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「情けは人のためならず」と言いますが、
利他的な行動をとると、具体的にどういう利点があるのでしょうか。
代償は十分にあるのでしょうか。

A 回答 (6件)

代償を考えるなら何もできません。



自分のために自分でする事の中にも本当はためにならない(ならなかった)事は一杯あります。

人のために自分でする事は、自分のためにする事でない分、明確な代償が解りにくい面はありますが、同様になります。

利点も同様です。そして後に起こった出来事が利点(代償)と感じられるかが大事かと思います。
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質問の中に自分で答え書いてますw



遺伝子的な思考として。
よく言われる利己的遺伝子は、自分の遺伝子を残すことを最優先する。
だから人間は本質が利己的……なんてのは短絡すぎる。これが通じるのはプランクトンレベル。

多少なりとも社会性がある環境で、利他的つまり自分よりも、同じ集団に属する他者や
集団そのものに献身的になると最終的には同集団の中での地位が向上しやすい。
命がけで家族を守る旦那あたりがイメージかな。
こうなると、自分の命だけを守って孤立する固体よりも最終的に
自分の遺伝子を残せる可能性が高くなる。メスもよってきやすくなるし。
最終的にはグループのボスに……って。

ほ乳類ぐらいになると、利他性が強い遺伝子のが残りやすくなる。
という考え。
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 例えば、難しくてきついので誰もがやりたがらないけれども非常に重要な仕事があるとしましょう。


 それを率先してやれば、上司からは高く評価されるでしょう。
 自分の利益を捨ててチームのために努力すれば、チームリーダーからは評価されるでしょう。

 まともな人間ならば、そういう自己犠牲的な行為には恩義や尊敬のような肯定的な感情を抱くはずで、その先にあるかもしれない大事な局面や重要な仕事のとき、そうした「自分の利益よりチームの利益を考えられる」人間が重要だと思うものですから、将来的に自分が過去に関わった人から、より高いレベルの仕事や報酬の良い仕事を得て、ステップアップできる可能性があります。
 逆に、難しい、自分の利益にならないことは何もしないような人間は、役に立たないと断じられ、時間が経つにつれ誰からも相手にされなくなるでしょう。

 目先の利益だけにとらわれて、ごく短期間の利益のみを追求していると、人の心を動かすような、種をまいて育てて収穫するような、中長期的な利益が得られない、ということだと思います。
 当事者意識をもって、些事にとらわれず大局を見ることができる人間が求められるのだと思います。
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アメリカは天皇を処刑しなかった。


日本人はアメリカ人のために働いている。日本人をよく操る日本人の役人は手数料をとる。アメリカが嫌いな国民までも増税を指示し改憲して防衛費を増やしアメリカを豊かにする。

元来、この情けとはボランティアではなく恩赦の意味でしょう。
端的には恩をきせられる次第です。頭が上がらなくなるというか、一生借りが出来るとか。

この議論は個人対個人の関係についてです。これを社会奉仕というキリスト教の宣教活動に感化されて社会法則化すると換骨奪胎されています。

安倍さんの信念は日本人を犠牲にしても韓国人を愛する事です。その利他的行動は統一教会と言ったら身も蓋もありませんが韓国人が日本人と同じ価値を持っているという原理があるのです。
誰かを無償で助ける時、同じゲノムを持っているからと考えれば、人類愛もゲノム次元では、自分のゲノムの利益にかなっています。


実際は、カッコウの託卵のような本能による衝動が同情です。そんな惰弱な情は制約されるべきものというのが日本の理性です。自分等の日本文化を勘違いしている日本人が激増中ですが、情は公的に認められないものだったのです。公的には優しくないのが日本人だったのです。韓国人を無視して報復しないなどは全く日本文化ではない。
日本の義理、筋を通す習慣は実に厳しいのだが、どうにかして情を正当化できないかとなって、情は義理を介して己のためになるからという功利主義を発明したのです。

日本社会が韓国人化して義理堅くなくなってきたら、死語です。韓国を除くアジア・アフリカには義理堅い人々は少なくないでしょう。
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情けは人の為ならず


