歴史の参考書を読んでいると、「大老の暗殺により、幕府の権威が失墜」とありました。井伊直弼のことなのですが、井伊直弼は、幕府の権威を回復させようと動いてきたのですよね。
質問なのですが、
(1) 井伊直弼の志とは別に、暗殺されたということは、本当に幕府の権威を失墜させたのでしょうか?
(2) 桜田門外の変の後、次の老中・安藤信正も坂下門外で襲われていますが、逃げて助かっています。井伊直弼は、逃げられなかったのでしょうか?「日本刀では、簡単には死なない」という話を聞いたこともありますが。死を覚悟していたのでしょうか?もしも、死を覚悟していたのであれば、あるいは安政の大獄の責任を死でもって償うつもりであったら、慶喜なんかよりも、よほど武士の鑑ですよね。皆さんは、井伊直弼のことをどう評価していますか?
(3) 安政の大獄に踏み切ったのは、確かに井伊直弼かも知れませんが、そうせざるをえないようにしたのは、黒船来航という時代の変化を読めず、勅許を出さず、いたずらに混乱を招いた朝廷にあるのではないでしょうか?
よろしくお願いいたします。
No.1
- 回答日時:
言い直す毛…あ失礼 井伊直弼は油断があったのでしょう
よもや老中の私が公で殺されるはずは無いと
井伊直弼が襲われたのは桜田門の外 籠に乗って居るときです
狭い籠の中襲撃されたら逃げられないでしょうね
大老は幕府の政治の要です
そいつが死ぬってことは幕府には大きな痛手 ましてや病死ならともかく白昼の暗殺です
しかもやったのは御三家のひとつ 水戸家の藩士です
内輪もめなんかしてちゃ幕府の権威は落ちるでしょう
ご回答ありがとうございました。
「油断」ですか?(*^_^*)否定する根拠はありませんね。(*^_^*)
「狭い籠の中襲撃されたら逃げられないでしょうね」……状況が分からないので、何とも言えませんが、質問にも書いたように、安藤信正もカゴに乗っていたのではないかと。
それで「病死」ということにしたのですかねぇ。
No.2
- 回答日時:
・例えば首相が専用車で、前後に警察の護衛の車付きで、移動中に、
十数名たらすの暗殺団に車止められ殺されたとしたら、
日本政府の治安維持能力に疑問もたれて、政府に対する信頼は
ゆるがないでしょうか?
・井伊直弼は、居合術の達人で、一対一、の果し合いなら
それなりに、戦えたでしょう。
惜しむらくは、水戸藩士・黒沢忠三郎が発砲した短筒により、
駕籠の中の直弼の太股から腰にかけて弾丸が貫通しており、
この銃創によって致命傷に近い重傷を負って
身動きがとれない状態だったので、彼は籠を出て剣をとることできず、
首を切られてしまいました。
幕府独裁体制に固執していたとはいえ、
外国と条約を結び、世界への扉を開いたのは、井伊直弼の功績です。
zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
ご回答ありがとうございました。
「例えば首相が専用車で、……政府に対する信頼はゆるがないでしょうか?」……そのことは、よくわかります。「井伊直弼は、あえて暗殺される道を選んだのではないか?」という気がしたものですから、「自分が殺されることは、幕府の権威の失墜にはつながらない」いう判断もしていたのではないかと思い質問したのです。
短筒が使われたのですか?水戸藩士・黒沢忠三郎というのは、卑怯な奴ですね。それとも「水戸藩」の体質ですかねぇ。
「外国と条約を結び、世界への扉を開いたのは、井伊直弼の功績です。」……動機はどうであれ、私もそう思います。
No.3
- 回答日時:
1) 井伊直弼の志とは別に、暗殺されたということは、本当に幕府の権威を失墜させたのでしょうか?
歴史にも視野視点で評価が分かれますので、水戸藩浪士を中心にした暗殺した方の理屈や大義ではそうなるのでしょうね。
※NHK大河ドラマ「花の生涯」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B1%E3%81%AE% …
(2) 桜田門外の変の後、次の老中・安藤信正も坂下門外で襲われていますが、逃げて助かっています。井伊直弼は、逃げられなかったのでしょうか?
「日本刀では、簡単には死なない」という話を聞いたこともありますが。死を覚悟していたのでしょうか?もしも、死を覚悟していたのであれば、あるいは安政の大獄の責任を死でもって償うつもりであったら、慶喜なんかよりも、よほど武士の鑑ですよね。皆さんは、井伊直弼のことをどう評価していますか?
