No.4ベストアンサー
- 回答日時:
面白いですね、他の皆様の回答も楽しみです。
私は偏狭ながら科学的な一面からやってみましょう。無ではない、てのは難しいですかね?
たとえば気体の状態方程式PV=nRTは実在の気体では成立しません。なぜならば実在する気体分子そのものの大きさや相互作用を、つまり気体そのものが無いと仮定した上での理論なので。
気体分子を点と考えたんでしょうか? 点は体積も面積も0ですから現実の世界では・・・素粒子でも体積は0じゃないでしょうから
無 と言う事になりますね。
存在は無ではない。何かが在る。
成る程ですね どうも大変ありがとうございます☆
No.21
- 回答日時:
こんにちは
E=mc^2という式は 光速を一定だと定義することにより成り立ちます
光は粒であり波であるけれども 人間には光速は一定に観えるということです
これは 観測により実証されています
私は 人間の認識が光に深く関係しているからであり 物質の運動は 時空の歪みと光速をかけたエネルギーだと思うからです
>私はエネルギーや物質の変化は時間を表してると思っています
変化しなければ時間も止まるからです。
地球の観測者とロケットにいる人が 光速は一定 約 秒速30万キロに観えるとすると
時空が歪んでいればE=mc^2の式は説明できます
例えば ブラックホールの中に吸い込まれるロケットにいる人の時間は進みます しかし
地球の観測者から観ると ロケットは止まっているように観えます
この現象は 時空の歪み(質量)によって説明できるのです
物質を動かすエネルギーと質量の関係は 人間にとって 光速が一定に観えるということを定義すればよいということです
私は 人間は光に深く関係しているので E=mc^2式は必要だと考えました
地球の時空の歪(質量)が人間を「存在」させていると考えています
模範解答をどうもありがとうございます。
ただ 現在の科学では時空の歪みと表現していますが、これは先どうなるか分かりません
科学も変わりますから
質量が人間を存在させている 僕は質量が人体を存在させていると思います。
勿論人体がなければ精神もないわけですが。
どうもありがとうござます。
No.20
- 回答日時:
「存在」というのは、世界の話ではなくて、言語の話ですよね。
世の中にはいろんな存在があると思うのですが、それを「存在」という言葉を通じて人間が理解しているという構造だと思います。
もし世の中の何かの事象の「存在」について考えるなら、その対象を限定して話をすすめないといけないと思います。
言語上の「存在」は、その対象を感知するかどうか、ということになると思います。
僕の積りとしては 世界に在る「存在」と呼ばれているものは
どういう概念で言葉を使ってるか。言葉だけじゃないし世界は関知しないとわからないから
そして我々は言葉を通さないと分かり合えないから 世界も言葉もひっくるめて
「存在」と言う概念がどの様に捉えられてるか知りたいのです。
世界の存在も認めてるということですね
どうもありがとございます。
No.19
- 回答日時:
おそらく、自身の存在は定義できないと思います。
(神が自身を定義できないのと同様)
よって、「存在」とは、“自身が知覚できる対象物”の事ではないでしょうか?
(もちろん、知覚できる範囲が狭いとそれだけ、存在が減るというのも理に適っていますからね。)
>「存在」とは、“自身が知覚できる対象物”の事ではないでしょうか?
