No.6
- 回答日時:
高虎は何度も主君を変え、出世ののちも他の武将から
白い眼で見られていましたが、家康に見込まれたのには
理由があります。
豊臣秀長に仕えていた頃、技術を買われ普請も担当して
いました。
家康が秀吉と和睦し臣従の礼をとるため、来坂に際し
秀吉は秀長に命じ、京都に家康の邸を新築しました。
その邸の普請奉行が高虎でした。
邸に入った家康は建築の心配りのきいているのに驚き
普請奉行の高虎を呼び褒めたといいます。
それで高虎が使える真面目な人物と見込んだのです。
他方高虎も家康の御身に万一の事がないよう、警備に
気配りしたと申したそうで、高虎も家康の先を見越して
いたともいえます。
水魚の交わりの初めでした。
のちの和歌山城などのの普請にも手腕を発揮しました。
武勇のほか異能を持つ武将として買われました。
へぇ~秀長時代の高虎の事あまり知らないので、新鮮でした
もっと後から、家康、高虎は近づいたと思ってましたが
なるほど、それは頷ける
半足軽出身なのに、高虎ってオールマイティーなんですよね、ほんとに
No.5
- 回答日時:
家康が最も信頼していた部下 本多平八郎 その平八郎が全幅の信頼を置いていたのが藤堂高虎と真田信幸です
なので平八郎が言うなら信じようか…といったところではないでしょうか?
信頼度合いは関ヶ原でも前線に置いてますし(宇喜多秀家にフルボッコにされてますが 笑)
天下平定後は側に置いてますしね 外様じゃなければ老中にでもなってたと思いますよ
しかし伊勢で30万石ほどの領地だったのに 後に紀伊家の入府(紀伊、伊勢55万石)で藤堂家は国替えされちゃいますね
本当に信頼されてたのか?
疑問です
あほ!!ばかたれ!!
関ヶ原で、藤堂殿とぶつかったのは、吉継でしょ!!
吉継の采配の妙に感じ入った、高虎が作った、御墓があるがな!
そこは譲れんぞ!
でも、家康って、本多の忠勝、そんなに信頼してましたっけ?
井伊殿や、本多の正信の方が、優遇されてません?
No.4ベストアンサー
- 回答日時:
先ずは藤堂高虎への個人的な評価ですが、民政・外交・合戦・築城術のどれを取りましても一級品、幾多の人材が輩出した戦国期に於いてすら、高虎の如き有能な士は極めて稀でした。
一方に於いて、今に至る不当とも思える彼に対する評価の低さと評判の悪さは、当然ながら徳川幕府の価値観のほぼ全否定に至った、明治政府の樹立に由来するのでしょう。
即ち豊臣家滅亡とともに徳川家の命により廃絶となった豊国神社が、明治天皇の鶴の一声で再興されるなど、明治維新後豊臣政権の復権が図られ、その結果として或る意味豊臣家に背を向けた藤堂高虎の評価は地に落ち、現在に至る訳です。
>家康殿は、なぜ、高虎殿を、そこまで、信頼したのか何でも良いので、教えてくださいな
浅井長政⇒阿閉貞征⇒磯野員昌⇒織田信澄⇒豊臣秀長⇒豊臣秀保⇒豊臣秀吉、左記は高虎が使えた主君を列記したものですが、後年徳川幕府の正学とされた(一義的に忠孝を説く)朱子学の教えがさほど支配的ではなった戦国末期に於いてすら、彼ほど主君を変えた或いは変えざるを得なかった武将も少ない、言い換えればあの時代有能な武将は引く手数多であった事を指し示す証左でもあるのだが・・。
晩年やっとの事で秀吉の直参とはなったが、そこは係累・子飼いでない為飽く迄も準譜代扱い、依って全神経を研ぎ澄まして次代の権力者を推敲した結果、彼が出した答えは徳川家康であり徳川政権という事だったのでしょう。
何しろ豊臣政権の最盛期に於いて既に、跡継ぎと子飼い・係累が少ない豊臣氏の行く末を見限り、家康に接近しておりますが、最上義光を除いてその嗅覚の鋭さは他に類を見ません。
家康の信頼を勝ち得た理由の1つがこの点、つまり即ち既成事実の積み重ねと陰日向が無い継続的な追従は、月日の経過と共に真実とほぼ同義語になってゆく訳で、それほど高虎は家康に尽くし抜いたという事の証しでもあります。
語りついでに有名な話を1つ、それは駿府で家康が死の床に就いた時の事、徳川家に対する未来永劫に至る忠誠を誓う為か、従来の日蓮宗から徳川家の宗旨である天台宗に改宗を申し入れました。
理由の2つ目は、開闢当初その構成分子に多くの豊臣恩顧の大名を抱えていたという、徳川政権の内部事情に依ります。
