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なぜ電柱が景観を悪化させると言われるのか解りません。

観光地などで昔ながらの景観を保存する、というのなら解ります。
しかし普段私達が生活している場所や住宅街等では、むしろ景観に溶け込んでいていいのでは?と思うのですがどうなんでしょう。
空を見上げた時に、鮮やかな空と無機質な電柱、電線のコントラストはとても美しいと思います。
よく欧州を引き合いに出す人がいますが、そもそも日本と海外では「美しい」と思うものの基準が違うのですから比べるのはおかしいですよね?そもそも街並みが全く違うのに比べてどうするんでしょう?海外の人たちが電柱を気にして、日本人はしなかったということは、電柱は日本人の感性に合っているということではないのでしょうか?
コストや実用面でも、地震の多い日本では地中化してしまうよりも電柱を立てる方がいいようですが、機能面は置いておいて、景観について電柱のどこがどう悪いのか教えて下さい。

いくつかサイトを見て回ったのですが、どれも「電柱は景観を悪化させる」という既成概念に流されているだけのように思われ、その人本人の考えが見えてきませんでした。

A 回答 (17件中1~10件)

※この回答は、“締め切られた質問への回答追加”として、2019/08/28 23:17 に回答者の方よりご依頼をいただき、教えて!gooによって代理投稿されたものです。


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https://www.mlit.go.jp/road/road/traffic/chicyuk …
国土交通省のサイトを見てみました。ざっと見たところ景観を悪化させる原因は書かれていないように思います。

私なりに思った事です。電柱や電線は確かに景観を悪化させると思います。

その理由ですが景観に溶け込んでおらず異端者であるからだと思います。
質問にも「コントラスト」と書かれています。

https://kotobank.jp/word/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%8 …
デジタル大辞泉の解説によると
コントラスト(contrast)
1 対照。対比。「鮮やかなコントラストをなす」
2 写真・テレビ画像などで、明るい部分と暗い部分との明暗の差。明暗比。「コントラストをつける」

これは調和を重視する現在の街づくりと合致しない考え方です。
つまり、街に反する異端者が電柱であるという事ではないでしょうか?電柱がその地域で役に立っていても景観上は異端者でしかない。立てるとゴチャゴチャしていて汚い。だから反対される。
これを改善するには電柱を街の正式な仲間として受け入れる事が必要だと思います。
つまりコントラストではなくて街に対して自然に溶け込んだデザインの電柱を開発する事だと思います。実際にするかしないかではない、あくまでも理論的な話としてです。
そのような電柱が開発されたら日本発の文化と呼べる日が来るかもしれませんが、後述するように防災面から言って電柱は原則的には消えていくべきものなのでしょう。

>よく欧州を引き合いに出す人がいますが、そもそも日本と海外では「美しい」と思うものの基準が違うのですから比べるのはおかしいですよね?そもそも街並みが全く違うのに比べてどうするんでしょう?

その前の部分で空との関係について書かれています。空はどこの国でも見られるものです。
街並みは関係がないのではないでしょうか。

>海外の人たちが電柱を気にして、日本人はしなかったということは、電柱は日本人の感性に合っているということではないのでしょうか?

合っているというより景観自体に無頓着だったのが昔だったという事ではないでしょうか。
現在では変わっていっているようですが。

>コストや実用面でも、地震の多い日本では地中化してしまうよりも電柱を立てる方がいいようですが、

日本は地震などの災害が多いので無電柱化が必要です。
災害時の救援活動を妨げる電柱 https://www.mlit.go.jp/road/road/traffic/chicyuk …

一例ですが。災害対策の為に防潮堤を作るとこれが景観を悪化させるとかで、安全と景観を両立する方法が議論になった事があるようです。これは言い換えるならば防潮堤は景観を悪化させるが防災の為には作らざるを得ないと言えると思います。防潮堤ですらこのような扱いなのに、電柱は防災の為ならば消えていく可能性が高いでしょう。電柱を美しいと思う人は多数派には感じないですし。
先に述べたような街に溶け込んだ電柱が開発されても、デメリットの方が大きいと判断されたら電線が地中化されていくでしょう。無電柱化の推進に関する法律も成立しましたし。


