親子におすすめの新型プラネタリウムとは?

一向一揆で対立していた事はよく聞きますが、その後どのように和解していったのでしょうか。

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A 回答 (6件)

こんにちは。

NO5で回答したfumkumです。お礼・補足ありがとうございます。もっと早く補足に回答すればよかったのですが、仕事の都合で遅くなりました。ごめんなさい。やっつけですが、わかる範囲で。

本願寺は血脈相承、専修寺は法灯相承と言われますが、専修寺も血統が何度か変わっていますが、血縁相続も多くなっています。
まず、二世上人の真仏は国香流平氏の椎尾氏の出自ですが、親鸞の高弟ともいうべき存在であり、親鸞の教えを広めるに功績のあった人物です。四世専空も同族の国香流平氏の大内氏の出自です。この両氏は親鸞の後援者でもあったので、ある意味後継となるのも当然ともいえます。さてそれ以降、四世専空の子息が五世定専、六世空仏として続きます。七世順証は四・五世の従兄弟。七世順証からは親から子という直系相続で十一世応真まで続きます。この内、十世真慧は、青年時代本願寺の蓮如と仲が良かったという話が残っています。
十二世堯慧は公卿の飛鳥井家の出自で、足利義晴の養子となった後に入室します。この血統が十三世堯真、十四世堯秀、十五世堯朝と直系相続します。
十五世堯朝の自刃で、公卿の花山院家から十六世堯円が入室し、十七世円猷が伏見宮家から、十八世円遵が有栖川宮家から、十九世円祥は同じく有栖川宮家から入室しますが、本当は摂関家の鷹司家の生まれです。二十世の円禧は十九世の子息ですが、一度有栖川宮家に養子に出ます。二十一世は摂関家の近衛家出身ですが、有栖川宮家に養子に出た後入室します。二十二世は二十一世の甥で近衛家出身で、そのまま入室します。
このように見ていくと、大内家の血統が途絶えた後、十二世堯慧を迎えたことは、寺格を上昇させ、天正二年(1574)の門跡(正式には准門跡)号勅許につながっていったと考えられます。十七世以降の宮家からの連続した入室、特に二十世のように実子でありながら宮家に一度養子に出た後入室している形式に、宗派のトップに皇族を戴くことの効果を見るような気がします。このような後継者のつくり方に、宗派の安定と保守的な傾向が覗えます。
横道にそれましたが、「高田派の本願寺化(血縁相続は何時からなのでしょうか)は和解のきっかけとしては十分な気もしていたのですが」とありますが、江戸時代中後期の上人の継承を見ると、伏見宮家・有栖川家・鷹司家・近衛家と移り、血縁相続とは言い難いのではないでしょうか。それよりは、養子入りを含め、宮家より上人を迎え、寺格の上昇・維持を図ったと考える方が良いのだと思います。門跡号の勅許によって本願寺と並び(浄土真宗五門跡の一つ)、宮門跡上人を戴くことにより、寺格をより上昇させようとしたのではないでしょうか。江戸時代には大名が江戸城での詰席・官位などによる家格の上昇に一喜一憂したことに似ているように思います。それは裏返せば、他宗派の門跡よりも少しでも寺格を上げたいという対抗意識にもなるのだと思います。
専修寺も四世~十一世までの大内氏、十二世から十五世までの飛鳥井(足利)氏の流れの方が、つまり江戸時代初期までの方が、より血縁相続と言えると思います。

さて、「寺領が削減されたのはどんなお寺だったのでしょうか。」とのことですが、これは、全国の寺院で、太閤検地によって起こったことを言っています。正確に言うと、江戸時代も断続的に検地が行われますが、江戸時代初期の検地も含まれます。公家・寺社領・荘園は、中世を通じて、武士による侵略・横領が行われ、蚕食されますが、太閤検地によりそれまでの権利が否定されることが多く、単一の土地に一領主・一作人の原則により、本所職・領家職・名主職・加地子名主職など重層的な権利関係が否定され、多くの寺領について削減の憂き目を見ます。また、寺領を没収されることもありました。これに関連して、下記に『福井県史』の一部のURLをコピーしましたが、その中で重要部分を下記の「 」内に引用します。
「太閤検地によって、越前・若狭の中世的寺社領はいったん没収されたが、有力寺社の屋敷地と若干の寺社領が検地の対象から除外されて免租地となった。このような土地を除地といい、寺社の特権として公認された。慶長三年段階の越前で屋敷地除地の特権を得たのは足羽郡の専照寺・寿岳院・心月寺、坂井郡の性海寺・滝谷寺、丹生郡の劒社・大谷寺・天王社、今立郡の長泉寺(西専坊)・水落神明社、大野郡の恵光寺、敦賀郡の西福寺などであった。また、北庄諸寺庵の屋敷地も検地のうえ地子免除とされた。その他の若干の寺院も徐々にではあるが、境内地・屋敷地除地の特権を獲得していった。」
一旦没収に近い処置をして、後に寄進の形で一部が還付されますが、それも以前とは比べようもないほどの狭い領地であり、寺院・僧侶の維持ができないところも多く、僧兵も最終的に姿を消す原因になったとされています。この様な寺社領への検地の対応は福井県(旧越前・若狭国)だけではなく、全国的な傾向です。

http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kensh …

以上、参考まで。

この回答への補足

本願寺化という言い方は間違っていたかもしれません。世襲かといったほうが正しいのでしょう。直接血の継続は末寺の方が先だったのでしょうか。そういった傾向の中で対立が解消していったように思ったものでしたが違うのでしょう。そうでないと曹洞宗の両本山の対立のように北陸でもっと対立関係が見えてきていいような気がします。

補足日時:2014/02/15 16:19
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この回答へのお礼

