アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

散々過去の質問でも言ってきましたが、私はアスペルガーです。

しかし軽度。でも軽度=かすり傷、というものではなく、普通でありながらアスペルガーという重病を患うみたいな感じだそうです。

軽度重度は医学的にはそんなことは言われてないというか、とりあえず判断として話すにはそういった言葉が用いられるそうで、実際は軽度重度とかいう言葉は使わないのが基本だそうですね。


しかし私はどう捉えればいいのでしょう。


医者曰く「アスペルガーは脳の成長が人よりも遅い、緩やかだが、しかし訓練次第では普通となる」そうなんですけども、だからなのか、調べてみればアスペルガーは「微妙な病気」とか言われてますね。まぁ、暴言なんですけども、普通の人よりも馬鹿というか、頭が悪いという感じなんでしょうね。でも、それって、個性と言われればお終いじゃないですか?

どう捉えればいいのでしょう? 一応、障害者認定は三級ですけども、でも三級って過去の解答でもありましたが、誰でも取れるってものらしいですね。


私としては、今のところ、自分は障害者である、という意識を持って過ごしていこうと思ってるのですが、しかし、他人からの「なんだ、そんな程度か。誰でもある個性だよ。そんな人どこでもいるから、気にしないよ」とか言われる扱いは、悔しいし、怖いし、苛立ちます。まぁ、気を使っての言葉だと思うのですが、でも引掛る言い方ですよね。

別に、そういった人は、軽く流すか、無視すればいいのですが、しかし私も腑に落ちません。アスペルガー軽度って、どう受け止めてればいいのでしょう?

微妙だとか軽度だとか三級だとか、なんか、誰もが軽く扱う感じな文字列ばかりなんで、容易く大丈夫だ気にするな、って言いたい気持ちは分かるのですが……

A 回答 (18件中1~10件)

アスペルガー症候群などの自閉症スペクトラム当事者の著作や言葉を紹介しているサイトがあるのですが、ここには、ご質問者に当てはまることが たくさん載っているのではないでしょうか。


当事者の言葉であっても、その特徴が全ての自閉症スペクトラムに当てはまる言葉ではないですが、共通することは多いと思います。

1)【紗央里の部屋】http://www.eonet.ne.jp/~saoriyuk/index.htm

ここで紹介されている言葉は本からの抜粋だったりするので、なかには直接 著作を当たった方が理解しやすいものもあると思いますが、他人に対して自分で上手く表現し切れないことは、こういった当事者の言葉を直接採用させてもらったり、更に自分で噛み砕いた表現に直したりするなどして伝えて行くことが可能だと思います。

サイトに載っている言葉は、自閉症スペクトラム当事者が自己分析して書いたものなので、ご質問者が自分自身に対して抱いていた感情や行動面の謎について解き明かしてくれる言葉も見つかると思います。
_________________

以下のリンクも上記の参考リンク1で紹介されているもので、紹介文はその引用になります。中には、ご質問者には該当しないものもあるかもしれませんが、こういったことで困って来たのではないかと思い、幾つか抜粋しました。

2)【自閉症の才能開発/テンプル・グランディン著】http://www.eonet.ne.jp/~saoriyuk/book/kaihatsu.pdf

<絵にして考える>
・ 自閉症者たちは、絵にして考えることのできないものを
  学習するのは難しい。
・ 自閉症児が最も簡単に覚えることができるのは、
  絵に直接結びつくような名詞である。

<フラストレーション>
・言われたことはわかるのに、どうしても言葉が出てこない。

<単一の感覚>
・ ドナウィリアムズは、一回に一つの感覚しか使えないことを説明している。
・ 視覚を使うと、聴覚を閉じてしまう

<恐怖>
・恐怖は動物世界では共通の感情である。
 なぜなら、恐怖は外敵を避ける強い動機をもたらすからである。
・恐怖は自閉症者にとっても支配的な感情である。
_____

3)【ずっと「普通」になりたかった/グニラ・ガーランド著 ニキ・リンコ訳】http://www.eonet.ne.jp/~saoriyuk/book/gunica.PDF

<必要に迫られて>
・私は、自分のやっていることが他人には変に見えたり、
 不快に見えたりするとは知らなかった。
 解っていたのはただ、自分が必要に迫られてやっていることだ
 というだけだった。

<ボディイメージ>
・一人ではしごを降りるなんて無理だった。
 自分の腕や脚力がどこにあるかという感覚もないのに、
 どうしてはしごなど降りることができるだろう。

<教室という環境>
・教室という場所自体、どこであろうと私にはあわなかった。
 私の耳には、先生がぺらぺらしゃべる声が背景となった。
 そのうえに雑多な音が重なってくる。
 紙をめくる乾いた音、椅子のきしむ音、誰かの咳。
 すべてが聞こえている。音と音とは重なり合い、とけあってしまう。

<他人の悪意>
・他の人たちには、たとえ自分ではそんなことをしないにせよ、
 他人の悪意というものが理解はできるし、
 気がつくこともできるらしい。
 そして、悪意のある人には用心しなくてはならない
 ということも知っているらしい。
 でも私にはそれが欠けていた。

<ちょっとそれ>
・「ちょっとそれ」という台詞を何百回聞いたところで、
 決して自動的に解るようにはならないのだ。
 いくら経験を積んでも、やはり毎回、
 意識的に解釈しなければならないことにかわりはない。

<シナリオのない芝居>
・「ふと気がつくと、そこは舞台の上。
  周りでは芝居が進行している。本番らしい。
  自分以外の全員が台詞を知っているだ。
  なのに自分一人が、台本を読んだこともなければ、
  自分が誰の役なのかも知らない。
  第一これがなんという物語なのかさえわからない。」

<障害児が健常児と育つ問題点>
・それは時に、二重の意味で屈辱的な経験になることがあります。
 一つは人と同じ事ができないのに、理由が解らないので、
 自分のせいだと思ってしまう屈辱。
 もう一つは、みんなとの能力の差を埋めようと
 せっかく自分で工夫したやり方を、不自然だ、ごまかしだ、
 卑怯だと思いこんでしまう屈辱です。
_________________

