電子書籍の厳選無料作品が豊富!

「かしこまりました」は謙譲語なのでしょうか。
 個人的には謙譲語だろうと考えていますが、手元の資料では決定打が見つかりません。
 辞書やサイトで、謙譲語か否かを明記しているものがあったら教えてください。
 少し前に書いた文章から引用します。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 で、謙譲語性が感じられる言葉には、2種類あるような気がする……ってのが本題。
 ひとつは「ごめんなすって系」。
 いろいろある。
「申し訳(が)ございませんが~」「失礼ですが~」「おそれいりますが~」「恐縮ですが~」
「申し訳(が)ございません。」「失礼(しました)。」だと謝罪の言葉だろう。これに「が~」がつくと、正体不明の前置きになる。「失礼」の語尾変化?に関してはスルーしておく。
「おそれいります。」「恐縮です。」だと感謝の言葉だろう。これも「が~」がつくと、正体不明の前置きになる。
 ヌエ的なものに「済みません。」がある。単独で使うと、謝罪のニュアンスが強いが、感謝の言葉として通用しなくはない。
 これらの言葉は謙譲語性をもっていると思うが「謙譲語」かと言うとNOだろう。謝罪の言葉や感謝の言葉は、「謙譲語」とは異なる系列なのかもしれない。もし「謙譲語」としている辞書類があったら教えてほしい。

 で、もうひとつが「よくわからない系」。
「承知する」あたりがこれ。「承諾する」「承認する」「承服・承伏する」にどの程度の謙譲語性があるのかは言葉の神様に訊いてください。
 もっと微妙なのが「かしこまりました」。
 意外なことに、これを謙譲語とする根拠が見当たらない。
 さまざまなところで、「了解いたしました」「承知いたしました」よりも謙譲語性が高い言葉として扱われている。個人的な感覚では、謙譲語だと思う。しかし、あれほど敬語の話を網羅している菊地本(『敬語』『敬語再入門』)がいっさいふれていない。
 ちなみにWeb辞書を見ると、「謙譲語」とは言っていないが、ほぼ謙譲語って気がするが……。

http://kotobank.jp/word/%E7%95%8F%E3%81%BE%E3%82 …
■Web辞書『大辞泉』から
================引用開始
かしこま・る 【▽畏まる】
[動ラ五(四)]

3 命令・依頼などを謹んで承る意を表す。承りました。「はい、―・りました」
================引用終了

■Web辞書『大辞林』から
================引用開始
かしこまる【畏まる】

( 動ラ五[四] )
〔形容詞「かしこし」と同源〕

(2)(目上の人の言葉を)つつしんで承る。(依頼・指示などを)承諾する。 「はい,-・りました」 「太刀を持って来い。-・った/狂言・入間川」
================引用終了

 気がかりなことがが2つある。
 まず、『大辞林』の記述。「(目上の人の言葉を)つつしんで承る」なら謙譲語だろう。しかし「(依頼・指示などを)承諾する」だと謙譲語とは言いきれない。
 もうひとつの気がかりは、過去にいくつも例をあげたように、Web辞書の敬語に関する記述はあてにならないこと。だから菊地本を頼りにしているのだが、今回は……。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

A 回答 (20件中1~10件)

大石初太郎「敬語」(ちくま文庫)においては謙譲語B(「聞き手に敬意を表する要素」)に仕訳されています。


「謙譲語B マイル<行く・来る> 申ス イタス 存ジル カシコマリ(マシタ) (見)テマイル」(「同書」102頁)

ちなみに菊池康人は注釈の形で「(<謙譲語A><謙譲語B>という呼び方は、大石初太郎が行われたもの。氏は便宜的なものとはことわらずに、この呼称をとられる。)」(「敬語」280頁(講談社学術文庫))としています。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

 コメントありがとうございます。

 大石初太郎「敬語」(ちくま文庫)はちょっと気になっていたので読んでみようと思いましたが、絶版のようです。Amazonの中古ですかねぇ。

>「謙譲語B マイル<行く・来る> 申ス イタス 存ジル カシコマリ(マシタ) (見)テマイル」(「同書」102頁)
 貴重な文献をありがとうございます。
 この記述を踏まえている菊地本や、菊地氏の考えが反映されている『敬語の指針』にも「カシコマリ(マシタ)」がないということは、菊地氏はあえて外したのかな……という気がします。

