単二電池

「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか。
 個人的には謙譲語だろうと考えていますが、手元の資料では決定打が見つかりません。
 辞書やサイトで、謙譲語か否かを明記しているものがあったら教えてください。
 少し前に書いた文章から引用します。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 で、謙譲語性が感じられる言葉には、2種類あるような気がする……ってのが本題。
 ひとつは「ごめんなすって系」。
 いろいろある。
「申し訳(が)ございませんが~」「失礼ですが~」「おそれいりますが~」「恐縮ですが~」
「申し訳(が)ございません。」「失礼(しました)。」だと謝罪の言葉だろう。これに「が~」がつくと、正体不明の前置きになる。「失礼」の語尾変化?に関してはスルーしておく。
「おそれいります。」「恐縮です。」だと感謝の言葉だろう。これも「が~」がつくと、正体不明の前置きになる。
 ヌエ的なものに「済みません。」がある。単独で使うと、謝罪のニュアンスが強いが、感謝の言葉として通用しなくはない。
 これらの言葉は謙譲語性をもっていると思うが「謙譲語」かと言うとNOだろう。謝罪の言葉や感謝の言葉は、「謙譲語」とは異なる系列なのかもしれない。もし「謙譲語」としている辞書類があったら教えてほしい。

 で、もうひとつが「よくわからない系」。
「承知する」あたりがこれ。「承諾する」「承認する」「承服・承伏する」にどの程度の謙譲語性があるのかは言葉の神様に訊いてください。
 もっと微妙なのが「かしこまりました」。
 意外なことに、これを謙譲語とする根拠が見当たらない。
 さまざまなところで、「了解いたしました」「承知いたしました」よりも謙譲語性が高い言葉として扱われている。個人的な感覚では、謙譲語だと思う。しかし、あれほど敬語の話を網羅している菊地本(『敬語』『敬語再入門』)がいっさいふれていない。
 ちなみにWeb辞書を見ると、「謙譲語」とは言っていないが、ほぼ謙譲語って気がするが……。

http://kotobank.jp/word/%E7%95%8F%E3%81%BE%E3%82 …
■Web辞書『大辞泉』から
================引用開始
かしこま・る 【▽畏まる】
[動ラ五(四)]

3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」
================引用終了

■Web辞書『大辞林』から
================引用開始
かしこまる【畏まる】

( 動ラ五[四] )
〔形容詞「かしこし」と同源〕

(2)(目上の人の言葉を)つつしんで承る。(依頼・指示などを)承諾する。 「はい,-・りました」 「太刀を持って来い。-・った/狂言・入間川」
================引用終了

 気がかりなことがが2つある。
 まず、『大辞林』の記述。「(目上の人の言葉を)つつしんで承る」なら謙譲語だろう。しかし「(依頼・指示などを)承諾する」だと謙譲語とは言いきれない。
 もうひとつの気がかりは、過去にいくつも例をあげたように、Web辞書の敬語に関する記述はあてにならないこと。だから菊地本を頼りにしているのだが、今回は……。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

A 回答 (20件中11~20件)

 >「承る」の原形は微妙です。


『敬語再入門』のP.247に下記のようにあります。
================引用開始
1)「聞く」・2)「(命令・依頼・役割などを)引き受ける/承諾する」意の謙譲語I。
================引用終了
 ところが、同書のP.226~229の「1)主な同誌の尊敬語形・謙譲語形」には「承る」は出てきません。「聞く」の謙譲語Iは「伺う」「お伺いする」「お聞きする」です。

「大辞林」によれば、「承る」に対して、
「聞く」の謙譲語  「引き受ける」の謙譲語  「承諾する」の謙譲語  「受ける」の謙譲語
という四つの原形を挙げています。一冊の書物に(有る限りの)敬語の一覧を載せるのは大変でしょう。ネット上にも敬語のの一覧票はありますが、見たところ

 http://www.sanseido.net/main/words/hyakka/sonkei/
が充実していそうですが、謙譲語の動詞としては(お【ご】~する・お【ご】~いただく・お【ご】~申し上げるなどの定型を除くと、いわゆる個々型は)42例に止まっています。
 やはり、辞書のように時間や手間をかけて作ることは無理でしょう。
わたしは、この例だけでも、謙譲語IIを選別してみようかと思うのですが、間違っているとみっともないので、手を出しかねています。せっかくネット上に辞書があるのですから、「謙譲語」などで検索できるとありがたいのですが、難しいことかなあ。

>〈(2)「行く」「来る」の意の丁寧語〉とあるが、文化庁&『敬語再入門』を信じるなら、これは謙譲語II(丁重語)。「丁寧な言い方」ならOKだろうが(相当曖昧だけど)、「丁寧語」と言ってしまったら×。
 