重ね重ね詳細なご教授ありがとうございます。
年だけ重ねて無知の知りたがりでつくずく馬鹿だとお思いでしょう。
懇切丁寧な説明あれがとうございます。

お礼日時:2014/02/15 15:46

こんにちは。


直接的な和解はなかったと思います。そのようなことをすれば宗派、特に真宗高田派にとって存続の危機にもなりかねない事態だった思います。明暦元年(1655)に南会津の九ケ寺帰参がありますが、まかり間違って下風に立つような和解をすれば、逆現象が起こりかねませんし、同じ浄土真宗だからこそより強い懸念があったと思います。その上、永正9年(1512)の中興と称されるほどの十世真慧の死去後、十一世応真と、後に越前熊坂専修寺に入る真智の継承争いが起こり、この決着がつく寛永十一年(1634)までの間、分裂・内紛が勃発し、教勢を弱めています。
さらに、初期の江戸幕府は強権的で、正保3年(1646)十五世堯朝は江戸に出府し、自刃に追い込まれています。峯の枝折と言われる事件で、引退した十四世堯秀が大僧正に任官した件で寛永21年(1644)幕府に叱責され、一年弱江戸抑留状態に置かれたことや、正保2年(1645)の一身田の専修寺の火災に関係するとも言われます。
ともかく、江戸初期は、どの仏教宗派も寺領も削減され、財政的にも厳しい状況に陥り、本願寺も東西に分裂した直後でもあり、他宗派との関係よりも、宗派内部の問題や、幕府との距離の取り方の問題の方に、関心が向けられていたのではないでしょうか。
寺請け制度・檀家制度が整備されると共に寺が幕府の出先機関化し、民衆管理の一翼を担い、世俗化し、信仰・教化が形骸化した反面、財政的には安定期を迎え、一揆の時代や戦国時代は過去のものになっていったのではないでしょうか。
和解状態に移行したきっかけは、安永3年(1774)に起こった「宗名一件」だと思います。下に公開されている研究論文のURLとウィキペディアのURLをコピーしておきましたので、詳細はお読みいただくとして、論文のP68に書いてある次の文が参考になると思います。
「蓮如時代の本願寺とそれ以外の真宗他宗派の対立、東西本願寺の分裂も、既に何世代も前の過去の事実となりこれらの協調体制も整い、必要に応じて浄土真宗連合ともいうべき形を取り得るようになっていたことから、この時期の請願に及んだのではなかろうかと思われる。」とあります。論文については現代法理が主線ですので、歴史の面で見ると、史実と合わない面もありますが、このような事件があったということが分かる資料です。
ご存じのように蓮如時代だけでなく、それ以降も本願寺と高田派は抗争し、三河一向一揆、越前一向一揆など敵味方に分かれて戦っていますし、協調体制も整いも疑問ですが、「既に何世代も前の過去の事実となり」ということはその通りであったのではないかと思います。さらに、問題が宗派の存立にも関する事柄でもあり、利害を共通しますので、真宗各派が結束しやすかったと思います。また、東西本願寺以外の各派にしても、一向宗の名称は本願寺・一揆との関連が強く、好ましい名称ではなかったこともあったと思います。
この論争は江戸時代には決着がつかず、明治になりますが、このことを通じて真宗各派が、大正時代の真宗各派協和会、現代の真宗教団連合の結成につながったのではないでしょうか。

専修寺の歩み
http://www.senjuji.or.jp/about/rekidai.php
寺請制度
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E8%AB%8B% …
檀家制度
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AA%80%E5%AE%B6% …
「宗名一件」論文
http://www.jpaa.or.jp/activity/publication/paten …
一向宗(宗名論争)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%90%91% …

以上、参考まで。

この回答への補足

江戸初期は、どの仏教宗派も寺領も削減され、財政的にも厳しい状況に陥り、本願寺も東西に分裂した直後でもあり、他宗派との関係よりも、宗派内部の問題や、幕府との距離の取り方の問題の方に、関心が向けられていたのではないでしょうか。
寺領が削減されたのはどんなお寺だったのでしょうか。戦後の農地解放で檀家の少ないお寺は壊滅的な影響が有ったことは有名ですが江戸初期の影響はどんなものだったのでしょうか。
曹洞宗や浄土宗は江戸期には相当多かったように思います。時宗は江戸時代に激減しています(戦国期のような気もしますが)。
高田派の本願寺化(血縁相続は何時からなのでしょうか)は和解のきっかけとしては十分な気もしていたのですが・・・

補足日時:2014/02/12 22:57
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この回答へのお礼

さまざまな情報ありがとうございます。高田派の寺院の本堂は本願寺派の本堂に似ています。(福井の寺院の場合です)高田派では、位牌を使うそうです。(本願寺派・大谷派では位牌は使用せず法名軸です。)
こんなことは、どうでもいいことです。ありがとうございます。

お礼日時:2014/02/12 23:22

具体的に戦った各寺院や門信徒をどのように説得していった



No2の方の回答通り「和解と言うより、江戸幕府側の宗教政策の結果」としか言いようがない。

対立の原因を考えるとわかりやすいかと。

なぜ高田派と本願寺派が争ったかというと、争う武装集団があったからです。
一向一揆の武装集団の中核が地侍であったことはよく語られます。
要は、地侍同士の土地争いの「旗」として高田派があったり、本願寺派があったわけです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%B2%B3% …
三河一向一揆で「中心勢力は、三河三ヶ寺と本宗寺および、桜井松平氏、大草松平氏、吉良氏、荒川氏といった反家康勢力である。」(以上引用)というのが、如実に示しています。
反家康勢力が結集した「旗」が一向宗の寺院だった。
日本史の上でアナロジカルに言えば、南北朝時代に一族内の争いや隣接勢力同士の争いで、片方が北朝側ならもう片方は対抗上南朝につくというようなものです。