 菊地版の『敬語』の記述を確認しました。
 ページまで付記していただくと、ホントに助かります。

お礼日時:2014/03/05 12:38

 質問者が、記述のバラツキについて疑問を感じられるのは、よく分かります。

なぜそんなことになるのか、に焦点をじぼって書きます。

 まず、一番聞き慣れた「参る」を『大辞林』『大辞泉』『明鏡国語辞典』『広辞苑』『現代国語例解辞典』の五つの辞書が、どう説明しているかを、抽出しました。『広辞苑』を除く四つは二項目に分けています。それはみていただければ分かります。さらに、『大辞林』『明鏡国語辞典』は「謙譲語」と「丁寧語」と明記しています。『現代国語例解辞典』は、動詞としては「謙譲語」補助動詞として丁重に言う、と区別。『大辞泉』は賢明な方法で、説明を避けています。あるいは、5分類がおおやけになったのを意識しているのかも知れません。『広辞苑』だけは(5)の一項目だけですが、その「行く。行き先を敬っていう。」は謙譲語Iのように思われ、「転じて、聞き手へのへりくだりの気持ちこめて、「行く」「来る」の意。」の部分は謙譲語IIと考えられます。その点で他の四つとは異なります。
「広辞苑」の信頼される一つの理由は、その引用文がおおむね最も古く使われたものであるということで、その語が何時から使われ出したかが分かるという点にあります。したがって、「参る」についての用例は、ほとんど中古を中心とした古語です。(余談になりますが、「かしこまりました」という「敬承」の意の謙譲語は、謡曲「熊野(ゆや)」から引用されているので、この語は室町期に使われたと分かります)しかし、古語では「参る」は受け手尊敬(謙譲語I)として盛んに使われたものであるのに、現代語ではご存じの通り謙譲語IIの用法しか有りません。この点で現状と齟齬があるかも知れません。

     大辞林(書籍版第3版)
(1) 「行く」「来る」の意の謙譲語。動作の及ぶ相手を敬う。聞き手と動作の及ぶ相手とが一致している場合に用いられる。 「また明日二時に-・ります」 「お客さま,お迎えの車が-・りました」 「はい,すぐにそちらへ-・ります」
(2) 「行く」「来る」の意の丁寧語。聞き手への敬意をこめていう。 「駅までご一緒に-・りましょう」 「このバスは市役所へ-・りますでしょうか」

     大辞泉(web辞書)
(ア)「行く・来る」の先方が聞き手のところの場合には、その先方を敬いながら、「行く・来る」を丁重にいう。「明日、お宅へ―・ります」「御当地に―・って、はじめて知りました」

(イ)単に「行く・来る」を丁重にいう場合。このときにも謙譲の気持ちは残るので、敬うべき人の動作には用いない。現在、「先生もまいられますか」のような言い方は適切でないとされる。「私の家に弟が―・るはずです」「列車が―・ります」「雨が降って―・りました」

     明鏡国語辞典(電子辞書)
(1)<多く「参ります多く」の形で>「行く」・「来る」の謙譲語。話し手が主語(=自分または自分の自分の側のもの)を低めることによって、聞き手い丁重さを表す。
「明日三時にお宅に参ります」「純子さんの結婚式には母が参ります」「当地に参って三日になります」「[話し手が手配したものについて]まもなく迎えの車が参ります」
『語法』「伺う」は動作の及ぶ相手を必ず高めるが、「参る」はそうではない。「すぐお宅へ伺います/参ります」では「伺う」ほうが敬度が高く、「明日出張で大阪に参ります」では「伺う」は使えない。
(2)<多く「参ります多く」の形で>「行く」・「来る」の丁寧語。聞き手に丁重さを表す。「さあ、そろそろ参りましょうか」「[ホームで]先生、お下がりください、電車が参りました」「日本チームに絶好の機会が参りました」
『語法』「先生は祝宴には参られますか」「ご面会の方が受付に参っていらっしゃいます」など、尊敬語のように使うのは誤り。