 ところが、「大辞林」の説明にも一理あります。なぜなら「駅まで一緒に参りましょう」の場合、参るのは話し手だけでなく、聞き手も一緒。聞き手を立てるための丁重語なのに、聞き手の動作にまで及ぶのではどうなのでしょう。当たり障りなく「丁寧語」にしてしまったのかと思いますが、勿論この場での理屈に過ぎません。

>時には、主語を低める性質を失って、単に聞手に丁重に述べるだけの用法で用いられる(丁重語)。「電車がまいりました」「暖かくなってまいりました」

 ということは、菊池氏は「謙譲語II」と「丁重語」とを区別していらっしゃるのですね。わたしは、二つは同じと考えていました。「敬語の指針」では「謙譲語II(丁重語)」だったと思いますが。
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この回答へのお礼

http://www.sanseido.net/main/words/hyakka/sonkei/
 
 情報ありがとうございます。
 このサイトがWikipediaのもとになっているようですね。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E
 この一覧に関しては疑問点がいろいろあります。「丁寧語」の欄はなんなのでしょう。
 当方は、丁寧語は1)デス・マス体2)美化語(など)と考えています。
 1)をわざわざ表に記す意味が不明です(Wikipediaは除いています。その結果、ますます「丁寧語」ではなくなっています)。
「申す」「おる」などの謙譲語IIを「丁寧語」にするのは意味不明です。
「求める」「休む」は「見出し語」に比べて〈上品に言ったりするもの〉なのでしょう。菊地本の「改まり語」に近いものだと思います。しかし、これは「敬語」とは言えないでしょう。
『敬語再入門』のP.226~229の「1)主な動詞の尊敬語形・謙譲語形」もよく似ていますが、一番右の欄は「丁寧語」ではなく「謙譲語II」です。「謙譲語II」の特定形は数えるほどしかありません。

>当たり障りなく「丁寧語」にしてしまったのかと思いますが、勿論この場での理屈に過ぎません。
 Web辞書の記述は、「参る」のほか、「おる」「あげる」あたりの記述にも疑問を感じます。結局、敬語に関しては敬語の本に頼るしかない気がします(これがまた玉石混淆で)。
 菊地本を信じると、「かしこまりました」は謙譲語ではなくなります。No.3で紹介してもらった大石本では謙譲語IIになっているようです。

>ということは、菊池氏は「謙譲語II」と「丁重語」とを区別していらっしゃるのですね。わたしは、二つは同じと考えていました。「敬語の指針」では「謙譲語II(丁重語)」だったと思いますが。
 これがまた微妙で……。 
『敬語の指針』はP.18を見れば明らかですが〈謙譲語II(丁重語)〉にしています。『敬語再入門』P.92~93の「丁重語」の項を見ると、謙譲語IIの一部(主語を低める性質を失った用法)が丁重語のようです。
 このあたりの記述がどうにも理解しきれず、敬語のセンスのなさを痛感します。

お礼日時:2014/03/07 14:19

#8です。


#8では補足質問をさせていただきましたが、それとは別に述べてみます。

1.
まず、大辞泉では、
【畏まる】
<3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」>
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/40481/m1u/% …
となっています。
この説明文中の「承る」は、
<2 「聞く」の謙譲語。謹んで聞く。拝聴する。「ありがたいお話を―・りました」>
という意味になるでしょう。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/18316/m1u/% …
であれば、「畏まる」も「聞く」の謙譲語と考えてよいのではないか、いうのがわたしの見解です。

2.
では、なぜ謙譲語だと明記しているところが見当たらないのか。
「かしこまる」は、「承知する」の謙譲語1でしょうが、たとえば、「伺う」が「訪れる・聞く・尋ねる」の謙譲語1であるような、明確な関係が成立していないからだと思います。
ここで一応、「承知」の意味を再確認しておきます。
【承知】
1 事情などを知ること。また、知っていること。わかっていること。「無理を―でお願いする」「君の言うことなど百も―だ」「事の経緯を―しておきたい」
2 依頼・要求などを聞き入れること。承諾。「申し出の件、確かに―した」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/109329/m1u/ …