兵農分離で武装集団が城下に集められ、大名から所領を安堵され反抗する理由もなくなれば、争いはなくなります。
さらに、農村でも、檀家制度や寺請制度によって、一村一宗派となります。(寺が一つですから)

http://www.archives.pref.fukui.jp/fukui/07/kensh …

「教義や宗論など宗門的なことよりもむしろ、座配争論や上寺との権力争いなど世俗的な事由によって改派する例が多かったようである。」
というように、中世のように直接武力闘争にならないのは、所領と関係ない話だからでしょう。
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石山合戦には一向宗門徒・真宗・本願寺勢力が一丸となって戦っています


顕如は「信長に反抗しない門徒は破門だ!」と呼びかけて宗派を超えた共闘を呼びかけています

本願寺がのちに東西に分かれた時
実は高田派が裏で色々画策したとか言う話もありますし
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>一向一揆で対立していた事はよく聞きます



永正一揆・大小一揆・三河一向一揆などで、真宗専修寺派は本願寺派と戦っていますよね。

>その後どのように和解していったのでしょうか。

和解と言うより、江戸幕府側の宗教政策の結果でしようね。
キリスト教禁止に伴って、寺院が「(実質的に)住民の戸籍管理」をしていましたからね。
実質的に「幕府に管理」されるので、表向き!対立どころではありません。
幕府としても、(飴と鞭で)巨大な宗教団体を押さえ込む必要があります。
明治維新で、国家神道・神仏分離令など仏教会は大荒れ!
真宗各派も、大荒れ。
真宗高田派となったのは、「明治14年」です。
同様に、本願寺(西本願寺)派から興正寺派が分派独立しています。
明治になっても、真宗各派間は内々的に問題を抱えていたままですね。
結局、大正12年に真宗各派で「仲良くしよう会」が誕生。
昭和45年になって「真宗教団連合憲章に各派調印」と、真宗10派が大同団結しました。

この回答への補足

教えて欲しいのは、トップの教義とかでなく具体的に戦った各寺院や門信徒をどのように説得していったのかが知りたいと思いました。教義の違いを別にしても法名軸と位牌等は使用方法は同じなのに何故違うのかとか。
蓮如上人の時代に高田派以外の真宗は本願寺に吸収されたと聞いています。東西に本願寺が別れた時に現在の真宗十派の芽があったように思っています。詳しくは知りませんが。ただ、高田派(真宗高田派という名前が明治十四年かもしれませんが、江戸時代にも高田派の寺院はあったと思います。三河の一向一揆では家康側に付いたのは高田派だったと思います。)がどんな風に和解していいたのか知らないのかなー。

補足日時:2014/02/11 01:36
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大谷派だって元々は真宗です


信長と戦うためには和解して共闘するのがベストと考えたんでしょう

この回答への補足

真宗大谷派ですから今も真宗です。ちなみに私真宗大谷派の門徒です。
信長と戦う為に和解したという史料か何かありますか。石山合戦に高田派が参加していたことは聞いていませんが?

補足日時:2014/02/11 01:47
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先日、母方の祖母が亡くなり、四十九日までの間、手伝いに行くことになりました。
伯父も伯母も、お寺関係のことは祖母に任せきりだったようで、作法というかマナーをあまり知らないようでした。
これでは、お寺さんに失礼だと思い、質問させていただくことにしました。

祖母の家は真宗大谷派、私の嫁ぎ先は浄土真宗本願寺派です。
まず気になったのは、伯父や伯母がお坊さんのことを「和尚さん」と呼んでいたことです。
本願寺派では、「ごいんげさん」と呼びますが、大谷派は「和尚さん」でいいのでしょか?

その他、大谷派の作法等で気をつける点があれば教えていただけますでしょうか?
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

私は、真宗大谷派に属する門徒です。

まず、お寺さんの呼び方ですが、地域により異なります。
なので、「何も知らなくてお恥ずかしいのですが、どのようにお呼びすれば良いか教えてください」と素直に聞くのが一番良いと思います。決して失礼なことではありません。
ちなみに私の地方では、ご住職(もしくは住職)と呼んでいます。

また作法・マナーについても、ご住職に聞かれるのが一番だと思います。
細かな点については一度では話しきれないかと思います。大谷派の場合は「お内仏のお給仕と心得」という入門書が本山(東本願寺)から出版されています。本願寺派の入門書も西本願寺から出版されています。ご住職によっては、作法・マナーを伺った時に手渡してくれるかも知れません。

しかし最低限のマナーはあります。それは寺に行くときは「念珠」を持参することです。寺に用意されている念珠は、あくまでも忘れた人のためのものです。

念珠の扱いについては、以下の点に注意してください。
・念珠は、念珠袋に入れていき、カバンやポケットに直接入れない。
・畳や床の上に念珠を直に置かない。
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念珠の形式は、八宗用念珠などの特別な形の念珠は用いません。
「片手念珠」(もしくは「略式念珠」)と呼ばれる念珠が、浄土真宗の正式な念珠です。(女性の場合に限っては、「八寸門徒」と呼ばれる浄土真宗専用の念珠がありますが、形見としてもらってない限り最初から持つ必要ありません。)

浄土真宗で大事な作法は、合掌礼拝・称名念仏です。
尊前で念珠を用いて合掌し、大谷派は「なむあみだぶつ」(「なんまんだぶつ」・「なんまんだぶ」とも称えます)、本願寺派は「なもあみだぶつ」と声に出すのが作法です。
最初は口を動かしているだけのような小さな声で構いません。(参考までに、適切な声の大きさは自分の耳に聞こえる大きさです。)

