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国一揆とは
国人(単数)
国衆(複数)
と呼ばれた、武士でもある支配層による一揆。
現代で言えば、市町村長や県内企業経営者が、県知事や日本国政府に対して、「反対運動」を起こすようなもの。

土一揆の「土」とは、「土民」と呼ばれた被支配層・庶民による一揆。年貢の軽減や徳政令を要求したりした。

☆一揆とは、本来、「団結」を意味する。それ故、武士の一揆である国一揆が、そのリーダーを中心に戦国大名に成長したりもした。浅井氏や毛利氏。

と、私は習いましたよ。

一つ前の質問者さん、回答者さん、その一揆は間違ってませんか?

A 回答 (7件)

 僕は質問者様とはしばしば対立するお話しをしていますが、今回のご指摘はごもっともであると考えていました。

昨晩に見たこの質問(QNo.8094307-「日本史土、一揆について」)は
>一問一答形式の問題で答えは土一揆だったのですが 国一揆とごっちゃになってよく理解出来ません。
杓子定規に考え過ぎかもしれませんが上記の単問において土一揆が唯一絶対の正答となる根拠はあるでしょうか?
との問いに対する

「土一揆」及び「国一揆」の性質の違いを説明する回答内容でした。最初に「一揆」の相対的な特質を以下の様に説明し、その後に土一揆論そして国一揆論に言及する形です。

>室町時代に最も盛んに行われていた農民を中心とする一種の反乱です。当時行われていた郷村の自治活動に基づいているため、非常に強力でした。
 ここまでは「自検断組織」としての一揆の構造に基づく説明として妥当です。しかしながら、その前提がない。「一揆」は元々平安末から鎌倉期に見られる「庄家の一揆」および奈良・平安時代の農民闘争が発展した形態であることも一言付加する必要があります。そしてそこから土一揆・国一揆として分岐する形となることも補足説明として必要です(土一揆から国一揆に発展していく事例を説明するのも当然必要です)。

>まとめると、幕府や守護大名の政治に不満を持った農民や地主・武士などが一体になって年貢を減らすことを要求する反乱です。
これはどうかなと疑問符がつきます。自検断を求めるなら、それは年貢減免闘争だけではなく、寺家に対する権利主張などのケースも見られますので、限定は歴史学の立場からすれば、おかしな話ともいえます。
 ここで「地主・武士などが一体になって」として恰も「農民と共に広汎な組織を形成した」との印象を与えてしまいかねない危惧もあります。土豪や武士といっても具体的にどの様な階層を指しているのかが明示されていません。この説明をするならば、その前提に「職の体系」および「在地首長制論」の説明が必要になります。と同時に「一揆を起こす対象」が誰であるのかを説明しない限り、QNo.8094307の生徒さんからの質問に対する解答の仕方としては不十分であり、誤解を与える危惧もあります。
>国一揆ってのは…土一揆が一国……つまり国全体に影響が及ぶほど大きな反乱の事です。
ですから単に、”農民などの反乱”と来たら農民が直接起こしている土一揆が正解なのです。
こうした一問一答の暗記的に答えるだけが歴史教育であるとお考えの方でしたら、それこそ「無責任で大馬鹿者!」と言わざるを得ません。
 本来の趣旨である「土一揆と国一揆の違い」を何一つ説明していない。もっと具体的にいえば、「若狭国太良庄土一揆」で誰が誰に対して起こした一揆であるのかと「正長土一揆」の「性質の違い」を踏まえるなら、幕府や戦国大名の政治に不満を持った農民や地主・武士などが一体になって年貢減免を要求した、などとは説明すること自体があやまりです。
 正長土一揆は、もともと近江の車借や馬借がおこした一揆です。太良庄一揆は荘園領主である東寺に対する一揆です。事実誤認もあります。学校秀才が学校秀才を育て、それに気付いてもいないとの悪循環は最大の罪ともいえます。
 まもなく出勤の時間ですので、この質問を立てた方に対する異論は後ほどとさせていただきます。

この回答への補足

毎度、ありがとうございます。

毎度、おっしゃっていることは正しいのですが、
小学生に対して、
鶴亀算なんか使うな、方程式で解け、
と教えているような・・・。

補足日時:2013/05/19 15:50
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/26 10:22

> 一つ前の質問者さん、回答者さん、その一揆は間違ってませんか?