     現代国語例解辞典(書籍版第二版)
一(1)「行く」「来る」の謙譲語。「明日から京都へ参ります。
二補助動詞「行く」「来る」を丁重にに言う。「雨が降って参りました」
 ▼尊敬語としては用いない。「先生は何時ごろ参りますか(参られますか)」は誤り。
《この辞書は、「日本国語大辞典」「国語大辞典」の成果をふまえてなったものと、うたっていますので、「日本国語大辞典」と共通の記述である可能性もあります。》

     広辞苑(電子辞書にある第6版)
(5)行く。行き先を敬っていう。転じて、聞き手へのへりくだりの気持ちこめて、「行く」「来る」の意。また、一般的に、重々しい口調で言う時にも使う。おあん物語「おれが兄様は、折々山へ鉄砲うちにまいられた」。「只今お宅の方へ参ります」「ご一緒に参ります」「電車が参ります」「地下鉄で参ります」

 次は別の話になります。謙譲語はI・IIの二つに分けられたと考えるのは、常識かも知れません。「敬語の指針」もそのように書いています。ところが「Wikipedia」の表はちょっと違います。それを言いたかったので、変な図を描いてしました。ここのサイトで表などつくるのは至難の業ですね。あれこれいじっている内に間違って投稿されてしまいました。そのことを反省して今回は画像を添付しました。Wikipedeia を見れば分かることを何故こうまでしたかというと、以下のことを言いたかったからです。
 この表は当然、5段に分かれています。その格段に次のように言葉を付け加えて考えてください。
   尊敬語 素材敬語   為手尊敬
   謙譲語 素材敬語   受け手尊敬
   丁重語 対者敬語   聞き手尊敬
   丁寧語 対者敬語   聞き手尊敬
   美化語        上品敬語 

 謙譲語II(丁重語)は、丁寧語と同じ「聞き手尊敬」という点で共通しています。《この点が重要》
わたしは、この表の考え方に、賛意を表します。こうして、丁寧語はある部分を丁重語に取られ、また別の部分を美化語とされ、「です」「ます」「ございます」と、後わずかな接頭語だけに痩せ細り、やがて敬体という文体でしかなくなるのではないでしょうか。
「「かしこまりました」は謙譲語なのでしょう」の回答画像20

この回答への補足

 新たに質問したい話ができたもので、古い質問を放置するのはよくない気がし、数日後にはこの質問を締めたいと思います。
 いろいろと貴重なコメントをありがとうございます。
 本題に即したコメントという意味で、ベストアンサーはほかのかたにしようと思います。申し訳ございません。
 今後ともよろしくお願いします。

 で、新たな質問の件なんですが、とりあえず、下記のやり取りに強い異和感があります。是非ご参加いただきたいと思います。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8557437.html

補足日時:2014/05/26 09:26
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 各種の辞書の引用、ありがとうございます。
 細かい部分で、疑問がフツフツと湧いてきますが、『大辞林』内で見てもバラツキがあるのですから、複数の辞書を見比べはじめるとこういうことになってしまうのでしょう。ほかの謙譲語IIを調べたらどんなことになるのか……。
「ここから先は学者の仕事」と思いつつ、せっかく引用してくださったのですから、『大辞林』以外の辞書の記述について、目立った点だけメモしておきます。

■大辞泉(web辞書)
 ご指摘のとおり、いち早く「5分類」に対応しているようですね。今後、辞書と「3分類」と「5分類」の関係は注意したいと思います。

■明鏡国語辞典(電子辞書)
〈「行く」・「来る」の丁寧語〉……『大辞林』と同じ態度と思われます。個人的には同意できません。
〈「[話し手が手配したものについて]まもなく迎えの車が参ります」〉は謙譲語。
〈「[ホームで]先生、お下がりください、電車が参りました」〉は丁寧語……という考え方は、やはり5分類を出さなければ説明できないと思います。

「さあ、そろそろ参りましょうか」は丁寧語。『大辞林』も同様で「駅までご一緒に-・りましょう」 を丁寧語にしています。これは5分類の丁重語と考えればそのとおりのようです。個人的にはちょっと疑問を感じています(後述)。

■現代国語例解辞典(書籍版第二版)
 本動詞は謙譲語で、補助動詞は丁重な言い方……ウーン。
 この「丁重な言い方」は「5分類」の丁重語ではないんでしょうね。
「電車が参りました」は謙譲語ですか(「3分類」ならそうなるのですが)。
「お呼びと聞いて、(私は)走って参りました」は「謙譲語」ではなく「丁重な言い方」ですか。
 いささか無理な気がします。