季節・天候・場所・襲撃犯の違いや供回りの相対評価、運の要素もあり、シチュエーションが異なるのでifは無意味かも?
また、日本刀では致命傷を切り傷では奪えないかも知れないが、突き刺すとか場所にては(頸動脈や心臓)殺傷される。
また、慶喜の大阪城からの江戸逃亡を指しておられるのでしょうが、確かにリーダーとしての責任感や覚悟が違うように思いますが、出自や育ちと事態の推移や選択肢の有無が異なりますので慶喜のみを非難や糺しても酷かも・・・
井伊直弼は藩主や大老に成る経緯に時代の悪運・不幸を感じますが、日本人の感性や価値観からは安政の大獄の残忍さ徹底した弾圧には違和感が有り、果断や蛮勇にも好悪が分かれる人物だと思います。
有為有能な人物人材を仮借なく断罪した事から、開国の是非や拙速さとか朝廷の優柔不断との軋轢等の弁護したく成る事柄&環境も多いが、個人的には隙に成れない人物です。
国運と国体を護持し他に選択の余地を持たない、誰かがやらないと傾国亡国の危地に在ったとしても・・・
(3) 安政の大獄に踏み切ったのは、確かに井伊直弼かも知れませんが、そうせざるをえないようにしたのは、黒船来航という時代の変化を読めず、勅許を出さず、いたずらに混乱を招いた朝廷にあるのではないでしょうか?
確かに、現在の高度情報化社会や政策決定とは異なる時代背景とシステムを考慮しなければ、不当不公平な人物評価・業績考課に成るかもしれません。
仰る通り、朝廷にジャッジや国家運命をリードする能力権能は無かったし、外国と通商交渉や国論を合意形成する人材とシステムも不備&欠いていたと思います。
ご回答ありがとうございました。
1) 「歴史にも視野視点で評価が分かれますので、水戸藩浪士を中心にした暗殺した方の理屈や大義ではそうなるのでしょうね。」……暗殺の目的は、「幕府の権威を失墜させること」だったのですか?私は、まだしっかりとは理解はしていませんが、「戊午の密勅」と「安政の大獄」が原因かと理解していました。再度調べてみます。
(2) おっしゃるとおり、「ifは無意味」ですね。ただ、某参考書に、「暗殺の危機を感じていながら、警護を厳重にしなかった。」とあったので、私は、「井伊直弼は死を覚悟していた」と理解したのです。
「慶喜の大阪城からの江戸逃亡を指して」ということだけではありません。武士としての慶喜のすべてです。
「有為有能な人物人材を仮借なく断罪した事から、開国の是非や拙速さとか朝廷の優柔不断との軋轢等の弁護したく成る事柄&環境も多いが、」……安政の大獄をどのように評価するのかということだと思いますが、私は、個人的には、井伊直弼を再評価し直す必要があるかな、と考えています。
(3) 「確かに、現在の……合意形成する人材とシステムも不備&欠いていたと思います。」……ご意見ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
1
権威とはなにか?
いざとなったら権力、武家政権のである徳川幕府においては武力を行使してぶっ潰すことが出来るということを相手に認識させることが「権威」です。
いざとなった時に幕府の首班である大老に武力が行使され殺されてしまったので、権威を証明することが出来なかった。これが権威の失墜。
2
逃げるのも権威の失墜。返り討ちをすることが権威の回復になったはずです。返り討ちしていたら権力(この場合武力)の裏付けが証明されたことになったので。
井伊直弼も返り討ち出来ない段階で武士の鑑ではない。
3
責任のない朝廷に介入させて混乱を招いいた段階で、責任者としての幕府・大老の責任です。
ご回答ありがとうございました。
1 「武家政権である徳川幕府においては武力を行使してぶっ潰すことが出来るということを相手に認識させる」というのは、権威の一面ではあると思います。しかし、これは「大老に武力が行使され殺されてしまった」こととは、直接関係しないように私には思えます。
2 「井伊直弼も返り討ち出来ない段階で武士の鑑ではない。」……ご意見ありがとうございました。
3 「責任のない朝廷に介入させて混乱を招いいた段階で、責任者としての幕府・大老の責任です。」……もともとの原因は、そのとおりですね。
No.5
- 回答日時:
こんにちは。
初めまして、初めて回答させていただきます。
22azqq22さんの質問はたまに拝見させていただいてます。
歴史がお好きなのですね・・・。
とても面白い質問と思います。
まず質問(1)からお話しましょうか・・・
>幕府の権威を失墜させたのでしょうか?
