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子供時代、バカのアメリカ人の方がノーベル賞が多いし、日本人より賢い韓国人はノーベル賞、確か0ですが!

「脱ゆとり教育」で韓国化でも目指してるのだろうか?
http://d.hatena.ne.jp/lalablog/20121213/1355408893

2011年に実施された、国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果に、以下、マスコミ各紙のタイトルに見るように、マスコミ各紙、「脱ゆとり」の教育効果か! と、浮かれているが、、、単に、詰め込み教育やったって、意味がないと思うんだがなぁ~~


小学生 理数学力が向上 脱ゆとり教育の効果か
東京新聞 - 2012年12月11日

脱ゆとり効果、小4の理数向上…国際学力調査
読売新聞 - 2012年12月11日

理数学力改善 文科省「脱ゆとりの効果」 国際学力テスト
MSN産経ニュース - 2012年12月11日;

小4の理数学力改善、脱ゆとり効果か 国際テスト
日本経済新聞 - 2012年12月11日

国際理数学力調査:日本の小4過去最高点「脱ゆとり」効果
毎日新聞 -2012年12月11日




国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)における数学の成績(中学校)
http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education …

1位,韓国 613 点
5位、日本 570 点
9位、アメリカ 509 点

ノーベル賞の数から言うと

韓国(たしか0個) < 日本 < アメリカだが!



国際なんとかがついたり、
「ゆとり」を否定出来るような事象に出くわすと、
直ぐ浮かれて下のような記事を書くマスコミの方が「脱ゆとり」が必要なんじゃない?
と思ってしまうが。。。。。


脱ゆとり効果、小4の理数向上…国際学力調査

 小学4年と中学2年に相当する年齢の子供を対象とした世界的な学力調査「国際数学・理科教育動向調査」(TIMSS
ティムズ
)の結果が11日、国際教育到達度評価学会(IEA、本部・アムステルダム)から公表された。

 日本の順位は小4、中2ともに5位以内で前回調査と同様だったが、小学生は得点が上昇した。文部科学省は「脱ゆとり」教育をめざした新学習指導要領の成果とみている。一方、同時に行われた学習意欲などに関する調査では、国際平均より学習意欲が低い傾向が続いている。

 調査は4年に1度。2011年3月に実施された今回は、小4は50の国と地域、中2は42の国と地域の計約50万人が対象で、国内からは無作為で選ばれた約8800人が参加。1995年の世界の基準点を500点と設定、国ごとに偏差値化した得点で比較できるようにしている。学校で習う基礎的な知識が出題される。

 今回は、小4算数が585点(前回568点)、中2数学は570点(同570点)でいずれも5位。理科は小4で559点(同548点)、中2は558点(同554点)でいずれも4位。順位は横ばい状況が続いているが、得点は小4理科が11点、算数で17点も前回より上がった。文科省は顕著な向上としている。

 理数科目では09年度から授業時間を増やした新学習指導要領が先行実施されており、同省は「反復練習や観察、実験を重視した成果が表れた」と評価している。中2の得点が前回とほぼ同じだったことについては、「積み重ねが必要な理数科目では、中学から新指導要領になっても成果が表れていない」とみている。

(2012年12月12日08時15分 読売新聞)

A 回答 (8件)

ゆとりが良いか詰め込みが良いかは、一長一短がそれぞれにあると思います。


ただ、とある人物が日本の教育に大して明快な言葉を残しています。
「受験なんていう単なるウルトラクイズに意味はない。」
正確ではないですが、こんな意味合いの事を言っていたのは、青色発光ダイオードを開発した中村修二さんです。
中村さん自身そんなに学歴は悪くないのですが、詰め込み教育の終着地点がウルトラクイズというのは実に明快な答えだと思いました。

ノーベル賞に関しては、受賞する部門によって大分分かれるところではないでしょうか。
科学分野では詰め込みで、文学賞、平和賞ではゆとりでみたいな。
とはいえ、さらに突き詰めていけばノーベル賞を取る為にどちらがいいかは個人差だというところで落ち着くと思います。
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 ゆとり教育もゆとりのある時間に学校では学べないことを学ぶなど出来れば良かったのですが、なぜか遊びに回されたりして勉強から離れる事が多かった。