ご紹介したのは一部ですけれど、上記の参考リンク2と3にあるような言葉は単純に誰にでもあることではないし、経験したことのない人には解りにくい感覚だと思います。だからこそ克服するのに苦労を伴なうから、アスペルガー症候群は「自閉症スペクトラム障害」の中の一つの障害として捉えられているし、周りの理解が必要であり、自らの特徴について自らが理解し、周囲に説明しなくてはならないのが現状です。

一人で思い悩むよりも、当事者が書いた著作を読むなどして、「これは自分を言い当てた言葉だ」と思ったら、つぶさに書き留めて、自らを伝え表現する言葉として取り入れて行く、そういうことも自己と周囲の理解に繋がると思います。
別質問で自伝は辛いので書けないと仰っていましたが、「私の困っていること、周囲に理解を求めたいこと」というテーマで備忘録を書き留める分には心が傷つくということはないと思います。

むしろ、何を周囲に伝えたかったのか整理できて良いし、就労先などで書き留めたものに直接目を通してもらうことは、相手にとっても心の準備にもなるし、実際に問題となる場面に直面したとき、どう受け止めたら良いのか、どう対処したら良いのか、考慮する上でもとても助かると思います。
何も知らない状態と、予備知識があるのとないのとでは大違いですよね。


~余談になりますが、参考リンク3でご紹介している<教室という環境>にあるような聞こえ方はADHDにもある特徴で(※ADHDではそういう傾向が高いということが解ってきていますが、発達障害の現れ方は個人差がありますから、中にはそうではない人もいるかもしれません)、私は診断こそ受けてはいませんが、昔から音がそんな風に聞こえています。

通常の健康診断の聴力検査で異常と言われたことはありませんが、同窓会や結婚式などに参加すると、周りのみんなのようには一人一人の声を抽出して聞き取るようなことが出来ないので、大人数だと会話に参加したくとも話についていけないことがあります。
音声が混沌として洪水のように聞こえてしまうんですよね。

そのことを話すと、最初は首を傾げられたり驚かれたりしますが、その場に居合わせた人に限っては、折に触れて話すことで理解してもらえます。
そういう場にいると私には本当に聞き取れないのだから、相手も信じるよりないですよね。

こういうのは性格ではなくて、個人個人の音声処理機能の問題で、自分では雑音の中にいると環境不適応になるということだと思っています。~
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。
しかし、今、気分が落ち込んでいて、長い文字見ると、俺はあとどれくらいこれを見て理解したり考えたりしなくちゃいけないんだろうって、それほど俺は重症なんだって、というか俺にこんなに沢山覚えられないし、わからないだろうって、嫌になってきました。

何かあればまた補足で伝えます。ご回答有難うございました。

お礼日時:2014/02/17 21:38

No.16です、お礼をありがとうございます。


「誰だってある」の件、詳しく返答してくださって、ありがとうございます。
No.13で頂いたお礼をそのまま素直に読めば何も問題なかったのですが、
「あれ、そういえば私もそんなことを言ったような…」とスクロールして、No.11まで遡って探してしまいました。
書き文字の会話ではなく、口頭の会話だったらその場だけの会話ですから、素直に解釈できたのですが、文字記録が仇になってしまったというか…。お手間を掛けさせてしまい、すみませんでした。


>恐らく俺の感覚がずれてるんだと思います。ネットのほうが残りますね、記録。

ずれているということはないと思います。
パソコンの画面は明るいので脳が興奮しやすい分、眠気などが起きにくいですよね。
それで集中できた分、ご質問者の場合は記憶に残りやすいのではないでしょうか。

ただ、私は最初に読んだのが絵本と文庫本だったので、そちらに愛着を感じていた、これが大きいですね。
ネットで読むと文字がびっしり詰まって行間が無い分、作品が持つ本来の情緒が再現できにくいなぁ…と思えて。私の目は光刺激に弱いので、文字がぎっしり詰まっている分、余計にチカチカ…と見えてしまったんですよね。

と自己紹介みたいになってしまいましたが、軽く流してください。
________

本題のご質問に戻ります。
度々横レスになって申し訳ございませんが、ご質問者は、そちらで次のように応答していらっしゃいましたよね。
http://sanwa.okwave.jp/qa8417915.html

>国語を用いて何かをしろと言われましても、分かりません。いうならば、パソコンは読み込むことができても、記憶、計算、仮定想像をできない。ただ、読み込むだけで、残らない。と、いうような。

この表現を生かして、ご自分のことを次のように説明したらどうでしょうか。

「パソコンはどれも同じように見えても違います。それぞれが似て非なる物です。
私は、与えられた情報の読み込みと処理に苦労しています。
記憶、計算、仮定想像が上手く行かないこと、このことに障害を感じていて、周囲の期待に応えるには工夫をする努力を怠ってはならず、かつ、それが実りにくい…それが今の私なのです。
工夫の方法を考えること、これが容易ではなく、その方法をいつも模索しています。方法を共に考えていただくこと、その方法を活用できるように理解を深めていただくこと、それが私にとっては何よりもの助けになります。
私という人間について根気よく知っていただくこと、それが私が円滑なコミュニケーションをみなさんと取る為には、必要不可欠なのです。」


◇こちらは追伸で参考意見になります。

眼鏡を使った説明ですけれど、あれは、うちの子を見ていて思ったことなんです。
この子には、ちゃんとものを考える力も理解する力もあるけれど、頭の中に入っていることを文章にしたり、言葉にすることに苦労しているんだなって。
見えていないわけじゃないのに、それが表現できない。
話の本質は理解できても、微妙に逸れてしまう。
それはまさに、眼鏡が必要なのに、その眼鏡がなくて困っている状態なんだって。

親バカですが、私は主治医に
「この子は決して頭は悪くないし、意欲だってあるんです。でも、どんなに努力しても努力が結びつかなくて、いつも悲しい思いをしているんです。何度も何度も反復してやっと記憶して、その時は出来ても短期記憶が弱いので、折角覚えたことも日数をあければ忘れてしまいます。だから、どうしても眼鏡に変わるものが欲しいんです…」と、つい、話していて泣いてしまったんですよね。