ひとつ前の質問というと
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8094307.html
これだと思います。

「室町時代中期に行われた支配層に対する土豪・農民などの反抗を(---)という。」

受験歴史の問題として、この回答は「土一揆」以外にはありません。
この問題からいえば、
・「農民などの」とあること
・「支配層に対する<略>反抗」とあること
から、正解は土一揆であり、国一揆では正解にはなりません。
土一揆の判断としては、この他に、「徳政令を求めて」や有名な土一揆の一部(例えば1428年に起きた→正長の土一揆)というようなワードも基準となります。

因みに、国一揆の場合には、基本的に領主連合であること、支配権を奪取又は維持することが目的であること、などが、一向一揆の場合には一向宗(時宗や浄土宗)の門徒が中心であることなどがキーワードとなります。

それから、浅井氏や毛利氏の例は国一揆ではなく下剋上です。
下剋上の場合は、地位の上下や有名な例(美濃の斎藤氏など)がキーワードとなります。


受験を離れると、土一揆も中心となる人がいるわけでして、それは江戸時代では庄屋になりますが、この位の時代には領主(≒国人)です(他にもいますが)。これが年貢の減免などの要求から支配者を追い出して支配権を奪取するような規模に発展することがあり、これが国一揆です。また、国一揆と下剋上も、支配権の奪取を目的とした武力蜂起という点を取り出してみれば違いはありません。

明確な線引きは歴史学の学問に任せるとしますが、受験上は「教科書に書いてある通り」に判断した場合だけが正解となります。特に一問一答形式では、キーワードなどで判断していくことが必要になるでしょう。

この回答への補足

言葉足らずなのは、こちらの責任で申し訳ありませんが、
私の主張は、
受験問題の「土一揆」という解答の間違いを指摘したのでは無く、その解説の間違いを指摘しました。回答は合っているが、その解き方が間違っているのです。

「土一揆」に関しては、内容を限定しすぎです。土一揆は、反乱よりも反抗に近く、要求もいろいろありますから。厳しい高校の先生なら○に近い△にするでしょう。ですから、私は「したりします」と、あいまいな表現にしました。
「国一揆」は明らかな間違い。×です。そもそも、「土」は土民、「国」は国人という、一揆の主体を表現した字です。土一揆は土民、国一揆は国人たちの一揆(団結)なのですから。
さらに、浅井氏や毛利氏は国一揆から大名に「進化」した好例として、よく上げられます。例えば、永原慶二先生の「戦国時代上218ページ。一揆に参加した文書が残っているのでしょう。

補足日時:2013/05/19 15:43
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/26 10:21

仰るとおり、国一揆を土一揆が国範囲で広がったものとする先の質問の回答は事実と異なりますね。

国一揆とは国衆による一揆ですから。

一応『国史大辞典』の一部と引用しますと
土一揆
「土豪・農民・馬借などが徳政と号して蜂起し、酒屋・土倉などを襲撃して(私徳政)、ついには、室町幕府権力に徳政令を発布させ、債務破棄と土地取戻しとを承認させたのが土一揆(徳政一揆)である。」
国一揆
「室町末・戦国時代に守護勢力と対立し、国持体制の実現を目ざした在地武士の一揆。」

ちなみに、近年の研究では、土一揆の中には守護大名の家臣が扇動したものもあることが明らかになっています。

この回答への補足

なんと、辞典に「土豪」という言葉が・・・・。

どの学者先生が書いた文か忘れましたが、
「国人と地侍の区別は、支配者側か被支配者側かで分ける」
と、あったのですが、これによると、
土一揆の「土」に土豪を入れるのはどうなんでしょう?
土豪って、国人とも解釈できるし。

