ある人に『事実と真実の違い』について説明されたのですが
自分には理解できませんでした。

事実と真実をベン図で表現することは、可能でしょうか?
ベン図で、考えていましたがうまく理解できません。

自分は、

事実と真実がちがうことは、なんとなくわかります。
(大辞林でしらべました。)
事実でありかつ真実であることが、存在することは、わかります。
真実であって、事実ではないことがわかりません。
あるとすれば、なにか例は、ありますでしょうか?

わかる方がいたらわかりやすく説明をしてほしいのです。

よろしくおねがいします。

A 回答 (7件)

つまり、ある人々にとっては、



「神は存在する」

は、

真実であり、かつ、事実で有り、(盲目的に信じる)
真実だが、事実ではなく、   (神を信じるが、(物理的)存在は信じない)
事実だが、真実ではない    (?)

ですが、真実でも、事実でもない(と個人的には思っています)こともあります。



_____________________

命題:神は存在する
 A:事実
 B:真実
 C:真実でも事実でも無い(全否定)


  _________
/         \
|          |
|  / ̄\/ ̄\   |
| |  /\  |  |
| |A \/B |  |
|  \_/\_/   |
|C         |
\_________/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Zz_zZさん、ご回答ありがとうございます。

真実でも事実でもない全否定というのは、必要ですね。

全否定は、かんがえてもいませんでした。

わざわざ、ベン図を書いてくださってありがとうございます。

お礼日時:2001/05/28 10:35

少なくとも、「事実」は、「証明」されなければなりません。


「真実」は、誰かによって「証言」されなければなりません。



事実:証明された事       (誰によって?誰が認めた?)
真実:事実だと信じらた(る)もの (誰によって?誰のための?)
正義:正しいと信じられた(る)もの(誰によって?誰のための?)
神 :神様           (誰にとっての?)


これら全ては、相対的なものです。

事実は一つ
真実は一つ
正義は一つ
神は一つ

は、全て間違っています。


事実は2つ(以上)あり、
真実も2つ(以上)あり、
正義も2つ(以上)あり、
神も2つ(以上)有ります。


例えば、戦争において、双方が、

「真実」と「正義」と「神」の名において殺戮を繰り返します。


双方に、同時に「真実」と「正義」と「神」が存在する以上、
それらが2つ以上有る事は明らかです。


「新しい歴史教科書を作る会」にとっての「事実a」「真実a」も
その他の「事実b」と「真実b」と同時に存在しています。





ベン図で書けば、「事実A」も「真実B」も、それを信じる者・証明
する者によって大きさが変化し、それぞれが一部重なり合ってい
る普通の図になるしか有り得ません。(1つが他を包含する図は
出来ません。)


事実であるが真実でない A not B
真実であるが事実でない B not A
事実であり真実である  A+B   ←(いわゆる万人が認める事)


------------------------------------------------
「真実」であって「事実」でない事は、


神は存在する。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

Zz_zZさん、ご説明ありがとうございます。

2行目の真実はだれかによって証言されなければならないという誰かは、
その本人でもよいのでしょうか?
第三者が証言しなくてはいけないでしょうか?

戦争の話の例は、わかりやすかったです。
たとえば、世界で今仮に、全部の国で戦争がはじまったとしたら
その国の数だけ、真実も、事実も存在するということですね。

だとすると、事実というものも、世界共通認識ではない場合ということも
考えてもいいということですね。
わかったようなきがします。

>ベン図で書けば、「事実A」も「真実B」も、それを信じる者・証明
する者によって大きさが変化し、それぞれが一部重なり合ってい
る普通の図になるしか有り得ません。(1つが他を包含する図は
出来ません。)

ベン図でかくことは、たぶん、間違っていたということに
気づきました。ベン図でかいたとしても、それをみんなで共有するのは、
意味がないし、不可能なことだということですね。


>「真実」であって「事実」でない事は、

神は存在する。

よくわかりました。

お忙しい中、ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2001/05/28 10:28

個人的意見で恐縮ですが、



真実=本当の事、真相。

事実=一般に認知された結論、結果。

かなと思っています。

例えば、冤罪の人が自分は罪を犯していない事は解ってお
り(真実)、しかし冤罪だと知らない人々にはその人は犯
罪者な訳(事実)で、この場合は事実≠真実になると思い
ます。

よく新聞は事実を伝えるが、真実は伝えていないと言われ
るのも、そんな所かなと思っています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