本人が希望していた高校には、学力が足りなくて諦めざるを得なかった、その話をしていたら泣けて来て…。知能指数に、数字だけに拘るなら入れる学校なのに、記述が出来ないから、短期記憶が出来ないから、どうしてもそれが学力となって表れることがなかったのです。

そうしたら、主治医が「集中力を高めることができれば記憶の定着が進む」ということで、“コンサータ” を使った投薬治療を勧めてくださったんです。
コンサータには、その人その人で合う合わないがあり、副作用に苦しむ人もいますが、幸い子供にはそれがなく、学力の定着に繋がりました。
うちの子の場合、性格や物の受け取り方が極端に変わったということはないのですが、疲れにくくなったことで簡単に諦めにくくなったんです。
集中力が高まって失敗が減ったこと、これも自尊心の回復に役立ちました。

投薬で知能指数が上がる訳ではないけれど、障害がない状態に近づけることができる、本来持っている力を引き出せることができているといった感じなんです。
今までは関連したことで気を取られ、遠回りしがちだった思考が纏まりやすくなったことで、これまでに情報処理に要していたプロセスが短い手順で済むようになった…そんな感じです。

子供は今、投薬を初めて二年目です。
最低量から初めて、負担の掛からないように少しずつ量を増やして、必ず体調を伝えるようにして、夜、目が冴えて夜更かし気味なら減らして…と、微調整しながら続けています。

失敗が減ることで自尊心を回復させること、集中力を高めて社会的スキルを身に着けること、それが投薬治療の目的です。
「一度身に付いたスキルは投薬治療をやめても学習として記憶に残るので、自尊心が回復し、本人が薬が不要だと感じられるまでになったら、少しずつ減らして行きましょう。薬がなくても生活できる、それを最終目標にしましょう」と、そういうことなんです。

ただ、コンサータで落ち着きや集中力が出て、自分のことを客観視できるようになったことで、哲学的な思考に陥り自罰的になってしまい、自尊心が一時的に下がって厭世観が出てしまう方が中にはいるのです。
そうならないためには、本人だけの努力だけではなく周りの援助も大切です。

だから、コンサータは万能薬ではありませんが、薬と心の関係について知識がしっかりしている医師の下でな、かつ、整った環境下なら投薬治療もありかと思います。
昨年末からコンサータの投薬治療は成人でも受けることが可能になりました。
うちの子の場合は未経験ですが、似たような効果が期待できる薬にストラテラもあります。
もし、ご関心があれば主治医に相談なさってみてください。
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この回答へのお礼

追記ありがとうございます。

コンサータ、今度聞いてみます。

ていうか、厭世なんて、薬飲まずとも、しますよ。

普通が正しい、普通が自然であるっていう世界で、病気は結果として弱者となって、生き辛くなる。

今はA型の職場で働いております。障害者の職場です。私は欝や強迫で「誰でも取れる(あえて記述します。そういうこと、過去の質問で言われたので)」障碍者認定三級ですので、そこで暫くは働くこととなりました。

そこでは本を読み続けるだけ仕事をしてもいいんです。もちろん、働いている範囲なんで、お金も入ります。

本を読む。正確には読み続けること。それは、物事に対する集中力を養うため。仕事を数秒で放るなんて、やっちゃいけませんからね。色々と。それをできる限りに回避するためです。
だからそれも自分の訓練なんです。効果的らしいです。

それを健常者という余所者は遊びだサボりだ給料泥棒だと言いますね。

なんか記述するの苛立ちますんで、これ以上は言いませんが、しかし、あいつら、何も分かってないということに対して苛立っている部分だけ知っていただければ幸いです。

ね? 厭世的でしょ? そして哲学なんです、多分これも。 普通や異常に限らず、例え同種でも「αはβをαの一瞥だけではβの全部を知れる筈がない」。私はコンサータ飲まずとも、そんなものとか考えてしまうんで、もしかしたら、飲めるかもしれません。

普段から世界なんて嫌いですよ。僕自身も。

お礼日時:2014/01/09 09:58

>いや、もう要らないって突き放すんじゃなくて、どうぞご自由にってかんじです。



いえ、こちらこそ勝手に来ていたので。
でも、どうもありがとうございます。

では、お言葉に甘えて。
>誰だってあるって言葉は~私の文章力は誰だってできるもの、として言いたかったです。

裏を返せば「オンリーワンになりたい」と。
「ただのオンリーワンじゃなくて、突き抜けるような」ですね。
私も、そのことを言いたかったのだなと思ったのですが、いや、もう一方の方なのかなぁ?と…。それで、先の回答となりました。
別に当て付けとは思っていませんので、お気になさらずに。


>相手も、分かってくれてますんで、お互いには問題ないです。

仰る通りだと思います。
人付き合いはそれが基本(傍目には喧嘩に見えても、当事者同士が恨んだり腹を立てていないのならば、それで良し)だと思います。


>人間はそんな細かいルールまで守れるとは思えないし

でもネットだと、そこがリアルよりも私には難しい。
リアル社会で会話するときとは違って、観衆が多いでしょう。
だから、うーん…と考えてしまう。

ご返信を読んでいると、ネットで人目が気になってしまう私の方が気にし過ぎなのかな?って思いました。
匿名だからという気軽さはあるけれど、文字だといつまでも残るから、ネットの向こう側には、「この人、しつこいな~」だとか、「いい加減にしろよ!!」と、怒っている人がいるんだろうな…と、つい、想像してしまうんです。
いるっちゃあ、いるけど、気にしない人は気にしない、そういうものなんですけどね。
と、書いていて気が付きました、私は自意識過剰なんだって。
人と対話していると、自分が見えて来ますね。

