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日本国の由来や起源について教えてください。 

朝鮮説やつまらない回答は控えてください。
できれば詳しい回答をお願いします。
3行しか書かない人はここには書き込まないでください。

A 回答 (2件)

古来日本人は、日本列島が東アジアの東端に位置することは認識してきました。


「にほん」の呼称の前に「ひのもと」の呼称があったかと思われます。
日が昇るのは「ひむがし(東)から」 
一日は東から始まることを意識して、「ひのもと」を自称したと思われます。
「日の元」の「元」は「はじめ」とも訓読できます。
「本」は「元」に通じる所から 「日元」でなく「日本」の当て字と呼称が通用されることになったものかと解釈しています。
柿本人麻呂の苗字が、柿下でも柿元でも無く、柿本なのも、「もと」に対して、古くから元より本が多用されていた表れの一つかと思います。
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「日本」の表記が定着する以前、日本列島には、中国の王朝から「倭国・倭」


と称される国家があった。
『日本書紀』では日本の初代天皇の神武天皇は神日本磐余彦尊
(かむやまといわれひこのみこと)と言われ、饒速日命は「虚空見つ日本の国」と日本を呼んだ。
神話の部分では伊弉諾尊が日本の国名の原型である
「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま:本州の事)
を国生み神話で築いた事になっている。
古事記ではヤマトを倭で表す事が多く、日本書紀も時々倭の表現を使う。
『新羅本紀』では「670年、倭国が国号を日本と改めた」とされている。
「倭」と「日本」の関係について、『日本書紀』によれば、
「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、
漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、
やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変更し、
当初はこれを「ヤマト」と読んだとする。
『旧唐書』は、「倭国」と「日本国」を併記した上で、日本国は倭国の別種とし、
倭国が日本国に改名した可能性と元小国の日本が倭国を併合した可能性について記している。

「日本」という国号の表記が定着した時期は、7世紀後半から8世紀初頭までの間と考えられる。
この頃の東アジアは、618年に成立した唐が勢力を拡大し、
周辺諸国に強い影響を及ぼしていた。
斉明天皇は658年臣の阿倍比羅夫に、外国である粛慎(樺太)征伐を命じている。
663年の白村江の戦いでの倭国軍の敗戦により、唐は劉徳高や郭務悰、
司馬法聡らの使者を倭国に遣わし、唐と倭国の戦後処理を行っていく過程で、
倭国側には唐との対等関係を目指した律令国家に変革していく必要性が生じた。
これらの情勢を契機として、668年には天智天皇が日本で最初の律令である
近江朝廷之令(近江令)を制定した。
そして672年の壬申の乱を経て強い権力を握った天武天皇は、
天皇を中心とする体制の構築を更に進め、689年の飛鳥浄御原令から701年(大宝元年)の大宝律令の制定へと至る過程において国号の表記としての「日本」は誕生したと考えられる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC
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