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先日NHK大河ドラマ「新選組!」のDVDを見ました。その中で、いくつか疑問に思った点があります。
1、第四話「婚礼の日に」の一節。斎藤一が一度目に近藤家へやってきたシーンの直後で、勇とツネが部屋の中で向き合うシーンがありました。その二人の間に鏡が置いてあるのは、何のためなのでしょうか?
2、婚礼の時には勇の話にも頷くだけで口を開かず物静かなツネですが、いざ夫婦になるとハキハキ物を言います。婚礼のときに口を開かないのは、決まり事なのでしょうか?
3、初めの頃は一本差しの土方ですが、試衛館に入門したあたりから二本差しをしています。道場に入門=武士になる、ということなのでしょうか?
4、上のものと似てしまいますが、勇は近藤家に養子に入った時点で二本差しをしています。つまり道場主というのは武士の家柄でないとできないのでしょうか?
5、山南敬助には明里という恋人がいる設定ですが、あの明里の、首から下だけの白粉はどういう意味なのでしょうか?島原の太夫は顔にも化粧をしていたようです。
6、山本さんの演じる土方の髪型は、今で言うポニーテールです。土方歳三というと月代をつくらない長髪のポニーテールというのが多いですが、勇や井上は月代のある姿も見られるのに、なぜ土方だけあの髪型が定番なのでしょう?
長々と申し訳ありませんが、ご存知の方がいらしたら教えてください。

A 回答 (3件)

1・2はドラマの演出だと思います。


また、その土地の風習も大いに関係あるので詳しい事はわかりません。
婚礼では「お色直し」の時に夫婦の契りを結ぶのが本来の習慣です。
それから宴席に戻り、「めでたく偕老同穴の契りを結んだ」と、仲人の挨拶があるんです。
ですから、現代の披露宴のように2度も3度も「お色直し」するのは
・・・・・・・って事なんですよ。
本来の風習から言えば
「2度も3度もヤッてきました」
って言ってるようなもんですなヽ(´o`

3 道場入門=武士ではありません。武士はその家が代々武士でないと武士とは言いません。
また、町人であっても、「苗字帯刀を許す」とされる人たちは沢山いました。
当時の武士は大変に貧乏で、御家人でも喰うに困る人たちがたくさんいたのです。そうなると、大きな商家から借金をしなければ生活できませんでした。返済できなくなると、「苗字帯刀を許す」とかで誤魔化していたようですね。

4 そんなことはありませんよ。道場を開くだけなら農民でも可能でした。ただ、やはり代々続く武士の家からは蔑まされていたようですね。

5 当時の遊郭はお化粧代から着物、帯、全て自前なんです。勤める茶屋にもよりますが、よほどの大店でないと、着物すら満足にない粗末な1枚きり、着たきり雀だったんです。つまりいいお客(パトロン)がつかないとお化粧すら満足にできなかったんです。「いい金ヅルをつかむ」事が当時のお女郎たちには出世の条件みたいになっていました。
「大夫」や「娼妓」といった、今風に言う「ナンバーワン」にでもならないと粗末な為りでお客の相手をしていたのです。

6 土方や斎藤の髪型は当時の「浪人」の髪型です。月代はまず、剃りません。新撰組は浪人の集まりですから大かたはあの結型です。維新志士側の武士も同じです。脱藩して浪人になるとあの結型です。それと、髪型は当時のファッションでもありました。髷を結えるのはある程度の身分のある武士だけです。
ちなみに、町人も職業によって色々な結型がありました。
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この回答へのお礼

詳しい回答、有難うございます。
婚礼の「お色直し」のこと、初めて知りました。婚礼が終わってから初夜なのだろうと思っていましたので、勉強になりました。他の質問もよく分かりました。
参考になりました。有難うございました。

お礼日時:2012/11/27 10:32

補足的に。


新撰組ファンなものですみません(^_^;)

隊士の中でも身分のある隊士はいますよね。
山南敬介や藤堂平助は元々がお侍の家です。
平助にいたっては大名の血筋です。

作中、大坂力士と喧嘩になるシーンがありますが、
他の隊士は抜刀しているのに対して、山南さんだけ刀を鞘に収めたまま
闘っています。北辰一刀流の教えもあるのでしょうが、武士がやたらと抜刀
するものではない、という本来のあるべき姿をあらわしていますよ。
それと走り方も違います。袴のヒザに手を当てて裾が乱れないように走っています。