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E3%81%91% …
> 情けは人のためではなく、いずれは巡って自分に返ってくるのであるから、誰にでも親切にしておいた方が良い

これを「利他的」な行動とするのは、必ずしも「行動だけ」取上げれば間違いではない。
しかし、これは明らかに「自分の利益の為に他人に親切にする」という意味である。
だから、確かに行動の上っ面だけを見ると「利他的」に見えるが、本質は違う。

昔は『因果応報』といった。
「よい行いをした人には良い報い、悪い行いをした人には悪い報いがある。」という考え方だ。

因果応報
http://www.sanabo.com/words/archives/2004/06/pos …

それに基づくから
「他人に親切にしておけば、いずれ自分がこまったら良い事があるだろう」と思う。
つまり「自分の利益」の為の行動であり、行動は「利他的」であっても内面は「利己的」なのだ。

代償や具体的な利点は考えずに、お天道様がいつも見ているという信心深さに基づく話し。
もちろん最初に唱えた人は、人間同士が助け合う事をそれとなく諭す為のことだと思う。

人間同士が助け合うのは、一人一人の力では対抗できない力に、対処する為に他ならない。
つまり「利己心」から来る「利他的」行動であり、代償は自分の生存や自由の為である。

やがて力を束ねる者が他者を支配し、少ない犠牲を求め半端な者に自己犠牲を強要する。
その時に危険に身をさらす者の名誉と一族の生存や自由を代わりに保障するという恩賞行為が生まれ、名誉を得た者たちの物語が語られるようになり、一族や民族の歴史が生まれる。

結論:「利他的な行動」は、単に利己心から生まれた自分勝手な心を基本にした行動です。
「利他的」と「利己的」は表裏一体であり、「利他的」による代償は自分の名誉であったり一族の生存や自由であったりと、結果的には「利己的」な行動と何ら求めることは変りません。

代償が十分かどうかは、大抵の「利他的」は儒教や恥などの精神の洗脳も含めて心理的な強制力を伴い、自分の考えの無い半端者に自己犠牲を強要しますので個人としては負債でしかない。

それとは別の『個人の自由』(俺や私の勝手)に於ける自己犠牲は『無知のヴェール』など自分の『正義』に基づく判断基準を伴い、その場合の利他的行為は多くの人々には決して知られることは無い。

要は表の「利他的行動」は「利己的行動」と同じ、単なる自己満足である場合が多いのです。
「利他的」行動における名誉などは、助けてもらった側の自慰行為であり、当人が死んでしまえば、その人間の人生は終りです。
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蟻の社会は3割社会だといわれます。

平均的に3割の蟻しか実働していない。7割は生ぼのように寄生して生きている。それで社会はなんとか成立しているのでしょう。ひとつの蟻社会が覚醒してより多くが働くようになったとすれば、その社会は効率が良くなり、どんどん個体を増やし、巨大になり、他の蟻社会を飲み込んで蟻の世界制覇をするに違いありません。

大きな哺乳類の集団の中でも自己犠牲になる個体が居るそうです。彼らのDNAの中にそういった因子が隠れているに違いありません。社会性を持つ高等な生き物はそれが社会生存のひとつのキーワードだということを無意識に知っているのだと思います。
人間は社会性の動物です。社会を維持し、より強く結束し、社会機能を向上進化させるためには様々な利他行動が好ましいことであることを本能的に知っているのだと思います。時々そういったものがたまらず吹き出すのですが、とりあえずはご褒美はありませんが、その社会がわずかながら一段進化する方向へ向かうことは間違いありません。逆に、うそをついたり泥棒をしたりしたら、その社会は崩壊への一歩へ退きます。

すすんで汚れ役を引き受ける人間はあり社会の働き者よりも割合は少ないですが、これはまだまだ人間社会の進化が初期状態にあることを示しているのでしょう。いや、ボランテアが増えてきていることは、近年中の大増殖の望みがもてます。
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