守護大名の家臣の扇動もあるとは・・・。

土一揆は土民が主体、被支配者側が主体、というのは理念型なんですねえ。

補足日時:2013/05/19 16:10
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

豪族≧国人>土豪≧地侍

ってことですかね。

お礼日時:2013/05/26 10:21

国人というのは鎌倉幕府の残党です。

鎌倉時代の地頭が、鎌倉幕府が倒れた後も既得権益を維持し続けていて国人として地域的な勢力を確保していたといったこと。だから非公式な支配層という表現も可能だと思います。
それに対して守護は、後醍醐天皇と結んで鎌倉幕府を打倒した新興勢力で、室町幕府といった公式な後ろ盾を得た広域支配層です。
つまり守護という公式新興広域支配層の圧力に対する国人という非公式な地域支配層の抵抗運動といったことが国一揆です。室町幕府を打倒するなんてことはさらさら考えてなくて、あくまで既得権益を死守しようとしたローカルな抵抗に過ぎません。

室町時代はまだ封建制度が過渡期的な段階で支配構造が固まってないから、一般にわかりにくいのです。幕府としては名目的に存続し続けていたけど、支配形態の実態は地域によってまちまちだからなおさらわかりにくい。

それに対して土一揆は土民と呼ばれた被支配層による領主に対する団体交渉です。土豪というのは支配構造が固まらない室町時代において経済力をつけてきた土民という程の意味なので、鎌倉幕府の残党である国人と混同するのは間違いです。団体交渉といっても、当然ながら現代のような穏便なものではなくて暴力的な蜂起であります。土一揆を主導した指導力のある土民が土豪と呼ばれた訳です。

室町時代の農業生産の向上と貨幣経済の進展が、各階層の権利意識を触発させ、その一方で貸す側を太らせ、借りる側を痩せさせる社会矛盾を拡大させてしまった要因です。

言葉の意味に囚われる前に、大きな時代の流れ、時代背景を踏まえて、日本人がどうやって生きてきたかも考えあわせて欲しいものです。

時代の流れにうまく乗れれば戦国大名としてのし上がり、そうでなければ没落して表舞台から去っていく。

この回答への補足

なんと、「土豪」って、地侍に近いのですか。これは、私が間違ってました。

補足日時:2013/05/20 06:49
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
用語の定義がややこしいですね。

お礼日時:2013/05/26 10:19

 ♯1です。

もう一度くだんの問題を読み返してみました。問題文には確かに「室町時代中期に行われた支配層に対する土豪・農民などの反抗」との表記がみえます。しかしながら、このままではやはり「土一揆」との範解はおかしい。「支配層」という文言からは、その対象が国守であるとも読み取れ、また本家である寺社を指しているかのようにも読み取れます。従って適切な範解は「一揆」だけで可とする。つまり歴史事象として「一揆」という現象を知るだけならば、この様な解答になってしまう形になります。
 そして現行の中学校学習指導要領によるところでは、「中世の日本」の大項目として
「12世紀頃から16世紀頃までの歴史を扱い、我が国の中世の特色を、世界の動きとの関連に着目して学習させる」とされ、中項目として下記二つの課題が示されています。

(1)鎌倉幕府の成立。南北朝の争乱と室町幕府。東アジアの国際関係。応仁の乱後の社会的な変動などを通して、武家政治の特色を考えさせ、武士が台頭して武家政治が成立し、その支配が次第に全国に広まるとともに、東アジアとの密接な関わりが見られたことを理解させる。

(2)農業など諸産業の発達。畿内を中心とした都市や農村に於ける自治的な仕組みの成立。禅宗の文化的な影響などを通して、武家政治の展開や民衆の成長を背景とした社会や文化が生まれたことを理解させる。