■広辞苑(電子辞書にある第6版)
 3分類の「謙譲語」と考えているのでしょう。それはそれでアリだと思います。そのなかで「丁重語」的なものをどこまで説明するかは……。
 当方は菊地本を何度か読んで、やっと少しわかってきました。

 大辞泉(web辞書)と明鏡国語辞典(電子辞書)は「参られる」を誤用としているようですが、敬語界の〝二大鬼っ子〟とも言える「おられる」「申される」についてどう考えているのか是非訊いてみたいところです。


 Wikipediaの表は、そういう読み方もできるのですね。
 当方は3分類の「謙譲語」のうち一部分が丁重語(謙譲語II)になったと読みました。「敬語の指針」とほぼ同様の解釈です。すでに書いたように、菊地本は謙譲語IIの一部を丁重語にしています。
「参る」は謙譲語IIで「電車が参ります」だと丁重語。「申す」は謙譲語IIで「~とプラトンが申しています」だと丁重語……ということのようです。
 そうなると「一緒に参りましょう」を丁重語にするのには無理を感じます。
 たとえば師匠(女性)が弟子に向かって、
「私はこれから○○に参ります。一緒に参りませんか」
 と言った場合、前の「参る」は謙譲語(謙譲語II)で、後ろの「参る」は丁寧語(丁重語)なんですかね。この「ご一緒に参りましょう」はいろいろな問題を含んでいて一筋縄には行かない気がします。
 個人的には「ご一緒に参りましょう」は丁重語ではなく、謙譲語IIだと思っています(丁重語=謙譲語IIと考えればなんの違いもありませんが)。ただし、目上には使いにくいなど、制約がいくつかあるようです。かなりメンドーな話なので、ブログに書いたことから引用します。
================引用開始
「参る」に関して再確認したきっかけは、下記の質問。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8296002.html

「参りましょう」が誤用にされている、という話が気になった。
 正確な「誤用例」がわからないので、ここからは憶測をまじえる。メンドーなんで辞書は省略する。(←オイ!)
「参りましょう」の使い方は2つに大別できるだろう。

1)承諾
 トラブルが起こり、解決のために赴いてほしいと要請されたとする。
「そういうことならば、私が参りましょう」
 これはもっとも一般的な謙譲語II。語尾は「参ります」のほうが素直な気がするが、その話はパス。

2)提案
 問題になっているのはたぶんこちらだろう。
 同行者に「そろそろ参りましょう」と言う。この話は前にも書いているが、見つからなかった。キッパリ<( ̄- ̄)>
 そのときは、女性の師匠と弟子を想起した。少しかえて、水戸黄門と格さんで考える。
 道中、2人が茶屋休んでいる。黄門様が格さんを促す。
「そろそろ参りましょう(か)」
 これも一般的な謙譲語IIと考えることができる。
 逆に格さんが「そろそろ参りましょう(か)」と言ってもおかしくはないだろうが、厳密に考えるとちょっとひっかかる。黄門様も主語になるので、謙譲語IIの対象になってしまう。目上の人を自分の位置まで引きずり下ろすことになる。
 さらに言うと、目下が目上に指図している印象になりかねない。これは謙譲語ウンヌンとは別の話になる。

 現代の敬語として自然か否かという話になると、さらに微妙になる。「女性の師匠と弟子」「水戸黄門と格さん」なんて例を出したことと無関係ではない。
 部長と平社員が一緒に会社から出かける場合。
 部長が「そろそろ参りましょう」と言ったら、「誤用」ではないけどギャグでしかない。「そろそろ行こうか」くらいが自然だろう。
 平社員が「そろそろ参りましょう」だと、「誤用」とまでは言えないけど厳密にはやはりヘンだし失礼だろう。ちょっとボカして「部長、そろそろ(お)時間が……」くらいが大人の言葉づかいってものだろう。

【20131023追記】
 下記を見ると、敬語の問題で考えてもおかしいらしい。この書き手は敬語の専門家。ただ、修正案にはいろいろ疑問点もあるが……。(←オイ!)
【第29回「部長、そろそろ参りましょうか?」は○?×?】
http://www.web-nihongo.com/wn/j_manner/29.html/
================引用終了

