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なぜ、源は氏で、平は家なんでしょうか。その謂われなどを教えて下さい。

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A 回答 (8件)

源氏、源家、平氏、平家 どれも一応は使います。


ただ、使われる言葉の多さは、源氏と平家が多く、平氏や源家の使用例は少ないでしょう。
特に、源平の戦いで、圧倒的な平家(伊勢平氏の中の清盛の一族)を打ち破るために、各地に土着している源姓の関係者・後継者を広く統合するときには「源の氏」を標榜するのが、政治・軍事的に重要だったのではないでしょうか。そのため、源頼朝の家系だけではなくて「氏の長」であることを協調するため、源氏を標榜したのだと思います。

源氏、平氏というのは、姓が同じ氏族という意味が多いと思います。
源家、平家というのは、ある一つの家系のまとまりある集団を指すのでしょう。
一般名詞(?)のように使う固有名詞としての源家、平家は、源家=源頼朝の家系、平家=平清盛の家系と考えて良いでしょう。
源氏、平氏も、広く考える場合もあるし、狭い範囲で考える場合もあります、
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公家 源姓
嵯峨天皇から分かれた嵯峨源氏や清和天皇からの清和源氏を含め、二十一の流がある。中でも家格が最も高いのは村上源氏とされ、室町幕府の成立まで源氏長者を有した。
源姓を名のった一族は多く、源家は複数になるため、通常は、源家総体という意味での源氏と呼び、源家という言い方はあまり用いない。
 
武家 源姓
二十一流の源氏の中の一家系・清和源氏が、武家源氏として歴史上に名を馳せた。
清和源氏をして「源氏」と称することが多い。
清和源氏は畿内に始まり各地に土着しており、源満仲の子から摂津源氏、大和源氏、河内源氏とに分かれた。河内国を本拠地とした河内源氏の源義家はその主流で、その子孫は鎌倉幕府を開いた源頼朝に代表される武門として栄えた。
河内源氏からは石川源氏、甲斐源氏、常陸源氏、下野源氏(足利氏)、上野源氏(新田氏)などが分派している。
摂津国を本拠地とした摂津源氏からは多田源氏、美濃源氏その他が分派しており、いずれも清和源氏一門であり、いわゆる「武家源氏」である。
 
公家 平姓
公家源姓よりも少ない。 桓武平氏 [桓武天皇の子・葛原親王、万多親王、仲野親王及び賀陽親王の子孫]、 仁明平氏 [仁明天皇の孫・雅望王、行忠王及び惟時王の子孫]、 文徳平氏 [文徳天皇の皇子・惟彦親王の子孫]、 光孝平氏 [光孝天皇の孫・式膽王、興我王及び忠望王の子孫]
 
武家 平姓
武家平氏で平姓を残したのは伊勢平氏など数少ない。その平氏の中でも、桓武平氏の中の高望王流の伊勢平氏の流れで武家になったのを平家と言うようです。
平姓の武士としてよさそうなのは、平高望の長子国香の子、貞盛流の伊勢平氏(の一部)、その弟繁盛流の常陸大掾一族・越後平氏、国香の弟・良兼流の尾張平氏、及び鎮西の一部の平氏(国香の弟・良持流と常陸大掾支流)くらいとのことです。
桓武平氏 http://www.geocities.jp/okugesan_com/heishi.htm
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/keihu/sizokugair …
伊勢平氏 http://www.geocities.jp/okugesan_com/heishi.htm# …
上記の家系図にあるように、平清盛は、維衡━正度━正衡━正盛 ━忠盛━清盛と続きますが、伊勢平氏の中では傍流です。
残念ながら、武家の政権の平は、もっと武家らしい政権の源頼朝に滅ぼされてしまうので、残る武家の平氏は少なく、全国の平姓の武家が統合して「平氏」ということは少なくなってしまうのでしょう。
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>平氏にあらずんば人にあらず


平家の家系は、ニニギの家系ですので、この意味が正当な理由を持ちますし、
朝鮮族による歴史改ざんを受けておりますので正当性があります。

源氏は、生まれ変わったニニギの補佐役です。
源氏を名乗り始めたのは、初代安倍晴明が死亡した後の話なので、妄想で話しを形成しないようお願いします。
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源氏も源家と呼びたっかたけど、なんか違和感があるよね説