PEPOYONさん、ご説明ありがとうございます。

冤罪の人が、自分が罪を犯していないということ=真実
冤罪だと知らない人は、犯罪者として認識する。=事実

そうですね、心の中というか見えてない部分(犯罪を犯した瞬間)を
犯人以外の人は、しるよしがありませんですね。

新聞は、事実を伝えるのが目的であって、真実を伝える目的ではないのかなと
ふとおもいました。
新聞がもし、真実をつたえようとしたら、その日あったニュースをすぐに
印刷することは不可能になるのでは?
ちゃんと、本当はどうだったのかを詳しく調査してから
記事にしなくてはいけなくなるから。 ちがっていたらすみません。

お忙しい中、ありがとうございます。

お礼日時:2001/05/28 01:59

この話にベン図ですか。

ちょっと考え込んでしまいました。

事実と真実のギャップといえばやっぱり、暗い話になってしまいますね。
レ・ミゼラブル(ああ無情)の人のために盗みをする話、正当防衛での殺人など犯罪人=善人という図式がそのように見えるという気もするのですが。
真実=善人、事実=犯罪人

また、時間の要素も無視できません。
100年後の人類を考えた行動(考え方)は真実でも、現代人に採っては暴挙と移る事実かも知れません。

なんだか、事実と真実は物差しが違っているような気がしてきました。

感想で説明になっていませんでした。ごめんなさい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ymmasayanさん、ご説明ありがとうございます。

この問題を、ベン図でかんがえるのは間違っていたような気がします。

>レ・ミゼラブル(ああ無情)の人のために盗みをする話、正当防衛での殺人など犯罪人=善人という図式がそのように見えるという気もするのですが。
真実=善人、事実=犯罪人

そうですね、そのとおりですね。

時間の要素については、まだまだ考えがとどきません。
でも、おっしゃるように、100年後、100年前などと
考えていくと、その時代時代で、真実や事実はかわるものもあるのかも
しれませんね。
でも、何百年も生きれる人が存在するわけもなく
どのように違いを認識するのかも疑問になりますね。

>なんだか、事実と真実は物差しが違っているような気がしてきました。
自分もそういうきがしてきました。
そもそも、真実と事実を同じ次元で考えるのは、意味のないことなのかも
しれないという気がしてきました。

自分でもまた考えていきます。

お忙しいところ、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/28 01:37

勝手に自分で思っている事なので、ぜんぜん自信はありませんけど・・・。


事実=客観的に証明可能な事柄に関すること。
真実=主観的なこと。
って感じがします。
例えば、「僕がAさんの事を好きだ」って事は真実なんですけど、誰かに証明することって出来ないので、事実とは言えないんじゃないでしょうか?
あと、宗教好きな人が言う「神」も、その人たちにとっては真実なんでしょうけど、他の宗教の信者や無心論者にとってはぜんぜん嘘っぱちなので、事実ではないですよね。
どうでしょうか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

nobor3さん、ご説明ありがとうございます。

事実=客観的に証明可能な事柄に関すること。
真実=主観的なこと。

そうですね、そのように言われるとそんな気もします。

例のお話だと、見えるものではない(Aさんをすきだというきもち)
と事実ではない、ということになりますでしょうか?
気持ちをいうことはできますが、証明となると、できないですよね。

真実というのは、そのひとそのひとで、違うということですね。
神の話でおもったのですが、
たとえば、キリスト教を信じている人がいてその人にとって
キリストの神(イエスキリストでしょうか?)を真実とするのは、
わかりますが、ほかの無心論者の人でも、ほかの宗教を信じている人でも
キリスト教の神様がイエスキリストであるっていうことは、
共通認識なので事実ということになるのではないかとおもったのですが、
違うでしょうか?

わからなくなってきました。すみません。

お忙しい中、ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/28 01:03

ただの自論ですが、


「何か」に対して、みんなが認識しているいる「こと」が、{事実}で
「何か」に対して、当の本人(達)だけしか認識できない「こと」が{真実}じゃないかな、って解釈してます。
たとえば例をあげるとすると…
すごく、残虐な犯罪を犯した人がいるとしますね。
そしたら第三者(他人)が報道して、大勢の人が「なんて人だ」と思うでしょう。
その人について「犯罪を犯した」ということしか知らないので、そういう風に見てしまいます。
「こいつは犯罪者だ。サイテーだ」←これ{事実}です。
しかしその人からしてみると、いろいろな出来事があって、心境が変化して
そういう行為に至ったはずです。
だだ衝動的に、と言ったって、そうなるその人の過去があったと思うから。
→これ、{真実}です。
{事実}は大勢の人が「そう」思うことで、「そういうことになっちゃう」ことです。
一方、{真実}はその人しか知り得ない部分(気持ち)です。
…と私が勝手に思っていることですから、なんてことはないんですけどね。
というか、例がひどいですね(笑)
この例はオーバーなんだけど、こういうことって実際ごろごろしてると思いませんか?
本人がどんなに苦しんでても、大勢が思ってることが事実になっちゃうんです。

