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信長は・戦略家であり、戦術家でなかった

秀吉は・奇抜な戦略家であり、戦術家でなかった

家康は・戦略の意味を理解した、戦術家であった

謙信は・戦術を重視した

信玄は・戦略から出る、戦術を理解していた

ナポレオンは・戦術家であり、戦略家でなかった

サラディンは・戦略家であり、戦術家でなかった

チンギスハーンは・理想的な、戦術家であった

フビライハーンは、戦略家であった

【外伝】

ヤン・ウェンリーは・戦略の意味を理解していたが、機会のなかった、戦術家であった

ラインハルトは・戦術ではヤンには及ばないが、戦術家であり、戦略家であった


・・と、言った、私感で見た、歴史の武将<外伝あり>なのですが

皆さんも、この意見にツッコミを入れたり
他にも、歴史に見る、戦術家、戦略家の事を、お聞かせください

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A 回答 (3件)

それでは、海外分を。



まずは、ナポレオンが戦術家ですか。それはいくらなんでも過小評価すぎでは。あるいは、ナポレオンほどの大戦術家にとってみれば、ヨーロッパ全てが単一の戦場である、ということか。

サラディンが戦略家。うーん。秀吉が戦略家という評価を考えれば、同じような感じか。うーん。納得いくような、納得いかないような。少なくともサラディンは、戦下手ではないですけどね。

チンギス・カンは、モンゴル統一までの過程を考えれば、戦術家ではなく戦略家という評価のほうが正しいのでは。少なくとも、理想的な戦術家と言えるほど戦い上手ではないように思えます。何度も戦に負けながら、それが致命傷とならずにむしろ着実に勢力を増大していく、逆に、自分の側はただ一度の決定的な勝利で全てのかたをつける、という、ある意味、理想的な戦略家、あるいは政治家と言えると思います。

クビライ・カンが戦略家。まあ、妥当な評価のような気もします。というか、クビライって、あんまり自分主導で戦をしたことがないんですよね。一番最初の大理遠征の時ぐらい?それも当時のモンゴル軍の常識からしたら、ものすごく時間がかかっているわけで、はっきり言えば戦下手では。南宋遠征軍から外されてしまったのも、少なくともモンケ・ハンにとっては、そういう評価だったんでしょう。
本人もそれを自覚したのか、その後の、アリクブケやチャガタイとの戦いや、南宋遠征なんかも、自分が先頭にでることはしていません。自分は戦下手だけど、人を使うのがうまかったということですかね。
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この回答へのお礼

いやいや、確かに、ややこしい書き方してますが

下手といっているわけではないよ(ー3ー)ノシ

サラディンは、後半は戦術から、戦略<補給線立つ>などの局地的<またはゲリラ戦>に行動に移しているので
戦略家だと思います

ナポさんは、補給とかは微妙ですぜ
まあ、それをカバーで色々と発明などがされたのですが
人類的には、こっちが助かったのかな~?とも思います

チンギス、フビライどんは、確かにいわれる通りかも知れません

私も勉強せな、回答、ありがとね

お礼日時:2013/03/06 03:08

全部触れると切りがありませんので、信長だけ。


やはり彼は戦略家であり、戦術家でもあったと思います。
家督相続後から尾張統一までの期間に自ら陣頭に立って劣勢を覆したことは多々ありますし、金ヶ崎の退口、本圀寺襲撃、大坂本願寺との戦い初期の天王寺合戦などでの素早い対応は、戦術的に優れた資質を持っていたことの表れでしょう。長篠もしかり。
姉川の苦戦は、いわゆる「徳川史観」のフィルターが強いものですので(織田は大軍なのに苦戦したが、われらが徳川軍は小勢ながら大軍の朝倉を押し、勝利に導いた)、戦闘経過については眉唾です。
ちなみに包囲網から外交の弱さを指摘されていますが、敵が多いのは中央という地理と広大な版図にはつきもののことです。信長包囲網はいくつかの時期に分けることが出来ますが、それぞれ領地が隣り合って現実利害でぶつかる相手が敵となり、敵の敵は味方理論で軽く結びついていた程度です。信長はその都度遠交近攻外交で敵の後の大名との結びつきを重視し、包囲網の敵それぞれを挟み撃ちする勢力図を作り上げています。
三好には毛利や長宗我部、本願寺には上杉、武田には北条・上杉・北条、毛利には大友、上杉には北条・伊達などなど
このように包囲網の敵はそれぞれ背後に信長と結ぶ敵を抱えていたため、一斉に攻め寄せてくることなく、各個撃破されています。包囲される状況にあることを理解して、不利な状況を回避しており、外交資質もかなり高いと思われます。
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この回答へのお礼