僕はこれに共感できるんです。
>(もちろん、知覚できる範囲が狭いとそれだけ、存在が減るというのも理に適っていますからね。)
でもこれには共感できないんです。
分からないことって あるじゃないですか 当然ありますよね
ブラジルの何々さんが 今何を持って何を考えてるかとか
全部わかるはずないじゃないですか
でも色んなものが在るはずですよね。
「分からないものが沢山在る」と言う認識も必要だと思うんです
心得たと思うは心得ぬなり 心得ぬと思うは心得たるなり 蓮如
と言うように 分かっているものよりも分かってないものの方が多いという自覚が必要だと思うのです。
神はいずれ精神的なものとして定義できると思っています。
どうも大変ありがとうございます。
No.18
- 回答日時:
『物質としての存在は宇宙の意志の力なり。
客観としての万物の本質は心』・・・、と思ってみましたが、“定義”というものをよく理解しているわけではありません。
こう思ったのは、明治から大正にかけて活動された「山崎弁栄(べんねい)」というお坊さんの文章を読んでいたからです。
定義と云えるものになるのかどうか分かりません。でも関係がありそうなので、それこそ参考までにということでこのお坊さんの文章を書き写してみようと思います。
ちょっと長くて失礼かとは思いますが、内容が要約できる文章ではないので区切りのいいところまで丸写ししてみます。
法身一大観念態
吾人が現に写象する処の世界の天体の星宿より、乃至山河大地動植物等に至る迄の神羅万象の相と顕れてをる物と、また一方に外界の万象を写象する処の主観なる心との二面を為してをるが客観界の一切万象は主観の心がなければ写象することが出来ぬ。客観と認むる物と、また吾人の主観の心とは、それが一大根元がなくてはならぬ。此の根元を法身の一大観念と云ふ。
法身自体は主観客観の相対的でなく、之を統一する処の絶対的観念態である。夫(それ)が世界の相対的の方面には物象心象の二現象と為るも本質は同一観念態の相対的現象と云わざるべからず。故に此の一大観念も物心二象の本源なりと云ふことを得。
吾人の主観なる心も客観なる物象も本は同一法身の絶対観念態の分類現とす。故に此の物心二象の本質同一なりとの理を明かす為に四種の観を以てす。
今、華厳法界観の會色帰空観等の四観を物心即一観に転用せば、
(一)會色(物)帰心観
客観の万物の本質は心なのである。万象は主観の心に帰す。主観の心と客観の物象とは同一本質である。氷炭相容れざる如きもので無い。向ふに見ゆる山河大地等の物象は自己の観念が客観化して現じた相である。実は自己心の相を向ふに見てをるのである。
向ふの物夫れ自体は何であるかは、物の象と現はれたのは自己の観念の相である。若し自己の心が無ければ、外界の相は如何なる象相なるかは認識することが出来ぬ。故にすべて客観の相なるものは必ず主観の心に帰すべきものである。
(二)色心不二観
主観の心相と客観の色相とは実は本質一体である。但し衆生が相対の見地よりして内観を主観と云ひ外観を客観と見る。見よ自己が頭より脚下に至る迄外部より見れば全体物質のみである。然るに同一の自己を内観すれば全体精神である。故に物色と心象とは本来一体の両面より色と心とに相対的に観ておる故に、実は色心不二である。
(三)物心無礙観
客観の物の相と主観の心の象とは本同一本質の物なる故に、相互に礙(さ)へるものでない。吾人の観念は山河大地の内にも徹して碍(さまた)げず。試みに瞑想観念して観給(みたま)へ。吾人の観念は大地の中にも徹照して毫も妨げず。
されば吾人の観念中の万物とも云ひ万物内存の観念とも云ひ得らる。吾人の主観も法界に周偏して遺すことなく客観の万物も宇宙に偏在して余す所無し。然も相互に障碍せず。同質異現なり。之を物心無礙観と云ふ。
(四)物心無寄観
宇宙は本来絶対観念にて、宇宙自体は絶対にて主観とか客観とかの相対的のものに非ず。但し相対に規定せられたる衆生は客観の物象と主観の心象を見てをる。人間は自分から主観とか客観とか両面に分けて見てをるけれども絶対者自身より見れば、主観とも客観とも別々に分別して居らぬ。絶対である。之を物心無寄観と云ふ。
物質の触覚は絶対心の意志
客観の物象と主観の観念とは同一本質の相対現象なので、すべての物象も一大観念の客観的現象なることは已(すで)に会得せり。然るに物質には吾人の触覚と感ずる重量とか個形態とかの如き阻碍性を有して居る所より見れば、心は観念なれば客観も心なりとは会得し難し。
山河大地及び木石の如き触覚に感ずべき個形態を如何に心なりと云ふべきぞ。答へて曰く宇宙一大心霊に写象と意志との二属性を有す。意志とは心の力能である。例へば人に意力ありて力と為り堅固と為る如く、宇宙心霊の力能が客観現と為りて、吾人の触覚に感ずべき物質となる。
物質と心質とは同一本質の相対現象である。若し此の理に於いて能く了解し得ば、宇宙万有は悉く一大観念の相象にして、能観の心と所観の山河大地等の万象とは同質の反対現相にして、一切の触覚に感ずべき重力と個形態などは意志の力なりとす。
