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たとえば野球選手になりたくていくら野球が好きになって励んでもプロの目に敵わなかったらなれない。使命感が強く医者になりたくても金がなきゃなれない。歌で世界で活躍したいという夢があってもそうなるまでの道のりが遠く現実の生活に流されなれない。

つまりなにもかも妥協しなきゃいけない。

何も私に限らずそんな人が大半じゃないですか?
こんな理不尽な世の中は生きる気力もなくなりますよ。
こんなことばっかだったから生きる気力がありませんしなにやってもどうでもいいという態度になってしまう。
そうじゃないという人いるなら教えてください。

A 回答 (27件中11~20件)

プロスポーツ選手やプロの音楽家と


医師は次元が違うでしょう。

プロスポーツ選手やプロの音楽家になった人は
小さい時から他人の何倍も努力しているでしょうし
なろうと思って
そんな努力している人の中でも選抜されていくので
目的を果たす人は志した人の1%にも満たないでしょう。

医師になろうとする人も小さいときから努力しているのは同じですが
金がなくても医師になる道は
自治医科大や防衛大学校などもありますし
自治体の奨学金や学費免除の特待などもあるでしょう。
ハードルは高くなっても門が閉ざされるわけではないでしょう。

どちらもなろうとしてなれるもんではないでしょうが
なろうと思わないとなれません。
なろうと思うのが遅ければ実現可能性は低くなりますし
初めから諦めていれば絶対になれません。
実現の可能性から言えば
自分の能力と周囲の状況を判断して
実現可能性の高い分野に目標を定めて努力するもんではないでしょうか。
井戸は水が出るまで掘らないといけませんが
魚を取るのに木に登っては取れません。
目標選択の洞察と
努力の方向性の問題であって
それが妥協というのなら目標選択が間違っているのではないでしょうか。
筋肉のバランスは持って生まれた素質なので
全員が同じ過酷な訓練をしても
誰もが
100m10秒を切れる選手になれるわけではありません。
それを知らずに努力するというのは
本人も周囲の人も見当違いというもんではないでしょうか。
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 補足です。



 意欲は選択の問題だが、だれもがそう簡単にはヤル気が起きないということがある。
 また、ヤル気が起きるには、さまざまな条件がある。金や能力。金がなくても、意欲と能力さえあれば何でもできるが、肝腎の意欲と能力があるとは限らない。あまりにも境遇が悪ければ、意欲が湧きにくい現実がある。他人や社会を非難してもよいが、それだけでは何にもならない。自分がどうするかが重要。
 
 能力がそれほどなくても超人的な努力をして、成功する人がいるが、誰もが、超人的な努力ができるわけではない。努力できることも、ひとつの能力。

 どうすれば、意欲が湧くか。それは難問。日本の意欲研究の第一人者ですら、「意欲が湧く方法があれば、自分が知りたいくらいだ」と言っている。

 世の中で、「努力すれば夢は必ず実現できる」と言う人は、それなりの能力のある人が多い。イチローのように。ただし、能力だけでは成功しないのは事実。失敗した人が、「努力すれば夢は必ず実現できる」として、マスコミに登場することはない。しかし、本当は、成功から学ぶのではなく、失敗から学ぶ方が意味がある。成功した時には何も考えなくてもよいが、失敗した時にこそ、どう考えるかが重要。

 浪費をして借金をし、破産をした人で、その後、市議会議員になった人もいれば、再度の破産を繰り返す人もいる。プロ野球の選手になったものの、一軍で活躍することなく、引退した人で、ヤクザと一緒に事件で逮捕される人もいれば、事業者として成功する人もいる。離婚やリストラから再起できる人と、敗残者としてカスのような人生を送る人がいる。一般的に言えば、失敗しても前向きに考える人は、問題を解決できる。

 アレがダメでもコレができるか、アレもコレもダメかは、能力、金、境遇だけの違いではない。どこがちがうかと言えば、能力というよりも、考え方の違いということだろう。考え方は経験から学ぶことが多い。困難を克服した経験は重要。

 

 

 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。もっと勇敢になりたいです。

お礼日時:2013/04/06 20:38

野球が好きになって励めば、努力に応じて野球がうまくなります。

野球がうまくなれば、それを楽しむことができます。
金がなくても、能力と努力があれば、医者になれます。
歌がうまければ、歌手になれます。問題は、売れる歌手と売れない歌手があるだけです。アマチュアの上手い「歌手」はたくさんいます。

プロ野球選手、歌手、医者になれなくても、幸福な人はたくさんいます。逆に、自分が不幸だと感じているプロ野球選手、歌手、医者はたくさんいます。地位や肩書きと幸福感は一致しないことが多い。

妥協しない人生を生きている人は、たくさんいます。

「理不尽な世の中」  それは事実です。
「世の中、腐っている」 それも事実でしょう。しかし、腐っているからこそ、やるべきことがあるとも言えます。すべてが完璧であれば、何もする必要がなく、人生は面白くない。できないことがあるからこそ、課題ができ、意欲が湧くのです。