最後に「教えて!goo」などネットの情報は、浄土真宗の作法やマナーについてかなり間違えて回答されている方が多いので注意してください。

長文になってしまい大変失礼しました。

私は、真宗大谷派に属する門徒です。

まず、お寺さんの呼び方ですが、地域により異なります。
なので、「何も知らなくてお恥ずかしいのですが、どのようにお呼びすれば良いか教えてください」と素直に聞くのが一番良いと思います。決して失礼なことではありません。
ちなみに私の地方では、ご住職(もしくは住職)と呼んでいます。

また作法・マナーについても、ご住職に聞かれるのが一番だと思います。
細かな点については一度では話しきれないかと思います。大谷派の場合は「お内仏のお給仕と心得」という入門...続きを読む

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昨年秋、母が亡くなりました。
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自己紹介欄にあるように、浄土真宗の坊さんです(^○^)

>新盆にも当てはまるのでしょうか?

そのとおりです。お盆という行事は仏教のものではなく(他の仏教国にはそのような行事が無い)、中国経由で仏教が伝わる際に、シルクロードを通って伝わった他の宗教行事とミックスして、日本で独自に発展したもので、仏教の心を味わうには伝統的な意味で必要な行事でありますが、霊魂が帰ってくると言う考え方は仏教には無いので、浄土真宗ではそのような考え方につながるお盆での特別なことはいたしません。新盆でも...続きを読む

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仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会なんですが、最初は創価教育学会といいまして、
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仏壇に仏像がない理由ですが
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正統な日蓮系には偶像崇拝はないんですね。

仏教には大きく浄土系と法華経系があります。
簡単に説明すると(ちゃんと信心がある人には怒られそうですが)
浄土系というのは「南無阿弥陀仏」さえ唱えていれば救われるというものです。
法華経系にはさらに密教系、禅宗系、日蓮系があります。
この中でも、古参、新興ともに団体が多いのが日蓮系でなんですね。
浄土系に対抗して「妙法蓮華経」さえ唱えていれば救われるという
日蓮大聖人の教えに反しているんじゃないかと思われるものから
儒教と迎合したものまで種々雑多なんですね。

創価学会な...続きを読む

Q初盆の準備について教えてください

来週、母の初盆を迎えます。
父も私たち姉妹もはじめてのことで、何を準備すればよいか、流れなどわからなく、ぜひ教えてください。
宗派は真宗大谷派です。調べてみると何もしなくてよいとのことですが、現在以下を予定しています。
・ごく身内数人で、永代供養したお寺へのお参り
・その後、上記人数での会食。
・翌日、ご住職が読経にこられる(父・娘夫婦のみ参列)
以上です。

教えていただきたいのが・・・
◇仏壇周りの準備物
現在は仏壇一式と、小さな読経用の机のみです。
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(提灯は葬儀時に親類からお供えいただいたものが一対あります)
◇会食にこられる方へのお返し
「志」をお渡しすれば良いのでしょうか。
会食参加の方にはそれ自体がお返しになる、ともありましたがどちらが良いのでしょう・・・
◇私の主人の両親等から現金でお供えを頂きました。
「志」の品は、いつ渡せばよいのでしょうか。
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◇「志」の品はどんなものが良いのでしょうか。
※主人の実家からは5000円を預っています。

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いろはの「い」からの質問ばかりでお恥ずかしいのですが、アドバイスを宜しくお願いします。

来週、母の初盆を迎えます。
父も私たち姉妹もはじめてのことで、何を準備すればよいか、流れなどわからなく、ぜひ教えてください。
宗派は真宗大谷派です。調べてみると何もしなくてよいとのことですが、現在以下を予定しています。
・ごく身内数人で、永代供養したお寺へのお参り
・その後、上記人数での会食。
・翌日、ご住職が読経にこられる(父・娘夫婦のみ参列)
以上です。

教えていただきたいのが・・・
◇仏壇周りの準備物
現在は仏壇一式と、小さな読経用の机のみです。
調べてみると、お迎...続きを読む

Aベストアンサー

真宗僧侶です。No1さんが紹介のHP管理者もよ~く知っています(^o^)
「何もしてはいけない」のではありません。ニュアンスが違います。排他的に行ってはいけないのではなく、行うことが必要がない(亡き人にプラスにもマイナスにもならない)ので行う必要がないのです。初盆、新盆もありますが、特別な形、特別な意味合いでの初盆、新盆があるのではないということです。
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精霊棚は設けない。
先祖の“霊”に供物をささげるのではなく、ご本尊の阿弥陀如来さまに供える。
棚経という言い方もしない。