社長:「タクシーを呼んでください」
部下:「かしこまりました」
の場合、「かしこまる」という部下の行為が、「タクシーを呼んでください」という社長の依頼(命令)内容に向かっているわけではない、という点が問題なのだと思います。
「その依頼に対して(向かって)畏まっているわけではない」ということです。
では、何に向かっているかと言うと、社長本人に直接向かっています。
<敬語の指針>で謙譲語1の定義を再確認してみると、
『自分側から相手側又は第三者に向かう行為・ものごとなどについて,その向かう先の人物を立てて述べるもの』です。
(ex1)先生から話していただいた。
「(話して)いただいた」という自分の行為の向かう先⇒先生。
(ex2)先生からペンを頂いた。
「頂いた」という自分の行為の向かう物事(=ペン)⇒持ち主である先生。
のような構図。
後者の場合、「頂いた」という自分の行為がペンという「物事」に向かっている点が、「かしこまりました」と大きく異なることにご留意ください。
社長:「タクシーを呼んでください」
部下:「承知しました」
という例と比較すると、一層わかりやすくなると思います。
この場合は、「その依頼を聞き入れました」という意味になるので、「承知する」という行為が、社長の言った依頼内容(物事)に向かっていることは明らかでしょう。
そこから、その依頼内容(物事)の所有者である社長に対して敬意を表わす、という構造になっているわけです。

3.
さて、以上の説明からは、ひとつの疑問が浮上するかと思います。
【畏まる】
<3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」>
という辞書の意味があるのであれば、
上記2項での『「その依頼に対して(向かって)畏まっているわけではない」ということです』というくだりは矛盾しているのではないか、という疑問です。
まさに、これが今回、最大の要点となります。
つまり、【畏まる】の意味は、あくまで、上記辞書の、
<1 身分の高い人、目上の人の前などで、おそれ敬う気持ちを表して謹んだ態度をとる。「陛下の御前に―・る」「―・ってあいさつする」>
というものであって、
<3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。>
という意味はまだ完全に定着していないのではないか、ということです。
言い換えると、意味として完全に独立してはいない、ということ。
定着・独立はしていないが、「おそれ敬う気持ちを表して謹んだ態度をとる」という意味から敷衍して、結果的に「命令・依頼などを謹んで承る意を表す」という意味にもなり得る、というわけです。
こうした構造を持っているため、たとえば、
「おっしゃることは、たしかに承知いたしました」とは言えても、
「おっしゃることは、たしかに畏まりました」とは言えない。
「畏まる」の対象は、あくまで話している相手本人であって、「おっしゃること」ではないからです。
このような事情から、謙譲語2と捉える学者の方も出てきたのだろうと思います。
つまり、「畏まる」という行為の「向かう先」は何か、という謙譲語1の要素は無視されており、「常に話している相手」に対して丁重な表現をする、という用法だけに特化せざるを得ないからです。
また、「謙譲語1の要素は無視されている(普遍性を持たない)」という構造になっていることが、謙譲語1と明記するところが見当たらない理由ではないかと思われます。

4.
以上を踏まえ、「了解不敬問題」に関しても、若干触れさせてください。
「畏まる」の意味は、
<3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」>
ですが、「承る」の意味から考えても、「理解する」という意味は無いと考えるのが妥当でしょう。
しかし、実際には、「了解しました」の意味でも自然に使うことが可能だと思います。
【了解】
1 物事の内容や事情を理解して承認すること。了承。「―が成り立つ」「来信の内容を―する」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/232354/m1u/ …
[使い分け]
「了解」「了承」は、事情や事柄の内容などを理解して認めること。「了承」は、相手の示した案などを認める手続き上の行為であることもある。「承知」は、申し入れや頼みをききいれること。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/3242/m1u/ …
ここでも、
<1 身分の高い人、目上の人の前などで、おそれ敬う気持ちを表して謹んだ態度をとる。「陛下の御前に―・る」「―・ってあいさつする」>
という本来の意味が大きく作用していると言ってよいと思います。
つまり、『かしこまりました』というのは【無条件で相手に従う】というニュアンスになるため、
依頼・要求などを聞き入れること(承知する)という意味にも、理解すること(了解する)という意味にも【結果的になってしまう】わけです。
「無条件」というのは、いかにも傲慢な意味を含んでいるのですが、それだけに敬意としては最上級に位置づけられているのでしょう。
このように心地よい無条件の謙譲表現があるにも拘わらず、下位の表現を敢えて使うのはけしからん、という(無意識の)論法なんじゃないですかね、おそらく。
やたら、くどい、あるいは、無駄に長い、というお叱りも聞こえてきそうですが、わずかでもご参考になる箇所が含まれていることを願っております。
  
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#7です。



ご質問はあくまでも「辞書やサイトで、謙譲語か否かを明記しているものがあったら教えてください」でしたので、#4にて大石初太郎のケースをあげ、#7ではそのような見解と別の視角もある点に触れましたが、ここでは改めて類似詞との位置関係をラフにスケッチしてみました。