ところで下記について。
>観光地などで昔ながらの景観を保存する、というのなら解ります。

観光地だろうが観光地で無かろうが景観を良くするというのは当たり前のことです。
景観法に良好な景観についての記載があり例えば歴史との調和とか自然との調和などに触れられています。
観光地だけが特別扱いされるべきものというわけではありません。観光地だけに負担を押し付けるべきものでもないでしょう(これは電柱撤去に限らず、町並み保存でも民家保存でも何でも同じです)。


余談ですが、電柱について懐かしいとかノスタルジーという感覚を持つ方もいますが、こちらは美しさとは別の観点ですので、このような感性の持ち主は今後減っていくのかなとは思います。


私の意見まとめ
1 コントラストという考え方は現在の街づくりの考え方には合わず電柱が批判される
2 防災のためにも電柱は減っていくと考えられる
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自分も電柱は好きですがねぇ。


景観云々だけでなく、電柱の役割って結構あるんですよ。
標識や街灯…電柱を取り払うとこれら別個に作られねばなりません。
汎用的な支柱としての電柱の役割は結構あると思いますけどね。

ただ、電柱を美しいと思うかどうかは個人の価値観によります。
世の中の流れが電柱廃止に向かうなら美しいという人は少数派ということになりますね。
こればかりはいくら主張しても仕方ない事です。

多分気がつくと無くなってっているもんだと思いますよ。
あれそういえば最近電柱って見かけないねぇって…。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

いつかそんな日が来るんでしょうね…
私は電柱が無くても十分だ、または無い方が効率がいいといえる技術があるならそれでもいいと思っていますけどね。それが進化した電柱のあるべき姿だというのなら!
淋しくはありますが。

お礼日時:2012/11/25 11:25

このサイトを見ていると、まれにこの種の「質問」にぶつかります。


今まで寄せられた質問に対するお礼を読んで感じたことは、ここで持ちかけられているのは質問ではなく、議論だということです。「電柱はこんなにいいのに、何でこいつら解らないんだ」という気持ちが、ひしひしと伝わってきます。

私たちは、不断の暮らしの中で「電柱、邪魔だなあ」と感じたことについて、感じたままに述べることは出来ますが、電柱を愛してやまない人と議論で勝負する術は持っておりませんし、説き伏せる術もありません。(また、議論をするためにここに来ているわけでもありません)

インターネットをうろついていると、電柱や電線の写真ばかりを集めたサイトを見つけることが出来ます。「面白い人もいるものだなあ」と思いながら、見ています。こうした方々に悪い印象を与える前に、どこかで線を引いておく必要があると思います。

一見、理解しようとつとめているように見えますが、理解し得ぬまま終わる気がします。
アンケートという形を取り、多くの意見に『黙って耳を傾ける』ところから進めてみてはいかがでしょうか。

この回答に対してお礼はいりません。いや、お礼はしないでください。お礼という名の議論を持ちかけないでください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/11/25 11:23

NO.11です。


再度のお礼ありがとうございました。

>そもそも景観を考えられていない町の中での電柱は景観を悪化させて
 いると言えると思いますか?

「景観」というのは一つの価値観だと思います。
どれだけの人が指示すれば良いのかは別として、多くの人がその景観に価値を見いだしたということであれば、その景観を維持・保全したいと思うでしょう。

電柱の第一義的な存在理由は電信や電力供給のための電線やケーブルを支えるためです。
それが満足できるものであれば、電柱の材質や形状や色などは考慮する必要はないでしょう。

さてここで、「景観を考えられていない町の中」ですが、「町の中」という「場」を考えたときに、たとえ「当初は景観を考えていない」とは言っても、眺めたときの町の顔は異なってきます。

とすれば、電柱もその顔の一つの構成要素となりますので、電柱が本来の目的だけで、単独で存在することは許されないのでは、と思います。

そこで、その町の顔の中の電柱という視点で見たときに、違和感がある、ということであれば「景観」とは言わないまでも「眺め」を悪化させているということになるでしょう。
例えば、眺めたときに灰色の感じがする町にオレンジ色の電柱では違和感がありますし、カラフルでゴチャゴチャした感じの町に真っ黒な電柱が何本も立っていれば、やはり違和感を感じます。
逆に、景観を考えられていない町だとしても、結果的に違和感がなければ何ら問題とはなりません。

それでは、それを判断するのは、判定するのは誰か、ということになれば別の問題になりますが。
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この回答へのお礼

またまた回答ありがとうございます!