これまでの徳川幕藩体制での老中の権威、権限・・・・
まして大老の白昼での暗殺、
幕府の権威を失墜させるには十分なものでしたでしょうね。
少し、この話もしたいのですが長くなります(2)に移りましょう。
(2)、>井伊直弼は逃げられなかったのでしょうか?
はて?これは私も分かりません・・・
ただ、命を捨てる覚悟の人間には我々は抗しようもありません。
これはこの前の戦争での、神風特攻隊・・・お分かりでしょう。
>安政の大獄の責任を死をもって・・・
それは少し違うと思います。
幕藩体制と言うのは彼にしてみれば日本本来の姿でしょう。
尊王思想と言うものは、ただ単なる時代の風にすぎない・・・
彼が弾圧?この言葉が適当かどうか?
私は彼がそう考えたのは当然のようにも思います。
後世、我々の目から見て誤りであること言うまでもありません。
歴史とは後追いで判断、評価するしかありませんものね。
井伊直弼の評価ですが、
私は随分、評価しております。
天性すぐれた才と度胸もあった人なのだろう・・・そう思っています。
まあ、これは異論もあることでしょうけど。
直弼と深い関わりを持った人間に長野主膳がおります・・・
直弼を語るときに欠かせませんが、これもまた話すと長くなります。
最後に(3)の話を・・・
>混乱を招いたのは朝廷にあるのでは?
これはまことに仰るとうりでしょう。
そもそもが「安政の大獄」を招いたのは水戸家への朝廷の密勅です。
平治の乱以降、朝廷は政治を知りません。
まして、世界がどのような情勢であるか?
まあこれは時の孝明天皇なりを責めるほうが酷なのでしょう。
責められるべきは当時、長州などと語らった中堅公家でしょう。
混乱を招いた責任は朝廷、仰るとうりかと思います。
ご回答ありがとうございました。
プロフィールを見ていただければ分かりますが、私は、野の花や野草の観察が趣味です。(*^_^*)ただ、北海道は、半年間は、野の花や野草の観察ができません。(T_T)それで、昨年11月くらいから、日本の歴史を少しかじりだしたところです。(*^_^*)
(1)ご意見ありがとうございました。
(2)「後世、我々の目から見て誤りであること言うまでもありません。歴史とは後追いで判断、評価するしかありませんものね。」……そのとおりですね。ただ、井伊直弼の考え方や安政の大獄を、「後世、我々の目から見て誤りである」と言えるのか、どうかは私には分かりません。この質問では、「安政の大獄」をどう評価するかという考えで質問したわけではないのですが、皆さん、そのような趣旨で回答していただいているので、少し戸惑っているところです。
「井伊直弼の評価ですが、私は随分、評価しております。」……まだ、かじり始めたばかりなので、「良い・悪い」は別にして、個人的には、井伊直弼を再評価し直す必要があるかな、と考えています。これまで、「悪人」だと思っていたので。
(3)「これはまことに仰るとうりでしょう。」……私の意見に賛同していただきましてありがとうございます。
「長州などと語らった中堅公家でしょう。」……公家達も利用されたのかも知れませんが、本当に混乱の元凶でしたよね。
歴史については、ド素人ですから、質問のポイントが外れることもあると思いますが、気が向いたら、又、ご回答下さい。
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
(1)武士が首を取られれば、恥以外の何物でもないです。
通常なら御取り潰し確定なのですが、直弼は老中の密議で急病になります。
庶民も見ていた事件で急病となれば、権威は上がるでしょうか?下がるでしょうか?、、
安政七年三月三日、桜田門外の変発生、閏三月三十日に二十八日に直助病死と発表。
しかし大事な事は諸藩が武力行使の可能性を見出した事でしょう。
(2)唯単に成否の差でしょうが、桜田門外の変までは幕府高官が路上で白昼堂々と、直接狙われる事件は江戸期を通して一度も無かったのです。
直弼は油断もくそも無い筈の事件で死に、信正は警戒していたのではないでしょうか。
(3)朝廷が一ファクターであるのは間違いが無いでしょうが、安政~の根本は、力の落ちて来た幕府が創生期の姿を取り戻す事を理想としてのものだったのです。
しかし水野忠邦の上地令の頓挫を見ても、当然の結果だと私は思います。
総論として、直弼は油断もくそも会議で現場が回ると考える典型的な官僚の一人であって、現場の突き上げで首をなくした人間です。
勿論、直弼は聡明な人物であったようですが、理想と現実の乖離を受け入れられなかった人間の一人です。
其の上理想の為に、あたら有望な人材を弑したのは、例え優秀であろうが有能であろうが、愚か者以外に相当する言葉を私は知りません。