1.命としての事柄への敬譲
1)命(言い付け)として頂く
かしこまる…謹んで命を承る(←畏まる…恐れ慎む姿勢)
2)命(言い付け)として受ける
承る…謹んで聞き、承諾する(←承け賜る…謹んで承ける態度←承る…伝え聞く)

2.相手への応答
1)要請を受ける
承知する…相手の希望・要請を聞き入れる(←承知する…既に知っている)
2)申し出を受け入れる
了承する…相手の申し出を納得し承知する(←諒承する…事態を理解する)
3)相手の主張を認める
承認する…相手の言い分を受け入れる(←承認する…正当性を認め肯定する)

3.相手との相互交通
1)相互での承知し合い
了解する…相互に分かり合い、承知し合う(←諒解する…解り合い悟る)
2)相手の言い分の受け止め
理解する…相手の気持ちになって思いやる(←理会する…道理を正しく判断する)
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この回答へのお礼

>ご質問はあくまでも「辞書やサイトで、謙譲語か否かを明記しているものがあったら教えてください」でしたので、#4にて大石初太郎のケースをあげ、#7ではそのような見解と別の視角もある点に触れました
 その点は理解していると思います。(←弱気)

 ここからもう一歩踏み込んだ分析があると助かるのですが……。

お礼日時:2014/03/06 18:14

#4です。



> 話が噛み合っていない気がするので、コメントは控えます。

そうでしたか。大変失礼いたしました。
わたしの読解力が不足していたのかもしれませんので、ひとつ確認させてください。
『 まず、『大辞林』の記述。「(目上の人の言葉を)つつしんで承る」なら謙譲語だろう。しかし「(依頼・指示などを)承諾する」だと謙譲語とは言いきれない。 』
とおっしゃっている箇所についてです。
これは、『「かしこまる」という表現について、「(目上の人の言葉を)つつしんで承る」という意味で使われる場合には謙譲語と言えるが、「(依頼・指示などを)承諾する」という意味で使われる場合には謙譲語とは言い切れない』という意味だと解釈したのですが、違ったようですね。
どうも、考えすぎてしまった感もあります。
ひょっとして、「他の謙譲語(承る)と同義の言葉であるからといって、「かしこまる」を謙譲語と呼べるわけではない」とおっしゃっているのでしょうか。

  
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この回答へのお礼

 申し訳ない。
 質問の意図がわからないので、コメントは控えます。
 おそらくほかのかたへの「お礼」の中に、質問への回答があるとは思うのですが……。

お礼日時:2014/03/06 18:09

#4です。



>この記述を踏まえている菊地本や、菊地氏の考えが反映されている『敬語の指針』にも「カシコマリ(マシタ)」がないということは、菊地氏はあえて外したのかな……という気がします。
 :
「あえて外したのかな」はスルドイですね。
大石初太郎はこの1975年初出の「敬語」において、該書で「職場の敬語」が手薄なのは「商業主義的敬語と逆行する説き方をしているところもある」と「文庫版あとがき」に述べています。
菊池康人も「敬語」の「はじめに」において、「敬語の仕組みをときほぐす」という趣旨のもとで「その結果、ずいぶん欲張った本になったと思う」としていますが、こちらもまたご指摘の通り、「かしこまりました」といったビジネスシーンでの記載は欠落しています。

うがった言い方をすれば、「です・ます」を中心とする敬語の簡素化狙いの延長においての「<謙譲語A><謙譲語B>という呼び方」の導入まずありきだったため、それにそぐわない要素はネグレクトしてしまったといえるか知れません。

ちなみに、過去の標準認識である終戦直後の「中等国文法 口語編」(昭和24年)では「敬語の二領域」という形で、「話し手の聞き手に対する敬譲を表わす辞」に対し「敬意に基づく表現は詞に属するものである」といった取り上げ方をしています。
この「詞」についてはさらに、「拝見し」を例に上げて「この種の敬語においては、敬意の対象を詮索することができないといえよう。この種の敬語は、必ずしも敬意の対象を重要な要素とするのではなく、むしろ、事柄の概念把握の上に話し手の敬意が認められるのである。…つまり話し手の事柄に対する敬譲の意を表わすものである。事柄に関する語であるので、当然詞に属するものである。」(「同書」178-9頁)と説明しています。

誰から告げられたにせよ、指示された内容・事柄を、いったん話題の世界においてその事柄に対して「承る」のであり「畏まる」のだという見方と言えるでしょうか。
これは、話題の世界での受け手尊敬としての謙譲語Aと類似はしていても、受け手ではなく聞き手の告げた事柄に対しての敬意表明であり、しかも聞き手が上位にあたる場合には聞き手尊敬も加わることになり、その結果としては渡辺実の「卑下謙遜」の構造にも当たることになるでしょう。