「家」という認識の仕方が、成立しだしたのが、院政期から鎌倉初期というまさに、「平家」が勢力を伸ばした頃です。
いわゆる五摂家というのも、この頃
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B% …
なので、源平の争乱の頃の公家社会の認識は、だんだんと ○○氏 というよりは ○○家 と呼びたいよねという時代になります。

源氏が京都の公家社会に認知されたのは、源満仲(平安中期で、摂関政治の頃に摂関家にくっついた)であり、その枝葉は多く別れた。
後白河の時代の源頼政の家系(摂津源氏)などは、頼朝から見て七代前の満仲まで遡らないと血統が繋がらないが、満仲の時代からずっと受領であり、官位を持っていた。つまり公家社会に認識されていた。

一方 平氏の方は、時忠の家系の堂上平氏はいるものの武士の家系としては、清盛の家系以外は、官位を保てなかった。

源氏には複数の家系が官位を保てたが、平氏は伊勢平氏のみが官位を保っていた。
なので、複数の源氏系の「家」をまとめて 源家 というのには院政時代から鎌倉時代の初期の公家社会では 違和感が生まれるが、単一しかない平氏を「家」と言っても違和感は生まれない。

このために、源氏は 源氏と呼び 平氏は 平家と呼ぶようになった。

という私の仮説です。

※ 公家社会の認知というのを、言うのは、公家社会のみが文章化することができる能力を持っていたからです。


おまけ
http://www.asa-kikaku.com/

源平闘諍録:平家物語異本
14世紀初頭成立

源氏 13
源家 0
平氏 0
平家 5

今鏡
後一条天皇から高倉天皇まで

源氏 24
源家 0
平氏 4
平家 0

義経記
南北朝から室町初期に成立

源氏 55
源家 0
平氏 0
平家 44

太平記
14世紀中頃

源氏 63
源家 12
平氏 31
平家 35

増鏡
南北朝時代成立

源氏 13
源家 0
平氏 0
平家 5

曽我物語

源氏 20
源家 0
平氏 3
平家 25

平家物語
http://www.j-texts.com/chusei/hgall.html

げんじ 195
げんけ 2
※ 明らかに源家ではない
へいじ 40
へいけ 361


栄花物語 藤原道長の話

源氏 41
源家 0
平氏 0
平家 0
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 源氏も平氏ももとは「天皇」の子供を臣籍降下させた場合に与えた「姓」であることはご存じですね。



 で、伊勢平氏、武田源氏、河内源氏などその本拠地によっていろいろと呼ばれるわけですが。この中で「平家」というのは、平安末期に武士政権を打ち立てた平清盛の一門(伊勢平氏)だけを特に指す言葉です。
 当時は藤原摂関家とか寺社勢力とかいろいろな政治勢力(権門)がありましたので、朝廷に深く食い込みかつ軍事動員権まで手中にして有力な権門となったために「平家」と呼ばれるようになりました。藤原家も同じことです。

 頼朝が征夷大将軍となったあと、平家の落人狩りをやりますが、対象はあくまでも伊勢平氏から生まれた平清盛の一門だけです。なので「平家」の落人狩りとか、「平家の隠れ里」も清盛一門だけに関係します。

 平氏の一族すべてが頼朝の征伐対象となったわけではありません。すでに回答にあるように、北条政子の家系も平氏なんです。鎌倉幕府は頼朝の直径が三代で絶えてしまったあとは北条氏が執権として権勢をふるいますが、北条氏は平氏というのは皮肉なことです。

 要は各地の武士勢力は、自分たちのリーダーは武士であってかつ元は臣籍降下した「貴種」であればよかったわけで、源氏でも平氏でもよかったのです。
 清盛よりは頼朝の方が各地の武士勢力の要望・要求・実益ををよく反映できると思われたから頼朝・源氏が担がれただけと言い切っても無理はないと思います
 
 しかし、結局平氏である北条氏が実権を握った鎌倉幕府は源氏である新田氏や足利氏に滅ぼされます。新田や足利は地名からとった苗字です。しかし姓は源氏です。
 反乱が起きた理由は北条氏が「平氏」だったからではなく、北条政権に各地の武士勢力の利害調整能力が無くなり、北条氏をあえて統領としてたてる必要もなくなった、さらに後醍醐という「天皇」の政治力も強い影がありました

 しかし、その後も武士集団は権力を手放す気はさらさら無く、足利幕府、徳川幕府と武家政権が続いていきます。

 苗字は地名に由来し、姓は「朝廷」から与えられるものです。藤原氏しかり、源氏しかり、平氏しかりです。
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質問内容は有名な平家でしょう。



