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中学で歴史新聞をつくれという課題がでました。

それで新撰組についての新聞を作ろうと思っています。
1つは、池田屋事件について書こうと思っています。
でもそれだけでは、埋まりそうにないのでほかに何を書けばいいのか分からず、困っています。
ほかに何を書けばいいでしょうか?
新聞らしいものも書きたいと考えております。
よろしければ、アドバイスをお願いします。

池田屋事件についてわかりやすく説明されているサイトがあれば教えてください。

A 回答 (4件)

何県の方ですか?


東京多摩地方に近い方でしたら新選組同士の故郷日野市近辺探索したら幾らでもネタがてるんじゃないかな、生家もお墓も有るし資料館館も有るしでー殆どがあの辺の農民階級出身ですのでー。
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新撰組のことを、人殺し集団、、、と勘違いされてる方も多いのですが、



実際の新撰組は「捕縛」が主な仕事でそれほどこ人殺しはしてないそうです。

新撰組内部での殺しも数件ありますが、あれは、薩長の間諜(スパイ)だそうです。

戊辰の戦争の時は、「戦争」ですから、相手を殺さないとこちらが殺されますから

それは致し方ないでしょう。

「誠」に生きた人達、、、と言ったことを取り上げたらいいのでは?

隊旗は、何種類もあったそうです。

「誠」の字のほかにも、「誠忠」という隊旗もあったそうです。

新撰組のあの「ダンダラ羽織」は、麻製の夏用の羽織で、あまり品質も良くなかったので自然と誰も着なくなったそうです。

文久3年(1863)8月に記録された目撃例が最後だったそうです。

あの、袖に山形のダンダラ羽織は、一時期にしか着なかったそうです。

隊士の給料は、文久3年(1863)頃には、

局長が月に50両(500万)、副長が40両(400万)、沖田総司や永倉新八などの副長助勤が30両(300万)

平た隊士が10両(100万)だったそうです。

が、3年後の慶応2年(1866)では、

幹部隊士の月給は、10両(100万)、平隊士は2両(20万)になったそうです。


新撰組にもっとも多くの隊士がいたのは、慶応元年の148人です。

が、記録によっては、133人とする記録もあります。


後は、新撰組隊士の碑やお墓がどこにあるか、、、も、載せられたら面白いのではないでしょうか?
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新撰組は武闘派集団ばかりではなかった。


実は情報収集部隊があった。
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>ほかに何を書けばいいでしょうか?



新聞には、息抜き(ちょっと休憩)記事が必要ですよね。
1.新撰組の隊旗は、高島屋(現高島屋)が提供した。
1.新撰組の羽織は、大丸呉服店(現大丸)が提供した。
これだけでも、記事が埋まりますよね。
未だ、余白があれば・・・。
何故「大丸呉服店なの?」を、記事にすれば良いかと思います。
幕府の隠密・お庭番が各藩に潜入する時に、衣装を変えた(変装した)場所が各地の大丸呉服店なのです。
記事が埋まりそうですね。^^;

>池田屋事件についてわかりやすく説明されているサイトがあれば教えてください。

池田屋事件は有名ですから、HPを検索すれば嘘も真も多くがヒットします。
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