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うつ病などにより「死にたい」と思うようになって、ついに自殺に至ってしまうことがありますよね。私の周りでも父の弟が自殺、母の妹が自殺未遂を起こし、どちらも当時高校生だった私にとっては衝撃的な出来事でした。自殺という行為は理由は何にせよ、衝動的なものだと私は思います。積もり積もった「死にたい」という願望が何かのきっかけで爆発したとき、行動を起こしてしまうのですよね。
ところで、最終的に自殺とまではいかずとも「死にたい」と思っている人、あるいは思った経験がある人はけっこういますよね。私もあります。ただ、長続きせず時間がたてば忘れられたものです。
しかし中には、1日中「死にたい」と考えてしまう人もいると思います。そこまでいかずとも何かを悩んですべてを投げ出したい人も含め、もしそのような人が病気などで余命を宣告されたらどうなってしまうのでしょうか。この場合の対象は(1)自殺方法などをWebで検索したりするなど、かなり自殺の危険が高まっている人、あるいは(2)多額の借金を抱えるなど、現状から死んででも逃げたいと強く願う人とします。この場合、はたして「死」と「生」どちらを望むのでしょうか。
願望が叶うという視点だけで見れば余命宣告は「良い知らせ」になるわけですが、やはり死というのは究極な事実ですし、本能的に恐れるものだと思います。逆に「死にたくない」という一般の人と同じ反応を示すならば、死にたいと願うまで苦しんでいた自分を否定することになり混乱すると思います。
もしこのようなことが実際に起きたとしたら、死を望んでいる人は何を思い、どのように行動すると思われますか。一般の、人が死を受け入れていく段階のプロセスは知っているつもりです。

A 回答 (3件)

まず、死にたいという概念(自殺の動機)から考えてみましょう。


本当に死を望んでいるのか?後先考えずに衝動的な「リセットを押したい」状況なのか…
同じ死を望んでいても問題を解決する選択肢が無かったり、考えが纏まってないから安易に自殺を考えてる場合も多いはずです。
何よりも死を自分から選択する場合はある意味「攻めの姿勢」ですが、人から宣告されるのは「守りの姿勢」と言えます。
自分から自殺を考える事が出来ても、人から死を宣告されるのとは同じ死に向かってるからと言って受け入れれるモノとは言い難いです。
例えるなら、自分から会社を辞めるとは考えても、先に相手からクビだ、と言われるとダメージの度合いが全然違います。
結果辞めた時に「ああ、辞めようと思ってたし、良いか。」と考えが行き着いても、やはり、それは結果論を自己肯定するために纏めてるに過ぎないからです。
まず、自殺を考えてる人の精神状態は通常ではない事が殆どで、100人居れば、100つの精神状態、そこに至る理由があります。
今抱えてる問題を、精神的に追い込まれて自己解決する手段や財産、人脈が無い場合安易に誰でも考えつく方法は「自殺」です。
ですが、精神的に健康だったり自己解決の手段を構築するような精神的体力があれば自殺をしない事が殆どでしょう。
要は結果自殺で命を落としても「深い考えでの自殺」、「安易な衝動での自殺」、「死ぬ気はなかったのに本当に死んでしまった」…
など色々なケースがあり、裏を返せば「自殺」と同カテゴリーに定義しても全然意味合いも、覚悟も違ってる事が分ります。
ですので、結果死に至る(至った)から自殺となったからと言って、「1、武士の自決」と「2、精神的に病んで、その時には自殺しか頭に浮かばず、何となく首を釣ってしまったが苦しくて辞めようと思うも、叶わず死んでしまった」とは100%違うものだという事です。
勿論、生命が失われたという観点からは一緒ですが。
なので人の数だけ精神状態の幅があり、中には「どうせ死のうと思ったし」と考える人もいると思いますが、大体の場合は衝動的に行い、何もかも整理しきった状態での自殺ではないと思いますので、そのような考えが全員に当てはまる事はなく、寧ろレアなケースと思います。
自殺を肯定する気もありませんが、中には相当な覚悟を持って、かつ周りに(物理的な)迷惑を極力掛けないように逝かれる方もおられます。
そう言う人はある意味本当の自殺と思います。
一方、そういう余裕が無く「問題解決出来ない=死にたい」と短絡的に(死後の処理や迷惑など考えずに)命を絶たれる方も居ます。
そう言う方は結果的に死に至りましたが上記の自殺とは違い「逃避の先に死が有った」に過ぎないと思います。
要は、逃避的に自殺を(それも曖昧に)選んだ人が、余命宣告されても「合理的だ」と受け入れる訳も無く、余計選択肢が迫った事で「より取り乱して嘆き悲しむ」か「更に逃避の為に自殺願望を高める」かのどちらかではないでしょうか?
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自殺の原因に他人が絡んでいた場合は復讐に出るんじゃないでしょうか。



どうせ死ぬんだから、いじめた奴らを見返してやるとか、捨てた彼女に思い知らせてやるとか、人間の影の部分も出てきそうです。

積極的に生きられないサイクルにはまり込んだ人が「死にたい」と唱え続けるので、突然「生きたい」に変わらない気がします。
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死を宣告された方の性格や生き方にもよるでしょう。

実際貴方が余命宣告を受けたとして考え貴方ならどうされますか?と同じ事です。確実に死を宣告されれば死にたいと思わなくても放って置いても死ねる訳ですからやりたい事をやってから死のう!と思えば生きる事に一生懸命になるだろうし、やっと願いが叶うと安心するかのどちらかでしょう。自殺とはかなり勇気が要る行為です。自殺が出来る位意思が強ければ生きて何でも出来ると私は思います。自殺を実行される方はどんな綺麗事を並べても私の中では人生を放棄した卑怯者です。癌で亡くなった主人は死ぬ寸前迄後に遺す私と息子の為に頑張って血塗れになり他界しました。
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