浄土真宗では、一般の法要と同じように、菓子、果物といった供物を仏前にお供えし、前卓には打敷を敷けばよろしいでしょう。
自らが深く仏法に帰依して、限りなき仏さまのおはたらきを仰いでゆくということが中心になります。言い換えれば、ご先祖のご恩に報いる道は私自身がお念仏を慶ぶ身となることです。ご先祖への報恩の思いから仏法を聞かせていただき、阿弥陀如来のお力によって救われていく身の幸せを慶ぶのがお盆です。
いつでもどこにでもいらっしゃるのが仏さまですから「さあこい。さあ帰れ」ではおかしいのです。
昔の故事から発せられた、仏教習慣と心得、亡き人を縁として自分と仏教を考える日としてください。
お盆と言えば、いわゆる“先祖供養”と考え、しかも“特定の先祖のために”供養するもののように思いがちです。しかし、特定の先祖を追慕するにしても、そのお心を仰げば仰ぐほど、数限りないご先祖によってこの私のいのちが恵まれたことを慶び、仏法を依り所に力強い人生を歩むことの大切さを思い知らされます。したがって「先祖のために供養する」というのではなく、ましてや、先祖が戻って
くる“日”にこだわる必要はありません。先祖が戻ってくる“日”があるのではない。先祖への感謝と仏法を慶ぶ週間としてください。
ご先祖が行ったり帰ったりという考え方は本来仏教にはありません。(迎え火、送り火は、イラン・イラクの習慣がシルクロードを通って中国に渡り、仏教と共に日本に伝わっただけで、仏教とは関係有りませんし、仏教本来の習慣でも考え方でもありません。)
出来るだけ、お寺のお盆法要に出席され、法話をご聴聞ください。(これが一番真宗門徒らしい行動です)
浄土真宗でも日本中ほとんどの地域では、上記の考え方にたちながら、地場の産業の関係でさまざまな飾り付けが加わることもありますが、それぞれの寺院で報恩感謝のお盆の行事をお勤めさせていただいております。お盆は、地場産業などとのかかわりから、仏教や真宗の教えとは関係なく、地方独自のものもございます。それは、習慣・習俗と受け止めてください。ただし、み教えに反することとなるようなことは避けたいと思います。
初盆、新盆の場合には、出欠を取って出席者を確定させていると思います。したがって人数がぶれることは無いと思われます。法要の記念品としての「志」の品は、地域性や親族間での習慣で、用意される場合とされないケースがありますので顔ぶれを頭に描きながらご親族で相談するしかありません。

真宗僧侶です。No1さんが紹介のHP管理者もよ~く知っています(^o^)
「何もしてはいけない」のではありません。ニュアンスが違います。排他的に行ってはいけないのではなく、行うことが必要がない(亡き人にプラスにもマイナスにもならない)ので行う必要がないのです。初盆、新盆もありますが、特別な形、特別な意味合いでの初盆、新盆があるのではないということです。
<ポイント>
飾りつけは、日常と同じが原則。(丁寧に行うなら、年回法要と同様程度に)
新盆だからといって灯篭や灯籠など他宗で用いる...続きを読む

Q真宗大谷派の位牌について

私は29歳の女性です。
先日一緒に住んでいた祖母が亡くなりました。来週祖母の35日の法要があります。
そこで教えていただきたいことがあります。

お葬式の時に葬儀会社さんが位牌を用意してくださいました。
大小二つの位牌が家にあります。今は小さい方を仏壇に置いてあり、大きい方はしまってあります。
三七日の法要の時に、お坊さんが「真宗大谷派には位牌はありません」とおっしゃいました。
ではこの二つの位牌はどうしたらよいのでしょうか?
お仏壇のことは祖母がすべてしてくれていたので、さっぱりわかりません。

いろいろと調べてみたのですが、真宗大谷派では法名軸か過去帳を使うようですね。
祖母は過去帳を使っていたようです。(祖母の法名はまだ過去帳に記帳されていません。)

叔母さん(祖母の娘になります)が「ほら言ったのに!!どっか片付けなさい」とすごい勢いです。
なので、次におばさんが来るまでに正しい知識を知っておきたいのです。
私個人の無知な考えでは、位牌を隠してしまうとなんだかさみしいし、35日の法要までそのままにしておいて、お寺さんに持って帰っていただくのがいいような気がします。
隠すとしても何に包むの?とか、置く場所は?とかずっと隠しておくの?とか、方法がわかりません。

ちなみに葬儀は葬儀会館で、その他のお通夜や法要はすべて自宅でしています。
お骨はお墓を家族墓に変えるので、一周忌まで仏壇においておきます。

質問は下記の3つです。
1.今ある位牌はどうしたらいいですか?
2.過去帳にはいつ・誰が(お坊さん?)祖母の法名を記帳するんでしょうか?
3.仏間にかけてある遺影とは別に、小さい遺影も用意してくださいましたが、この小さい遺影は今は仏壇にあるのですが、今後どうしたらいいのでしょう?

知識不足のため、不適切な言葉などあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

私は29歳の女性です。
先日一緒に住んでいた祖母が亡くなりました。来週祖母の35日の法要があります。
そこで教えていただきたいことがあります。

お葬式の時に葬儀会社さんが位牌を用意してくださいました。
大小二つの位牌が家にあります。今は小さい方を仏壇に置いてあり、大きい方はしまってあります。
三七日の法要の時に、お坊さんが「真宗大谷派には位牌はありません」とおっしゃいました。
ではこの二つの位牌はどうしたらよいのでしょうか?
お仏壇のことは祖母がすべてしてくれていたので...続きを読む

Aベストアンサー

坊さん@浄土真宗です。
> お葬式の時に葬儀会社さんが位牌を用意してくださいました。
> 大小二つの位牌が家にあります。
白木のですね。これは位牌の形状をした法名を書く名札としての意味合いで、通夜葬儀に限り用いることが多いです。いわゆる仏壇の位牌とは意味が異なります。
大小二つのということですと、野位牌を用いる習慣の地域なのでしょうが、納骨が先ですので不要となりますね。

> 今は小さい方を仏壇に置いてあり、大きい方はしまってあります。
それは仏壇に置くものではありません。
早めに過去帳に転記するか、お寺さんに法名軸を依頼してください。
通夜葬儀の際の白木の位牌は49日で納骨する方はそのとき持参し、納骨が終わって処分しますが、納骨が先なので、2つとも処分しても良いですし、そうしなければ・・・遺骨の安置形態でも異なりますが遺骨の前に名札として1本だけ残し、納骨の際に処分でも良いです。

過去帳への転記はご自身でもかまいません。寺で頼まれて行うところもありますし、最近の小さい過去帳は特殊なインクを用いないとにじむので仏具店に依頼することもありますので、仏具店に記入をお願いしても良いでしょう。

