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有名中学校の入試に合格するために塾に行かねばならないのならば、
小学校の授業で正しい学問を教えていないということなのでしょうか。
小学校の授業に欠陥があるから塾に行かなければ中学入試に合格出来ないのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

ある意味正解。



普通に文部科学省が設定している小学校教育過程を卒業するだけでも難しい子供もいます。
児童に十分な教育ができていないと言うことですからね。

私立中学の一部入試問題は小学校レベルではありませんので受験対策として塾での学習もありえます。
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小学校でどんな教育をしても,入学試験が選抜試験である限り不合格になる人がいることは避けられません。

つまり「小学校の授業で正しい学問を教えていない」などという結論は導けない。
「有名中学校の入試に合格するために塾に行かねばならない」というのも,必ずしも正しくない。塾など行かなくても有名中学校の入試に合格する人はします。
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近畿に住んでいます。



このあたりで一番は灘だと思いますが、灘中も灘高も教科書の範囲外から出題されます。

学校で勉強しないことが必ず出るので、塾ぐらいは行かないと対策の立てようがないです。

欠陥の有り無しではなく、レベルが違うと思いますがいかがでしょうか?
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 それは「公教育としての初等義務教育課程」と「お受験」では性質も異なるからとしか言いようがありません。


>学校の授業で正しい学問を教えていないということなのでしょうか
>小学校の授業に欠陥があるから塾に行かなければ中学入試に合格出来ないのでしょうか
 ここで「正しい学問」そして「欠陥」との表現は必ずしも正鵠を射ているとはいえません。公教育それも公立の小中高校は文科省による学習指導要領とのガイドラインが設けられていて、その範囲をそれぞれの課程で学習し、所定の課程を修了すればそれでオーケーとなりますが、有名中学それも私学に進学を希望するならば、その枠内での知識や学習では不足する部分もあります。
 殊に私学では「より資質の高い生徒」を集め、その後の進学率に反映させたいとの部分もありますので、必然的に独創的な出題傾向を持つとの結果にもなります。
 むしろ「その生徒の可能性を伸ばす」との意味合いからすれば、僕は学習塾に通わせることもアリだと考えます。賢い子どもと頭の良い子は本質的に異なり、賢い子は決して相手に対して上から目線で接しようとはしません。適当に頭の良い子やその親に限って、さして変わらない程度の違いに胡座をかくとの悪習がこの国ではありますので、そうした勘違いが最大の問題でしょう。

 尚、「正しい学問」とのご質問ですが、何が正しいのかは基準がありませんので、そうした質問をされることは慎まれた方がよろしいかと存じます。
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>小学校の授業で正しい学問を教えていないということなのでしょうか。


違います。
小学校は教えてはくれますが、個人単位で理解させてくれる、出来るようにしてくれる訳ではありません。

>小学校の授業に欠陥があるから塾に行かなければ中学入試に合格出来ないのでしょうか。
違います。
小学校の授業に欠陥がなくても有名中学の入試には合格できません。
仮に有名中学の入試が教科書の範囲からの出題だったとしても、
一方的に教えるだけの小学校の教育と
学校では育成しない応用力を持っている子供しか合格させるつもりのない
有名中学の入試問題のレベルには天地の差があります。

その差を補うのが「塾」なのですが、
いまや、その「塾生」同士で合否をしのぎ合っている状態ですから、
教科書範囲からの出題では優劣の差がつきません。
だから今は教科書外からの出題が公然と出されています。

一般的な小学校の教育レベルで太刀打ちできる状況ではありません。
ただ、保護者の潤沢な資金や強力なコネがあれば、
足りない点数を補う事が出来る学校もあるようです。

ごく稀に「一を教えれば十を理解する」子供がいますが、
そういう子が塾通い無しに有名中学の入試を突破する事があります。

その時点で、その子はまぎれもなく「神童」なのですが、
その才能が順調に育つ事は残念ながら滅多にありません。

これは日本だけではなく韓国でも起こっている現象です。
学歴至上主義の生み出した歪の内の一つなのでしょうが、
憂うべきことであると思います。
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 追記。


