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なんで江戸時代に3回(4回?)も改革が行われたんですか?

A 回答 (2件)

江戸時代の体制は、士農工商という身分制度に基づいており、米が物価を決める際の基準になるという金融政策に特徴づけられています。

しかし、農業技術の進歩で米があまるようになったため、米を単位にして給料をもらっている武士にとっては、給料が実質上、目減りしてしまうという事態になったのです。

また、地位が低いはずの商人が、経済の高度化や商品市場の活発化にともない実質的な権力では農民よりも上に立つことも増え、武士にしても商人から借金をして生活するようになっていきます。町人たちが様々な消費生活を楽しむようになり、商業的にも発展が続いていきます。参勤交代の制度は、大名にとっては経済的負担でしたが、商人たちにとっては、ビジネスチャンスがごろごろ転がっているということであり、日本各地に様々な特産品が作られるようになっていくのです。

このような状況変化の中、江戸幕府は旧来の経済体制を守ろうとして必死で格闘するのですが、旧来型体制の維持を改革によって達成できたのは徳川吉宗だけであり、彼の非凡な才能と、まだ江戸時代後期ほどには手工業が発達していなかったという時代背景があって、はじめて改革に成功したのです。その吉宗にしても、業務のうちかなりの時間を米の価格をいかに高く維持するかという経済政策に割いており、米を幕府が買い占めて市場での流通をコントロールすれば米の価格が上がるはずだとか、米を主食ととらえるのではなく日本酒の原料としてとらえて酒の生産を推奨すれば、米の消費量が増えるはずだとかいったことばかりを考えていたのです。

吉宗以降の改革は、基本的に吉宗のマネですが、時代が既に変わっており、改革はどれも失敗に終わります。もう、米が通貨の基準で、武士が商人より強いという時代は終わっていたのです。

意外なところかもしれませんが、商業の発達という事態を理解しており、商業の振興策を通じて、商人からも税金をとるという近代国家的な経済思想に到達していた人物がいます。田沼意次です。しかし、彼は当時の武士には理解の出来なかった理論を導入しようとしたことにより、「商人と結託しているからには賄賂を受け取っている汚職政治家に違いない」という誤解をまねいて失脚してしまうのです。これは今日の経済理論からみれば、致命的なミスであり、江戸幕府はこの時、最大の改革のチャンスをつぶしてしまったのです。
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社会や経済の変化についてゆけずに、財政が破綻状態になってしまったからです。


とはいっても抜本的な改革はできないままでしたが。
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