理想的には、お仏壇はお仏壇としての通常の荘厳(お飾り)で、お仏壇の横に中陰壇等で用いる小さな台を置き遺骨を安置して置かれるのが良いです。(仏壇の外で遺骨の前横にでしたら白木の位牌も置いても可。遺骨の前に白い三具足(花瓶・香炉・蝋燭たて)は置いても良いですが49日まで、以後は不要ですので白い三具足は不用品として自治体の区分に従いゴミとして処分)
ご住職ごとに若干考え方の違いや地方習慣もあるので、35日法要のときにざっくばらんに聞く方がよいですよ。

> 仏間にかけてある遺影とは別に、小さい遺影も用意して
これは葬儀者さんが売り上げを増やすために作ったものですよね。仏壇には置きません。他のお好きなところに置かれるか、しまうか、不要なら処分です。仏壇に写真は入れません。

No.2回答者のnamenothlngさんが華瓶(けびょう)のことを書いていますが、華瓶には「樒(しきみ)」が基本です。榊の枝は普通さしません。(たぶん勘違いだと思います)
確かに、樒が入手できないときには常緑のもので代用しますが、そもそも華瓶は「香水」として供えるので、香木としての樒をさすのです。
合掌

坊さん@浄土真宗です。
> お葬式の時に葬儀会社さんが位牌を用意してくださいました。
> 大小二つの位牌が家にあります。
白木のですね。これは位牌の形状をした法名を書く名札としての意味合いで、通夜葬儀に限り用いることが多いです。いわゆる仏壇の位牌とは意味が異なります。
大小二つのということですと、野位牌を用いる習慣の地域なのでしょうが、納骨が先ですので不要となりますね。

> 今は小さい方を仏壇に置いてあり、大きい方はしまってあります。
それは仏壇に置くものではありません。
早...続きを読む

Qぼったくりの永平寺曹洞宗

ひどいと思いませんか?私は先ごろ母の葬儀などを行いました。寺はあの有名な永平寺の系統で大変大きな寺の檀家です。僧侶は4人、戒名は信女です。35日の忌明けまで7日ごとの経にきてもらいました。その費用は90万円請求されました。その他に、初盆の人が寺に集まり初盆の行事がありましたが、家族が順に呼ばれて焼香をするだけで一家族は5分程度で終わりました。タッタの5分ですよ。それで4万円以上のお布施を請求されました。
 葬儀や法要に関する明細書も請求書もなくそれどころか領収書もありません。これってひどすぎると思いませんか?100万円近くの金を払ったのですよ。これは当然ビジネスというべきです。それなら明細書、請求書、領収書をだすべきでしょう。
 このことを永平寺に質問しましたが、10日経っても返事がありません。無視しているのです。
 永平寺の修証義というお経には、貪ってはいけない、欲を出してはいけないなどと書いてあります。それなのになんという強欲な!!
 聞くところでは、永平寺系曹洞宗は一番えげつないそうです。金をぼった繰ります。
 みなさんのご意見をお聞きしたいと思いますのでよろしくお願いします。

ひどいと思いませんか?私は先ごろ母の葬儀などを行いました。寺はあの有名な永平寺の系統で大変大きな寺の檀家です。僧侶は4人、戒名は信女です。35日の忌明けまで7日ごとの経にきてもらいました。その費用は90万円請求されました。その他に、初盆の人が寺に集まり初盆の行事がありましたが、家族が順に呼ばれて焼香をするだけで一家族は5分程度で終わりました。タッタの5分ですよ。それで4万円以上のお布施を請求されました。
 葬儀や法要に関する明細書も請求書もなくそれどころか領収書もありません。これっ...続きを読む

Aベストアンサー

 なにか話がごっちゃになっていますね。
 タイトルだけ見ると曹洞宗大本山永平寺がぼったくりをしたように思われますが,現実に質問者の方が「ぼったくり」」だと思っているお寺は別のお寺ですよね。
 永平寺もそのお寺も別々の宗教法人ですから,あたかも曹洞宗大本山永平寺がぼったくりをしたように勘違いさせるタイトルは好ましくありません。削除要求をされるかも知れません。
 よく,曹洞宗の寺院で,「永平寺系」「總持寺系」と称する寺院がありますが,それらの寺院を,永平寺又は總持寺が統括しているわけではありません。「曹洞宗」という宗教法人が包括しています。
 ですので,永平寺に質問書を出されても,永平寺はそれらの寺院を統括又は包括していませんので,永平寺にとってはお門違いの質問であり,回答がないのも然りです。
 包括している「曹洞宗」としても,教義に関しては,僧侶を監督し,曹洞宗の教義と違うことを弘通すれば指導しますが,寺院の運営に関してまでは口出しできません。法律上,別の宗教法人であるからです。
 
 さて,うちの菩提寺(曹洞宗・永平寺直末)の相場ですと,
 枕経+通夜+葬儀     =30万円
 葬儀脇導師3万円×3名  = 9万円
 葬儀御車料1万円×4名  = 4万円
 葬儀御膳料2万円×4名  = 8万円
 逮夜法要2万円×5回   =10万円
 逮夜法要御車料1万円×5回= 5万円
 逮夜法要御膳料1万円×5回= 5万円
     計         71万円 となります。
 うちの菩提寺では,院号なしの信士又は信女の場合,戒名料はありません。
 