私のでいくと、「事実でありかつ真実であること」「真実であって事実でないこと」に
あまり当てはまりませんね;;
ということは、説明になっていない!(長いだけ)
ス、スイマセン;;
は~語ってしまった。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

roamさん、ご説明ありがとうございます。

犯罪者の例ですが、犯罪者が最低だというのは、事実および真実(主観)に
なるのではないかとおもいました。
最低というのは、罪を犯したという報道をきいてそれぞれの人がおもう
真実ではないかなとおもいました。

>本人がどんなに苦しんでても、大勢が思ってることが事実になっちゃうんです。
自分は、そこがよくわかりません。
大勢の中でも、最低だとおもう人もいれば、しょうがないやつだと思う人も
気の毒なことをしたと思う人もいればさまざまだと思うので
大勢が思っていることが事実になるというのは、違うのかなと思ったのですが、
でも、そういう風に考えていくと、社会的に認識されていることっていうものが
事実と仮定するのも、おかしいことになりますね。

自分もよくわからなくなってきました。
新たな、視点がでてきまして、また考える幅が増えました。

お忙しい中ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/28 00:51

 哲学というものを専門に勉強したことがないのでご期待には添えないかも知れませんが、私個人の意見を言わせて頂いてもよろしいいでしょうか。


 事実というものは、誰もがそれを存在するもの或いはしたものとして認められる事物のことではないでしょうか。例えば、目の前に犬という動物がいて、それは社会的に犬という動物であるという事は誰もが認めているというような。社会的にそれは犬という動物であると暗黙に約束されている。これは事実ではないでしょうか。だからそれは犬であって、犬という動物が存在すると誰の中でも認められることなのではないかなと思います。社会全体で共通に認め合っているものが事実のような気がします。
 真実というのは、人それぞれに認められたり認められなかったりする事実ではないでしょうか。例えば、Aさんにとっては愛というものがすべてであり、それが真実であるけれど、Bさんにとってはお金がすべてであり、それがBさんにとっての真実だというように。だから、Aさんにとっては愛がすべてだという真実は存在し、それが真実であるけれど、Aさんの中ではお金がすべてであるというような真実は存在しないし、それは真実ではないというような具合に。人が個人個人で認めているものが真実なのではという気がします。
 あくまで個人的な見解であり、哲学の法則に基づいた考えではないためご納得されないかと思いますが、こんな意見もあるのかな程度に見ていただければ幸いです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

polnareffさん、ご説明ありがとうございます。

Aさんが愛というものがすべてで、それが真実であるというのは、
その人にとっての真実ということですね。
真実というのはその人にとって、どうなのかということで
決定するものということですね。
たとえば、さまざまな人がいて、同じ事実が目の前にあったとしても
人によって真実がちがうということになりますでしょうか?

事実は、そうですね、おっしゃるように社会全体で認め合っている事柄
ですよね。それは、わかるのですが、真実ってその人がそうおもってしまうものなら真実になってしまうんでしょうか?

たとえば、その人がAという物を見た!ということを言っていたとして
同じ場に居合わせたほかの人がAというものは見なかったとしても、
その人にとっては、Aをみたっていうことが真実になりますよね。
では、ほかの人との共通認識ではないことが真実になってしまうという
事もありえるのでしょうか?

あるいは、その人がただ、精神的に病んでいるとか幻覚をみたとか
そのようなことになってしまうのでしょうか?

わからないことばかりいい、すみません。

どのカテゴリーに質問したらよいか自分でもわからなかったので
ここにしましたが、哲学じゃないのかもしれません。

もうすこしよく考えてみます。

お忙しい中、ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2001/05/28 00:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q国際情勢の真実を割と書いているブログ

国際情勢の真実を割と書いているブログはありますか?

