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 昭和の学生運動の時代は、今よりも大学進学率が低く、大学に進まずに働いていた若者のほうが多かったはずです。

 彼ら勤労青年は、学生と肩を並べてデモ活動などをしていたのでしょうか。
 それとも学生のことを、さめた目で見ていたのでしょうか。

A 回答 (5件)

一部、学生運動に賛同し、共闘していたひとも


いましたが、一部でしたね。

親の金で遊んでいる学生が、何やっているんだ
という調子でした。
機動隊員などは、高卒が多かったですから、それはもう
憎悪を抱いていた人も沢山いました。

恵まれた境遇にあるのに、という反感が強かった
ように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なるほど、うすうす想像していたとおりです。

「親のスネをかじりながら小難しい理屈をこねて革命ごっこか、おめでてーな、こっちは生活がかかってんだ」

といったところでしょうか。

お礼日時:2013/04/12 00:18

No.3ですが、欧州の件と質問との関連が分からないとの事でしたので補足します。


まず自分は生活の為に仕事をしなければならなかったので勤労青年だったと思っています。

欧州のことを持ち出したことを非常に簡単に言えば昼間の学生がデモ活動をしていた時に別なことに時間とエネルギーを使っていたということです。
他に自分が感じていたのはデモや広場での集会の後に沢山のチラシやゴミが散乱していたのを見て「あんなにはなりたくないな」 と思ったことを記憶しています。 冷めた目で見ていたのかもしれないですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/04/21 23:29

そもそも学生はデモなどしていません。

投石や火炎瓶といった暴力的武装街頭闘争をしていただけです。それは機動隊との市街戦そのものなのですから、学生と肩を並べてデモ活動といった牧歌的なものじゃないんです。まず認識していただきたいのは学生運動は現代人が想像するようなものではないということ。
1960年代は、三井三池炭鉱で死者・行方不明者458人といった記録的な炭鉱爆発事故が相次いだ時代です。また三河島事故や鶴見事故など大規模な国鉄事故が相次いだ時代でもあります。

世の中、学生中心に回っていたわけじゃないんです。質問者さんがどんな時代認識を持っていたか想像もできないのでどう説明したものか悩みます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なぜか「デモ」の2文字に激しく反応なさっているようですが。

>世の中、学生中心に回っていたわけじゃない

そういうことを言いたいわけではないのですが。

炭鉱爆発や国鉄事故も学生運動の仕業だったとは初耳でした。

お礼日時:2013/04/12 00:14

私の場合は九州から東京へ就職して家に仕送りをし、資金がたまった2年後に夜間の大学へ進みました。

(高校では授業料免除でした。)
就職した当時はかなりのカルチャーブレーク(ショック)が有って分からない事だらけでした。電話を受けること事態がおっかなびっくりだったことを思い出します。大学へ進学した当時も自分の知らない世界がものすごくあることを感じ、4年生の時に休学し、(会社は辞めて)欧州へ貧乏旅行に出かけ都合、2年間の旅行と就学になりました。
実は常識を殆ど知らない田舎の人でした。入社式の写真も学生服のまま写っています。(でも50人ほどの新入社員の中に学生服の人が5人ほどいました。まだそれがあたりまえの時代だったのかも知れません。)
大学にも学生服で行ったら知らない学生服の人から「オス!」 と挨拶されて訳が分からなかったのですがどうも硬派の関係の人だったらしい事があとで知り合いに聞いて分かりました。

そのような無知でしたので正直なところ、安田講堂の事などはニュースで知っていましたが真相まではわからないはずかしい状態でした。

欧州での放浪経験は当時はまだ今ほど危険が少ないようでしたがそれなりに気をつける事が沢山ありました。 日本では多くの人たちが「日本は駄目な国だ」と言っていたようで、自分でもそう思っていましたが、外から見た日本は「かなり安全でいい国」と感じました。2ヶ月 48,000円の ”学生鉄道パス” を日本で買っていましたので交通の手段は確保しており何とかなりました。 生まれてはじめての欧州一人旅はかなり脳に刺激のある経験でした。幸いにも一部を除き殆どが親切にされた経験ばかりなのでいい思い出が一杯で、博物館や美術館は国際学生証を見せれば殆どが無料か1/10程度の料金で入れ、北欧から南欧までの殆どの有名な所は入りました。欧州の経験は語りつくせないのでこれ位にします。
(貧乏旅行といってもまだ良い方だったですね。当時の日本ではその気さえあれば貧乏な自分でも行けたのですから。費用は全て自分で用意しましたが持ち出しドルの制限があったので貯金を家族に預け、“必要な時には送って”と頼んでおきました。幸いにもバイトもできて送ってもらう必要が無かったのですが。)
還暦を過ぎた今、過去を振り返って 自分は日本の為に何か為になったことをしたのだろうかと時々思います。 良くも悪くも日本の社会の一員として生きたことは多分何かの足しにはなったのだろうとは思っています。 過去の自分を見ることはやり直すことの出来ない映像を鏡で見ている様です。こちらからは見えてもあちらからは見えません。 でもそれはこれからの生き方を方向付ける目印にはなると思います。
学生運動をされた方にはそれぞれの考えがあり、否定は決してしません。(日本の将来を考えての行動だったと信じております。)将来を見る鏡が無いので自分を含めて皆さん、試行錯誤をされていたと思います。 長くなってしまいました。それでは。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
欧州では貴重なご経験をされたと思いますが、この質問との関連がまったくわかりません。

お礼日時:2013/04/12 00:16

その時に真面目に働いていた労働者や勉強していた学生は会社経営者になったり学者になれたりしてます



私の大学にいた語学の先生は学生時代に授業妨害された経験から学生運動をする人達を嫌悪していました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
丸山眞男は貴重な研究資料を全共闘に破壊されて、ナチス以上の蛮行だと罵倒したそうですね。

お礼日時:2013/04/12 00:22

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