 曹洞宗では,施食法要が営まれます。新亡施餓鬼と言って,前の施食法要以降に亡くなられた方のある檀家が施主となり,お布施を包むのですが,からお盆の法要と並修するお寺もあれば,彼岸法要と並修するお寺もあり,全く別の日程で営むお寺もあります。
 うちの菩提寺ですと,1霊3万円ですので,質問者の方の菩提寺が1霊5万円ということは,おおむねうちの菩提寺の1.5倍の額と考えれば,71万×1.6=100万超となりますので,質問者の方の菩提寺の相場の額を請求されたのではないでしょうか。
 うちの菩提寺と比較すれば,「高いなぁ」とは思いますが。
 同じ曹洞宗の寺院でも,それぞれの地域性や檀家の状況にもよりますので,1ケ寺をもってして,曹洞宗寺院全部がそうであるかのような誤解はしないでください。
 
 質問者ご自身が,御母様を亡くされ,初めて菩提寺と接されたのではないでしょうか。
 寺院は住職のものではなく,檀家のものです。宗教法人としての代表役員は住職が就いているでしょうが,檀家(その中の総代)が寺院を支えているのです。檀家の多い寺院であればなおさらです。きちんと会計担当の責任役員が居り,お寺に納めたお布施などは,住職の懐に入るのではなく,宗教法人の会計に入り,そこから住職は給料を貰っています。所得税等の源泉徴収もされています。
 お寺から示された額も施食法要のお布施の額も,檀家総代会(寺院護持会)が決めた額であると思われます。
 お布施などは個人のプライベートな支出なので,領収証を貰ったところで,経費で落とせるわけではないので,領収証を求める人が少ないのが実情ですので,求められれば領収証を出すというスタンスの寺院が多いと思います。求めれば領収証を出してくれることが多いようです。特に葬儀に掛かった費用については,遺産分割協議の際に揉めないように,喪主が相続人全員に葬儀費用を示すために領収証を求められる方もいらっしゃると聞いています。
 また,曹洞宗大本山永平寺ですと必ず領収証をくださいます。
 
 それから,お寺が相続税を脱税するということはありえません。法人に相続税が発生することがないからです。お寺が相続税を脱税したのではなく,そのお寺の住職が相続税を脱税したのでしょう。

 曹洞宗寺院及び僧侶全体を貶めようとなさっているようで,悲しくなりました。

 

 なにか話がごっちゃになっていますね。
 タイトルだけ見ると曹洞宗大本山永平寺がぼったくりをしたように思われますが,現実に質問者の方が「ぼったくり」」だと思っているお寺は別のお寺ですよね。
 永平寺もそのお寺も別々の宗教法人ですから,あたかも曹洞宗大本山永平寺がぼったくりをしたように勘違いさせるタイトルは好ましくありません。削除要求をされるかも知れません。
 よく,曹洞宗の寺院で,「永平寺系」「總持寺系」と称する寺院がありますが,それらの寺院を,永平寺又は總持寺が統括して...続きを読む

Q線香立ての灰の掃除の仕方を教えてください。

線香立ての灰の中はには燃え残りの線香があるんですか?
最近、線香を立てる時に何か硬いものにぶつかるんです。

あの灰はどのようにしてお掃除されていますか?

仏壇を祭るのが初めてなので是非教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

正しい方法か解りませんが部屋を閉め切って新聞紙の上に
広げると燃え残った線香が簡単に取れます。

線香を取ったら静かに器へ戻します。この粉は灰なので粒子が小さく
風で簡単に飛びますから注意して下さい。

何年か使っていると駄目になるので交換した方が良いと叔母さんに
聞きました。市販されていますけど大豆の枝を燃やした灰が線香を
綺麗に燃やしてくれると言ってました。作るとなると大量の大豆が
居るので栽培していないと無理でしょう。

Q一周忌をお寺の本堂でするときの準備などについて

まもなく母の一周忌を迎えます。私の家では手狭なのでお寺の本堂をお借りして法要を営むことになりました。
(私が施主になり、当日は納骨式も行います。)
初めてのことばかりで何もわからずお伺いしたいのですが、

1、本堂の祭壇(?)へのお供え物、供花などはこちらで準備するのでしょうか?それとも必要ないのでしょうか?するとすれば具体的ににどの程度のものを?またお供え物などは出席者が持ってきてくれる可能性はありますが、それは法要のあと私共が持ち返るものなのでしょうか?それともお寺様に残してくるものなのでしょうか?

2、出席者が集まるのを待つ間、早く来た人にお茶などを出そうかとおものですが、お茶葉やお湯のみなどはお寺で貸していただけるものなのでしょうか?ちなみに「会場費は頂いておりません」とお寺様に言われました。(おときを仕出し弁当などにしてお寺で行う場合は使用料が必要なようですが、今回は近所の料亭に席を移します)

3、出席者に渡す引き物ですが、お寺様へは品物でもらうよりお金を包んだほうが喜ばれますよ、と石材屋にアドバイスされました。(品物でもらったものの多くは、処分に困ってバザーに出してしまうお寺さんが最近は多いのだそうです・・・)
この場合、包みの表書きはなんと書くべきでしょうか?法事のお布施、ご膳料などは別に包む予定ですので、「お布施」が2つでは変な気がします。

檀家ではなく聞ける知り合いもおらず困っています。
正直、わからないことばかりで頭が痛いです。
どうぞよろしくお願いいたします。

まもなく母の一周忌を迎えます。私の家では手狭なのでお寺の本堂をお借りして法要を営むことになりました。
(私が施主になり、当日は納骨式も行います。)
初めてのことばかりで何もわからずお伺いしたいのですが、

1、本堂の祭壇(?)へのお供え物、供花などはこちらで準備するのでしょうか?それとも必要ないのでしょうか?するとすれば具体的ににどの程度のものを?またお供え物などは出席者が持ってきてくれる可能性はありますが、それは法要のあと私共が持ち返るものなのでしょうか?それともお寺様...続きを読む