ビジネスや接待など職業社会においてはなお盛んなこのような立体的にして重層的な敬意表現の複雑さと、一方で日本語学習者にも馴染みやすく分かり易い「デス・マス」中心の簡素化狙いとしての「<謙譲語A><謙譲語B>という呼び方」敬語との相克は確かに避けがたいものがあるかも知れません。

この回答への補足

 失礼しました。
 下記のように訂正します。

×ただ、「おそれいります」が敬語ではないという判断なら、そう書いてほしかったところです。
○ただ、「かしこましました」が敬語ではないという判断なら、そう書いてほしかったところです。

「おそれいります」はどうなった?……という気持ちが強かったのかもしれません。

補足日時:2014/03/06 21:25
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この回答へのお礼

No.7

>「あえて外したのかな」はスルドイですね。
 これは当人に確認しなければわからないとは思いますが……。
 あれだけ網羅性が高い菊地本に抜けているのは気になります。ただ、「おそれいります」が敬語ではないという判断なら、そう書いてほしかったところです。
 一見敬語のようで実は敬語ではない言葉はけっこうあるので……。

 <謙譲語A><謙譲語B>……いまは謙譲語I、謙譲語IIと言うようです。
 これがまた微妙な話で、菊地本を読んでうっすらわかったような気がします。『敬語の指針』の記述だけだと当方には理解できなかったような……。
 現在でもまだ引っかかっている箇所もあって。
 敬語の3分類と5分類の話も含め、Web辞書あたりも混乱している印象があります。
 No.6への「お礼」で一例をあげました。

お礼日時:2014/03/06 18:04

>「たいへん申し訳ない。

死んでお詫びをする」

「お詫びをする」は謙譲語では?「お詫びする」とほとんど同意なので。

「謙譲語に限らず、まず通常の言い方があり、それが形を変えて「敬語」が成立するのではないか。辞書に「来る・行くの」の謙譲語=「参る」とあるように

 この部分、書き方がまずかったようです。 敬語の中の「謙譲語」で、動詞に限って言えば、質問者が挙げられたwikipediaの次の部分(便宜上1~3の番号を付けました)の「語形変化」を意味したつもりです。

語形変化には以下のような方法がある。
1.語彙自体を変える - 行く→伺う、見る→拝見する、する→致す
2.お / ご~する - 待つ→お待ちする、掛ける→お掛けする、相談する→ご相談する
3.お / ご~頂く・申し上げる - 買ってもらう→お買い頂く、辞退する→ご辞退申し上げる

 この1~3のいずれかの方法で作られたものを「形を変えて」と言ったつもりです。
「辞退する→ご辞退申し上げる」のように、原型と変化とが対応しているべきだ、というのがわたしの仮説です。そこで
「  ? →かしこまる」この?は何かと言ったのです。

>「承る」には「賜る」(謙譲語)という語を含んでいたから
 そのとおりだと思いますが、とりあえず「承る」は謙譲語とされているようなので……。
 
 これも、真意が伝わらなかったようですね。「かしこまる」の説明の中に「謙譲語」があっても、「かしこまる」が謙譲語だという理由にはならない、と言いたかったのです。

>辞書に「来る・行くの」の謙譲語=「参る」とあるように。
 広辞苑・大辞林・大辞泉 などの辞書に「謙譲語」と書いていないし、菊池氏の書物に謙譲語の例として挙げていないということは、せっかくの大石氏の指摘にもかかわらず、わたしの仮説によれば、「謙譲語」とは言えないと思うのです。
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この回答へのお礼

 申し訳ない。当方の理解力不足が目立ちますね。余計な手間をおかけしました。お詫びいたします。

>「お詫びをする」は謙譲語では?「お詫びする」とほとんど同意なので。
 そうですね。「たいへん申し訳ない。謝罪のために自害します」くらいにしておいてください(泣)。

>語形変化には以下のような方法がある。
>1.語彙自体を変える - 行く→伺う、見る→拝見する、する→致す
>2.お / ご~する - 待つ→お待ちする、掛ける→お掛けする、相談する→ご相談する
>3.お / ご~頂く・申し上げる - 買ってもらう→お買い頂く、辞退する→ご辞退申し上げる
 そういう意味ですね。よくわかりました。
 その意味では「かしこまる」の原形はなさそうですね。
 ただ、ほかにもあるような気がします。たとえば、「承る」の原形は微妙です。
『敬語再入門』のP.247に下記のようにあります。
================引用開始
1)「聞く」・2)「(命令・依頼・役割などを)引き受ける/承諾する」意の謙譲語I。
================引用終了
 ところが、同書のP.226~229の「1)主な同誌の尊敬語形・謙譲語形」には「承る」は出てきません。「聞く」の謙譲語Iは「伺う」「お伺いする」「お聞きする」です。