ほうほう、外交の話になりますが
秀吉が晩年、信長公は敵を多く作り、苦労した

・・と、呟いた・・らしい、文章が残っていた、ほかにも多々
色々とあるので、下手!と思っていましたが


確かにいわれるとおりかも知れません

お礼日時:2013/03/06 02:55

銀河英雄伝と日本の戦国時代では「戦略」の意味が違いますわね・・。



信長は長篠の戦が言われている通りの内容なら、結構な戦術家だったと思いますよ。三段撃ちは絵空事と言う説もあるが、桶狭間の局地戦にしても、鉄砲・長槍の採用にしても一人のエピソードとしては戦術面についてが多く、戦略家としては敵を作り過ぎている気がしますね。

時代が進むなり、活躍するフィールドが広くなれば戦略と戦術の区分けも変わってしまう気がしますので、日本の様な狭い舞台では戦略で勝つのは難しいでしょう。

ナポレオン以下の多くの国が絡む舞台でこそ、戦略の良し悪しが結果を左右すると言えますし、底の部分のご意見には結構うなずける部分が多いですね。
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この回答へのお礼

たしかに!信長は悩みました

信長の初期の戦術はすばらしいものがありますから

ただ、桶狭間などは、戦術・・と言うよりも
情報戦・・戦略で勝ったと思いまして

信長の戦略的センスは
包囲網を各個撃破にあると、私は考えます

・・そう考えると、外交べた、ではありますね、敵作りすぎ

姉川十一段崩れ・・本願寺家との合戦等で
戦術的に、失敗が後半目立ち

今の考えにいたりました

早速のお返事、ご意見ありがとうございます!

お礼日時:2013/03/05 14:50

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Q世界の戦略家・戦術家について

以前、同様の質問で例示されていた織田信長、豊臣秀吉、ナポレオンらは皆、実戦の主導者ですが、世に言う戦略家・・・例えば孫子、諸葛亮孔明、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンらはどういう範疇に属するのでしょうか?

Aベストアンサー

孫子、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンらは、その著書「孫子」「戦争論」「海上権力史論」が後世において世界的に大きな影響を及ぼしているので、「軍事思想家」または「戦略思想家」という範疇に属するのではないかと考えます。

ちなみに、もう10年前になりますが芙蓉書房出版から「戦略思想家事典」という本が出ています。監修者は陸上自衛隊で陸将補だった前原透氏で、古代から20世紀までの代表的な戦略思想家50人が選ばれ載せられています。
この本には孫子、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンが載っています。

「戦略思想家事典」
http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E7%95%A5%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%AE%B6%E4%BA%8B%E5%85%B8-%E5%89%8D%E5%8E%9F-%E9%80%8F/dp/4829503335/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1381671689&sr=1-1&keywords=%E6%88%A6%E7%95%A5%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%AE%B6%E4%BA%8B%E5%85%B8

