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工学部では理科の教員免許が取得できないところが多いです。

あるとしても化学工学科や生命工学科ぐらいです。機械工学科とか電子工学科にはありません。

なぜ工学部では理科の教員免許が取得できないところが多いのですか?

A 回答 (2件)

教員免許の区分では理科になるので物理、化学、生物、地学などを全て履修する必要が有ります。


一般に工学部では物理系以外の課程については教養科目以外がないので修得が難しくなります。
化学工学科や生命工学科ならば化学や生物の課程が有るので修得が簡単になります。
総合大学なら他学部の授業で修得可能かもしれませんが時間的にはかなりきつくなります。
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教諭には、幼稚園、小学校、中学校、高校があります。



尚、均一に教えるという考え方で、難しいのは実は年齢が低い幼稚園だったりします。それは、言葉が100%確立されておらず、文字や図形などの教育がまだ完了していないからです。
私は、理系で、それほど学はありませんが、一つだけ言えることがあります。
語彙の無い人に、教育者はできないということです。極端な話、幼稚園児に質問者様が、均一な教えを施してもらえるかということです。
私も、初任研修の講師を行うことはありますけど、語彙というのは難しいのです。

それが、答えです。
理系であれば、基本的に語彙は学ばなくともたいていは、その分野の専門用語をそのまま語れば通じます。では、たとえば小学生に、今学んでいることを、一字一句逃さずに、相手が理解できたと思える範囲で、答えることが出来ますか?


それに対する子供への試験をして、全児童を100点中70点に出来ますか?

それを考えれば良いのです。
基本的に、それに精通することと、それを教えることは別物です。相手は教わる側であり、いかにかみ砕いて、同年齢の平均的な子供または学生より、教えられるかというセンスが求められます。

それが、教育では重要なのです。
では、工学部では、その指針を決める教育姿勢があるのかということです。
例えば、教員としての素質が分かり、尚かつそれを育むカリキュラムがあるかということです。

逆に言えば、それが無くとも、教えられるのは会社など社会での活動になります。
ある程度の語彙がある前提で、専門用語も知っていると見なして語れるからです。
まあ、もちろん、学はなくとも教育者としても優れた人は多々います、企業社会では別に中卒でも良いのです。要は、それに優れた人材が、本気でその会社に貢献したいと思っている人を中心にして、人材を育てるために、教育するのですから・・・。分からないことは、本人が、別途勉強します。

では、学校とは何かということです。
分からないから、本人にそれを押しつければ良いというなら、良いのですが、ただし、それにも限度があり、例えば半数以上が意味不明だと思うなら、教育者としては不的確となります。
要は、理科が出来るから、教員になれるのではなく、人に教えることが出来るだけの、能力を持つ(厳密には教えられている)から、教員になる力量を認められるのです。

そして、試験に挑めるのです。

それだけのことです。
これは、○○工学だからとは限らないでしょう。場合によっては、そのカリキュラムに若年者を対象とした教育者を育成できるだけの、単位が取れるだけの学問や教育学、心理学などがあれば、場合によって取得できると思われます。

ただし、この手の学問は、一部に文学など国語的な学問が必要となるため、完全な理数的な研究に注力する分野では、十分にその能力があると認定されないことがあります。

後は、文系と理系の違いかもしれません。
私もそうですけど、理系は、どちらかというと攻撃的なセンスを持ちます。
要は、自分(または気の知れたメンバー)で数式を解き納得するのです。そして、いかに難しい数式を解けるかが重要であり、解けないものは、その人の力がないだけかもしれません。(皆がそうとは限りませんが、考え方として理系は合理的な傾向があると私の経験上は思えます)

それに対して、文系は教育的センスの延長にあります。要は、人に伝える力をいかに高めるかなのですよ。本来は、文学とはその言い回しや、考えを理屈抜きに人に伝えるものであり、心の表現力です。

それらを、併せ持つ力が多いものは、教育者にもなれるでしょう。
しかし、理しか考えないものは、合理性、証明の正しさなどにのみ、注力するため、自分より語彙の無いものに対して、冷淡になりやすい傾向があります。


いかがでしょうか?
重要なのは、この質問にもあることですけど、計算で導き出せない非合理性に対して、どうやって相手に伝えるかということが教育では求められます。例えば、子供に子供はどうやったら生まれると聞かれたとき、それを正直に話すにしても、どう話すのか、話さないならどうやって子供が納得できる答えを導くのか?
それらは、教育者の難しさです。工学にしろ数学にしろ、基本的には大学などある一定の学問を習熟した層に的を絞れば確かに、それは楽でしょう。

しかし、教員としてみた場合、それはその教育者としての立場に寄り添えるだけの、教え方を教えられているか、そのセンスを持っていると認められなければなりません。即ち、学部によってはある分野のエキスパートになるには、追加で習得すべき単位があるのです。

尚、それでも教育する博士に、それを目指した教育指針と単位を与える体制がある場合は、別とします。

いかがでしょうか?
人に教えるというのは、難しいです。特に、教壇に立って、1時間でここまで進めなさいと言われたときに、どれだけ進めるか・・・。そこで、センスを発揮できる人なら、別でしょうけど、そのセンスを認めたら、教える質が悪い人でも、座学だけで取得してしまう恐れが出てきますからね。教育者の質は下がるでしょう。

そういうことです。


語彙=ごいと読む。ボキャブラリーのこと。一般に言えば、似たようなまたは同じ意味で、言い回しの数をどれだけ持っているかと言うことです。この力は、同世代に対しては、あまり関係ありませんが、世代が変わるとその力が明らかになることが多いです。
まあ、死語と流行語の関係がそれを表すこともありますし、または可愛い。綺麗、格好良い、ダンディー、男前など、言い回しをその場その場で配慮できる姿勢も、含まれます。

教育における語彙というのは知っているというよりも、その時々に合わせて的確に使えるということも大事です。まあ、学校でどこまでそれを教えるかは、私は知りませんけど・・・。
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