その後多くの豊臣系大名が粛清されるに至りますが、その全てを根絶やしにする訳にも参らず、自然豊臣系と目された藤堂高虎を粗略に扱えなったという、高度な政治判断でもあったのでしょう。
何れにしても極めてドライな高虎の立ち回りは、或る種のひ弱さを否定出来ない豊臣恩顧或いは徳川譜代の大名とは一線を画す、戦国大名・外様大名の一典型であり、一方に於いて彼の有能さを指し示すもの、私としてはそう肯定的に捉えております。
鋭い!!改宗話が、政治判断とは思いませなんだ
単に、仲良しこよしの、逸話と片付けていました
なるほど、仰るとおりに、その説は確かに言えてます
その政治的な繫がりからの、一種の共感性みたいなものが
家康と、高虎の関係を作ったのかもしれません
No.3
- 回答日時:
oocryさん、こんばんわ。
家康としては生涯で何回も主人を変えている高虎を本気では信用していなかったと思います。ただ、彼の武勇は幾たびかの戦功で証明済みでした。また、築城術や文学や能楽、茶の湯を嗜む文化人でした。そこから家康や秀忠の時代に朝廷の交渉などを行っていたこともあります。
その当時、幕府は草創期であり、幕閣の人材不足もあって、彼のような器用で交友関係の広い人物は貴重でしたから、重用したのだと思います。しかし、しばしば幕府が抱える問題を解決したこともあって、家康の晩年には彼の人物を認めるようになったと思います。
逸話についてはいくつかありますが、家康と高虎の緊張関係が読めておもしろいですよ。下記のURLを参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%A0%82% …
なるほど・・【武士!!】・・と、なると
江戸期の【忠義!!】と安易に繋げてしまうといけませんね
ケースバイケースの関係が、その緊張が、だんだんと緩和されていく・・くらいなのかな
さすがに、戦国は面白い!
No.2
- 回答日時:
家康が猜疑心が強い、という話はあまり聞かないような気がします。
どちらかというと、相手に猜疑心を抱かせているほうが多いのでは
ないでしょうか。
家康は晩年は、本多正信や藤堂高虎などの政務・謀略に優れた
人物を重用しています。
(本多正純は、いちど家康を裏切ったことがある人物です)
家康の家臣団はどちらかというと三河以来の武断派が多いので、
これらの『アタマを使う内容』を相談できる人材は貴重だったで
しょう。そういう意味で、高虎のアタマの良さ、滅私奉公ぶりが
家康に認められていたのだと思います。
かっちょいいかどうかはわかりませんが、こんなエピソードを。
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-258.html
おぉ!?十分に、かっちょいいです
この逸話知りませんでした!
なるほど、時様と供給の一致のけんもありますね
私的には、家康=疑り深い
・・と、思ってきたのですが
確かに正信とか、裏切りの後に【友】とまで、呼ばれてますものね
考え、改めねば・・
No.1
- 回答日時:
藤堂高虎といえば白餅(城持ち)伝説。
藤堂高虎公について
http://www.tsukanko.jp/takatora/about.html
この手の逸話は講談師の創作ですが、重要なことはそうした人物だからこそ外様ながら没落土豪から一代で大大名にのし上がり、子孫にも末永く遺訓が伝えられて幕末まで続いた家になったということです。
藤堂高虎が何度も主君を替えたのは改めて指摘することでもないが、どの主君にとっても藤堂高虎は外様だったけど、藤堂高虎はどの主君に対してもひたすら忠義を尽くして裏切ったことがありません。
そうした藤堂高虎だからこそ家康からも信頼されたのでしょう。家康もそうした藤堂高虎の人物を見抜く眼力があったからこそ徳川300年の基盤を築けた訳です。
渋い!そうなんですよ!高虎は世に知られてい長い、意外と律儀
秀長あたりには、ずっと忠義全うしてますもの
やっぱり、私もファンといっておきながら、どこかで【主変え】が頭から離れなかったのかも
さすがは、苦労人家康といったところですね
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