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昭和天皇が終戦後アメリカに処刑されていたらどうなっていましたか?

今の日本は大きく変わりましたか?

A 回答 (6件)

皇太子殿下が、即位して平成が早めにくるだけで、


大差なし\(^^;)...マァマァ

まー、昭和神宮ができ、靖国神社の昭和殉難者の筆頭で昭和天皇が合祀され、
はとバスが、毎日、参拝者つれて、東京観光の国際的人気スポットになるぐらいか?

過去、暗殺されたり、クーデターで殺されたり入水自殺した天皇も、いましたから。

※香典代わりに、進駐軍の工兵隊が、皇居にホワイトハウスばりの新宮殿立ててくれたりして。

現実に
昭和天皇がマッカーサーに、
「私を処刑する代わりに、日本国民を助けてください」と言ったら
マッカーサーが
「その、お言葉だけで十分です。」と言い、記念写真撮って、お開きになったとか\(^^;)...マァマァ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/25 13:42

もともと外交交渉で天皇制が維持される感触を得てのポツダム宣言受諾ですので、その後アメリカに騙し打ちで処刑されたらってことですよね?


となると日本全土でアメリカに対する抵抗運動が起きるでしょう。
アメリカに対して抵抗運動を起こすとなると中ソに支援を求めるでしょうから完全にベトナム戦争の構図です。

厭戦気分が起き3~7年でアメリカは撤退するでしょうが、そうなるとGHQのもと日本をソ連が支配ということになりますので、日本は東ドイツのようにソ連に管理された国となり、アジアは共産圏の手に完全に落ちます。
冷戦は太平洋をはさむ形になるのでしょう。
どうせ共産主義も天皇制を認めないので皇室制度は穏やかに廃止されるでしょう。

ドイツよりはるかに国力に劣りまた朝鮮特需も受けられず共産支配下での経済発展となると、日本の経済力は東欧の国々、例えばポーランド程度にしかならないでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/25 13:43

人心が乱れて統治に影響が出たでしょうから、やがて皇太子(平成天皇)を即位させたでしょうね。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/25 13:43

あちこちで反乱がおきて、たとえて言うなら日中戦争のゲリラ戦のようになったと思います。


それなりにまだ武器は残ってましたしね。
不意打ちでアメリカ軍から奪うこともできたでしょうし。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/25 13:44

#2同様「共産化」ですが、私の考えるストーリーは違います。


簡単に言えば、朝鮮戦争は起きず日本は共産化、または日本が分断国家になったでしょう。

まず共産化そのものを見たときに、最近ではネパールが共産主義毛沢東派が支持者を集め王政を廃止しています。その後、ネパールの内政は乱れに乱れ、ようやく最近連邦制の政府として再出発できるぐらいまで落ち着いてきたといえます。

いずれの国でも今までの制度が崩壊すると、それを新たに構築するのに時間がかかるわけです。

今の共産主義派は以前のようにバイタリティーもなくなり、ソ連の崩壊や中国の問題などもあるので支持者も昔のような夢を見ることはなくなりましたが、1945年当時はソ連が新興国として覇権を握ろうとしている時期であり、シベリアから南下した共産勢力が中国・朝鮮と侵食している時期でした。当然日本にも共産シンパは沢山おり、敗戦の年には共産党が復活し正当な党として認められています。

ですので、以下ストーリーとしては

日本はポツダム宣言受諾後敗戦を迎え、東京裁判に至った1946年の基礎は天皇も含まれ、3年の審理を尽くした上で、天皇も処刑された。

GHQとしてはその後皇太子を新天皇として即位させ、新憲法発布後に再独立させるつもりであったが、新憲法作りの手続きにおいて共産党および社会党の左派勢力によって遅延する事態が続くことになった。

同時に日本への関与を認められなかったソ連は空白地帯となった朝鮮に侵攻し、アメリカをはじめとする資本主義勢力と対決姿勢を強めはじめる。一旦アメリカと38度線で合意し停止したソ連は、日本の政治的不安に乗じて南下の意思を明確にし始め、また日本国内の左派も「天皇制がなくなった今、新日本の平時選択に共産主義がないのは不公平だ!」と反米反資本主義運動を開始する。
アメリカが日本の政治運動を強制的に排除しようとしている隙に、ソ連は38度線を越えて侵攻を始め、アメリカ軍との戦闘が起きる。

しかし、日本の左派の運動はますます大きくなり、アメリカは日本を大陸に対する橋頭堡どころかGHQの立場まであやしくなり始め、中国などの支援を受ける共産勢力側がついに日本海に到達し、同時に北海道に向かってソ連が包囲網を敷き始める。

アメリカはこのまま戦況が拡大するのを恐れソ連に「日本の復興への参加」を呼びかけ、ソ連はそれに応じつつ北海道に侵攻する。

ソ連や中国共産軍に朝鮮半島を、ソ連に北海道を抑えられてしまったアメリカ側は、38度線に変わる新しい停戦ラインをドイツに倣って北海道と本州の宗谷海峡で引くことを提案するが、ソ連側から北海道と九州の割譲を要求され、呑むことができなくなった。
そのため新たに軍事行動を起こしたソ連は北海道から本州に渡り、また朝鮮半島からは対馬を経て山陰側に兵力を輸送する目論見が明らかになってきた。

これを脅威に考えたアメリカは、東京をベルリン同様アメリカとソ連の共同統治とし、ほぼ東京を通過する36度線を停戦ラインとし、36度の南側である、埼玉県・千葉県・山梨県・岐阜県・福井県をアメリカ側それより以北をソ連側に渡し、日本海においては対馬を通る中間線を停戦ラインとして合意した。

これによりソ連は当初の目論見どおり日本海側から太平洋への通行権を確保し、アメリカと本格的な冷戦状態にはいっていくのである。

ついでに、いえば北日本には「新天皇」を称するファミリーが台頭し、36度線は21世紀になっても「冷戦の遺物」として残ることになるのである。この冷戦の遺構ツアーは36度線ツアー(DMZツアー)として人気があり、停戦合意後の話し合いの場所として旧皇居=旧江戸城の停戦合意ツアーが人気になる。

南日本は西ドイツ同様精密な工業製品を産出する国家になり、その目覚しい高度成長は新首都になった大坂の川になぞらえて「道頓堀の奇跡」とよばれるようになった。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/11/25 15:08

love_pet2さん、こんばんわ。



大きく変わっていったと思います。
戦後は本当の意味で植民地みたいになってしまったでしょう。そして、民主化もある意味日本的になったというより、韓国みたいにかなりアメリカナイズされてしまったと思います。政治体制は天皇制はないのだから、かっきりとした大統領制による共和政体になっていたともいます。たぶん英語がかなり公用語の位置を占めていたりするかもしれません。日本全国が沖縄みたいに基地だらけになっているかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

なるほど、#2さんとは対極に近いですね。

お礼日時:2013/11/26 09:19

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