親が子供を教える事が出来れば良いけど、塾にしろお金がかかるし、貧富の差が出てきたりする。これが問題だと。

 脱ゆとりで学校で多くの事を学べればそれで良いと思う。それと勉強をする意味も理解させることも大切かな。勉強は楽しいと。

 本当に勉強した子供には無償でどんどん勉強出来る環境を作る事が大切かな。
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結局


子供の統計的学力とノーベル賞には相関関係が無かったと言うだけでしょう。
別に米国は移民の国で経済格差とかも凄いから真ん中を探すとランキングで下になってしまっただけではないでしょうか。
アメリカは優秀な生徒にはどんどん奨学金を出して良い教育を受けさせる国ですので格差が凄いです。

それに研究にかかる膨大な資金調達力とかの方が子供の統計的学力よりよっぽど重要な気がします。
それこそGNPとかで見たら日本とアメリカは二倍くらいの差しかないのに日本と韓国はほんの最近まで5倍とか10倍の差があったことを考えると、米国に圧倒的に劣る日本は全く優秀でないような気もします。

小中高のゆとり教育も良くないと思いますけど、大学の教育の問題のほうがはるかに大きいと思います。
大学に入ると勉強しなくなる日本はおかしいと思います。こちらを改善したほうがよほどノーベル賞に影響すると思います。
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単純に自分の子供は「脱ゆとり」に間に合ってよかったと考えています。



詰め込みって言うほど詰め込みでないないの知っていますか?
もし、本当に詰め込みだとしたら、部活なんてのん気にしてられるわけないじゃないですか。
学校教育以上のものを望む人が多いから、塾も繁盛できるわけですしね。
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> 単に、詰め込み教育やったって、意味がないと思うんだがなぁ~~



 そうですねぇ。おっしゃる通りだと思います。

 ただ、単に教える量を減らせばいい(ゆとり教育)というものでもないわけです。

 「イヤゆとり教育というのは、単に教える量を減らせばいいということではなかった」とか、理想を言いだすと、「脱ゆとり教育」=詰め込み教育ということにもならない、ってな理想を語りたくワケです。

 しかも、詰め込み教育も、レベルによっては必要です。

 0~9の数字を覚えないと数学はもちろん、算数もできません。

 それに、一口に「詰め込み」と言いますが、受け入れる側の能力次第なのです。

 お酒のお猪口(さかづき)くらいのキャパしかない子にお茶碗1杯のご飯を入れようとしたら詰め込みになりますが、ドンブリくらいのキャパの子には容量が余ってガバガバ状態です。

 私も一人知っているのですが、バケツみたいな子もいます。茶碗1杯のご飯なんて、どこに入ったか分からない。これの一体どこが詰め込み?と思っていたかもしれません。

 どこを基準に「詰め込み」と言うのか、なんて考えたことはありませんか?

 キャパ以上に詰め込もうとしたってこぼれるだけ・・・ 詰め込もうとした努力が無駄だったねで済む話なのですが、キャパがあるのに詰め込まなかったら、将来はどうなるのでしょう?

 その子の将来だけではなく、日本の将来は。

 しかも有り難いことに、キャパというのはとりあえず詰め込んでみると拡大するのです。風船みたく。

 キャパシティではなくてアビリティの話になりますが、小さくて歩けないからと言って歩かせなければ、大人になっても歩けません。

 とりあえず苦労を与えなければならないのは頭も体も同じです。

 それを詰め込み教育という一言で片付けてしまったのが、ゆとり教育推進派だったように思います。

 一人一人を見て合った分だけの苦労を与える面倒を避けて、全員に米粒数粒だけ与えていたのが、ゆとり教育だったように見えます。

 推進派は「ゆとり教育というのはそういうのではなくて」という話をするんですが、理想どおりにはならないだろうな、先生がたの某組織によって手抜きされて、ダメになるだろうな、と思ったら、素人の私でさえそう思ったら、私が思った通りに進展しました。