Aベストアンサー

http://blog.oup.com/2014/03/international-law-reading-list-for-the-situation-in-crimea/
http://situationroom.blogs.cnn.com/
http://blogs.state.gov/stories/2014/04/16/united-nations-security-council-examines-human-rights-situation-ukraine
http://www.whitehouse.gov/blog/2014/03/20/president-obama-updates-american-people-situation-ukraine
http://www.crisisgroup.org/

非常に参考になるブログ、ツイッター、フェイスブックは数多くありますが、一部だけ紹介します。

Q何が正義で悪か、また何が真実で嘘かを見抜く方法を教えてください。(必ずしも真実を知ることが幸せとは限

何が正義で悪か、また何が真実で嘘かを見抜く方法を教えてください。(必ずしも真実を知ることが幸せとは限らないと思いますが)

Aベストアンサー

>何が正義で(何が)悪か
>何が真実で(何が)嘘か
を見抜く方法を教えてください。

あなた自身が、深層心理を良く見抜く事です。
正義であれ悪であれ、真実であれ嘘であれ、人が行動した結果なのですから、
その前にある深層心理を良く分析し、判断するしかないでしょう。

ちなみに、、、本をたくさん読む事です。
本だって所詮人が書いているものなのですから、そこには何らかの思考、信条が入っているはずです。
日頃から、そうして人に対して深く洞察することで、自らの判断基準も向上していくでしょう。

Q不動産取引でひどい目に遭っていて、これをブログなどで相手の会社名を出して公表するのは罪になりますか?

 不動産取引でひどい目に遭っていますが、ブログなどで相手の会社名を出して真実を公表するのは、何か罪になるのでしょうか?

 刑法での刑事罰の観点と民事での名誉の損害賠償の両方の観点が心配です。

 とても悔しいです><。上記の点が心配でブログ公開に踏み切れません。どなたかご教授していただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

(1) 質問者自身が、名誉毀損に関する法律書
例:
名誉毀損・信用毀損の法律相談
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31365996
を自ら読破し、内容を完全に理解して、「自分のやることが刑事上も民事上も問題がない」と確信するに至る。
(前提として、大学の法学部を卒業した程度の法律知識が必要です)

(2) 名誉毀損に詳しい弁護士に一部始終を相談して「それなら刑事上も民事上も問題がありません」と助言してもらうこと。もちろん、弁護士に報酬を払わねばなりません。また「市町村の無料法律相談」で扱うような案件ではありません。

のいずれかでなければ、「不動産取引でひどい目に遭っていて、これをブログなどで相手の会社名を出して公表する」のは止めた方が良いです。質問者様は、下手すると人生をメチャクチャにすることになります。

ここでの回答者は、私も含めて、質問者様が刑事上の罪を問われた場合、あるいは民事の損害賠償請求を受けた場合に責任を取ってくれません。こういうことは、自分で勉強するなり、専門家に報酬を払うなりして「自分でリスクを取って」やらないと大怪我しますよ。

(1) 質問者自身が、名誉毀損に関する法律書
例:
名誉毀損・信用毀損の法律相談
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31365996
を自ら読破し、内容を完全に理解して、「自分のやることが刑事上も民事上も問題がない」と確信するに至る。
(前提として、大学の法学部を卒業した程度の法律知識が必要です)

(2) 名誉毀損に詳しい弁護士に一部始終を相談して「それなら刑事上も民事上も問題がありません」と助言してもらうこと。もちろん、弁護士に報酬を払わねばなりません。また「市町村の無料法律相談」...続きを読む

Q論理の間違いを説明する文の内容が、理解できません。どなたかもっと簡単に説明してもらえませんか?

論理の間違いを説明する文

「大食いすべきかどうかを知るためには大食いしてみなければならず
 大食いしてはならぬかどうかを知るためにも大食いしてみなくてはならぬ。したがって、いずれにせよ、(ひとは)大食いしなくてはならぬ」

上記の文は、すべてを網羅していないのに、網羅したと考えて結論を導く間違いの単純な例ということです。

{AのためにはBをしなければならない。CのためにはBをしなければ
ならない。したがって、いずれにしてもBをしなければならない}が論理的に正しいためには、
「Aのため」と「Cのため」ですべての「~のため」を網羅していなければなりませんが、例文の場合では網羅されていないからです。←と説明されていました。

質問(1)
すべてを網羅しなければならない、とありますが上記、大食いの例文での「すべて」とは何を指すのでしょうか?

質問(2)
「Aのため」と「Cのため」ですべての「~のため」を網羅していなければなりません←この文の意味が理解できません。

では「Aのため」と「Cのため」ですべての「~のため」を網羅する、としたらいったいどうなるのでしょうか?