Aベストアンサー

1、本堂の祭壇(?)へのお供え物、供花などはこちらで準備するのでしょうか?>>>>本来は、施主側の親族が準備するものです。故人の好みも含め考えてください。なお、準備する、しないなど、電話で良いので、お庫裡さんに、伝えておきましょう。特に、本堂のお花は、持っていく、お寺で、お願いしたい。と、はっきり伝えましょう。なお、お墓の分のお華は、持っていきましょう。

親戚が持ってきた、お供え物は、参加者+寺で、全部を分けて、本日は、たくさんのお供え物をありがとう。故人に代わって、お下がりとして、お持ち帰りくださって、家路につきましたら、お茶でも飲んで故人を偲んでいただけばありがたいです。と、伝えます。

2.出席者が集まるのを待つ間、早く来た人にお茶などを出そうかとおものですが>>>>これも、基本的に、施主側で、用意するものですが、借りたいもの、ゆのみ、急須などあれば、事前に、寺へ、何人くらい出席です。急須は、貸してください。お茶の葉は持って行きます。30分前には、内輪のものだけでも伺います。と連絡しましょう。

「会場費は頂いておりません」とお寺様に言われました。>>>>これは、会場費として貰うと、営業行為になり、税金が掛かる場合があります。檀家の利用は、OKですが。で、お礼とか薄謝とか、のし袋に書いて、
湯のみの借り代、湯や会場の電気、暖房代、等、使った分+気持ちのお礼を包みましょう。

無料でも、良いと言われても、大人ですから、相当の費用は、払うべきです。電灯だって、ストーブだって、タダでは、ありませんので。


出席者に渡す引き物ですが、お寺様へは品物でもらうよりお金を包んだほうが喜ばれますよ>>>これは、ちょっとした菓子(千円程度でも可)に、渡したいお金をのし袋に入れ、引き出物=OO家とか施主のフルネームか書けばいいでしょう。

法事のお布施(納骨読経を含むと内袋に記入するか、別袋で、納骨御布施と書くか。)、ご膳料=OO家、お礼(会場経費等諸経費分)、引き出物(戒名を書いても良し、例、為、OO**大姉菩提  nathanとか)

です。

肝心なのは、きちんと連絡をして、お願いできることは、お願いして、自分達でやることは、自分達でやりますとはっきりすることです。

なお、卒塔婆をお願いする場合は、事前にお願いしてください。また、お墓の掃除道具、線香、お墓の花、ろうそく、マッチとお墓のお供えものは、お持ちください。
法要で、お供えされたものの一部をお供えしてもOK。
また、引き出物に付ける菓子も、法要で備えたものの流用で可です。ただ、親戚からのものは、のしになんて書いてあるか解らないので、内輪で、お供えした、中味が解ったものを、寺に出すといいです。表書きは、お供えでOK。

納骨の方法も予め、寺に聞いておいた方がよいです。
檀家でないとすると、納骨は寺墓地では無く、市営墓地とかでしょうか?

お坊さんに行ってもらうなら、その時間も、見てくださいと予め伝えてください。

なお、納骨ですから、お骨と位牌を忘れずに持っていってくださいね。位牌は、袱紗か、小さな風呂敷に包んでください。

骨箱などの処分は、その墓地の管理者の指示に従ってください。
ひしゃくや水バケツの手配もしてください。

1、本堂の祭壇(?)へのお供え物、供花などはこちらで準備するのでしょうか?>>>>本来は、施主側の親族が準備するものです。故人の好みも含め考えてください。なお、準備する、しないなど、電話で良いので、お庫裡さんに、伝えておきましょう。特に、本堂のお花は、持っていく、お寺で、お願いしたい。と、はっきり伝えましょう。なお、お墓の分のお華は、持っていきましょう。

親戚が持ってきた、お供え物は、参加者+寺で、全部を分けて、本日は、たくさんのお供え物をありがとう。故人に代わって、お...続きを読む

Q大谷本廟への納骨にかかる費用はいくら?

故人の満中陰法要も終わり、年内に納骨をしなくてはならないのですが、

分骨という形で一部(のどの骨?)は大谷本廟へ、

その他の骨は田舎の墓へ納めたいのです。

ところで大谷本廟へ納骨するときに最低限必要な費用はいくらくらいかかるのでしょうか、

また、大谷本廟への「永代供養」にはどのくらいの費用がかかるのでしょうか、

サイトを色々調べましたが、その費用の金額がよくわかりません。

何方かお詳しい方がおられましたら、是非教えていただきたいのですが。

よろしくお願いいたします。

宗派は浄土真宗東本願寺大谷派でございます。

Aベストアンサー

坊さん@本願寺派です。

ご質問には「大谷本廟」とございますが、「大谷本廟」は、(宗)浄土真宗本願寺派(本山・通称「西本願寺」)の施設で通称「西大谷」という廟所です。
ところが、ご質問の最後に、
>宗派は浄土真宗東本願寺大谷派でございます。
とあります。このような宗派名は浄土真宗の各教団には存在しません。
もし、(宗)真宗大谷派(本山・真宗本廟=元京都東本願寺)でしたら、分骨の廟所は「大谷祖廟」となります。
どちらも検索で出ると存じますが、
費用は、「大谷本廟」の祖壇納骨の場合、納骨のみで2万円~。永代経扱いで5万円~となっています。
寺院区画への分骨は、各寺院ごとに異なりますし専用容器も必要ですから、手次の所属寺にお尋ねください。
いずれにしても所属寺院に納骨(分骨)申込書があります。
直接でも受付は可能ですが、法名、所属寺寺院番号の確認、分骨証明書(分骨埋葬許可証)など必要書類がありますので窓口で確認してください。


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