>「かしこまる」の説明の中に「謙譲語」があっても、「かしこまる」が謙譲語だという理由にはならない、と言いたかったのです。
 わかりました。
 これも微妙ですね。どちらの考え方もあると思います。ちょっと態度を保留します。

>広辞苑・大辞林・大辞泉 などの辞書に「謙譲語」と書いていないし、菊池氏の書物に謙譲語の例として挙げていないということは、せっかくの大石氏の指摘にもかかわらず、わたしの仮説によれば、「謙譲語」とは言えないと思うのです。
 当方は感覚的にはほぼ「謙譲語」ではないか、と思っています。
 ただ、「謙譲語」とする決定打がないので、質問したしだいです。

 ちなみに元々の質問に書いたように、〈Web辞書の敬語に関する記述はあてにならない〉と考えています。この点はブログに何回か書いています。
 たとえば、話に出た「参る」に関して……。


●Web辞書『大辞林』(第三版)の記述
http://dictionary.nifty.com/word/%E5%8F%82%E3%82 …
 ↓
http://kotobank.jp/word/%E5%8F%82%E3%82%8B?dic=d …
================引用開始
まいる【参る】

( 動ラ五[四] ) 〔「参(まゐ)入(い)る」の転〕
一 (自動詞)
❶(1)「行く」「来る」の意の謙譲語。動作の及ぶ相手を敬う。聞き手と動作の及ぶ相手とが一致している場合に用いられる。 「また明日二時に-・ります」 「お客さま,お迎えの車が-・りました」 「はい,すぐにそちらへ-・ります」
(2)「行く」「来る」の意の丁寧語。聞き手への敬意をこめていう。 「駅までご一緒に-・りましょう」 「このバスは市役所へ-・りますでしょうか」
(3)神社・寺院や墓へ行って拝む意の謙譲語。もうでる。参詣する。お参りする。 「菩提寺に-・る」
(4)「行く」「来る」意の尊大語。上位者が下位者の行為を低めていう。 「わしはあとから行くからお前は先に-・れ」 「早くこちらへ-・れ」
(以下略)
================引用終了

〈(2)「行く」「来る」の意の丁寧語〉とあるが、文化庁&『敬語再入門』を信じるなら、これは謙譲語II(丁重語)。「丁寧な言い方」ならOKだろうが(相当曖昧だけど)、「丁寧語」と言ってしまったら×。

 さらに言うと、謙譲語I、謙譲語IIと丁重語の違いを正確に説明するのは非常にむずかしい。少なくとも当方には無理なので、おそるおそる遠巻きに書いている。(←オイ!)
 一般に謙譲語II(丁重語)と書いてあったら謙譲語II=丁重語と考えてよいはずだが、そうとも言えない。きわめて近いけれど、ちょっと違う。これを謙譲語II≒丁重語と表わせるか否か、当方には判断できない。『大辞林』の(2)の例文がわかりやすいかもしれない。
  「駅までご一緒に-・りましょう」は謙譲語II。
  「このバスは市役所へ-・りますでしょうか」は丁重語。
 
 このあたりを説明するために、『敬語再入門』を見てみる。


●『敬語再入門』の記述
『敬語再入門』の末尾にある「敬語ミニ辞典」の記述をひく。原文は辞書形式なので改行がないが、読みやすさを考えて改行する。
================引用開始
まいる(参る)・……でまいる
「行く・来る」「……ていく・……てくる」の意の謙譲語II。主語〈I人称〉を低め、聞手に丁重に述べる。原則として「ます」を付けて使う。「先月、ロンドンにまいりました」(行く意)・「私はこの四月に京都からまいりました」(来る意)・「次第になじんでまいりました」(……ていく・……てくる意)
 時には、主語を低める性質を失って、単に聞手に丁重に述べるだけの用法で用いられる(丁重語)。「電車がまいりました」「暖かくなってまいりました」
 ただし、この場合も、主語は〈高める必要のないIII人称〉でなければならず、II人称者や、然るべきIII人称者では不可。×「あなたは(先生は)その会にまいりますか」→§38、§45
================引用終了