ご回答ありがとうございました。
(1)権威について、「庶民も見ていた事件で急病となれば、」という見方もあるのですね。気づきませんでした。
(2)「唯単に成否の差」、そして「油断していたか」、「警戒していたか」の違いだけですか?私の考えすぎですね。(*^_^*)
(3)「幕府が創生期の姿を取り戻す事を理想としてのものだったのです。」というのは、他の方の回答にもありました。私は、まだそこまで理解していませんでしたが。もう一度、読み直してみます。
「会議で現場が回ると考える典型的な官僚の一人であって、現場の突き上げで首をなくした人間です。理想と現実の乖離を受け入れられなかった人間の一人です。」というのは、井伊直弼の人物像として、これからの参考にさせていただきます。
No.7
- 回答日時:
22azqq22さん、こんばんわ。
(1)現役の大老という幕閣でも中枢の人間が江戸城の近くで殺され、首まで取られたということですから、権威は失墜でしょう。
(2)大名の行列というのは一種の軍隊の移動ですから、たかが数人の浪士ごときに怖気づいて大将が逃げたら、恥でしょう。行列側にはもっとたくさんの人数がいたのですから・・・
もしも、死を覚悟していたのであれば、あるいは安政の大獄の責任を死でもって償うつもりであったら、慶喜なんかよりも、よほど武士の鑑ですよね。皆さんは、井伊直弼のことをどう評価していますか?
ご当人はそんなことは毛ほども思っていないでしょう。でも、当時の幕閣の中で一番堂々としていました。また、彼は外国人がこわもての外交をすることからとても嫌っていました。でも、当時の幕府には外国と戦争する能力がないことを知っていたので、しぶしぶ条約を結んだのです。しかし、勤皇の志士たちは天皇の許可も得ず条約を結んだといって騒いだので、これを鎮圧しようとして、弾圧に向かったのでしょう。これは幕府に対する挑戦ですからね。
(3)そうとも言えません。幕府というのは朝廷から政治に対して専権事項を任されているという建前を持っていたのですから、そのまま条約を結んでもよいのです。ただ尊王攘夷という思想に大名から下々まで浸ってしまったので、彼らに対する人気取りのために朝廷のご意向を聞かなければならたいと考えるようになったのです。本当はそんなに考慮する必要はないのです。
ご回答ありがとうございました。
(1)ご意見ありがとうございました。私の期待した回答とは異なりましたが、皆さんほぼ、同じようなご意見でした。
(2)「大将が逃げたら、恥でしょう。」……そうですよね。それこそ「幕府の権威にかかわる」と井伊直弼は考えたのではないでしょうかねぇ。
「当時の幕閣の中で一番堂々としていました。また、彼は外国人が……弾圧に向かったのでしょう。これは幕府に対する挑戦ですからね。」……ご意見ありがとうございました。井伊直弼の人物像として、これからの参考にさせていただきます。
(3)「そのまま条約を結んでもよいのです。」……このことが大きなポイントの一つのような気がするのです。それを朝廷から、各藩、挙げ句の果てに、庶民にまで、意見を聴いてしまったというところに、最初の選択の誤りがあったということですよね。
No.8
- 回答日時:
>(2)「唯単に成否の差」、そして「油断していたか」、「警戒していたか」の違いだけですか?私の考えすぎですね
再回答ですが、此処の部分だけを補足で一言。
仮に襲撃を警戒していれば、何も共揃えを増やすまでも無く、柄袋を外して登城すれば良いのです。
それも嫌ならば、門に見張りを立てれば良いのです。
もっと警戒するのならば影武者を立ててもいいでしょう。
危険を感じていたのならば、手は打てた筈なのです。
現実は何の手も打っていませんし、襲撃の後の生き延びた藩士の運命を考えれば、何の心構えも無かったのは自明の理でしょう。
皆、軽くて切腹、無疵の者は家名断絶は勿論、斬首の憂き目に会っています。
そんな目に遭うと知っていれば、もう少し気合を入れそうな物です。
早朝から、再度ご回答いただきまして恐縮しております。
「柄袋を外して登城すれば良いのです。」については、私も何かで読んでいます。だから、私は、「あえて、警戒させなかった」、「手は打たなかった」のではないか?、そして「死を覚悟していた」という仮説も、選択肢としてあり得るのではないか?と考え質問しました。
「何の心構えも無かった」のは、自明の理ですか?
「病気」で処理されたにもかかわらず、行列の関係者は「皆、軽くて切腹、無疵の者は家名断絶は勿論、斬首」にあっているのですか?
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