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本質問はこのカテゴリではなく、哲学カテゴリに挙げようと思ったものです。
が、法律カテゴリの方はどういう回答を寄せてくださるかちょっと興味があるもので、先にこちらに。

タイトルに書いた「法」は質問の性格上必ずしも法律の意味ではないのですが、
ここは法律カテゴリなので、法律に限定させていただこうと思います。

私的には、守るべきは法律ではなく、社会秩序であろうと考えています。
ですから、きわめておおざっぱに言ってしまえば、法を守るかどうかはケースバイケースの判断で良いのではないかと。
あまりにおおざっぱ過ぎるので反論など多々あろうと思われますが、申し訳ありませんが、議論をするつもりはありません。
私見は回答例として挙げただけで、本質問はあくまで、法律に精通されている本カテゴリの皆さんのご意見を伺いたいだけのことです。
ちなみに、法を守る必要などないというご意見や、法を守らない権利があるというようなご意見も歓迎いたします。

質問がカテゴリ違いの感はぬぐえないのですが、大目に見てくださる方、ご回答のほどよろしくお願いいたします。

A 回答 (8件)

 法学において、法とは、「国家的強制力をともなった、社会規範」と定義されます。

(憲法、法律、条令、命令などをひっくるめて、法と呼びます)
 つまり、「強制されるものだから、守らねばならない」と言えば、守らねばならないものだと言えましょう。
 で、その強制とは、
1、心理的・倫理的強制
2、違法行為は無効
3、犯罪として罰せられる
 との効果によります。
1に関しては、心理的・倫理的に守らねばならないと思わない場合、人は守らないでしょう。
2は、違法な契約などは無効になる、との効果を意味します。無効になっては無駄だから、法を守る、ということ。よって、無駄になっても良いと思えば、守らないでしょう。
3は、刑務所に入っても構わないと思えば、守らないでしょう。
 法は、当然に、これらのことを前提に存在しているものです。刑務所に入っても構わない。自己の行為が社会的に無効になり、社会的に排除されても構わない。という人を、刑務所に隔離するなり、社会的に排除するなりして、その枠内で法を守らせることで社会秩序を維持し、社会に生きる個人を守る。ということです。
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この回答へのお礼

そうですね、極論してしまえば、社会にとっての邪魔者を隔離あるいは排除するのが法の役目ではないかと思ってしまうことがままあります。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/19 18:14

法というのは 社会秩序を維持する為の手段でしかありません 例えば 世界的には


条約があるから 安心といえるでしょうか つまり攻撃ゃ侵略はありえない 法律が
正しければ 侵略した国は 裁きを受けるはずです 実際は負けたほうが裁きをされ
ています。
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この回答へのお礼

>実際は負けたほうが裁きをされています。

思わず膝を叩いてしまいました。
法律は強者のためにあるのかと思わせられることも少なくありませんね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/19 18:13

"私的には、守るべきは法律ではなく、社会秩序であろうと考えています。


ですから、きわめておおざっぱに言ってしまえば、法を守るかどうかは
ケースバイケースの判断で良いのではないかと。"

法は社会秩序を維持するためのものですから、法を守る
ということは秩序を守ることと同じでしょう。
秩序を安定的に守らせるための技術として法が
あるのです。
だから、ケースバイケースでは困ります。
それでは秩序は守れなくなってしまいます。


”なぜ法を守らなければならないのですか? ”
     ↑
これには、実際的理由と理論的理由があります。

1,実際的理由は改めて説明するまでもないでしょう。
 社会の秩序を守る為です。
 力だけでも秩序は守れますが、それでは不安定です。
 安定的、永続的なものにするため法があります。

2,理論的理由
(1)法は議員が作ります。その議員は国民の代表です。
 従って、法は国民自ら作ったものである、という
 ことができます。
 自ら定めたんだから、守るのは当然だ、ということです。
(2)しかし、この論法だと、その法に反対票を投じた人、当時参政権が 
 無かった人、産まれてもいない人には通用しないように
 思えます。
 そこで色々と理論操作をするのです。
 少し専門的になりますが、簡単に説明します。
・国民を有権者と考えれば、上に指摘したような問題が発生します。
 それで、国民概念を変えます。
 国民とは、過去現在未来を通じた抽象的な統一体、つまり
 歴史的意味の国民と考えるのです。
 そうすれば、反対票の人も、産まれていなかった人にも拘束力を
 及ぼすことが出来るようになります。
 ここら辺りのロジックは、理解が難しいかも知れませんが。
・そういう歴史的国民の代表が作った法だから、どんな国民でも
 自分が作った法だという擬制が可能になり、法には従わねば
 ならない、ということになります。

3,以上は、民主制国家における説明です。
 これが絶対君主制になると、少し変わってきます。
 どうして王様が定めた法に従わねばならぬのだ?
 こういう疑問に対しては、神を持ち出すと便利です。 
 王様という地位は神によって与えられたものだからだ、
 とするのです。
 これを「王権神授説」といいます。
 神様が定めたんじゃ、従う他ないだろう、となるのです。
 江戸時代においても、将軍という地位は天皇から授かった
 ものだ、というのも同類です。


社会の秩序を守るには、力の原理と納得の原理があります。
力で押さえつければ秩序は守れますが、それは前述したよう
に不安定で、長続きしません。
それで、色々理由をつけて納得の原理を持ち出してくるのです。
神が説得力を失ったので、民主制を持ち出して来た訳です。







 
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この回答へのお礼

王権神授説のお話、おもしろかったです。
概略は知っていましたが、専門的な知識としては知りませんでした。
大変勉強になりました。

社会の秩序を守るには、力の原理と納得の原理がある。
たしかにおっしゃるとおりですね。
力には「従う」。納得であれば「守る」ということになろうかと思います。
従うにしても守るにしても、それ以前に、秩序の安定とはなんぞや?という定義が必要となりますね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/19 18:13

>なぜ法を守らなければならないのですか?