 すくなくても、計画した人間の知恵が足りなかった、ヘタな考え休むに似たりと言いますが、休んだよりも悪くなったというのが現実です。

 したがって、私は、「どっちが」いいかというなら、明らかに「詰め込み教育」と呼ばれているほうを支持します。

 でも、願わくば、質問者さんがお書きのとおり、誰も彼にも詰め込めばいいという詰め込み教育にはならないことを祈っていますけど。

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 余談ですが、あるテレビ番組に、ゆとり教育を推進した官僚(元官僚?)が出てきて、ゆとり教育を弁護したのち、「私は今もいろんな大学を回っていますが、なんだかんだ言っても、いまの大学生は一生懸命勉強していますよ」と言って、一人納得したように何度も何度も頷いていました。

 ああ、こういう人間がゆとり教育を推進してきたんだな、呆れる思いがしました。

 当たり前です。

 中学受験にしろ、高校大学受験にしろ、みんなゆとり教育を受けて、私らからすると知識量が大幅に不足している人間同士の戦いだったのです。

 しかし、大学卒業後は、違います。

 グローバル化によって、彼らがあいてをするのは、世界じゅうの、詰め込み教育を受けてきた、しかも、その大量の知識を使って自分で考えることを学んできた世界の秀才たちを相手に戦わなければならないのです。

 そうでなければ企業は採用してくれない!

 国内で争えばよかった我々よりも厳しいのです。

 昔我々は、大学卒業までに、例えば100覚えさせられたとすると、我々の一部ががんばって120覚えて世界に出て行ったのです。

 ゆとり世代は40か50くらいしか覚えていない。

 ところが、グローバル化で競争相手は120なのです。

 大学で、我々の時代のように遊んでいて、就職できると思うのだろうか、この人は。

 100の知識の我々なら、一がんばりすれば120になったけど、40の人なら大学の4年間で3倍の勉強をしなければ負けるのです。

 今の大学生が勉強するなんて、当たり前です。猛勉強せざるを得ないんです。しなければ脱落が見えているのです。

 そういう状況に追い込んだ張本人がこの人なんだな、と思いました。

 ところが責任を感じるどころか、猛勉強する「今の」学生をみて喜んで、ゆとり教育の成果だと誇っている。

 まったく、この手の人に付ける薬はないなぁと感じたのでした。

 間違った満足をしているこの人が、ゆとり教育を理想に近づける努力はしないだろうなとも思いました。
 
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ゆとり教育を肯定したいのにノーベル賞を引き合いに出す意味は?



日本のノーベル賞受賞者はゆとり教育以前の人なので、否定派がこれを引き合いに出すならわかるけど、肯定派が言ってもしょうがないでしょう。

ゆとり教育を肯定したいなら1987年から1994年生まれの世代の他世代に対するアドバンテージを語る必要があるのでは?
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ノーベル賞をとるほどの人物は大体非常識で、日本では変人とか差別される人です。


なにせ平均的な無個性が一番とされ、例えば美術がとんでもなく優れても他の教科が平均点以下ならたいしたことがない人物と評価されますから。
常識からぶっ飛んでるのは天才も変人も同じですからね紙一重というくらいです。
ガリレオなどが一番いい例ですが天才は最初受け入れられず迫害されますから、今も納得されるのは数十年後とかです。

つまりゆとりか脱ゆとりかなど大して関係ないです。
天才を生み出すのならば変わり者を受け入れる社会の構築の方がよっぽど重要です。
教育の内容よりやる気を出す、勉強をする理由を持つやり方、どういうのの方が大事ですしね。
無理やり理由も分からず勉強させられて効率が上がるとは思えませんから。
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アメリカのように母数多いほど上限下限広がりがあって当然ですからねー。

平均点をノーベル賞の参考データにはできないですよね。
賢いアメリカ人たくさんいますよ。
韓国は見ての通りお受験地獄ですから、TOEIC然り点ばかりは強いですが、実践に直結してないことがよく現れてますよね。
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