベストアンサー

押しかけ出稼ぎ労働です。ベトナム戦争は、当時貧しい開発途上国だった韓国には外貨を稼ぐ絶好の機会だったのです。

韓国は工業資源に恵まれない国です。石炭、鉄鉱石などの鉱山にも水力資源にも恵まれない。皮肉なことに、それらは北朝鮮にあるのです。だから戦前、日本の朝鮮統治政策は北部を工業地帯に、南部を農業地帯に育成するというものでした。南部は温暖で農耕に適し、北部は寒冷で農耕に適さない。日本が南北で開発方針を変えたのは、当然のことだったのです。ところが皮肉なことに、戦後、朝鮮半島北部は北朝鮮として独立し、主体農法で自給自足の農業国を目指しました。対抗して朝鮮半島半分は韓国として独立し、自由主義陣営に留まり、工業立国を目指しました。

ところが韓国には工業化に必要な要素がまるで揃っていない。資本家も労働力も何も無い。そこで韓国は国策でなりふりかまわず、出稼ぎで外貨を稼ぐ手段に出たのです。世界中どこででも出稼ぎに出かけて、せっせと本国に仕送りをして資本を蓄積したのです。

そういう戦後の韓国の事情を理解していれば、韓国がベトナム戦争に参戦した理由も分かります。あれは出稼ぎなんです。韓国兵は、押しかけ傭兵みたいなものです。南ベトナムは押しかけられても払う給料など無かったけれど、アメリカは韓国を自由主義陣営に留める為に韓国の押しかけ傭兵を容認し、南ベトナムに代わって給料を払うことで南ベトナムを言いくるめました。

地位も財産も名誉も学歴も教養も何も無い貧しい韓国人にとっては、ベトナム戦争は待ってましたといわんばかりの絶好の機会だったのです。そこで活躍しない限り、出世のチャンスは二度と無い。これで士気が上がらないはずはない。

飽食を貪るだけの無知蒙昧な現代日本人には理解できまい。

押しかけ出稼ぎ労働です。ベトナム戦争は、当時貧しい開発途上国だった韓国には外貨を稼ぐ絶好の機会だったのです。

韓国は工業資源に恵まれない国です。石炭、鉄鉱石などの鉱山にも水力資源にも恵まれない。皮肉なことに、それらは北朝鮮にあるのです。だから戦前、日本の朝鮮統治政策は北部を工業地帯に、南部を農業地帯に育成するというものでした。南部は温暖で農耕に適し、北部は寒冷で農耕に適さない。日本が南北で開発方針を変えたのは、当然のことだったのです。ところが皮肉なことに、戦後、朝鮮半島北...続きを読む

Qイギリスは元植民地に対して謝罪や賠償をしたか?

少し調べものをしているのですが、イギリスが過去の植民地支配に対して謝罪や賠償をしたケースはありますか?

確かなかったはずだと思うのですが、なかったと言い切ってもいいのかどうか、そこまで現代史に詳しくないもので、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

イギリスに限りませんが、欧米諸国の旧植民地から旧宗主国に対し行われている賠償請求(植民地支配そのものに対するものから、その過程で行われた虐殺に対するもの、資源や土地、労働力の収奪に対するものなど、請求内容は各種あります)は莫大なものになります。
例えばマレーシアで2007年に起きたイギリスに対する賠償請求デモにおける要求額はなんと「4兆ドル」でした。
しかしながら旧宗主国はどこも「植民地支配は合法に行われた」との立場を取り、奴隷貿易なども「現在の価値観では非道な行為だが、当時は合法」として謝罪や賠償は拒否しています。
イギリスの旧植民地ではジンバブエが旧植民地時代の土地収奪などに対し、もっとも強硬な態度を取っており、2000年以降白人農場主(イギリスに住んでいた不在地主も少なくありませんでした)から土地の強制収容を行いましたが、それに対し欧米諸国は経済制裁で応えています。
当然ながらどこか1カ所でも賠償すれば、世界中の請求運動に火をつけるのは目に見えた話であり、イギリスはそのような謝罪や賠償は一切行っておりません。

Qベトナム戦争でアメリカの敗因は?

泥沼化したベトナム戦争ですが、
圧倒的な軍事力を誇った米軍がまたたく間に北ベトナムを
制圧できたとしても不思議ではなかったと思います。
実際、朝鮮戦争では一時的にせよ北朝鮮軍を圧倒しました。
アメリカの敗因として、どういうことが考えられますか?
ジャングルの中のゲリラ戦ではどの軍隊でも勝てないということでしょうか。
それともソ連、中国などの大国から武器援助を受けているので(代理戦争)
いつまで経っても戦争は続くということでしょうか。
また戦略的にこうすれば勝つ方法があったということがありますか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 アメリカの支援していた南ベトナムは民衆に圧政を加えていた上に,内紛を繰り返しており,なかなか民衆の支持を得ることができませんでした。民衆の支持を得られない政権を支援しようと思えば,結局は軍隊による民衆の大量虐殺をするしかなくなり,戦争の泥沼化と国際的非難の高まりは避けられません。
 アメリカ軍による空爆は一定の戦果を挙げましたが,当時の空爆は精度も低く,それだけで敵を撃滅するには不足であった上に,誤爆によって何の関係もない民間人に被害を与えることも多く,民衆の反感を買い逆効果となった面も否めませんでした。枯葉剤作戦についてもほぼ同様のことがいえます。
 北ベトナムを完全に制圧するには,大規模な地上軍を派遣するしかありませんでしたが,アメリカが中国と隣接する北ベトナムに大量の地上軍を送り込めば,中国の本格的な参戦を招くおそれがあり,実際にはアメリカの地上軍は南ベトナムに進駐しただけでした。
 アメリカの敗因は,別に戦場がジャングルだったからというわけではなく,国際関係上一気に決着を付けられる見通しがなかったのに,中途半端な武力介入をやってしまったというのが最大の敗因でしょう。