だいぶ長くなってしまいましたが、このあたりが区切りがいいように思います。
私には「存在」について語られているように思うのですが、どうでしょうか。
私 病気でなかなか読めなかったのですが
人間は(精神は)小宇宙とも言いますから
大宇宙と小宇宙は相関関係が在るのでしょう
まあ大宇宙がなければ小宇宙(精神)も無かったでしょうから
それが同じものとは言い切れませんが
人間の理性で宇宙の法則はかなり正確に捉えてるということでしょう
勿論分からない事もあるわけですが・・・
>然るに物質には吾人の触覚と感ずる重量とか個形態とかの如き阻碍性を有して居る所より見れば、心は観念なれば客観も心なりとは会得し難し。
と在りますが 最近の科学によって個形態も空気も物質に変わりはない事も分かってますし、客観も心であると私は思いますけどね。
この旧文語体の時代の特徴ある思想でしょう。
大変参考になりました どうもありがとうございます。
No.16
- 回答日時:
存在の定義は、2点の条件が当てはまればOKです。
1、名前が付いている。
2、その名前が周知されている。
その2点があるものは、「存在」の定義だと考えています。
今言っている「哲学では「存在」という言葉がよく出てきますが」と言いますが、その質問者さんの言う「存在」が何を指しているのかはさっぱり分かりません。
でも、「存在」と言う名前とその言葉は周知されていますので、その時点でOKです。問題はその「哲学で言う存在」が何を指しているのかは質問者さんしか分かりませんが、それはただの説明不足で難しい話ではありません。
サイエンス(科学)では物理や化学 生物学などに分かれていますが
一応それぞれの範疇の中では言葉の意味は統一されていると思います
尤も最先端では言葉の問題や分からない事の問題で言葉の意味が変わることはありますが
それに比して 哲学では その中で重要な「存在」という言葉すら 定義も出来ないくらい使い方は哲学者によって違うようです。
この現代「哲学は難しくて分からない」とほとんどの人が言います
哲学は金にならないから食って行けんからと 私も哲学科に行かせてもらえませんでした
ここで哲学が真理に対してもっと迫らなければ 哲学は無用の長物、暇人の趣味になってしまいます。
「存在」とは何か?を問うことでその人の哲学が分かるのです。
私も色々勉強になっています
どうも大変ありがとうございます。
No.15
- 回答日時:
>自分を映し出すものやことがら
>と言う事は 例えば様々な原子や分子、光や熱や音・・・
>に寄って自分が映し出されているということでしょうか?
>それとも「自分」という自我が映し出されているという事でしょうか?
原子、素粒子、光、熱、音などなど、あるいは、実体の伴わない物事まで、自分が知りえる感知しえるすべてからの反射が自分となります。真の存在とは唯一自分なのですが、単独では実体のないその自分を存在させている物事をいわゆる「存在」と呼んでいるのです。
したがって、「自分を映し出すものやことがら」がすべて存在となります。
また、自分であるか自我であるかは、映し出された物事からあなたのみが知るものです。なぜなら、あなたの「存在」はあなたにとって唯一無比であり、あなたがあなたを存在させているものなのですから。
>したがって、「自分を映し出すものやことがら」がすべて存在となります。
ここで認識できるものの確からしさから存在しているだろうという確からしさで 自分以外の多くのものも存在しているだろう
という考えが見られますね。私はここは大事だともいます。
哲学が存在していると認めるか否かで人間精神の在り様も変わってくると思うのです。それは倫理などにもつながるでしょう。
今までの哲学は「我」を基盤にし過ぎだと思います。
感覚的には我なんて 何万何億の中の一人です 私は。
60数億かどうかは分かりませんが 我をそんなに中心に置いていいものかどうか疑問です。
>あなたの「存在」はあなたにとって唯一無比であり、あなたがあなたを存在させているものなのですから。
これは分かるのですが 此れに拘り過ぎている感があるような気がします。
しかし正論の王道だと思います どうもありがとうございます。
No.14
- 回答日時:
こんばんは
>「存在」を定義
私は 物質の「変化の大きさ」が存在を決めている思います
人間の外観から来る変化が 人間の内観(思惟する)ことを促し 人間がどんなに自らの存在を疑っても そのことを思惟している自分は存在する
また 思惟することにより外観の変化を認識することができる とします
変化の大きさは エネルギーが大きければ 物質は大きく変化すると考えて E=mc^2 から
質量が大きければ 物質の変化も大きい
物質の「変化の大きさ」が存在を決めているするならば 質量すなわち 時空間の歪みの大きさが存在を決定するとなる
人間は 時空間の歪みが物質の変化をもたらし 人間の思惟を促すこととなって 自らの「存在」を認識している では?