八木邸での葬儀のシーンで、久坂玄瑞が弔問に来た時、
お辞儀をしますがあれもあの形が正しいお辞儀なんです。

堺雅人さん、上手な役者さんだと思いますよ(^^♪
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この回答へのお礼

補足までしていただき、有難うございます。私も新選組の大ファンなので、とっても嬉しいです。
たしかに、山南さんや久坂玄瑞の所作は、土方などとは少し違いますよね。その堺さんの優雅でピシッとした演技、好きです。藤堂平助も藤堂藩御落胤説がありますから、そう考えると新選組って血筋だけだと局長や副長より、組長のほうが良かったりもするんですね。なんとなく不思議な集団です。
参考になりました。有難うございました。

お礼日時:2012/11/27 10:38

私も最近見ました~


知ってる範囲、答えられる範囲、あと予測で書きますね

1、2人の間にある丸い鏡ですよね?多分ですが「嫁入り道具」では無いかと。ちょっと豪華な和菓子とかも置いてあるので婚礼に関係する鏡なんだと思います。
当時の婚礼の段取りとかは分かりませんが、夫婦があんな風に向かい合って話す段取りもあったのかもしれませんね。今と違ってお見合いが主流ですし。

2、多分物静かであるという設定と、お見合いから結婚まで2~3度しか会っていない勇がどういう人か分からず慎重になっていたのでは?ただ「ツネは勇が死んだ後誰とも再婚しなかった」って話があるので、仲の良い夫婦を演出する為ドラマで結婚後は勇を慕っている風に演出を入れたのかもしれません

3&4
二本差しは「自分は武士である」という象徴でもありました。しかし勇も歳三も武士の子ではありません。勇の義理の父周助も武士の子では無い様ですが「武士の家柄に養子に入った」事で一応武士の家の人と言う肩書きがついたと思われます。
道場は武士の家柄じゃないと無理だったかは分かりませんが、多摩の田舎での道場だったら「武士が剣術教えてくれるって」なんてアピールになったのかもしれませんね。

京の都や江戸界隈で二本差しをしていると目をつけられるという話もあったみたいですが、この時代だと武士の家じゃなくても強さ?や見栄?で二本差しをしている武士じゃない人も結構いたそうな。貧乏な武家だと二本差しと見せかけて二束三文で刀を売り竹光をさしてるなんて人もいたそうですよ。

土方が二本差しにしたのはやっぱり勇をまねて「俺も俺も」って感じだったのでは?(笑)

5、当時遊女屋と一口で言ってもかなりランクがあり、上は島原や吉原等でかなり高級遊女屋です。しかしそれ以下の安い遊女屋も沢山あって「大夫」「花魁」なんて呼ばれるのは物凄くランクが高い遊女だけが名乗れる称号みたいです。
ドラマでも明里は島原と比べてもかなりボロそうな遊女屋でしたよね。着ている物も一般人とかわらなそうなものだし。だから多分本当に安い遊女屋なんだと思いますよ。
白粉も多分富の象徴みたいな物で、明里が首だけしか付けないのは「安上がり」だからなんだと思います。
ドラマで見ると変な感じがしますが、当時は照明ももーっと暗かったろうし「とりあえずうなじだけ塗っとけ!」って言うのがあのスタイルなのではないかと。当時の男性はうなじもかなり女性のチャームポイントとして見てたみたいですし。

6、多分?本当にあの髪型で居る事が多かったんだと思います。月代ってドラマでは普通の様に見ていますが、実際あの髪型を維持する為に「月代を綺麗に剃る美容師」みたいな人に毎日道場来てもらって剃ったりしていたそうです。

月代も「侍が戦のとき兜をかぶっても頭に血が上らないため」のヘアスタイルだそうなので、戦国時代は多分侍としての証だったんだと思いますが、土方達が生きた時代は戦も少なく、政治面でのいさかいがメインだったため「あんなん毎日剃ってられるか!」と言う人がじわじわ増えて来たという話を聞いた事があります。

ただポニーテールが多いのは、現代人にとって月代が受けが悪いところもあり(笑)特に土方は美形で有名な事から「きっと月代じゃなかったんだ!あぁ言う性格だし!」とある程度のねつ造入っているかもしれません。



曖昧でアバウトなところも多々ありますので、参考程度にどうぞー
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この回答へのお礼

早速の回答、有難うございます。
疑問が解けました。土方の髪型はたしかにあれがいいですよね、イメージ的に。月代を剃って髷を結った土方はちょっと…。
参考になりました。有難うございました。

お礼日時:2012/11/27 10:28

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