 アメリカの支援していた南ベトナムは民衆に圧政を加えていた上に,内紛を繰り返しており,なかなか民衆の支持を得ることができませんでした。民衆の支持を得られない政権を支援しようと思えば,結局は軍隊による民衆の大量虐殺をするしかなくなり,戦争の泥沼化と国際的非難の高まりは避けられません。
 アメリカ軍による空爆は一定の戦果を挙げましたが,当時の空爆は精度も低く,それだけで敵を撃滅するには不足であった上に,誤爆によって何の関係もない民間人に被害を与えることも多く,民衆の反感を買い逆...続きを読む

Q中国がイギリスに謝罪や賠償を要求しない理由

日本に対しては永遠に謝罪を要求して行くというスタンスのようですがイギリスに対してはなにも言わないのはどうしてなんでしょうか?
イギリスの方がどう考えても許し難い国ではありませんか?

イギリス政府はすべて突っぱねているのでしょうか?
日本政府はいつまでに謝罪してるから永遠に謝罪を要求するだなんてことになったんでしょうか?
中国のイギリスと日本に対する扱いの差は一体なんなのでしょうか?

Aベストアンサー

中国人は当時こういったそうです
イギリス人は侵略をしたが文化を我々にくれた
日本人は奪うだけだった
だから同じ扱いではない

だそうです

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qベトナム戦争の原因

近代で起きた戦争の中で、イラク戦争においてアメリカがイラクを攻撃したのは「イラクが大量破壊兵器を所持し、それを隠しているため」がアメリカの大義であり、事実上の戦争のきっかけだったじゃないですか。
ではベトナム戦争は何が理由で引き起こされた戦争なのだったのでしょうか?漠然とした質問ですいません。まだ10代でその頃の世界情勢が詳しくわからないもので…

Aベストアンサー

ベトナム戦争は、第二次世界大戦後の世界情勢に深く関連します。
第二次世界大戦に勝利した連合軍である、米英仏オランダとソ連は、戦後世界の主導権を資本主義派のアメリカを中心とした国々が取るか、社会主義派のソ連を中心に取るかで分裂し激しい競争をしました。

米・ソ両陣営は戦後、世界各所で自分を支持する政府の樹立を支援し、仲間の獲得に躍起となりました。
この一つとしてベトナムが北ベトナム(ソ連派)と南ベトナム(米国派)に分裂し、そこで例のごとくアメリカが軍を送りこみ大きな戦争になったわけです。

米・ソの直接対決は、大核戦争になる危機(キューバ危機)という事態もありましたが、何とか避けられおきませんでしたが、ベトナム戦争のように間接的に戦争したわけです。(代理戦争)

余談ですが、米ソは戦争だけでなく、おもに宇宙開発においても激しく争い、そのために科学技術が進歩した事も事実です。

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Qユダヤ人はどうして嫌われているのでしょうか?

映画「ホテル・ニュー・ハンプシャー」で、
「このホテルにユダヤ人がいるんじゃあるまいな」という
発言がありました。
シェイクスピアの「ベニスの商人」もユダヤ人です。
チャップリンの初期の映画にもユダヤ人をばかにする人種差別的ギャグがあるそうです。
ヒットラーにも嫌われました。
どうしてユダヤ人は嫌われるのでしょうか?
イエス・キリストがユダヤ人なのですが、白人はそう思ってないのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様です。気をつけたいものです)。

さらには独自コミュニティを形成してそれを崩そうとせず、あくまで頑なにユダヤであるということを固持してきました。
これは、キリスト教という緩やかなつながりでつながっていた西ヨーロッパ圏では、ユダヤという存在は異端という点がその場に存在しているようなものです。
日本でもそうですが・・・自身たちとは違う風貌、習慣を持つ人は少なからず煙たがられる傾向があります。
さらには、銀行業などの当時「卑しい」とされていた職業で設けていました。余所者に自身たちの金を吸い上げられるのですから、決して面白いわけはありません。

もう一つが、政治的要因。
政治で、国民の不満をそらす方法に、悪役をつくる、というのがあります。
簡単に言えば、こじつけでも「~が悪い」というのをつくれば、そこに国民の不満がいきますから、政府とかそういったお上に攻撃がこなくなります。
で、ユダヤはキリストを十字架送りにしたというのがありますから、非常に悪役に仕立てやすいのです。上に書いた民族的な特徴も仕立てやすい理由です。

大体、嫌われる、あるいは嫌われている人、民族には共通項があります。
1.お金にうるさい(理由はともあれお金をためる人全般)
2.異文化的である。または異文化の性質を強く持っている
3.異郷の地でがっぽり稼ぐ人
4.郷に入らば郷に従えを実践しない人
5.自分たちのほうが偉いと少なからず思っている人
などなど・・・
ただ、こうやって見るとわかるように、どこぞの民族も似たようなことをやっています(車をアメリカで売りまくって、ご当地の車会社から白い目で見られたりする国です。まあ、いまはあまりやらないのかな・・・?)。
結局、嫌われる民族か、そうでないかというのは、ある意味紙一重なところがあります。
ユダヤが嫌われているのは、これらを満たしてしまっているせいと、国を持たなかったという地政学的悲劇のためと考えています。

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様で...続きを読む


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