補足 E=mc^2の式は、質量とエネルギーが等価であることを意味する。反応の前後で、全静止質量の和が Δm 減るならば、それに相当する Δmc2 のエネルギーが運動、熱、あるいは位置エネルギーに転化されることになる。
この説明の自信はありません 間違っていたらすみません(の´v`の)
物質の変化の大きさが、存在を決めている との事ですね。
外観が内観を引き出し その内観がその外観をも認識する?という感じでしょうか。
なるほど確かにその通りですねえ。
外観が内観を起こし その内観が外観を認識して存在と呼べる。存在が広く認識できる?
と言う事でしょうか
変化とのことですが 変化しない物はないと言うのは事実ですが
変化しないものが在っても 存在と認識しませんかね?
私はエネルギーや物質の変化は時間を表してると思っています
変化しなければ時間も止まるからです。
E=mc^2 はエネルギーが光速の二乗に比例することを表してますが
成る程エネルギーと質量は光の運動速度に関係があるという式ですねえ
勉強になります
どうも大変ありがとうございます☆
No.13
- 回答日時:
★(No.12補足欄) 自分は確かに存在すると言っても それはわれ思う、が故に我在り。
から来てるのでしょうか?☆ について考えるところを述べます。
わたしの回答(No.12)は 《考える・思う》といった経験思考(かつ感じるをふくめて)だけによっては 《人間が生きている存在》は なかなかつかめない。というものです。
ですから 《われ考える ゆえにわれ存在する》という見方は 狭くて言わばアタマの中の観念の世界であるに過ぎないと見るものです。
ぎゃくになってしまったと思いますので どうか誤解のなきようにと願います。
★(同上) 人間も存在するけれど 草や木だって存在している
☆ このような人間以外のものについては:
☆☆(回答No.12) わたしの捉えたもの――ものごと と言うべきかどうなのか――が 存在であるというように広がって行くのだと思います。
☆ という順序での取り扱い方をしました。
むろん 認識論としてなら 世界全体があるといったところから出発して 人間ないしワタシに帰着するような捉え方もあるのかと考えます。
ただしそれは けっきょくアタマの中の想像の世界として存在を把握したかたちであり やはり認識論に落ち着くものと思います。
生きていないサマだとは言いませんが 動態としての存在ではないように思われます。
もっともそのほうが・つまり認識論としての世界ないし存在の把握のほうが いわゆる客観的な見方であると人びとは思うことが多いと思われます。転倒しているのだと考えます。
認識における客観と 生きている存在としての主観かつ客観とは 後者のほうが 存在の定義としてふさわしいと考えます。
どうもすみません 読んでいたら(もっと客観的な)という考えが浮かんで 補足を書いてしまいました
あれは必ずしもbragelonne さんを批判したものではなくて
全体に補足したくなった という事ですので どうかご容赦くださいm(_ _)m
認識における客観って 理性的ではありますね。しかし生きている存在としての主観と客観の方が 存在と呼ぶにふさわしい。
つまり人間こそ存在であるという事にもなりますかね。
生きてる存在 と言うのは精神だけでなく体から来るものも
感情や本能も含めて存在なのだと 言う考えでしょうか?
存在の定義としては ふさわしい と言う事ですね
草木や地球が存在するより 人間の認識の始まりとしての
人間の主観かつ客観こそ存在としての定義は先だという事でしょうか
なるほどよく分かるように思います どうも大変ありがとうございます。
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