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これは日経新聞に連載されている小説に書かれている事ですが、日本の歴史書である「日本書紀」は当時の中国の王朝である、唐王朝の承認、検定を得て作られたものなのですか?

「日本の歴史書である「日本書紀」は当時の中」の質問画像

A 回答 (4件)

<411>の前の<399>と「ふりさけ見れば」副読本を読めば説明があるので、著者が当時の日本と唐の関係を、どのように考えていたかが理解できるはずです。



安部龍太郎「ふりさけ見れば」(399)
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOFG00016_R10 …
「ふりさけ見れば」副読本
https://www.nikkei.com/telling/DGXZTS00000240X20 …

特に「ふりさけ見れば」副読本の下記の記述を見ると、著者はこの時代の日本が唐の冊封国だったと考えています。

「この時代にはすでに『古事記』や『日本書紀』が編さんされていたが、日本は唐の冊封国(さくほうこく)になっていたので、唐の朝廷に史書の正しさを認めてもらわなければ正統を称することはできなかった。」

当時の「日本は唐の冊封国」という認識は日本の歴史研究者の間にはありません。事実誤認であり、この時代の日本は唐の冊封国ではありませんでした。冊封体制とは、中国の王朝が周辺国の統治者を臣下とした外交・秩序のことで、冊封を受けた冊封国は中国王朝の臣下になってしまいます。しかし、日本は乙巳の変後、645年に日本独自の元号である「大化」を初めて用い、以後、日本独自の元号を現代まで続けています。文中にある遣唐使を派遣した717年にしても「霊亀」という日本独自の元号を用いています。冊封を受けると属国になって中国の元号をそのまま使用することになるので、「大化」を用いた時点で日本は冊封体制の外にあることを表明しているわけです。尚、後の南北朝時代には南朝が、そして室町幕府が明の冊封を受けて「日本国王」を名乗っていますが、8世紀初めの日本は中国から冊封を受けておらず、対等の隣国関係を保持していたと言えます。

ですから、唐に日本書紀の正統性を認めて貰う必要などありません。この小説自体が、「当時の日本が唐の冊封国であった」というフィクションを前提として作られていて、遣唐使の目的や阿倍仲麻呂の行動などすべてが、その架空の背景に沿って説明されているようです。

日経新聞が、今の時期に、こうした媚中的な小説を連載しているのは、宏池会の親中国的伝統を受け継いでいる岸田内閣が成立し、従来より財界に根強くある親中国志向に迎合しているからでしょう。古代日本は中国の冊封国だったのだから、今も政治的には中国に逆らわずに経済利益を追求すべきだという方向に読者を心理的に誘導しようとする一種のプロパガンダ小説のような気がします。

著者の安部龍太郎は歴史小説を多数書いているようですが、経歴を見れば分かるように工業専門学校を卒業していて、歴史学についてアカデミックな場で専門的に学んだことはないようです。
安部龍太郎(ウィキぺディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E9%83%A8 …
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文中の「承認」をどう解釈するかと言う事のようですが、既にツッコミがあったように自国の歴史書を他国の検定を仰いで認めてもらうなんて属国であってもあり得ません。

恐らくは「これが日本の正史である」と中国に認めさせると言った意味なのではと思います。
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日本書紀は、二代に渡る中国人御用学者が、中国人が読めるように漢文に翻訳して仕上げられたものだ。


ただ、現存する日本書紀の最後は日本風の漢文であることが分かっている。中国人御用学者が死んでしまい、已む無く日本人の学者が漢文に仕上げたのだろう。

その小説の内容が真実なら、その日本人臭さが残っている部分の確認のためと思われるが、修正できていないのだから、修正に失敗したということか、或いは作家の単なる想像ということになるだろう。

いずれにしても、自国の史書を他国に承認を求めるなんて聞いたことがない。堂々とこれが我が国の歴史であり、史書だと渡したに決まっている。
だから、中国側も国名を「倭」から「日本」に変えた。

そもそも、日本書紀は、中国に「日本が中国に負けない歴史を持つ文明国」であることを認めさせ、対等外交を迫る目的で作成したものだ。

それなのに「承認」は良いとしても、「検定」を求めるはずがあるわけがない。
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何かと思ったら、ただの小説か・・信ずるに値せずw

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