 Wikipediaの表の話に戻ります。
「謙譲語」のうち一部分が丁重語(謙譲語II)になった。その丁重語は5分類の丁寧語と似た性質を持っている……その性質が「対者敬語」であり「聞き手尊敬」である……と考えることにしています。
 いろいろ疑問があり、そんなふうに折り合いをつけるのが精一杯です。

お礼日時:2014/03/17 17:42

この話題への回答は、「かしこまりました」を謙譲語と認めることで、終わりにするつもりだったのですが。

せっかく「お礼」の形でコメントをくださったので、一応は回答を。
> そもそも「3分類」なら(1)と(2)を分ける理由がわかりません。

 前置きとして、辞書をみる人の何パーセントが五分類を知っているでしょうか。ほとんどの人が「尊敬・謙譲・丁寧」の教育を受けて育ってきましたし、今も教育では三分類が行われているはずです。大学で専門的な国語学を学んだ人や、社会人で「敬語の指針」を読んだり、新しい「敬語」の本などで知ったりした一部の人しか、この五分類を知らないでしょう。辞書も商業の世界に位置づけらるものですから、大多数の人に分かる内容を書く必要があったはずです。
 「大辞林」の執筆に関わった人は国語・言語学関係者だけでも100名近くの学者がいます。その中には(現在から)何十年も前に発表された、渡辺実氏の敬語分類の方法をを知っている人がいたはずです。それらの人も編集方針の討議の中で、今回は「三分類」でいくことで一致したと思います。(大辞林は平成元年に初版発行)
 それにもかかわらず、「為手尊敬・受け手尊敬・聞き手尊敬」という分け方から言えば、「参る」という語の中にも「受け手尊敬」の部分を「謙譲語」に、「聞き手尊敬」の部分を「丁寧語」(他に分類法がないので)に入れたことは、むしろ見上げた見解だったと思います。だから、謙譲語の方の説明に、「聞き手と動作の及ぶ相手とが一致している場合に用いられる」という一文を加えたのだと思います。

 この間の理由が分かるように、Wikipedeaの「三分類」と「五分類」の対照表を挙げておきます。(このサイトでは罫線が満足に引けません。そのため工夫をして書きました。( )の中はわたしが書き加えたもの)

3分類 5分類               特徴

尊敬語 尊敬語       話題中の動作の主体が話し手よりも上位であることを表す語 (為手尊敬)
        〉素材敬語〈
   謙譲語        話題中の動作の客体が話題中の動作の主体よりも上位であることを表す語
謙譲語〈                                (受け手尊敬)
    丁重語        聞き手が話し手よりも上位であることを表す語
        〉対者敬語〈 → (聞き手尊敬)
    丁寧語        聞き手が話し手よりも上位であることを表す語尾の「です」「ます」「ござい
丁寧語〈                                   ます」など
     美化語   -    上品とされる言い回し・言葉遣い (上品敬語)

 丁重語という分類がなかった場合、対者敬語(聞き手尊敬)を「丁寧語」に入れなければならなかった理由が分かると思います。この部分について反論をくだされば、お答えします。
  
>伝統的には「謙譲語」とされていた……と考えるべきかな、と思います。

 山田孝雄「敬語法の研究」東京宝文館(1924年刊)を引用された、kine-oreさんのお話からすれば、研究対象になったのはこれが始めてのように思います。(敬語そのものは使われていた)だから、木枝増一「高等国文法新講. 品詞篇」にもあり、大石氏も取り上げられたと思います。木枝氏は「かしこまる」は「敬承の意」の謙譲語とされています。「継承」という語があるわけもないので、やはり疑問は残りますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>今も教育では三分類が行われているはずです。
 たしかそうだと思います。
 したがって、辞書が「3分類」を採用するのもひとつの「方針」でしょう。むしろ、「3分類」を基本にするべきだと思います。微妙なものの説明には「5分類」が有効なのでしょうが。

>「聞き手尊敬」の部分を「丁寧語」(他に分類法がないので)に入れたことは、むしろ見上げた見解だったと思います。だから、謙譲語の方の説明に、「聞き手と動作の及ぶ相手とが一致している場合に用いられる」という一文を加えたのだと思います。
 そう読むこともできるのでしょうね。
 たしかにそう考えれば『大辞林』の謙譲語がらみの記述が多少(本当に多少ですが、ナゾだらけの状態と比較すれば、大きな前進です)理解できます。ただ、あまりにも言葉足らずで、ウノミにすると混乱します。当方はまだわからないことだらけです。
 肝心の「謙譲語」「丁寧語」の項目にはそのような説明がいっさいないのですから。どこまで書くべきなのかはなんとも言えませんが。