 「学校の授業」と「それ以外の教育機関」では目的も異なります。日本の現状からすれば、「さっさと次の段階に行ってくれ」と額面どおりの授業をしていればそれで済むのが「学校」。
 「目的を持って学童・学生自らが臨む」のが「それ以外の教育機関」です。より上のレベルで学ぶためには、それなりのテクニックも必要です。
 イヤな言葉ですが、塾や予備校を「必要悪」と僕はとらえてもいます。むろん、無能で遊び呆けるだけのバカ学生を有する大学はさっさと退場するのが先ずはスジですが。
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学校では正攻法を学びます。


塾では裏技を学びます。
確かに中学入試だと正攻法をまともに知らなくても、裏技が十分にあれば、そちらの方が有利かもしれませんね。
まぁ中学入試なんて、正攻法の力量では差がつかないので、裏技を試すようなもんでしょ。

ただ数学を例に挙げるのであれば、裏技しか知らないとそれを忘れた時点でアウトですが、正攻法を知っている人は、いわゆる“力技で解く”発想や技術があると思うので、大学入試以降社会人にかけても力になると思います。

結局のところ、“正しい学問”という観点では学校の方がそれに近いと思います。
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一応、ある程度レベルのたかい、進学塾を想定して回答します。

たとえば、毎年東大などに数人以上の合格者を出す中高一貫校あたりを目指す進学塾を想定します。
進学校の入試が教科書の範囲外から出題されると言う意見には賛同しかねます。教科書の範囲と言うのはいささか曖昧であり、上っ面を理解するのと、深い所まで極めるのとでは話が違います。結局、塾と学校では勉強の深度が違うということです。
つまり、物事を知っているということと、それを使って物事を考えるのとでは深度が違うんです。
なので、学問的な意味あいとしては、塾の方がまともに学問を教えていると思います。もちろん、ある程度テクニックとか裏技のような事も教えますが、それが中心ではありませんし、そのテクニックと言うのも、学問に対する深い理解から生じるものですので、無下に否定すべきではないと思います。

結局、義務教育の学校であれば、さまざま生徒がいます。学校で話を聞いただけではわからない生徒、そもそも話を聞かない生徒もいます。そういう生徒も含めて最低限の知識を与えようとするために、薄っぺらな話になってしまう事もあるでしょう。そういった内容では、優秀な生徒を伸ばし、能力を引き出す事は出来ません。しかし、個人の能力などに差がある以上、それで満足せざるを得ないでしょうね。欠陥があると言うのではなく、出来る事に限界があるってことです。塾と言うのはそういった制約なしに、生徒の能力を引き出す上での効果はあると思いますよ。

いずれにせよ、塾に通ったとしても、個人の才能と言うのは如何ともし難いです。たとえば、進学校に進ませたい親が子供を4年から塾に入れたとしても、才能がなければさほどの伸びは期待できません。上述のように、小手先のテクニックや裏技などで出来る事などたかが知れているからです。5年になって入ってきた才能のある生徒に3ヶ月で追い越される例など掃いて捨てるほどあります。それは、多くの場合、4年生から通っている生徒が怠けていたのが原因というわけではありません。難関校に合格するにはある程度の才能は必要です。
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「学校で習ったことだけを出題してしまうと合格点を超えた同点者が複数出てきて誰を落とせばいいのかわからなくなる。

だから、複雑な問題を出すのだ」と言っていた方がいました。ホントかどうかはわかりませんが。

うちの子が通う中高一貫校は「この学校に入学を希望した理由」をきちんと作文や面接で答えられる子が強いと評判だそうです。
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 作文も面接も「基礎学力の上」に成り立っている応用的な部分ですから、基本的な知識を問うだけでは難関校に合格することも叶わないのは当然の帰結です。


 試験官は「作文」や「面接」で、「受験者の持つ論理的構築能力」に裏付けられた総合的理解能力の有無を見ていることだけは確かです。
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