とてもよくわかりました!
確かにケースバイケースですね。
眺めた時の感じ方とか人の感じ方はハッキリとした区切りが無い分難しいですね...。

これからは電柱に対する私の先入観を消して、全体をもっと客観的に見る目も養っていきたいと思います。

お礼日時:2012/11/25 11:17

NO.11です。


お礼ありがとうございました。

言葉が足りなかったかもしれません。
電柱のすべてが景観の悪化をもたらすとは考えていません。

景観を無視した形で、通信のため電力供給のためとしてだけ存在する電柱はいらない、ということです。

通常、電柱だけが単独で設置されていることはなく、電線やケーブルが付帯していますが、これも含めてということですが。

歴史的な景観、大自然の景観、牧歌的な景観、機能的な景観などなど、それらの景観にあった形状や色、太さ、高さの電柱であれば個人的には気にならないと思います。
もちろん、電線やケーブルの色なども考慮して欲しいことは言うまでもありません。

ところが現実はそうではありません。
せめて色ぐらい考えればいいのに、という電柱や電線などがあるから目立つのです。
電柱広告も嫌ですね。
まあ広告ですから、目立たなければならないのでしょうが。

すいません。
これで回答になっているでしょうか。
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この回答へのお礼

再び回答ありがとうございます!

なるほどです。細かな回答をありがとうございました(^^)
周りの景観に合った形や色が必要だということですね。

ついでにもう一つだけ聞かせて下さい!
観光地や自然の中ではなく、普通のごちゃごちゃした住宅街にある電柱も景観を無視していますが、そもそも景観を考えられていない町の中での電柱は景観を悪化させていると言えると思いますか?

お礼日時:2012/11/23 11:55

現段階で11個ある回答の中で5番さんの回答が非常に参考になりました。



>日本に電柱が普及したのは、アジア人独特の美意識のなさ

これはピンときました。

私は17年間海外に暮らして帰国しましたが、日本人の美意識と西洋人は違います。

日本人のほうが素晴らしい美意識を持っていると思うところもあります。たとえばゴミです。日本の道路のほうがゴミが少ないです。日本人に拍手です。
でも先進国の首都で電信柱がにょきにょき生えているなんてのは東京以外ありません。信じられないです。「東京のような大都会で電信柱はやめてくれ!」と叫びたいです。

日本人の美意識はなんかおかしいです。というかアジア人全体がそうです。すっきりしたものを好まない傾向があります。たとえば日本人は西新宿のごちゃごちゃした飲み屋街などを好みます。
まあ確かに人間くさいし、独特の雰囲気がありますからあれを好むのも理解できますが、すっきりした大きなレストランと西新宿の飲み屋街のどちらで彼女とデートしたいかと聞かれたら誰だって前者を選ぶでしょう。

日本人って美意識はある程度までは西洋人と共通しているけど、ごちゃごちゃした場所を好むところがあります。家がそうです。狭いマンションに家具がごちゃごちゃ置いてあります。西洋人の住み家はもっとすっきりしていて自宅に人を呼べます。
私は1日も早く首都東京の電信柱を地下化して欲しいと思います。とくに幹線道路は地下化を急ぐべきだと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

>すっきりした大きなレストランと西新宿の飲み屋街のどちらで彼女とデートしたいかと聞かれたら誰だって前者を選ぶでしょう。
感性は人それぞれです。誰もが同じ方を選ぶとは限りませんよ。あまり決めつけない方がいいと思います。
アジア人に美意識が無いと仰いますがそれはどうでしょう。
美意識が無いというよりは美意識の違いではないでしょうか?というより、あなたも「日本人の美意識と西洋人は違う」と書いていますよね。また、あなたは「日本人の美意識はなんかおかしいです」と仰いましたが、なぜそれを「おかしい」と言ってしまうのですか?西洋人と違う感覚は「おかしい」のですか?確かに17年も外国に住んでいたあなたからすれば違和感を感じるのは当然だと思います。ですが、その違和感をなぜダメなものだと考えているのですか?
あなたは「東京のような大都会で電信柱はやめてくれ!」と叫びたいと仰っていましたが、それは何故ですか?