説明できる方は、ぜひ詳しく教えてくだされば嬉しいです。
よろしくお願いします。

論理の間違いを説明する文

「大食いすべきかどうかを知るためには大食いしてみなければならず
 大食いしてはならぬかどうかを知るためにも大食いしてみなくてはならぬ。したがって、いずれにせよ、(ひとは)大食いしなくてはならぬ」

上記の文は、すべてを網羅していないのに、網羅したと考えて結論を導く間違いの単純な例ということです。

{AのためにはBをしなければならない。CのためにはBをしなければ
ならない。したがって、いずれにしてもBをしなければならない}が論理的に正しいために...続きを読む

Aベストアンサー

#7です。
あくまで一素人の考えですが、
「大食いすべきかどうかを知るためには大食いしてみなければならず」
が正しいか否か、ということとはまた別の問題であるように思います。
これは#7でも触れたように、
「大食いすべきかどうかを【身をもって】知るためには大食いしてみなければならず」
と書くべきところのケアレスミスであろうと捉えます。

大食いすべきかどうかを知るためには大食いしてみなければならず
大食いしてはならぬかどうかを知るためにも大食いしてみなくてはならぬ。
したがって、
いずれにせよ、(ひとは)大食いしなくてはならぬ。

これを、次のような例に置き換えて考えてみました。

あの世があるかどうかを知るためには、死んでみなければならず、
あの世が無いかどうかを知るためにも、死んでみなければならない。
したがって、
いずれにせよ、(ひとは)死んでみなくてはならぬ。

この場合、
「あの世があるかどうかを知るため」と「あの世が無いかどうかを知るため」で、
『すべての「~のため」を網羅』していることになると思います。
「ある」と「無い」が正反対の意味であることが明白だからです。
「全ての色は赤であるか赤でないかのどちらかである」が正しい命題である(と思うのですが)、
と同じ理屈で、
「あの世はあるか無いかのどちらか」でしょうから。

しかし、

あの世があるかどうかを知るためには、死んでみなければならず、
あの世が【楽しいかどうかを知るため】にも、死んでみなければならない。
したがって、
いずれにせよ、(ひとは)死んでみなくてはならぬ。

という場合は、たとえば「あの世がつまらないかどうかを知るため」が考慮されていないことになります。
すべての「~のため」を網羅していません。
この論理では、たとえ死んでも、「(あの世が)つまらないかどうかを知ることができる」という保証はしていないわけです。
それであるのに、「いずれにせよ、(ひとは)死んでみなくてはならぬ。」
と言うのは筋が通りません。
は結論として偽だったことになります。
それで、論理的ではない文である、ということになるのだと思います。

これを論理的にするためには、

あの世がつまらないかどうかを知るためには、死んでみなければならず、
あの世が【つまらなくないかどうかを知るため】にも、死んでみなければならない。
したがって、
いずれにせよ、(ひとは)死んでみなくてはならぬ。

のように表現しなければならないでしょう。
 
 

#7です。
あくまで一素人の考えですが、
「大食いすべきかどうかを知るためには大食いしてみなければならず」
が正しいか否か、ということとはまた別の問題であるように思います。
これは#7でも触れたように、
「大食いすべきかどうかを【身をもって】知るためには大食いしてみなければならず」
と書くべきところのケアレスミスであろうと捉えます。

大食いすべきかどうかを知るためには大食いしてみなければならず
大食いしてはならぬかどうかを知るためにも大食いしてみなくてはならぬ。
したが...続きを読む

Q一般人のブログに、芸能人の写真と学生時代の秘話が・・・

好きな芸能人に関連するブログを検索したら、一般の人が書いているブログにたどり着きました。(ブログ主とその芸能人は別の高校だったけどよく遊んでいた関係だそうです)

読んでいたら過去の記事に、その芸能人の写真付きで「昔仲良かった人が芸能界にいます」「彼は夜中ガラスを割っていた」とか「未成年でタバコと飲酒はしょっちゅう」とか「女の子と布団の中で…」など、マスコミに知れたらまずいんのでは…という内容が書いてありました。

この場合、事務所がブログ主出来ることはどこまでですか?
そのブログが真実だとしたらどうなりますか?
そのブログが嘘だとしたらどうなりますか?

裁判になると芸能事務所は、所属タレントの活動・CM・TV出演でイメージ低下に繋がる恐れがあるから、黙認してしまうのでしょうか?
ちなみにそのブログをアメブロに通報したら記事は消された模様です。
(ブログ主「あれ~?記事が消えてる」と言っていました)

もしも週刊誌が「過去の飲酒発覚」をねつ造したら訴えられるんですかね~?