ところで、遣り取りを重ねれば重ねるほど、自分で普通じゃないというご質問者が、私にはとても人に思えるのですよね。

それと、
>別質問では、ご質問者の言葉に傷ついたり、落ち込んだりがなかったといえば、全くの嘘になってしまいますけれど

などど私は書いていましたが、グサッというほどではなくて、「チクッ」ぐらいのものです。落ち込むというのは、ご質問者の問題ではなくて、「やっぱり、私は文章が下手だ…」と。強いて言うなら「神経逆なでするような文章しか私は書けないのか…知恵が足りないな」って、感じです。他罰的な表現になっていましたが、悪意はないので気にしないでください。


>いつまでも開いてるからっていって、解答を早くと催促はしてませんので、気にしないでください。

そういうスタンス大歓迎です。
いい加減なことを書いている気はないけれど、ネットの良さは時間を選べるところですよね。だから、あまりガチガチに気を遣うのは苦手なんです。
だから、どうもありがとうございます。

ぷらっと来て開いていたら、ふらっと立ち寄る。
そういうの良いですよね。
ご質問者もお好きな時に、お好きなタイミングで、
返信も閉じるのも、開けたままでいるのも、ご自分の意思でどうぞ。

***

おまけです。
本当はパソコンのブラウザではなくて、ちゃんと本で読んでいただきたいのですが…。
やはり、パソコンのブラウザの横長なチカチカする画面で読むよりも、本をめくりながら読んだ方が味わい深いです。

勝手なお薦めですが、私が思う綺麗で平易で解りやすい日本語文を書く、有名な作家さんの作品の参考リンクを貼っておきます。

「児童文学、侮れず!」です。
誰にでもわかる文章を書くこと、それが一番難しく、また、心に届く言葉なんだと思います。
余談ですが、『アイヌ神謡集』の著者、知里幸惠さんは、日本語とアイヌ語のネイティブスピーカーでバイリンガルだったのですが、バイリンガルの日本語話者には日本語が上手な人が多いと思います。

【手袋を買いに】http://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/637_1 …
【アイヌ神謡集】http://www.aozora.gr.jp/cards/001529/files/44909 …

 それでは。
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この回答へのお礼

恐らく俺の感覚がずれてるんだと思います。ネットのほうが残りますね、記録。

オンリーワンになりたい、そんな欲望はあるとおもいます。

でも、そこまで考えて記述してませんでした。無意識かもしれませんが。

自分は誰だってできるってレベルしかできないって、それだけ伝えたかったんです。

しかし、誰だってできる、誰だってあるって言葉は、別の使い方、投げかけられ方で苛つくんです。今回はそれじゃありません。めんどくさいですね。

本の紹介ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/07 20:52

>抽象的過ぎて。

纏まってなくて。回りくどくて。もっと言葉を操りなさいって。普通を求められる。

そうですか?
言葉を操ると、何を言っているのか解らない文章に陥りませんか。
自分が言葉に操られて、言葉が浮ついてしまっているような感じに。

ここのサイトには、すごく日本語が上手な外国の方が、日本語の文章表現について質問しているのを度々見掛けますが、本当に上手で、日本人が書いた哲学的な文章よりも、ずっと平易で解りやすいです。

日本人が日本語の文章を書くと変なプライドが働いて、賢そうに見せよう、含蓄のある言葉にしよう、そういう思考が働いて、却って意味が解らなくなってしまう、そういう現象が起こりやすいと思います。
ご質問者の仰るところの、頭に血が上って思考回路が暴走してる悪いおっさんな文章は、すごく解りやすかったです。
…心象風景とか、状況がみえるような文章が上手な文章だと思うんですけれどね。


>上手いなら、もっと会話できるはずだって

対面の会話が得意ではなくても、文字を使った会話ならちゃんと出来る。
それって、アスペルガーの特徴の一つに数えられているけれど、声に代わる言葉を文字で表現できるのなら、意思疎通ができていることになりませんか。
意思疎通ができるなら、これも会話じゃないですか。


>嫌な言葉です。「誰だってある」。

それってもしかして、私がNo.11の回答で抽象的な話題について書いた言葉ですか?
 ↓
“誰にでも得手不得手はありますので、あまり気に病まない方が良いですよ。”

でも、これは慰めじゃなくて、相手に合わせることを言ったのです。
「抽象的な会話を好む人、理解が深い人には語っても、それが嫌だという人には、その人の得意分野の話題をする。平易な言葉を使う」そういう意味です。

もしも、ご質問者が悩んでいるのが平易な日本語の表現だというのであれば、ユーザー名は挙げられませんが、国語のカテゴリーで日本語の文章表現について質問している、日本語がとても上手い外国の方の文章を探して読んでみてください(決して、当て付けや皮肉ではないです)。
並の日本人よりも洗練された平易で端的な表現で書かれています。
言葉を本当の意味で理解しているし、変に飾らないから、母国語じゃない日本語が上手なんだと思います。
そして、洗練された表現で書かれた質問だからか、集まる回答も洗練された平易な日本語文が多い印象を受けます。


>ここって自由に質問に回答を出すことができるんで、特に気にする必要ないんじゃないですか?

お気遣いありがとうございます。
話題が膨らんでくると、サポート基準から外れていると見做されることが多いので、この点が気掛かりでもあったのです。
最悪、「あなたたちがしていることは、質問と回答ではなくて議論やチャットです」と、サポートから通達が来ます。
解りやすく言うと、「見苦しいぞ、迷惑だぞ、いい加減にしなさい!!」と。
…利用者に対する遠慮だけではなく、サイトの運営者に対しての遠慮もあったのですよね。
暴言が無ければ基本的にOKなようですが、質問の主題を見据えてそこから外れるなというのがあるので、本当の会話(チャット)になってしまうと不味いという風潮がここにはありますね。

その辺(編集・削除)の基準がカテゴリーごとに微妙に違っていて、哲学やアンケートだと緩いように思えるのですが…しかし、こういうことを書くと雑談扱いされるので、もうこの辺でやめておきます。

追伸です。
少なくとも、これを含めた二つのご質問で交わした言葉は解り難いということはなかったし、理解できたと思っています。
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この回答へのお礼