 以下、引用は『大辞林』からです。
http://kotobank.jp/word/%E8%AC%99%E8%AD%B2%E8%AA …
================引用開始
けんじょうご【謙譲語】
敬語の一。話し手が聞き手や話中の人に対して敬意を表すために,自分または自分の側に立つと思われるものや動作などをへりくだって言い表すもの。「申し上げる」「いただく」「愚息」「拝見」「小宅」など。謙遜(けんそん)語。
================引用終了

http://kotobank.jp/word/%E4%B8%81%E5%AF%A7%E8%AA …
================引用開始
ていねいご【丁寧語】
敬語の一。話し手が,聞き手に対して敬意を直接表したり,改まった気持ちで,言葉遣いを丁寧にしたりする時に用いられるもの。口語の「です」「ます」「ございます」,文語の「侍り」「候」などの語がある。また,接頭語「お」も,「お弁当」「お酒」「お茶」などのように,丁寧語としても用いられる。
================引用終了
※この説明で、「参る」には「謙譲語」のほかに「丁寧語」の用法があるとされても……。

 以前から疑問に感じていた「参る」以外の謙譲語(II)と「あげる」の項を確認してみました。
http://kotobank.jp/word/%E7%94%B3%E3%81%99?dic=d …
================引用開始
もうす【申す】
(1)「言う」の謙譲語。動作の及ぶ相手を敬っていう。 「私は田中と-・します」 「父がこう-・しました」
(2)「言う」の丁寧語。聞き手を敬っていう。 「昔から『急がば回れ』と-・しますが…」
================引用終了
※「参る」とほぼ同様。ただしここには「聞き手と動作の及ぶ相手とが一致……」とは書いてありません。

http://kotobank.jp/word/%E8%87%B4%E3%81%99?dic=d …
================引用開始
いた・す【致す】

ア「する」の謙譲語。自己側の動作を低めて言ったり、改まった気持ちで言ったりすることで聞き手に対する敬意を表す。多く「いたします」の形で用いる。「努力を―・す所存です」「御指示どおりに―・します」「私から話を―・します」
イ「する」の丁寧語。多く「いたします」の形で用いる。「いい香りが―・します」「あと数分―・しますと重大発表が行われます」「勢の良い扇の音が、はたはたと―・しますと」〈芥川・邪宗門〉
ウ「する」の尊大な言い方。話し手が相手の行為について、自分を高い位置に置いて言う。「何を―・しておる。早く―・せ」「無用の殺生を―・すでないぞ」
================引用終了
※「参る」とほぼ同様。ただしここにも「聞き手と動作の及ぶ相手とが一致……」とは書いてありません。

http://kotobank.jp/word/%E5%B1%85%E3%82%8B?dic=d …
================引用開始
おる【居る】
(1)人・動物が存在する。そこにある。また,そこにとどまっている。
(ア)自分の動作を卑下したり他人の言動をさげすんだりする気持ちの含まれることが多い。時には尊大な物言いに用いられることもある。 「明日はまだ東京に-・る」 「いろいろ文句を言う者が-・るので困る」 「屋根の上に猫が-・る」 「昔はこの辺にも狸(たぬき)が-・ったもんだ」
(イ)「おります」で丁寧な言い方,「おられる(おられます)」で尊敬の言い方として用いられる。 「きょうは一日じゅう家に-・ります」 「先生は昔,仙台に-・られたことがある」
================引用終了
※〈「おります」で丁寧な言い方〉は意味不明です。一般に「おる」は謙譲語(II)で、「おります」はそれを「丁寧語」の形にしたもののはずです。
 これは当方の深読みかもしれませんが、「おられる(おられます)」を「尊敬の言い方」にするための苦肉の策だったような。

http://kotobank.jp/word/%E4%B8%8A%E3%81%92%E3%82 …
================引用開始
あげる【上げる・揚げる・挙げる】