ここに記されている「内容の取扱」として、「鎌倉幕府の成立」「南北朝争乱と室町幕府」については「御家人制度と主従関係」を基盤とする鎌倉幕府が成立し、その後南北朝の争乱の中で室町幕府が成立するという動きを通じて、次第に武士が大きな力を持ってきたことに気付かせる。
 「東アジアの国際関係」では「元寇・日明貿易・琉球の国際的な役割」を採り上げ、それが国内に及ぼした影響などに気付かせる。
 「応仁の乱後の社会的な変動」では、各地に戦乱が広がる中で地方の武士の力が強くなったことを扱うようにする。
 「武家政治の特色」として、武士が台頭しやがて主従の結び付きや武力を背景にして東国に武家政権が成立したことなど、古代から中世への転換の様子を、古代の天皇や貴族の政治との違いに着目して考察し、自分の言葉で表現できるようにする、が示されています。
 これがひとたび教科書や参考書になるとどうなるか、との問題がこの質問の核心にあります。
学参には「寄合」「惣」「惣村」そして「正長の土一揆」との文言が見える一方、「山城国一揆」に関する説明として「1485年には山城国(京都府)の南部で、国人と農民たちが、あとつぎ問題で内紛を起こしていた守護大名の畠山氏を国外に退けた。その後、国人ら36人を中心に、山城国を8年間自分たちの手で治めた」との表記が見られます。8年間から治めたの部分は強調されてもいます。この項目にも「国人」の文言が突然に使われ、その定義も不明です。
 しかしながら、守護大名を排除したとの書き方がされていますので、「国人」には守護が含まれないことも読み取ることはできます。
 高校ではどう扱われているかに関しては後ほどに続きます。

この回答への補足

「一揆」と答えることは、
地理の問題で、
Aの地形は何ですか
「地球」
Bの地形は何ですか
「地球」
と答えるようなものでしょう。

問題文の一揆の主体は「土豪・農民」なんですから、この言葉で限定できます。「土一揆」ですよ。
この問題文の、反抗の対象では、土一揆とは限定できませんが、反抗の主体で限定できます。

補足日時:2013/05/20 20:15
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/26 10:19

 早々のレスありがとうございます。


>問題文の一揆の主体は「土豪・農民」なんですから、この言葉で限定できます。「土一揆」ですよ。
この問題文の、反抗の対象では、土一揆とは限定できませんが、反抗の主体で限定できます

 この指摘ですが誤りです。問題文をよ~く読んでみて下さい。「室町時代中期に行われた支配層に対する
土豪・農民などの反抗を(---)という」の文章には主語がありません。文法的に確かです。当質問の貴方様は頭の中で自然に補ってしまっていますので、その様な回答になってしまいます。もしこの文だけを素直に読んだなら
(1)「室町時代中期に行われた」→時間的条件
(2)「支配層」→対象
(3)「土豪・農民」→関連要素
(4)「反抗を」→問題となる事象
に分類されます。
 問題は(2)と(3)の関係です。支配層といっても余りに大雑把です。これでは加賀一向一揆を説明することも困難です。主体が一向宗門徒だからとの前提を省略し、富樫を自死に追い込んだとの事象だけを説明するならば、これは国一揆と誤解する生徒がいても不自然ではありません。そこまでガチガチに限定して説明する必要があります。
 正長土一揆に戻ります。この一揆は元々近江坂本の車借・馬借による徳政要求に端を発したことから、高校のテキストでは「正長の徳政一揆(土一揆)」として説明されています(山川のテキストをご覧下さい。高校では「山川」が基準となります)。これならば、一揆の目的が明示されることにより定義と結び付けることも可能です。
 この問題文では「支配層に対する反抗」が目的ですので、これだけで土一揆と定義することは困難です。この「土」の定義が必要となります。
 「国一揆」に至ってはもっと複雑です。室町幕府が鎌倉幕府および建武親政を崩壊に追い込んだ全国の武士を新たな形で再編成するために、足利一門に連なる守護を全国に派遣し、鎌倉時代の大犯三箇条に刈田狼藉を取り締まる権限と使節巡行の権限を加味する形で守護の権限を強化します。つまり幕府権を具体的に代理で執行するとの司法権限までを守護は手に入れた形になります。
 そして同時に「半済」の問題が出てきます。当初、近江・美濃・尾張の三ヶ国に関して一年限りの時限立法的措置で、それぞれの守護に対し荘園・公領の年貢の半分を徴発する権利を認めた、観応の半済令です。当時、観応の擾乱の渦中にあり、半済令は永続的な形に変質しそして全国的に広がっていきます。これが何を意味するかと言えば、守護が国内の荘園・公領を侵略し、年貢や土地を武士に付与することを意味します。官僚として送り込まれたはずの守護がいつの間にやら領国支配を行う大名に転化していくことを意味します。そして守護の再配置による安定が見られる義満の時期には、守護職が世襲化すると共に彼らは領国統治を守護代に託して帰京し幕府に出仕する形になります。
 ここまで話してきたのは、国一揆・国人一揆・土一揆・馬借一揆・郡中惣等の違いと特質を生徒に説明するために必要だからです。質問者様の様に短絡的かつ単純にとらえられては歴史学の成果および歴史教育の観点からも決して好ましいとは考えられません。
 どちらかといえば意固地になりやすいご様子ですので、御自戒されることをお勧めします。