「主語を低める性質を失って」いるときに限って、謙譲語IIではなく、丁重語になる。繰り返すが、「丁寧な言い方」ではあっても丁寧語ではない。
「駅までご一緒に-・りましょう」は、話し手(もしくは「話し手」と「聞手」の双方)が主語だから謙譲語II。
「このバスは市役所へ-・りますでしょうか」は主語がバスだから丁重語。
 もちろん「~ました」を使っているから丁寧語でもあるが、それは別の話。↑の「敬語ミニ辞典」にも〈原則として「ます」を付けて使う〉とある。ちょっと言葉足らずかな。「参る」は謙譲語IIの場合も丁重語の場合も、原則として「~ます」「~ました」などの丁寧語を伴う、ってこと。

お礼日時:2014/03/06 18:03

>まず、『大辞林』の記述。

「(目上の人の言葉を)つつしんで承る」なら謙譲語だろう。しかし「(依頼・指示などを)承諾する」だと謙譲語とは言いきれない。

No.3の方の回答を受けて、(勝手に受けて済みません)
 <(依頼・指示などを)承諾する」だと謙譲語とは言いきれない>に対して、少なくとも学者の一人が謙譲語II(BをIIに置き換えました。)に入れていらっしゃるので、解決の様相を呈してはいます。(もう一つ「参る」の補助動詞用法まで加わっています)前から謙譲語IIはこんなに少なくはなかろうと思っていました。
 
 それはさて置き、昨日なぐり書きと断って回答を書いた後で考えて見て、次のような仮説を立ててみました。
1.謙譲語に限らず、まず通常の言い方があり、それが形を変えて「敬語」が成立するのではないか。辞書に「来る・行くの」の謙譲語=「参る」とあるように。
1.敬語には打消や「できない」の意を含む「否定形」が存在するのではないか。
 「参ります」なら、「参りません」のように。

 当然、この仮説は検討の余地はあるでしょう。しかし、取り敢えずあてはめて、「かしこまりました」の原型は何でしょう。否定形は「かしこまりません」や「かしこまれません」でしょうか。
 それがあって、謙譲語と言えるのではないかと思うのですが。

>「(目上の人の言葉を)つつしんで承る」なら謙譲語だろう。

 一見、この説明には説得力があるように見えます。それは「承る」という語を用いたところからくる錯覚で、「承る」には「賜る」(謙譲語)という語を含んでいたからにほかなりません。その点少し疑問が残ります。

 この仮説へのご批判をお願いします。
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この回答へのお礼

>少なくとも学者の一人が謙譲語II(BをIIに置き換えました。)に入れていらっしゃるので、解決の様相を呈してはいます
 典拠のひとつにはできると思います。
 ただ、なぜ菊地本にはないのか……という疑問は残ります。

>前から謙譲語IIはこんなに少なくはなかろうと思っていました
『敬語の指針』http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf …のP.18に出ているのは下記だけですね。
================引用開始
<該当語例> 参る,申す,いたす,おる
拙著,小社
================引用終了
『敬語再入門』だともう少し出ているのですが(「存じる」「……てまいる」「……ておる」「愚」「弊」など)。ただ、それでも「かしこまりました」はなくて……。

 もしかすると……謙譲語とは別の系列かという気もします。
 極端な話、「たいへん申し訳ない。死んでお詫びをする」は、謙譲語性はものすごく高いと思いますが、謙譲語ではありませんよね。


〈仮説〉に関してはなんとも……。
 1つ目の〈それが形を変えて「敬語」が成立するのではないか〉はいわゆる「特定形」の話でしょうか。これがまたメンドーで、下記のNo.6に書いたことが参考になるかもしれません。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7837258.html
 Wikipediaでは「特定形」ではなく「不規則動詞」と読んでいます。このWikipediaの記述はちょっとアレで、とりあえず、「不規則動詞一覧」の「丁寧語」が何を指しているのか当方には理解できません。

>「承る」には「賜る」(謙譲語)という語を含んでいたから
 そのとおりだと思いますが、とりあえず「承る」は謙譲語とされているようなので……。

お礼日時:2014/03/05 20:34

#1です。



>>「承諾する」にも謙譲の意味合いが含まれていると考えていいように思います
 あの記述ではなんとも判断できません。

『大辞泉』は、当方がひいたものと何か違いがあるのでしょうか。

ご質問文で、
『 まず、『大辞林』の記述。「(目上の人の言葉を)つつしんで承る」なら謙譲語だろう。しかし「(依頼・指示などを)承諾する」だと謙譲語とは言いきれない。 』
とおっしゃっていましたので、意図の異なるものを同項にまとめることはないのではないだろうか、と申し上げました。
これに対しては、『あの記述ではなんとも判断できません。』とのことですので、ここは見解の相違ということになるかと思います。
それはそれで良いでしょう。
要するに、1311tobiさんは、大辞林では「(依頼・指示などを)承る」という例文になっていないので、依頼・指示などに関して「かしこまる」を使う場合に謙譲の意味はない、と考えるのが妥当だろう、とおっしゃっているのですよね。