広義、一般的には伊勢平氏であり、

平正盛の系統(六波羅家あるいは六波羅流)を平家(へいけ)と呼ぶ場合があります。
平 清盛のお祖父さんですね。


平氏にあらずんば人にあらず
ですから注意が必要です。

平家とは、平清盛 の家を指すようです。


歴史学的には、
平家は高棟王流を指します。
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平家も平氏というんだけど規模の違いが大きな原因ですね。


源氏は源だけでは表せないくらいの支族が居ます。
武田やら足利やら数えたらきりあ有りません。
北条家や織田家も平家の支族ですが平家は清盛の系統以外は数が少ないです。

源氏は総省なのに対して平家は清盛の家計のみを指しています。
ようは武田家、織田家、徳川家と同じ家を表している物だからです。

平氏と言えば北条家も含まれます。
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源氏は源家とは言いませんが、平家は平氏とも言います。


「平氏」と「瓶子」の金堂を避けたのかもしれません。

平家とは平氏の特定の一族です。
基本的に天皇に使えると「~家」となるようです。
平氏の方に天皇直属(北面、西面)の武士が多く、
源氏は基本的に幕府を立てることが多かったようです。

http://www.njg.co.jp/blog_morioka.html?itemid=2361
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源氏は武士で平家は貴族だから






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源氏も平氏も、臣籍降下した際に名乗る氏であると思うのですが、
どちらの氏になるかは、どうやって決まっていたのでしょうか?
なお、平家は、平氏の一部であるとの理解です。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

・平安時代のはじめ、桓武天皇の頃までは、その都度いちいち名前を考えていた。
橘、高階、清原、在原など(主に、先祖の天皇の通称に因んで)。清原氏は「飛鳥浄御原のみかど」つまり天武天皇の子孫
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・嵯峨天皇(桓武天皇の子)は、皇太子と数人の皇子以外の沢山の御子達全員に、一律に「源」の姓を授けて臣籍降下させた。これが源氏のはじまり。
・また、嵯峨天皇は自分の兄弟の子(つまり甥たち)、またはその子たちをも臣籍降下させ、彼らにはまとめて「平」の姓を与えた。彼らはみんな桓武天皇の孫やひ孫ですから、桓武の作った「平安京」にちなんだ姓とした。
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※源氏も平氏もどっちも嵯峨天皇が自分を基準として、「直系の子孫を源氏」、「傍系の子孫を平氏」としたのが始まり。

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・「源」も「平」も、いろんな天皇から分かれたもので、すべてが同じ一族というわけではない。
・一般的に格も諸「源氏のほうが上」です。(直系と傍系の差)
・最初の源氏である嵯峨源氏が誕生する時、嵯峨天皇の詔で、「既に親王号・内親王号を許されている人は臣籍降下してはならない」と決められた
・源氏・平氏は基本的に公家で、武家はごく一部の系統のみ
・源氏が全部で21系統あったとされるのに対し、平氏はわずか4系統
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※嵯峨天皇の前例にならって、「天皇の子供は源、天皇の孫以下は平(嵯峨天皇からみたら傍系だけど桓武天皇からみたら孫だから)」が最初ころのの原則だった。時代が流れて、「源」がメジャーになったため、臣籍降下するものはぜんぶ「源」になった。

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平氏 > 「平」姓の氏のこと
鎌倉時代の北条家や三浦家なども、平氏ですが、居住地域等から苗字を名乗った。

平家 > 平氏の中でも「平」姓のままでいる平氏で苗字を名乗ってない。
伊勢平氏の中で、平姓のままだった平清盛の一族だけを指します。

源姓の方も、源氏の他に「源家」という言い方はありますが、数がかなり多いので、「複数の源家」の総体という意味で、源氏の呼称が一般化してます。

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参考
http://kazeoto.com/heike-007.html
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1344086703
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1313588118

・平安時代のはじめ、桓武天皇の頃までは、その都度いちいち名前を考えていた。
橘、高階、清原、在原など(主に、先祖の天皇の通称に因んで)。清原氏は「飛鳥浄御原のみかど」つまり天武天皇の子孫
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・嵯峨天皇(桓武天皇の子)は、皇太子と数人の皇子以外の沢山の御子達全員に、一律に「源」の姓を授けて臣籍降下させた。これが源氏のはじまり。
・また、嵯峨天皇は自分の兄弟の子(つまり甥たち)、またはその子たちをも臣籍降下させ、彼らにはまとめて「平...続きを読む


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