Aベストアンサー

どこの運営プロバイダ等でもそうですが、
こういった個人の誹謗中傷・名誉毀損問題が発生した場合は、
真実か嘘かを明らかにする方向よりも、
問題のログ自体を削除する事勿れ主義の方向に行くことが多いです。
情報の信憑性を独自に調査する事は難しいですからね。

これはマスゴミにもいえる事です。
ただマスゴミの場合は情報の信憑性を調査出来る立場にありながら、
ある特定の集団にとって不利益な情報は隠蔽します。
(日本の野党・アメリカの野党・在日朝鮮人・在日韓国人・パチンコ業界・新興宗教団体(とりわけ創価学会) etc.)

Q「真実」と「事実」の違い

「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、または理解を通して視られるものが『真実』である」

 と云う一文をどこかで見た覚えがあるのですが、このような、「実際に起こった事」と「それを理解・解釈する人間」と云ったような事象と受取手を分けて見るような考え方をした学者を教えていただけないでしょうか。また、参考資料なども合わせて提示していただけると助かります。

 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、または理解を通して視られるものが『真実』である」

これを見て思い出したのが、「修辞学」という学問です。
これは、簡単に言えば、よりうまく、説得力のある言葉の使い方研究する学問です。修辞学的世界観と哲学的世界観というものがあり、哲学的世界観とは、この世にはすべての事象に対して絶対的真実(真理)があることを前提に事象を研究します。しかし修辞学的世界観には、この世には絶対的真実はないということが前提になってます。
では真実とは?
それは周りに対して真実だと受け入れられたものが真実であるということなんだそうです。
ですので、最も重要になってくることは真実の追究、研究、ではなく、自分が真実だと思うことを、周りに対し演説し、真実であると評価されることに重点を置くのです。
哲学的世界観では、真実は真実ですので、周りに受け入れられなくても真実であることに変わりはありません。しかし修辞的世界観を持つものには受け入れられてこそ、初めて真実だと言えます。
だから、言葉のうまい使い方を研究するんですね。

かつてプラトンが修辞学に対してこう言ったそうです。
「真実を虚偽にし、虚偽を真実にしうるもの」
しかし修辞学において絶対的真実とは初めから存在しないのですから、別に虚偽を真実にしようとかいうこと事態おかしな話です。真実がなければ虚偽はないんですから。

この修辞学のことを英語でレトリック(rhetoric)といいます。

>「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、または理解を通して視られるものが『真実』である」

この一文は、修辞的世界観によるものに見えます。
真実に他者による理解が必要であるならばそれは、絶対的な真実ではなくどんな内容であっても他者の理解があれば真実になると言えますから・・・。

お力になれず申し訳ない。
修辞学やレトリックで検索すればそれ系の書籍をみることは出来ます。
しかし、質問者が探しているものかどうかの確証はありません。

>「実際に起こった事象『事実』に対して、それを個人、または集団の心理、または理解を通して視られるものが『真実』である」

これを見て思い出したのが、「修辞学」という学問です。
これは、簡単に言えば、よりうまく、説得力のある言葉の使い方研究する学問です。修辞学的世界観と哲学的世界観というものがあり、哲学的世界観とは、この世にはすべての事象に対して絶対的真実(真理)があることを前提に事象を研究します。しかし修辞学的世界観には、この世には絶対的真実はないということが前提になって...続きを読む

Q裁判経過などをホームページまたはブログに

裁判経過をホームページやブログに書き込んでいって興味のある方のみが見れるというのを 私がしてはいけないものでしょうか?
事実のみを書き込みますし 私の意見も書き込みます
そのことについて 厳しい意見もあるでしょうし真実だけを書き込んでいきます 真実というものはあくまでも私の主観になりますが おかしい所も教えていただけると思います
私の兄が戦っています 事実無根です 
確かに兄の甘い所もありました 強引なところもです
しかし 兄は会社が大好きで責任持った行動をしていましたし 上司に対しては尊敬もしていました
兄は会社を裏切るような行為は していません
ですが 懲戒解雇を受けました 兄には子供もいます
子供達に対して申し訳ないという気持ちと 間違ったことなどしていないということを 子供達に信じてもらいたいがため 必死に戦っています
そんな兄を見ていて 微力ではありますが助けたくそして相手側の矛盾を公開したいのです
もちろん私たちの主張も公開します 矛盾点が指摘されたら答えます 隠し事 ウソ 抽象的発言はなしです ありのままのドキュメンタリーです
私たちにも攻撃はあるのを覚悟した上でです
1 公開などした場合何か犯罪や処罰されるでしょうか?
2 公開はホームページ?ブログ?どちらがよいでしょうか?
3 ホームページのやり方 ブログのやり方を教えていただける会社 または本はどこがよいのでしょうか?