この回答への補足

主語ではなくて、「主体」ですよ。

例えば
「市民の祭り」
という文なら、「市民」が主体であるように、
「土豪・農民などの反抗」
なら、「土豪・農民」が主体です。

なお、「関連要素」と「主体」は相互背反しませんから。
「土豪・農民」は、「関連要素」かつ「主体」であります。

繰り返しますが、最初の問題文は、「目的や対象」で土一揆には限定できませんが、主体で限定できます。もっとも、「車借・馬借なども」などとという言葉を入れた方が、より答えやすいとは思いますが。

補足日時:2013/05/21 07:26
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2013/05/26 10:18

こんにちは。


前の質問に対する回答の、「国一揆ってのは…土一揆が一国……つまり国全体に影響が及ぶほど大きな反乱の事です。」の部分は間違いですね。定義自体が間違ってはいますが、このような定義ですと、「室町時代中期に行われた支配層に対する土豪・農民などの反抗を(---)という。」の(---)に入ってしまいます。
根本的には、一つ前の質問者の方の質問は、高校レベルの日本史の問題についての質問ですから、まずその問題をどのように解いていくのかを解説したいと思います。オーソドックスな方法は、質問文である「室町時代中期に行われた支配層に対する土豪・農民などの反抗を(---)という。」の条件節を用いて、条件に合わないものを排除していくこと(消去法)によって解決するものです。難しく考えないでも、逆に条件に合うものを選ぶ方法もありますが。
まず、「室町時代中期」と限定することにより、江戸時代の百姓一揆は当然外れます。逆に「室町時代中期」となると多くの一揆の種類があります。土一揆・馬借一揆・徳政一揆・国一揆・国人一揆・惣国一揆・一向一揆などが挙げられます。これらを、「土豪・農民など」の一揆の主体勢力の条件節で消去していくことになります。
詳しくは下記で述べますが、国一揆・国人一揆・惣国一揆は、一揆の主体に「国人」層がありますので、消去されます。一向一揆は、本願寺門徒と国人が手を結んで起こしたと現在ではされていますので、これも消去されます。馬借一揆は馬借が一揆の主体ですから、当然消去されます。
残りは、土一揆・徳政一揆ですが、これは土一揆=徳政一揆とする定義があって、惣(村)の構成員である土豪・農民を主体とし、場合により馬借・車借・武士牢人・都市貧民などを含む集団が徳政を要求して蜂起し、最終的には幕府権力に徳政令を発布させることを目的とした一揆です。国史大辞典をはじめとする多くの日本史辞典、および、多くの教科書も、「正長の徳政一揆(土一揆)」のような記述をしています。つまり、問題文の(---)には、土一揆・徳政一揆のどちらの語句が入っても成立することになります。
何故、このように正答が2つあるような問題ができるかと言うと、「室町時代中期に行われた支配層に対する土豪・農民などの反抗を(---)という。」と言う文は本来、「土一揆とは室町時代中期に行われた支配層に対する土豪・農民などの反抗をいう」との土一揆の簡単な定義文を基にしているためと想像されます。または、土一揆を答えとする定義文を最初に考えて問題文を作ったために、別解答を想定しなかったのでしょう。さらに、徳政一揆も入るかと思っても、「徳政を要求する一揆」は「支配層に対する反抗をいう」とは相反すると考えたのかもしれません(徳政を要求すること自体が支配者・権力・既成秩序への反抗)。私も同じような問題の作り方もしていましたので、陥りやすい陥穽ですので分かりますが、問題自体は間違いとは言えませんが、このような場合、別解(徳政一揆)も提示していればよかったと思います。