お礼日時:2012/11/21 19:59

「電柱は景観を悪化させるのか」と問われれば「ケースバイケース」と答えるしかありません。


一律に景観悪化をもたらすものだとは思えないからです。

地方に行って、のどかな田園風景で、その中に木製の電柱、2本くらいの電線、電線には鳥が止まっている、なんて風景では、「あー、その当時からこうだったんだろうなあ」としみじみ思います。
また、原宿の竹下通りなんかで、電柱の色が緑、電線の色がピンクなんてことがあれば、まったく違和感を感じないでしょう。
さらに、アジアの都市のゴチャゴチャした路地裏で、見上げると電線が蜘蛛の巣状になっている、その中に洗濯物も見える、という風景では、人間の生きる逞しさを強く感じます。

逆に、狭い歩道に電柱があれば、その部分だけ更に狭くなりますから、「何とかならんのかな」とも思いますし、武家屋敷などの保存地区に電柱・電線があれば「何考えてんだ」と思います。

というわけで、「景観について電柱のどこがどう悪いのか」については「景観にそぐわない電柱・電線だから」としか言いようがありません。

電柱が単純に木製からコンクリートに変わり、耐えられるという理由からドンドン電線が増え、という状況は憂慮します。
共同溝としての電柱の地中化は、防災上、維持・管理上メリットがあることは理解しますが、単純に「景観悪化」を理由とする論調は理解できません。

電柱・電線に限らず、日本では景観についての意識が低いです。
近年やっと観光地などで景観維持について論議が活発にはなりましたが、そうではない地域ではまだまだです。
フランスなどでは、通りに面した建物の補修などでは、使用する色まで限定されますし、屋外の広告、案内表示についても厳しく規制されています。

結局、住民の意識の問題ですが、日本の場合、効率一辺倒で来てしまった結果でしょう。
地中化にしても、一律での方が考えなくて済みますので楽でしょう。
効率の良いものが善で効率の悪いものは悪という発想です。
当然そこには「景観」というあいまいな概念は入り込む余地はありません。

一般市民の目線で考えないととんでもないことになるんじゃないでしょうか。

話がそれてしまいました。
申し訳ありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

>というわけで、「景観について電柱のどこがどう悪いのか」については「景観にそぐわない電柱・電線だから」としか言いようがありません。
どうして景観にそぐわないと思われるのでしょうか?視界が覆われるからでしょうか?通勤、通学など、または近所にある電柱、毎日目にしている筈の電柱の形を一つでもあなたは覚えていますか?私は別に一般論を求めている訳では無いのです。あなた自身は電柱がどうして景観にそぐわないと思うのか、主観的で個人的な、あなたの意見が聞きたいです。

お礼日時:2012/11/21 19:47

>電線のどこがどう邪魔くさいと感じるのかを知りたいんです。

色なのか形なのか量なのか、ただ邪魔と言われてもよく解らないのです。道端に落ちているごみを見た時と同じような感覚なのでしょうか?

実に単純な話で
別にゴミでなくとも、目の前に見たくないものがあれば邪魔と感じますよ。
質問者様は電信柱や電線は美しいという思いに囚われているからそれに気づかないだけです。

知り合いの写真を撮ろうとした時に、風に吹かれて飛んできたアンジェリーナ・ジョリーのポスターが顔に被さってしまいました。
普通はそういう写真は捨てますよね。取っておくとしたらネタとしての要素を見いだせた時だけですよね。
そういう時に「アンジェリーナ・ジョリーは美しいからこれでかまわない」と主張するのと同様のことを質問者様はおっしゃっています。

料理の写真を撮ろうとした時にハエが飛んできて写りこんだ時に、昆虫の好きな人が「ハエにも特有の美しさがある。だからこれでいいはず」と言ったとしてそのままそれを受け入れることができますか?