そこで、大辞泉の解説をご紹介した理由についてですが、
『命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」』
という説明になっていますよ、ということをお知らせしたかったわけです。
ここでは、【依頼に関して、「承る」が使われています】。
「承る」に謙譲の意味があることはお認めになっているわけですから、「かしこまる」が謙譲の意味で使われていることになる、とお考えいただけるかな、と思ったわけです。
むろん、辞書にしろ、本にしろ、結局、何を選択するのか、という個々人の主観に帰することになります。
    
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この回答へのお礼

 申し訳ない。
 話が噛み合っていない気がするので、コメントは控えます。

お礼日時:2014/03/05 20:35

  また、難しいご質問ですね。


 まず、初歩的な言葉から入ります。「分かりました」は「ます」が付いているから「丁寧語」であることは明らか。したがって、今後「ます」を無視して話を進めます。相手の動作(第三者の場合も含む)ではないから尊敬語ではない。
 
 さて、前置きはこのくらいにして、似たような「承知しました」ですが、過去に「今の話は貴公も承知か」のように使われたことを考えると「謙譲語」とは断じ難いですね。この類は、もっと取り上げて話さねばならないけど、簡単に片付く話題でもないので、今後の展開にまかせて話を進めます。

 「参りました」「恐れ入りました」「かしこまりました」(これは返事の類に入れるべきでしたか)の類。
「参る」は「謙譲語II」に入れられて脚光を浴びましたが、それは「(相手のところに)行く」の意味の場合で、ここでは相手の前で「手も足も出なくなった」という状態でしょう。「恐れ入りました」もほぼ同様。そして「かしこまりました」もまた、相手の威光の前でひたすら「かしこまって」座っていなければならないという状態でしょう。
 さて、この状態は内容的に謙譲なのでしょうか。いや、謙譲とは話し手の動作があって、その謙譲表現が成立するとすれば、手も足も出ない状態なら立てるべき人の前では常に謙譲と言うことにはならず、わずかに「見る」という動作でも有るべきでは無いでしょうか。(拝見するのように)この点が議論の焦点になるでしょう。

 「恐れ入りますが、道をお訊ねします」の場合では、前置きじゃなく「お訊ねする」があって謙譲語が成り立つのでしょう。

 今回は、このくらいにして皆さんのご意見を見ていきたいと思います。取り敢えずは具体的な例が必要ですね。書きなぐりで失礼します。
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この回答へのお礼

 コメントありがとうございます。

 厄介な質問で申し訳ございません。
 細かく確認させていただきます。

>今後「ます」を無視して話を進めます
 基本的にそれでいいと思います。謙譲語IIは丁寧語と云々の話もふれないようにしましょう。

>過去に「今の話は貴公も承知か」のように使われたことを考えると「謙譲語」とは断じ難いですね
 そう思います。この点に関して、当方は『敬語再入門』に従います。「謙譲語」としている文献も見当たりませんし……。

>「参りました」「恐れ入りました」「かしこまりました」(これは返事の類に入れるべきでしたか)の類。
 この「参りました」は「降参した」の意味ですよね。「参る」が謙譲語IIになるのは「行く・来る」の意味のときだけでしょう。下記の辞書の記述には微妙な異和感がありますが。
http://kotobank.jp/word/%E5%8F%82%E3%82%8B?dic=d …

「恐れ入りました」も「降参した」と同義でしょうね。これが「恐れ入りますが~」になると正体不明で……。
 ただ、「謙譲」とは方向性が違うかも……という気がしています。

>わずかに「見る」という動作でも有るべきでは無いでしょうか。(拝見するのように)
 ここがちょっとわかりません。

>「恐れ入りますが、道をお訊ねします」の場合では、前置きじゃなく「お訊ねする」があって謙譲語が成り立つのでしょう。
 そいうことは、「恐れ入りますが~」は実質上あまり意味を持たない(「敬語」の観点では中立)前置きって気がします。

お礼日時:2014/03/05 12:26

「つつしんで承る」と「(依頼・指示などを)承諾する」が同じ項目にあることからも、「承諾する」にも謙譲の意味合いが含まれていると考えていいように思いますけどね。


あくまで個人的見解ですが。
因みに、大辞泉では、
3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」
となっているようです。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/40482/m1u/% …
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この回答へのお礼

 コメントありがとうございます。

>「承諾する」にも謙譲の意味合いが含まれていると考えていいように思います
 あの記述ではなんとも判断できません。

『大辞泉』は、当方がひいたものと何か違いがあるのでしょうか。

お礼日時:2014/03/05 11:35

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