ものすごく悩んでいます 裁判所の判断にも疑問を感じています 兄は一人で戦っています もちろん弁護士さんと一緒にですが 相手は巨大組織です
嫌がらせなども頻繁にありました
巨大組織だから負けたのかとも思いましたが 真実は1つしかないと思い上告しました
兄の力になりたいのです
よろしくお願いします
地位保全の労働裁判です 懲戒解雇などひどすぎます

裁判経過をホームページやブログに書き込んでいって興味のある方のみが見れるというのを 私がしてはいけないものでしょうか?
事実のみを書き込みますし 私の意見も書き込みます
そのことについて 厳しい意見もあるでしょうし真実だけを書き込んでいきます 真実というものはあくまでも私の主観になりますが おかしい所も教えていただけると思います
私の兄が戦っています 事実無根です 
確かに兄の甘い所もありました 強引なところもです
しかし 兄は会社が大好きで責任持った行動をしていましたし...続きを読む

Aベストアンサー

基本的には裁判そのものが公開が原則で、誰でも傍聴する事ができます。
裁判をするという事自体が、公の場で是非を判断するという事ですから、報道にも見られるように、裁判の状況を公開しても、基本的には問題ないと思います。

ただ、報道にも一定のルールがあり、微罪については報道しない、氏名を公表しないなどの制限を自主的にかけているようです。

係争中の労働裁判もいくつか報道に載っていますので
(マクドナルド店長の残業代請求など)
記載する内容について、それなりに注意すれば大丈夫であろうと思います。
ただ、どこまで書いて良いかは弁護士に判断してもらう必要があると思います。
素人判断で好きなように書くと、業務妨害やら、名誉毀損やら、色々と問題になるでしょう。
ありのままのドキュメンタリーと書きながら、あなたの主観も、と言う点ですでに矛盾しています。
その程度のとらえ方では危険かと思います。

蛇足ながら、組織には組織で対抗すべきだと思いますけどね・・・

参考URL:http://www.zenroren.gr.jp/jp/soudan/index.html

基本的には裁判そのものが公開が原則で、誰でも傍聴する事ができます。
裁判をするという事自体が、公の場で是非を判断するという事ですから、報道にも見られるように、裁判の状況を公開しても、基本的には問題ないと思います。

ただ、報道にも一定のルールがあり、微罪については報道しない、氏名を公表しないなどの制限を自主的にかけているようです。

係争中の労働裁判もいくつか報道に載っていますので
(マクドナルド店長の残業代請求など)
記載する内容について、それなりに注意すれば大丈夫であ...続きを読む

Q「事実」と「真実」の違いは何でしょうか

 日本語を勉強中の中国人です。タイトル通りになりますが、「事実」と「真実」の違いは何でしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

「意味」としては同じと考えて良いと思います。

ただ、あえて、「事実」と「真実」というのを対比させる場合

事実:客観的な事実
真実:主観が入って、「本当だと認識している」ことがら「本当だと思い込んでいる」ことがら

という違いを含むことがあるようです。

なので、「事実は一つしかないが、あなたにとっての真実と私にとっての真実は異なる」というような言い回しになったりします。

Q【報道メディアの嘘と真実のビジネスモデルの限界】 一橋大学は嘘の報告をしているし、メディアもマス

【報道メディアの嘘と真実のビジネスモデルの限界】


一橋大学は嘘の報告をしているし、メディアもマスコミも事件を美談化して伝えるのは罪じゃないの?

いまどきは本人がメディアと同じ情報発信しているからSNSで報告書が正しいかすぐに分かるんだよ。

メディア、マスコミは一橋大学が言っていたからと嘘なのに嘘じゃない。一橋大学は学生本人がそう言っていたからと言えば嘘なのに嘘ではない。嘘を付いていた本人は死んでる。

嘘とわかっているのに嘘を聞いてそのまま伝えたら嘘は真実になる。真実が嘘で。嘘をそのまま流せば真実。

正社員の派遣社員は正社員だけど派遣社員で派遣社員だけど正社員となる。

世の中は嘘を検証せずに流せば真実になり、悪いのは嘘を伝えた伝えた本人が悪いのことになる。

メディア、マスコミは裏取りするので本人のブログは見ているはず。

発展途上国の現状を見る活動をするので休学するというのは嘘でただの観光旅行。1年間のバックパッカー。世界一周回ってるだけ。

それを知りながら一橋大学の嘘をそのまま伝えるのは罪深いのでは?

