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真珠湾攻撃の日に空母3隻は湾にはおらず打ち漏らした事は良く聞きますが、この3隻を大破していたら歴史は変わったのでしょうか? 3年8ヶ月の太平洋戦争が4年になったのでしょうか?? 大勢には影響しなかったと思いますが、実際はどうでしょうか? 歴史にたら、ればで論じても仕方のないことですが、こうなった事には変わりないくらいのコメントでも頂けると参考になります。

A 回答 (16件中11~16件)

長引いたのはアメリカがドイツ第三帝国を先に潰すという方針だったからです。


実際ドイツが降伏してから一気に戦力を投入されあっという間に押し返されました。
終戦直前の戦艦と空母の数を調べれば本気のアメリカのすごさがわかります。

けどアメリカの空母の離着陸事故の多さはすごかったそうです。
質より量という考えだったみたいですから。
なんだかオスプレイ思い出しますね。
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真珠湾で米空母を取り逃がしたことが、次のミッドウェイ作戦の理由であり


米軍の反攻体制が整わぬうちに決定打を求めたために、充分な準備も無く作戦を強行して結果大損害を受け、その時点で戦いの趨勢が決してしまった。

そう考えるとその後の展開はだいぶ様変わりしたとは思われる。

しかし、日米の基本的な国力の差を考えれば、日本軍が太平洋を越えて米本土に乗り込み国土を蹂躙して勝利することなどあり得ない状況では、戦争を終わらせるためにはどこかの時点で講和を結ぶしかなかった。

しかし、ドイツに追い詰められた英国が断固として降伏や講和を拒んだのと同じように、米国も日本が期待する様に安易に講和を選択するとは考えにくい <-リメンバーパールハーバーの機運を見ても明らか

そうなれば、最初の2年ぐらいは決定的な会戦が起きずに小康状態を保ったかも知れないけど、結局のところは結果が大きく変わることは無かったのでは無いか?

ヨーロッパ戦線に与える影響も決定的とも言えず、その分原爆開発への資源注入が進み原爆の開発と実戦使用が早まったかも知れず

広島長崎に止まらず、南方でも沖縄でも様々な戦線で使用されたかもしれない。


結局は勝利条件が明らかでない(或いは不可能な)状態で、戦争を開始して相手の厭戦気分に期待をを持つという状況自体が常識では考えられない愚行であった

戦争が長期化し、より一層の人命が失われたと推測する
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色々な場面を想定した研究はなされていたし、それでも日本は負けるという結果が出ていた。

真珠湾攻撃で打撃をあたえればアメリカと講和できると考えた。日本人は今も昔も浪花節的。冷静に考えらんないんですね。
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打ち漏らしたっていうか


打たせてもらえなかったといいますか
情報駄々漏れで打たれてもいいものしかでてなかったし
(ようは国民感情を戦争に持っていくためのおとり部隊)
予想以上の被害で一瞬びびった程度にかならんかったし
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アメリカは正規空母、軽空母、護衛空母と大量に生産しましたからねぇ。


仮に真珠湾で空母を沈めていたとしたら、太平洋戦争初期には日本が有利だったでしょうが
結局は物量の差の前に負けていたと思いますよ。
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多分、山本五十六司令長官の考えはこうだったと思います。



国力の違いで日本はアメリカに勝てるはずもありません。

・アメリカは資源の豊かな国であり、アジアの資源に対しての関心が低い。
・ドイツの信仰によってヨーロッパが看過できない状況になっている。
以上の2点から、アメリカの太平洋戦力の主力をたたいて、比較的平等な
講和をして、ABCD包囲網からAを引き抜く作戦だったと思います。

推論の域を出ませんが、真珠湾攻撃が司令長官の考える意味での「成功」で
あり、陸軍がインパール作戦を早期に撤収させたのならば、太平洋戦争は
早期に講和をしていたでしょう。
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