土一揆・馬借一揆・徳政一揆・国一揆・国人一揆・惣国一揆・一向一揆などの定義や実態については、現在のところ諸説が入り乱れている状況で、日本史辞典などを見ても同一辞典内でも定義や実態説明に相互矛盾があったりする面があります。国史大辞典でも一揆の説明の中でそのように記述しています。しかし、当然のことながら一定の範囲内で説明されていますので、下記に引用しておきます。

一揆
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E6%8F%86
国一揆
国人・地侍が中心となって、惣の土民と連合して起こした一揆。惣国一揆ともいう。守護大名らの支配から在地領主権を守るためで、山城の国一揆はその代表例である。(用語集)
室町末・戦国時代に守護勢力と対立し、国持体制の実現を目ざした在地武士の一揆。-中略-守護支配や守護の課役に反対し、「惣国」と呼ばれる自治組織を形成するが、(国史大辞典)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%B8%80% …
一向一揆
15世紀末~16世紀末の本願寺門徒の一揆。門徒農民・国人・坊主の連合体が守護・戦国大名らと抗争。(用語集)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%90%91% …
土一揆(現在、「ツチイッキ」に読み方は統一)
惣を基盤に近畿地方を中心に発生した土民の反抗活動。荘園領主・守護大名に対する年貢・夫役の減免要求。酒屋・土倉など高利貸業者と結ぶ幕府に対する徳政要求など、経済闘争が主であった。(用語集)
土豪・農民・馬借などが徳政と号して蜂起し、酒屋・土倉などを襲撃して(私徳政)、ついには室町幕府権力に徳政令を発布させ、債務放棄と土地取戻しを承認させたのが土一揆(徳政一揆)である。-中略-惣連合の進展を背景として、十五世紀には、畿内を中心により広範な組織的闘争、すなわち土一揆が展開したのである。(国史大辞典)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%B8%80% …
徳政一揆
徳政の発令を要求する土一揆。高利貸資本の圧迫を強く受けた京都などの畿内の都市周辺に多く発生した。(用語集)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E6%94%BF% …
馬借(一揆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E5%80%9F
国人(一揆)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E4%BA%BA

「土豪」についてですが、室町時代で、土豪・地侍と併記されるような場合、次のような存在をさします。
惣の中で、「おとな百姓」「年寄」などと呼ばれる上級農民の中でも実力のあった者。「公文」「沙汰人」「番頭」などと呼ばれる役職に就き、日常的管理や年貢納入の取りまとめ、さらに領主との交渉などの役割を持った。比較的大規模な土地の所持・経営を基礎とする経済力を持ち、下人・所従と呼ばれる従者を抱え、独自の武力・労働力も有していた。屋敷の多くは土塁・堀といった防御施設を巡らし、堀は灌漑用水が流れており、用水の管理・支配をする立場にあった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E8%B1%AA(地侍の主筋を含む場合)

以上、参考程度に。
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この回答へのお礼

決定版ですね。
ありがとうございました。

国人・地侍・豪族・土豪などの用語の定義の幅が広くてややこしいですね。

お礼日時:2013/05/26 10:18

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