誰だってあるって言葉は当てつけじゃないです。偶然です。

私の文章力は誰だってできるもの、として言いたかったです。

でも、誰だってあるって言葉に、嫌なイメージがありますが、この話の中では特に考えてませんでした。

こんなこと言ったら運営に怒られるかもれませんが、人間はそんな細かいルールまで守れるとは思えないし、現に、私のとある方への発言は暴力と捉えて消されるのですが、しかし消されるまでのタイムラグがあったおかげで、相手に意思を伝えることができました。相手も、分かってくれてますんで、お互いには問題ないです。勝手な意見ですけどね。

それに、一応ここ、メンタルヘルスなんで。病人が集まる場所といえば乱暴でしょうか? でも事実だと思います。そこに他意はありません。

だから、健常者が決めたルールなんて守れるかと言われれば、首傾げてください運営さん。

少なくとも、俺は常識なんて分からないから。守ろうと頑張ってるけど、言わなきゃいけないことはあるし、できないから病人なんですよ。消したければタイムラグ後に消してください。

ってスタンスでいます。

貴方は悪くないし、俺も悪くない。できるかぎり運営に悪くしないから、少し厄介なメンタルヘルス、それについて質疑応答させて下さい、で、いいんじゃないでしょうか。この質問も、新しい質問に流されて後ろのほうに押し詰められていってるんで、新規の方っていらっしゃらないんじゃないかと。だから他の人は気にしなくてもいいんじゃないかと。

外人さんの件、調べてみます。ありがとうございます。

一応、どこが終わりなのか、というか、終わりに行けるのかわからないんで、暫くこの質問は封鎖しません。多分、もう一方の人達も入ってくると思うんで。

ですから、貴方を待ってないです。いや、もう要らないって突き放すんじゃなくて、どうぞご自由にってかんじです。いつまでも開いてるからっていって、解答を早くと催促はしてませんので、気にしないでください。

お礼日時:2014/01/07 17:04

No.7です。



補足、お礼、ともに拝読しました。
ありがとうございます。

文字だけのやりとりでは自ずと限界がありますので、本来は、受診していらっしゃる医療機関の心理士の方や、発達障害者支援センターなどの心理士の方に、直接対面してご相談になった方が、質問者様の意図、お気持ちが良く伝わって、解決に向けた方向性も絞れてくると思います。

うつも煩っていらっしゃるとのことですから、なおさら、心理士などに直接ご相談になった方が、質問者様の状況や、悩みをより深く理解して、相談に乗っていただけると思います。
うつを煩っていらっしゃるというのは、おそらく、現在悩んでいらっしゃるところを巡って、なかなか思うように行かず、悩みが苦しみが募って、二次的にうつを発症なさったと思います。
この点も考慮に入れますと、こういう質問サイトで経験談をお読みになるのも参考になると思いますが、心理士など之専門家とのやりとりの中で、お考え、お気持ちの整理を図られる方がよろしいと思いますし、適切な解決が見いだせるような気がします。

その上で、敢えて、一言、二言。
まず、アスペルガー症候群などは、一時期、「軽度発達障害」という言い方が用いられたことがありましたが、今は、質問者様もお考えになっているように、「軽度=軽症」と捉えられることが多かったため、用いられなくなっています。
私自身も、この「軽度発達障害」という概念には問題が多いと思っていました。

日本では、アスペルガー症候群を含む、発達障害については、以前よりはよく知られるようになって来てはいますが、その理解は必ずしも正しいものばかりではありませんし、まだ限定的だともいえます。

ご質問文と、お礼、補足を拝読しますと、質問者様は、アスペルガー症候群という発達障害があるということと、それだけではなく、「私」を理解してもらうにはどのようにしたら良いかという点で、困っていらっしゃると読めます。

書き言葉だけでお伝えするのは、難しいところがありますが、アスペルガーも含んだ、質問者様ご自身の個性を理解してもらいたいとするならば、最初に十分にお話になること、and/or、対人関係、交友関係が深まる中で少しずつ理解していってもらうこと、というように、表現はよろしくありませんが、まさに健常者といわれる人同士が、互いを理解し、交友関係を深めるのと基本的に同じプロセスを踏んで行くことになるのではないかという気がします。
ただし、きちんと理解してもらうためには、そのプロセスを「健常者の場合」以上に丁寧に進める必要があると思います。

以上、あまりお役に立てませんが。
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この回答へのお礼

個人的には、こちらで質問して回答いただくほうが、中には「何だこれ」というような意見もありますが、しかし聞きやすさや参考にしやすさはこちらだと思っております。

先生もなんか、はぐらかしながら、遠まわしに、当たり障り無く発言してるような気がするんです。
いや、先生だからこそ、発言に気を使ってるんだと思いますが。

しかしまだ先生たちの質が悪い(言い方不適切ですいません)と断定できたわけではありません。だから、セカンドオピニオンのようなものは判断できないのです。今は、できるなりに、先生を理解しようとしています。

最初に十分お話になること、と言われましても、簡潔に要点だけ纏めて言えればおそらく「その程度」と捕らえれる危険性があり、じゃあ長く話せば「長い。纏めろ」と言われる始末だと思います。怖いですね。

じゃあ関係を深める中で徐々にとは言いましても、それは今までの私のやり方です。つまり「徐々にコイツは頭おかしいんじゃねぇの、迷惑すぎ」という段階への序破急なのです。

じゃあ健常者同士のやりとりって言われても、当然健常者も常識も病気や私という存在上分からないので、難しすぎです。


ええ、そうですね。貴方の言うとおり「じゃあどうしたいの?」でしょうね。

答えは「知らねぇよ」です。

すいません。勝手に妄想してしまいました。そういった経験が強く残ってるので、条件反射でその言葉には苛立ってしまいますので。

俺だって分かってるんだよって。どうしたらいいのかわからないこと。人からしてみれば駄々こねてるようにしか見えないこと。

健常者の場合以上、それは健常者にはくどいものであることがとても怖いです。

でもご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/07 13:45

No.12です。


一人だけ何度も連続投稿してしまうと、参加中の方々が応答し辛い雰囲気を作ってしまう、新たに参加したいと考えている方が参加し辛くなってしまう…それに、何度も何度も書くことは、一方的に私の考えを押し付けてしまう行為になってしまいやしないか?
だから区切りを付けよう、前回で終わらせようと考えたのですが、どうしても気になったことがあるので、再度です。