一橋大学は美談化。新聞も美談化。

それで週刊誌が真実を伝えるって報道メディアのマネーロンダリングはもう辞めるべきでは?

大学発表は嘘で、大手新聞社も美談化して嘘を流して週刊誌で儲けを回収する今の報道メディアの銭ゲバ市場は変えるべきだと思う。

新聞が本当のことを伝えずに美談化させて大衆受けというか大衆非難を受けないように当たり障りなく書いて、同系列の出版社から真実の週刊誌を売るっていうビジネスモデルどうなの?

【報道メディアの嘘と真実のビジネスモデルの限界】


一橋大学は嘘の報告をしているし、メディアもマスコミも事件を美談化して伝えるのは罪じゃないの?

いまどきは本人がメディアと同じ情報発信しているからSNSで報告書が正しいかすぐに分かるんだよ。

メディア、マスコミは一橋大学が言っていたからと嘘なのに嘘じゃない。一橋大学は学生本人がそう言っていたからと言えば嘘なのに嘘ではない。嘘を付いていた本人は死んでる。

嘘とわかっているのに嘘を聞いてそのまま伝えたら嘘は真実になる。真実が嘘で。...続きを読む

Aベストアンサー

1番信頼性が高いのは日本経済新聞と文春と新潮ですが正確度80%と思い読んでいます。SNSの問題点は発信者の個人的思想が入る事とチェックを誰がしているか問題です。思想誘導にはカルト教団、共産主義、ナシズムがあるので信頼度20%ですね。後は貴方しだです。

Q真実は人の手によって自在に捻くり回せますし、生きている限り真実は掴めないものだとも思います。

果たして真実とは何ぞや?
全ては偽りによって掻き消される。
偽り剥いでもまた偽り。

自分で自分の真実、正義を作り出す事は容易ですが、人の合わせる事も大切。しかし。甘っちょろく見られるのも嫌。浅はかだと謗られてもつまらないと言われても嫌。

1.「自分が悪くなくても一旦は自分が悪かったと相手に謝るように出来る事こそが大人である。自分中心である事はまだまだ子供だ。」
とは言いますが。

↑でももしかすると、2.「そのような "ハッタリ" に、いつまでも惑わされている方が、子供。」なのかも知れない。

1のような人間が「大人」だと褒められた例(ためし)があるか?
そりゃあ、幼稚園児ではないので「褒められなければ気が済まない。」と言いたい訳では決して無い。
世界の何処かで、ひょっとすればひょっとしする。所詮は1が生涯子供とされている事も在り得るのではないのか?
裏舞台は解らない。
だから「性格だけ良い人間は、頭だけ良い人間より損をしている。」

謙遜したかて、その人が気付いてくれるとも限らないし、尚且つ振り回される事にもなるかも知れない。
きっと神はいないのだから、一生のうちに報いが来るとも限らない。
人が平等であるとも限らない。
良い事をしても天からの褒美はないし、悪い事をした者にだってバチは当たらない。

もう一つ。
1で何ぞ、どないでしょう?
このままですと、無秩序な自然状態である「弱肉強食」と言う事に関する概念は何処へ行くのでしょうか?

複数質問を伴いますが、人によっては一つしか質問がない事もあり、逆に言えば無限に質問が存在する事もあるのではにでしょうか?
では御願いします。

果たして真実とは何ぞや?
全ては偽りによって掻き消される。
偽り剥いでもまた偽り。

自分で自分の真実、正義を作り出す事は容易ですが、人の合わせる事も大切。しかし。甘っちょろく見られるのも嫌。浅はかだと謗られてもつまらないと言われても嫌。

1.「自分が悪くなくても一旦は自分が悪かったと相手に謝るように出来る事こそが大人である。自分中心である事はまだまだ子供だ。」
とは言いますが。

↑でももしかすると、2.「そのような "ハッタリ" に、いつまでも惑わされている方が、子供。...続きを読む

Aベストアンサー

事実の信憑性やその価値よりも
それについて語る(ハッタリも含む)
そのパフォーマンスのうまさや、
いかに会話など折衝の場の
リードを取るか。
そこが主眼だと思います。

おとなとかこどもという判断も
その基準も、
そういうパワーゲームの中から見出すこと自体が
無意味で虚しいものだと思います。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報