また、1989年にダイヤモンド社から防衛大学校「戦争・戦略の変遷」研究会訳で「戦略思想の系譜・マキャヴェリから核時代まで」という本が出ており、この中でクラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンが大きく取り上げられています。ちなみにこの本の場合、西洋の人物しか取り上げられておらず東洋の戦略家は一人も取り上げられていません。
「現代戦略思想の系譜」
http://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%88%A6%E7%95%A5%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AE%E7%B3%BB%E8%AD%9C%E2%80%95%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%81%8B%E3%82%89%E6%A0%B8%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%BE%E3%81%A7-%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC-%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88/dp/4478370427/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1381671832&sr=1-1&keywords=%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%88%A6%E7%95%A5%E6%80%9D%E6%83%B3%E3%81%AE

こうした本を読むと私個人的には孫子、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンらには「戦略思想家」という範疇が相応しいのではと考えます。

なお、諸葛亮孔明については、一応、著作もあるようですが、それが世界の軍事史に、他国に大きな影響を及ぼしたという事は無いので、蜀の政治と軍事において手腕を揮ったという事のみを考慮して「戦略家」ではないかと考えます。

孫子、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハンらは、その著書「孫子」「戦争論」「海上権力史論」が後世において世界的に大きな影響を及ぼしているので、「軍事思想家」または「戦略思想家」という範疇に属するのではないかと考えます。

ちなみに、もう10年前になりますが芙蓉書房出版から「戦略思想家事典」という本が出ています。監修者は陸上自衛隊で陸将補だった前原透氏で、古代から20世紀までの代表的な戦略思想家50人が選ばれ載せられています。
この本には孫子、クラウゼヴィッツ、アルフレッド・マハン...続きを読む

Q何故、信長は戦いが下手だという人が多いのでしょう

どうして織田信長は戦いが下手だという人が多いのでしょうか?

彼の戦歴を見る限り、日本屈指の戦術家と思うのですが・・・

Aベストアンサー

戦国の最終的な勝者は徳川家康で、その家臣団の多くは旧武田家の関係者ですから、徳川家康と武田信玄を貶めることは出来ません。
織田信長は武田信玄より戦が下手でないと徳川幕府にとって困るわけで、そうなると信玄と何度も戦った上杉謙信も信玄と同等かそれ以上の戦上手とせざる得ない。
この神のような武田信玄と戦ったのが徳川家康で、史実を大きく曲げるわけにはいかないので、大枠は外さない範囲で、織田信長は武田家の前に風前の灯火だったが、律儀な神君家康公は信長を見捨てずに常に味方したので、天下の覇者になれた、勇猛果敢な武田家臣団は武田家滅亡の後、家康公の人柄を見込んで徳川家に仕官し、幕府創成期を支え、お旗本として徳川家臣団の中核になった。
こういう絵図を描きたいんですから、織田信長は猜疑心が強く人徳がない、一方家康は温厚篤実な性格で、主君のためには命を捨てる家臣が多数いる。
織田信長は戦下手で、何度も首を取られかけたが、そのたびに家康が救援に向かい、勇猛果敢な三河武士の尽力で危機を脱した。
幕府旗本のご先祖である武田武士団は、三河武士に匹敵する勇猛さが有り、実力では織田軍団を上回りながら、武運つたなく負けてしまった、決してお旗本方のご先祖が弱いわけではなく、運が悪かっただけで、織田の弱兵と勇敢に戦ったが、数に負けたから不名誉ではない。
幕府の中核の旧武田系の旗本を傷つけず、なおかつ徳川家を持ち上げるには、ちょっと歴史を加筆修正したと言うことかと。

戦国の最終的な勝者は徳川家康で、その家臣団の多くは旧武田家の関係者ですから、徳川家康と武田信玄を貶めることは出来ません。
織田信長は武田信玄より戦が下手でないと徳川幕府にとって困るわけで、そうなると信玄と何度も戦った上杉謙信も信玄と同等かそれ以上の戦上手とせざる得ない。
この神のような武田信玄と戦ったのが徳川家康で、史実を大きく曲げるわけにはいかないので、大枠は外さない範囲で、織田信長は武田家の前に風前の灯火だったが、律儀な神君家康公は信長を見捨てずに常に味方したので、天下...続きを読む


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