>アスペルガーの集中力も、常人にはあまり無い長所と呼ばれる技術の欠片も、今のところ見当たりません。
>でも私は喜べる結果ではないといえば、それは極論でしょうか。
>アスペルガーの集中力も、常人にはあまり無い長所と呼ばれる技術の欠片も、今のところ見当たりません。あっても、今のところ、皮肉にしかなりません。

どうして、こんなに文章が上手なのに、自分を卑下するのでしょうか?
言いたいことがビシビシ伝わって来るのに。

私は、ご質問者ではありませんから、全く同じ生き方はできないけれど、仰りたいことがすごく伝わって来る…
本質的な訴えが伝わってくるから、心が揺り動かされて、一生懸命に返答して来たんですよね。
「一生懸命な人には、こちらも一生懸命に言葉を返さなくちゃ」って。

こちらの直前に参加していた、別質問では、ご質問者の言葉に傷ついたり、落ち込んだりがなかったといえば、全くの嘘になってしまいますけれど、こんなに自分の心の中を正直に、激しく書ける人は そうはいないと思います。
雷に打たれたみたいな衝撃があって、すごくリアルなんですよね。
心から心へ真っ直ぐに届く、そんな感じです。

詩を読んだ時のような、筆の跡が荒々しく残った肉筆画を目の前にしたときのような、そんな生の感情が伝わって来て、ご質問者は、詩や絵を描いたら良いのに…見てみたいなって、本気で思いました。

荒ぶる心というか、叫びのような感情を表現するのが、あなたはとても優れています。
嘘じゃないです。正直に感じたことを書いています。
だから、自信を持ってください。

この回答への補足

ここって自由に質問に回答を出すことができるんで、特に気にする必要ないんじゃないですか?

って言えば、アスペルガーや俺っていう馬鹿だからそこらへんの常識分かってないんだと思いますが。

補足日時:2014/01/07 13:05
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この回答へのお礼

どうでしょうね。苛立ったから相手関係なく怒鳴り散らしただけのように思えます。頭に血が上って思考回路が暴走してる悪いおっさんな感じですね。

貴方を卑下するわけじゃないのですが、私の文章を上手いと思えたのは、それは素人だからだと思います。どんぐりの背比べでしょうか? 素人が素人を褒めるような。

これ、現役の学生とか先生に見せたら、それこそまったく違う反応が得られるでしょう。

抽象的過ぎて。纏まってなくて。回りくどくて。もっと言葉を操りなさいって。普通を求められる。


上手いなら、もっと会話できるはずだって、何度も言ってますよね。

結果は私です。結果は現実です。届かないんです、言葉。


素人の評価は一定です。貴方はその線引きが低いのでしょう。
その線さえ越えれば誰だって凄いのです。

嫌な言葉です。「誰だってある」。

私はその中の一人。井の中の蛙、大海を知らず。いや、知ってます。知ってて井戸に篭ってるんです。

俺の実力は評価するに値しない。誰でもできるんだ。

何度も言うが、できてるなら、もっと普通だったよ。

お礼日時:2014/01/07 12:46

何度もすみません、No.11です。

あと一回だけ投稿させてください。

>「私は眼鏡のない定型発達者に似ています。…」

最終段落のこの箇所を次のように訂正したいと思います。

「私は一見、全くの健常者に見えますが、物事について判断するとき脳の器質に問題があるので、ピント調整が上手く行きません。視力が弱い方は眼鏡を掛ければ全くの健常者として生活を送ることが出来ますが、私はその眼鏡に代わるわる物を探し求めている状況です。私にもピントが合えば出来ることがあります。しかし、その範囲が限られているので、ご希望に添いたくとも上手くできないことがあるのです。どうか、このことを ご理解願います。皆さんのご理解と援助が私には大変有難く、大きな心の支えとなります。」

 …参考意見です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/07 09:38

No.9、10です。

お礼をありがとうございます。

>抽象的な表現は平均かそれ以上の力があるらしいのですが

もとのご質問から外れてしまいますけれど、私は母親から「お前の話は抽象的で訳が分からない」とよく叱られました。
でも、他の家族や友人・知人、職場の関係者からはそんな風に指摘されたことはないし、ちゃんと話が通じていたので、深く気にしないことにしました。
抽象的な話が苦手だという人には、そういう話題は振らないというのもアリだと思ったので。
誰にでも得手不得手はありますので、あまり気に病まない方が良いですよ。

しかし私は、あまり接触する機会がない人と話をすると、回りくどいとか、説明口調だと指摘されることが結構あります。
面識のあまりない人と話す時には、話が伝わるのかどうか自信がないので、説明調で回りくどい表現になってしまうのです。
No.9も10も、しっかりくどい文章になってしまっていますもんね…。

抽象的にならないようにするのは、具体例を挙げて話すよりないと思いますけれど、話題が心に関するものであった場合、抽象的な話になってしまうのは仕方ないと思いますよ(心はそもそも抽象的なものですからね)。


>WISC-IIIというものは

詳しくは、こちらをご参照ください。
http://adhd.byoukinavi.net/wick3/
http://www1.iwate-ed.jp/tantou/tokusi/jissenhen/ …


>あ、WAIS-IIIでした。これは違うのかな?