電柱でも鉄塔でもマンホールでも丸めたティッシュでも犬の死体でも美しさを見出すことはできるでしょう。
けれど、それには限定された視点が必要です。
その視点を常に持ち続けることができないのは何故か、と質問者様は問うているのです。

特定の何かに特有の美しさがある、ということと他の物と組み合わさったときにどうなのか、ということについて無頓着すぎます。
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この回答へのお礼

再び回答ありがとうございます!

私は何も「電柱は美しいからどこにでもあってもかまわない」とは思っていませんし、それを他人に押し付けようとも思っていません。
あなたの仰る通り私は電柱や電線は美しいという思いに囚われています。その為電柱は邪魔だと思う人の目線で電柱を見ることが難しいのです。だからこうしてそれが解る人に教えて頂こうとしているのです。
あなたは
実に単純な話で
別にゴミでなくとも、目の前に見たくないものがあれば邪魔と感じますよ。
と仰いましたが、私が聞きたいのは「どうして電柱を見たくない物だと思うのか」です。

例えば読書感想文に、ただ「面白かった」とだけ書かれていたら、どこがどう面白いのか聞きたくなるとは思いませんか?
その本が面白かったんだろうという事は解りますし、否定もしません。ただ内容が知りたい。
これをそのまま電柱に置き換えてください。
電柱を汚い、邪魔だと思う人がいることは解りますし、否定もしません。ただどうしてそう思うのか知りたい。そういう事です。

最後に一つ訂正を。
あなたは電柱のことを電信柱と仰いましたが、電柱には二種類あり、一つは電信柱もう一つは電力柱といいます。そしておそらく一般的に電柱と言ってイメージされるのは電力柱の方です。

お礼日時:2012/11/21 19:30

やっぱり、写真撮っていると邪魔ですよ。

電柱よりも電線が。特に。

電柱は立ち位置を変えれば外すことができますが、電線は横にすぱっと走られるので、どう移動しても、入ってしまいます。また、被写体に対して垂直からズレた角度で撮っているのが目立ってしまうので、本当にやっかいです(正面から撮っている絵に、斜めの線が入ってしまう)。
「木々の向こうで夕日に浮かんだビル」を撮ろうとしても、電線が走られていると、すごく残念な気持ちになります。
自然の中で垂直に立つモノは割と目だたないのですが、水平に走るものは、やたらと目立ちます。
雲を撮りたいのに電線が入っていると、カチンときます。
ステンドグラスがきれいな教会の写真に、電線なんぞが入っていると「ああ、もう、こいつがなあ……」という気持ちになります。
古めかしい建物(神社仏閣含めて)を撮りたいのに、脇に近代的な電柱があると、残念な気持ちになります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

撮りたい物だけを撮りたい時に邪魔に思うわけですね…

お礼日時:2012/11/21 01:53

私は写真を趣味にしていますが、電線は邪魔者以外の何物でもないですよ。

例えば東京タワーを撮るとしても、その手前を電線が横切っていたら基本的に台無しです。
だから電線はなるべく入っても隅の目立たないところに置くのが基本です。プロの写真家が撮った写真で電線がみよ~んと入っているのなんて皆無といってもいいでしょ。
例えば雄大な山の風景写真の真ん中あたりを堂々と高圧線が通っているなんてのは電力会社の広告写真でもない限りあり得ないですよね。

だからもし、質問者さんが電柱と電線をテーマにしてそれらを被写体として成立させることができたら電柱や電線も風景のひとつとして認知されるのではないでしょうか。
アジアでも電線が絵になるのは香港の九龍城くらいじゃないですかね。

ちなみに耐震、耐災害という面では本当は電線は地下化したほうがいいのです。なぜなら、切れた電線から漏電して火災が発生するリスクがあるからです。台風がきたときも電線が切れると危ないでしょ。地下化が進まないのは単純にコストの問題です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!

私は電柱を被写体にして写真を撮ることもありますし、(というより電柱メインの写真ばかりとっていますが)見ず知らずの方がそれを評価してくれることありました。学校の図書室には電柱、電線、鉄塔をメインの被写体にした写真集もありました。

>切れた電線から漏電して火災が発生するリスクがあるからです。
そうなんですか!確かにそんな震災後にそんな二次災害が起きてはたまりませんね。

お礼日時:2012/11/20 23:41

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