「生きる気力がない」、「どうでもいい」 それはその人次第ですが、そういう人は、生きるのがつまらないでしょうね。
「生きるのがつまらない」のは、そのような人生を自分で選択しているだけです。それで他人が困ることはありません。自分が困るだけです。すべては自分が選択していることなのです。
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この回答へのお礼

はい、本当に勿体無いとも思っていて、だから現実と理想の間で悩んでました。

お礼日時:2013/04/06 20:40

妥協するかしないかは本人次第で、別に強制するわけでもありません。


たとえ適わなくても、人生の目標を持つことは大事です。
子供の頃になりたかった職業と、大人になって実際になった職業が違うのはほとんどがそうでしょうけど、それは世の中が腐っている、理不尽なことにはなりません。
“なれなかった”にしても“ならなかった”にしても、それは結果的には本人の問題です。
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この回答へのお礼

力が欲しいです。

お礼日時:2013/04/06 20:41

単なる愚痴ね。


いや、だだをこねてるだけか。
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やりたいことを、やれば良いのではないでしょうか。

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この回答へのお礼

出来ることならそうしたいです。

お礼日時:2013/04/06 21:06

>つまりなにもかも妥協しなきゃいけない。


世の中はそうゆうものだ。

>こんな理不尽な世の中は生きる気力もなくなりますよ。
一時的にそんな気持ちになるが、そのうちやる気が出てくるから心配するな。

この回答への補足

そうゆうものだと理由もなく断言されたしまいましたね。

補足日時:2013/04/06 10:09
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つまりは、何もやりたくない・・と言う、言い訳の羅列ですね。



それじゃあ、何も成就する事もない・・それだけの話。
勿論、あなたが生きる気力などなくとも、こちら側には何の影響もない。

甘ったれの極致の話。
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 No.3です。


 補足ありがとうございました。
 また、知らなかったばかりに力を落とさせるような事を書いてしまい。お詫び申し上げます。
 不幸はそれぞれに不幸であり、他人が何と言っても素直に受け取れないこともあると思います。
 死ぬのだけはやめてと言われても、
 私自身何度か死のうと思い、実行に移したこともあり、警察と救急に救出され今日生きていますが、生きててよかったと思うこともあれば、助かるんじゃなかったと思うこともあるのが、お恥ずかしい話ですが私の正体です。
 まあ、自殺未遂で後遺症に苦しんでいないのは幸いかなと思っています。
 ちょっとした経験談やたとえ話を持ち出されてもなかなかやる気は起きない事もあると思います。
 どんな美しい言葉も心に入ってこない事もあると思います。
 希望が見いだせるまで時間がかかる事もアリでしょう。何年もかかるかも知れません。
 でも、自分はかけがえのない大切な人物だと考えて、ゆっくり考えてください。
 我が国ではなかなか厳しい現実も確かにありますが、人生に無駄な時間はない、何かを始めるのに遅すぎるという事はない。どうかご自愛ください。
 これも素直に耳に入らないとは思いますが、内田百閒の言葉
 「沈んで、沈んで川底に足が着いたと思ったら、それを蹴って浮かび上がるのだよ」
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>それはまだ現役で親の助けがあったからこその話ですよね?



↑上記内容の補足質問を頂戴いたしましたが、姉夫婦は晩婚で姉が40歳の時に初産で産んだ子ですから、姪は親には負担を掛けたくないと薬学部時代には家庭教師のバイトをして学費の一部を稼いでいたと聞いてます。

そして、薬学部卒業年度に薬剤師免許を取得してからは、薬局でのアルバイトをしながら勉強をして医学部に入ったと聞いてますから、親の助けがあったにしても大きな負担は掛けてないはずです。

現在は、まだ研修医の身分ですから給料は安いようですが、30歳の女子としては志が高いと感心してますから、自らの歩む道に妥協しない者も世の中にはいることを知ってください。
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この回答へのお礼

そうですね、私もそうなりたかったです。アドバイスを求めるところでお気にさわるような発言もあったかと思い反省もしました。いつも人の下(不良のパシリみたいなものです)にいましたのでそれに苦しいながらも慣れてしまいそんな自分を認められず肯定出来ずにいました。
そういう立場にあったということはきっと私はつけこまれやすい、心が弱いんだと思います。だから社会でもそのような立場に立たされ、
理想像ばかりが先に行き、現実とのギャップに苦しんでます。だから人一倍思うようにいかないと思う事が多く、嫌になって、じゅうぶんな精神コントロールが出来ずにいます。私の人生を返してほしいと思います。もう一度、不良なんかが入り込めないまっとうな教育環境で当時出来なかった学業やスポーツや音楽、なんでもいいから健全な仲間とやり直したいです。良い大人が、厳しい事言われても仕方ないとも思ってます。しかし私は本音を書いてますのでそのうえでアドバイスを求めました。 

お礼日時:2013/04/06 14:01

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