違いについて、すごく簡単に説明しますと、どちらもウェクスラー式知能検と呼ばれるものですが、これには適用年齢があるのです。

上記の参考リンクには、
>WISC(児童生徒用,5歳~16歳11ヶ月,60分)
>WAIS(成人用,16歳~74歳,60~90分)
とあります。


WAIS-IIIに関してはリンク不要かと思いましたが、念のためこちらも載せておきますね。
http://www.nichibun.co.jp/kobetsu/kensa/wais3.html
https://www.pref.nagasaki.jp/shared/uploads/2013 …

詳しい違いが延べられず申し訳ないですが、検査内容に大きな違いはないように思います。


>しかしこれ、得意分野は悔しさあり悲しさありの結果なんで、その身内の方のようにすっきりとは行きませんでした。

うちの子の場合は、自分には人より優れたものは何一つないと思っていたので、実はそうではなかったことが何よりも嬉しかったんですよね。

…気を悪くなさったらすみません。
例えるのなら、「コップの水がこれしかないと悲しむのか、ああ、これだけあれば喉を潤すことができる」と考えるのか、その違いだと思います。
どちらが良いとか悪いとか、そういうことではなくてです…。
悪く言えば、うちの子は欲が足りないので、親からしてみれば、もっと意欲的になって欲しいと望んでしまいますが、しかし、どう生きるのかを選択するのは、あくまでも本人なのですよね。


>しかし、貴方の説明の仕方は、恐らく、その形を崩さずなんとか纏めれば説明できるかもしれません。

少しだけですが、縮めてみました。

「視力が弱い方が外から見れば全くの健常者であるように、私も傍から見れば、一見、何もかも健康で定型発達者と変わりなく見えます。

自分に合う眼鏡を掛ければ、それで全くの健常者として不都合なく日常生活を送ることが出来る方がいらっしゃる一方で、私にはその眼鏡がないのです。

私の障害は、脳の器質的な障害です。
五感のバランスが定型発達とは異なるので、ものごとの捉え方、感じ方も異なります。
定型発達者の方たちと限りなく近い感覚もあれば、まったく異なる感覚も持っているのです。

例えば、目が良い方は苦も無く一瞬にして、いま目の前に起きていることを鮮明に正確に見ることが出来ます。しかし、視力の弱い方が眼鏡無しでは、目を細めて懸命にピント合わせしようとしたり、対象に近づいて何度も確認しなければ正確に物が見えないのと同じように、私は物事を的確に理解することに困難な状況にいます。

努力をしていないのではなくて、私の脳に高度なピントを調整する機能が備わっていない。そう捉えていただきたいのです。
視力が弱い方が、目の前のリンゴの皮を剥いたり、ゴミ箱にごみを捨てることが出来ても、映画館で遠くの席から映画を見たり、運転するときには眼鏡が必要なのと同じです。私の脳は、ある分野は普通に出来ても、ある分野では上手く処理することが出来ないのです。

私は、皆さんのことを理解したいし、理解されたいと思っています。
しかしピントの調整が上手く行かないので、皆さんが望んでいることとは違う反応をしてしまうことがあるのです。
それは仕事にも言えます。やり遂げたくとも上手くできないことがあるのです。しかし、それは、決して悪意や怠け心からではないのです。

私の脳には、視力の弱い方が対象物を見誤ったり判断に時間が掛かるのと同じような不具合がある。どうか、このことを ご理解願います。
皆さんのご理解と援助が私には大変有難く、大きな心の支えとなります。」


これをもっと、短く言い切ってしまうと、

「私は眼鏡のない定型発達者に似ています。一見、全くの健常者に見えますが、物事について判断するとき脳の気質に問題があるのでピント調整が上手く行かないのです。近視や乱視がある方でも、眼鏡なしでやれる作業と眼鏡無くしては出来ない作業があるのと同じで、出来ることとできないことが複雑に混在しているのです。そのことをご理解いただければ幸いです。」
――こんな感じでどうでしょう。
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この回答へのお礼

追記ありがとうございます。
変な話ですが、アスペルガーの皮肉にも恩恵とされる特長、私には持ってないに等しい上で、しかし障害だけはでている、障害だけしか恩恵が悪い意味で具現化できない自分は、とても悲しいし、悔しいです。

だって、他の方の検査結果を見て、言語性のIQが130台とかすごい人もいて、でもその方も当然悩んでいたのですが、しかし、これも損得勘定という勝手な意見で、無いものねだりなのでしょうが、まだ凄いところがある、救いがあると思えてしまいました。貴方の身内の方も、自分や周囲が喜べる結果的に出た、ということは、喜ばしいですよね。

でも私は喜べる結果ではないといえば、それは極論でしょうか。

アスペルガーの集中力も、常人にはあまり無い長所と呼ばれる技術の欠片も、今のところ見当たりません。あっても、今のところ、皮肉にしかなりません。じゃあそれを真逆に動かせばいいとは思いますし、言うだろうと感じますが、不器用な私には難しいですし、できたとしても、恩恵には繋がるかどうか。

というか、別に、貴方の意見で傷ついたとかはありません。大丈夫です。
ただ思っただけです。自己嫌悪に等しいものですので、貴方が誘発したとか、そんなことはありません。でも、もしかしたらきっかけにはなったかもしれませんが、でもこれくらいなら相手の責任だとか言いません。言いたくないですし。

そして、再度纏めてくださってありがとうございます。下記のものなら、容易く言えそうですし、印刷して相手に見せれば、あんまり苦労なく読めそうですね。

お礼日時:2014/01/07 09:38

No.9です。

お礼をありがとうございます。

>私がこれ覚えられるか、そして披露できるかどうかが問題ですね。

もしも、気に入っていただけたのでしたら、下記の回答をもとに ご質問者が文章を作成して、就労先などで手渡して読んでいただくのはどうでしょうか。
(No.9での回答を読み返すと、文法的におかしかったり、不要な誤解を受けかねない箇所があったので、以下のように少しだけ手直ししました。)

**

「近視や乱視の人が外から見れば全くの健常者であるように、私も傍から見れば、一見、何もかも健康で定型発達者と変わりなく見えます。

近視や乱視がある人でも、自分に合う眼鏡を掛ければ、それで全くの健常者として不都合なく日常生活を送ることが出来ます。
でも、私にはその眼鏡がありません。

私の障害は、脳の器質的な障害です。
アスペルガーは五感のバランスが定型発達とは異なるので、ものごとの捉え方、感じ方も異なります。
定型発達者の人たちと限りなく近い感覚もあれば、まったく異なる感覚も持っているのです。