法を守らないければならないわけではありません。

世界では、戦争の開始など国家権力の間違えを是正するためには、市民が法を破らなければならない状況もあります。
1989年、北京の天安門で、法を破り人民解放軍の戦車の前に立ちはだかった一人の青年がいたのを覚えていますか?

「法を守らなければいけない」というのは、法を施行する立場の見解にすぎず、法に拘束される立場とは意見を異にします。

まあ、「法を守らないと損するぞ」ってのは一般的な真実といえるかもしれませんが、、、。
天安門事件で法を破り戦車の前に立ちはだかった青年のご冥福をお祈りします。
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この回答へのお礼

その頃、私ホームレスに近い生活してまして、世事に全く関わりなかったんです。
恥ずかしながら、その青年の話、ご紹介いただき、検索して初めて知りました。

法もいろいろなら、抗い方もいろいろですね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/19 18:12

法律論的な考え方でいけば、



法はまさしく質問者さんの言う通り
社会正義や社会秩序を具現化するために
あるので、守らなければいけない。

ということになるのでしょうけど、

実態はそれとはかけ離れている
場合もありますので、
実際問題としては、守らなくてもいいとか、
守っちゃいけない場合だって時としては
でてくることでしょう。
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この回答へのお礼

私の中では具体的に○○な場合は守らなくてもいいとか、
○○な場合は従ってはならないという法律がけっこうありますが、
恣意的と言われればそれまでの話なので具体例は控えます。
しかし、、、あるのですよ、けっこう(笑)

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/18 21:25

>きわめておおざっぱに言ってしまえば、法を守るかどうかはケースバイケースの判断で良いのではないかと。



確かにおっしゃるとおりです。

とはいえ、それでは「法的安定性」の問題が生じます。極めて例外的な場合には確かに、「法を破ったほうが、むしろ法の目的である正義と衡平が実現できるときもあります」が、その例外をどこまで認めるのか?それを判断できるのは誰か?等と考えると極めて難しい問題が生じます。例外を認めすぎるとそもそもその法律の意味がなくなりますよね。

ところで、そもそも法律は長い年月の試練を経たものですから、そこそこ上手く出来ています。

例えば、人を殴ったり、殺したりすることは通常当然法律に反しますが、場合によっては、正当防衛や緊急避難によって違法性が阻却されたりします。(少し正確な表現ではないが、場合によっては人を殴る行為、殺す行為も必ずしも法律違反にはならんということであり、そもそも法律の中に、ケースバイケースを組み入れているともいえる)

とはいえ、所詮人間が作ったものですから、完璧ではありません。

例えば、3.11の大震災の後に、「他人の自動車が自分の家の敷地内に流されているのだが、どかしてよいか?」等という問い合わせが役所には多くあったそうです。これは現行法ではこのような状況を想定していなかったため、勝手に他人の車をどかすことは法律的にみて、問題が生じる可能性があり、役所は「法的には問題が生ずる可能性があるから、自己判断でお願いします」と当時答えていたらしいです。


なお余談ですが、私は法学部の教授に講義の中で
「もし君たちが将来警察官になり、橋の上で飛び降りようとしている人間がいたら、どうしますか?」と質問されました。警察官は職務執行法第5条によれば、犯罪の予防や防止のためには、その行為を制止できますが、自殺は刑法上犯罪ではないので、身体を接触して制止していいのかどうかは疑義があります。

悩んでいたところ教授曰く「後ろから羽交い絞めにしてでもいいから、飛び降りを阻止しなさい。もしそれで処罰を受けなければならないのなら、胸をはって処罰を受けなさい。」と言っておられました。未だにこの言葉は忘れられません。
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この回答へのお礼

言葉遊びをすれば、例えば猫を殺せば猫殺し。
同様に、人を殺せば、理由の如何に関わらず「人殺し」です。
しかしそれが非難されてしかるべきものかどうかはケースバイケースなのですよね。
だからといって恣意的に判断していいものではありませんが、もちろん。

大学の授業のお話、本来法律を学ぶ姿勢というのはそうでなければならないと思います。
しかし実際にそういう意識を持って法律を学んだ人はどれくらいいるのでしょうね。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2012/11/18 21:24

法律は政治家というどっかのおじさんや、官僚という知らないおっさんが勝手きままにつくったものなので、したがう必要はありません。



自分の法律に従ってください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「守る」ではなく「従う」という言葉を使われている点に、回答者様の考えが深いことを感じさせられました。

お礼日時:2012/11/18 20:31

守らないと捕まって面倒な事になるから

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

捕まるから守る。
ようするに法律が犯罪の抑止力になっている例ですね。

ちなみに、稀有な例ですが、法を守っていても捕まる時があるんですよね。
悪いことをして捕まって面倒なことになるのは自業自得としても、何もしてないのに面倒に巻き込まれるのは困ったものです。

お礼日時:2012/11/18 20:30

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