例えば、近視や乱視がない人は、苦も無く一瞬にして、いま目の前に起きていることを鮮明に正確に見ることが出来ます。しかし、近視や乱視がある人が眼鏡がなければ、目を細めて懸命にピント合わせしようとしたり、対象に近づいて何度も確認しなければ正確に物が見えないのと同じように、私は物事を的確に理解することに苦労しています。

努力をしていないのではなくて、私の脳に高度なピントを調整する機能が備わっていない。そう捉えていただきたいのです。
近視や乱視がある人でも、目の前のリンゴの皮を剥いたり、ゴミ箱にごみを捨てることが出来ても、映画館で遠くの席から映画を見たり、運転するときには眼鏡が必要なのと同じです。私の脳は、ある分野は普通に出来ても、ある分野では上手く処理することが出来ないのです。

私は、皆さんのことを理解したいし、理解されたいと思っています。
けれども、私の脳には優れたピント調整機能がないので、皆さんが望んでいることとは違う反応をしてしまうことがあるのです。
それは仕事にも言えます。やり遂げたくとも上手くできないことがあるのです。しかし、それは、決して悪意や怠け心からではないのです。

私の脳には、近視や乱視の人が対象物を見誤ったり判断に時間が掛かるのと同じような不具合がある。どうか、このことを ご理解願います。
眼鏡の代わりになる物を私は持っていません。だからこそ、皆さんのご理解と援助が私には大変有難く、大きな心の支えとなります。」

**

横レスになって大変申し訳ないですけれど、どういったことで困っているのか、それを具体的にさせる意味でも、先のご回答者が仰る検査(WAIS-III)が有効だと思います。
というのも、自分の得意分野が明確になることは自信に繋がるし、どの分野なら能力が発揮できるのか解るというとは、とても心強いことだからです。
(身内<ADHD・LDがあります>が検査を受けたのは小中学生時だったので、成人向けのWAIS-IIIではなく児童向けのWISC-IIIでしたが、得意分野がハッキリしたことで、何もかもに自信を無くしていた当人が一番スッキリしていました。)

既に検査を受けていたり、これから受けてみたいとお考えなら、検査結果を実生活で生かせられるよう、結果について具体的で的確な説明が出来る人(=検査を行った臨床心理士)から、直に話していただける機会が持てるよう医師に相談してください。というのも、検査の解析に関しての専門家は精神科医ではなく臨床心理士だからです。

今までは、引き受けられること引き受けられないことが解らずに、苦しんだことと思います。しかし、検査結果の解釈を教えていただくことで、ご質問者自身が自分の能力についての理解が進むので、周囲に的確に自分のことを伝えることが可能になると思います。


すみませんが、他に参加しているご質問の方は、仰りたいことはよく分るのですが、思想的な展開(個人個人の感じ方、考え方の問題)になってしまったので、何と返したらいいものか困惑しています…。
今の私に出来ることはここまでですが、陰ながら応援しています。

この回答への補足

あ、WAIS-IIIでした。これは違うのかな?

補足日時:2014/01/06 22:33
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この回答へのお礼

追記ありがとうございます。

WISC-IIIというものは、もしかしたらと思って資料を見てみたら、私が一昨年にやったやつのことですね。ロールシャッハとか、なんか、そんなことを小一時間はテストやりました。名前が一緒なんで、これじゃないかな?

しかしこれ、得意分野は悔しさあり悲しさありの結果なんで、その身内の方のようにすっきりとは行きませんでした。抽象的な表現は平均かそれ以上の力があるらしいのですが、私の過去の質問を見て頂ければわかると思いますが、それが仇となって、人に相談する際は回りくどいだ訳わからんだと言われてしまう始末なんです。

しかし、貴方の説明の仕方は、恐らく、その形を崩さずなんとか纏めれば説明できるかもしれません。資料として渡すこともいいですね。

ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2014/01/06 22:25

私がアスペルガーだったら、人にはこう説明します。



「近視や乱視の人が外から見れば、全くの健常者であるように、私も傍から見れば、一見、何もかも健康で定型発達者と変わりなく見えます。

近視や乱視がある人でも、自分に合う眼鏡を掛ければ、それで全くの健常者として、不都合なく、日常生活を送ることが出来ます。

でも、私にはその眼鏡がない。
私の障害は、脳の器質的な障害です。
アスペルガーは五感のバランスが定型発達者とは異なるので、ものごとの捉え方、感じ方が定型発達者とは異なります。
定型発達者の人たちと限りなく近い感覚もあれば、待ったく異なる感覚も持っているのです。

近視や乱視がない人は、苦も無く一瞬にして、いま目の前に起きていることが鮮明に正確に見ることが出来ます。しかし、近視や乱視がある人が眼鏡を掛けていなければ、目を細めて懸命にピントを合わせようとしたり、対象に近づいて何度も確認しなければ正確に物が見えないのと同じように、私は物事を的確に理解することに苦労しています。

努力をしていないのではなくて、私の脳に、高度なピントを調整する機能が備わっていない。そう捉えていただきたいのです。
軽い近視や乱視がある人でも、目の前のリンゴの皮を剥いたり、ゴミ箱にごみを捨てることが出来ても、映画館で映画を見たり、運転するときには眼鏡が必要なのと同じです。私の脳は、ある分野は普通に出来ても、ある分野ではうまく処理することが出来ないのです。

私は、皆さんのことを理解したくないと思っていません。
理解したいし、理解されたいとも思っています。
でも、私の脳には、優れたピント調整機能がないので、皆さんが望んでいることとは違う反応をしてしまうことがあります。
でも、それは決して悪意からではないのです。

仕事がうまくできないこともあります。
しかし、怠け心からではないのです。
私の脳は、近視や乱視の人が対象物を見誤ったり、判断に時間が掛かるのと同じ不具合がある。どうか、このことを、ご理解願います。
眼鏡の代わりになる物を私は持っていません、しかし、皆さんのご理解と援助が、眼鏡を持たない私には必要なのです」と。
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この回答へのお礼

私がこれ覚えられるか、そして披露できるかどうかが問題ですね。

でも、私でも成る程と理解できる内容でした。ありがとうございます。

お礼日時:2014/01/06 17:13

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