(12)「与える」「やる」の丁寧な言い方。 《上》 「この本,あなたに-・げます」 「ほうびを-・げる」 「子供におやつを-・げる」 「鳥にえさを-・げる」
(13)神仏に供物(くもつ)を捧げたり,祈りの言葉をささげたりする。 《上》 「お墓に線香を-・げる」 「仏前でお経を-・げる」 「祝詞(のりと)を-・げる」
================引用終了
※「あげる」は本来は謙譲語(I)のはずで、近年美化語化しつつあります……というのは菊地本の指摘です。このあたりは、No.16でOKATさんが書いた『敬語の指針』と同様です。



>丁重語という分類がなかった場合、対者敬語(聞き手尊敬)を「丁寧語」に入れなければならなかった理由が分かると思います。この部分について反論をくだされば、お答えします。
 当方はこれまで「反論」などしているつもりはありませんし、これかもする気はありません。
 No.14の「お礼」に書いたことを再掲します。
================引用開始
 3分類では、現在の謙譲語Iも謙譲語IIの区別なく「謙譲語」としていたので、「参る」は謙譲語だったのでは? 当方は敬語のちゃんとした勉強を始めたのはほんの数年前で、なんとか5分類で考えようとしているのせいもあって、そのへんは曖昧です。
 Wikipediaの「敬語」の表を見ても、『大辞泉』の「謙譲語」の項を見ても、〈区別なく「謙譲語」としていた〉と思うのですが……。
================引用終了
「丁重語」の分類がないのなら、「謙譲語」にするしかないと思います。Wikipediaの表でも、「丁寧語」は〈語尾の「です」「ます」「ございます」など〉と明記しています。
「5分類」の丁重語は、「3分類」では「謙譲語」でしょう。
『大辞林』のように独自の解釈(否定する気はありません)をするなら、それなりの説明が必要なのでは。

お礼日時:2014/03/15 13:16

>見落としてはいません。



 もう一度「大辞林」の説明を転記します。「エキサイト国語辞典」の名で見つかります。
まいる[参る]
( 動ラ五[四] ) 〔「参(まゐ)入(い)る」の転〕
一 (自動詞)
1.
(1)
「行く」「来る」の意の謙譲語。動作の及ぶ相手を敬う。聞き手と動作の及ぶ相手とが一致している場合に用いられる。 「また明日二時に-・ります」 「お客さま,お迎えの車が-・りました」 「はい,すぐにそちらへ-・ります」
(2)
「行く」「来る」の意の丁寧語。聞き手への敬意をこめていう。 「駅までご一緒に-・りましょう」 「このバスは市役所へ-・りますでしょうか」

Wikipedeaの注に関して
 注はわたしがつけたものではないのでこれ以上は触れません。

kine-oreさんが上げられた山田孝雄氏の「敬語法の研究」のなかに出ているので、「最後の国学者」である氏に敬意を表して「かしこまりました」を「謙譲語」と認めておきましょう。ただ、山田氏自身も持てあましたらしく、何という語の謙譲語には触れてありません。わたしも「かしこまりました」の形でしか使えないこの語にはこだわりを残しつつ、ですが。

国立国会図書館がこんなサービスを行っているのですね。特定の人しか使えないサービスなのかな。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>もう一度「大辞林」の説明を転記します。「エキサイト国語辞典」の名で見つかります。
 何度か読み直したのですが、どこが食い違っているのかわかりません。
 当方が参照した『大辞林』は下記です。
http://kotobank.jp/word/%E5%8F%82%E3%82%8B?dic=d …

 記述は同じもの思えます。当方はそれを読んでNo.16の「お礼」に下記のように書きました。これも本題との関係は稀薄なのでこれ以上ふれないほうがよいのでしょうか。
================引用開始
>(1)を見落とされているのではありませんか。(2)が丁寧語です。
 見落としてはいません。
 (2)は、「3分類」なら謙譲語、「5分類」なら謙譲語II(丁重語)でしょう。
 そもそも「3分類」なら(1)と(2)を分ける理由がわかりません。
 いずれにしても「丁寧語」はないと思います。「(やや)丁寧な言い方」くらいならわかりますが。
================引用終了


>「最後の国学者」である氏に敬意を表して「かしこまりました」を「謙譲語」と認めておきましょう
 伝統的には「謙譲語」とされていた……と考えるべきかな、と思います。

お礼日時:2014/03/14 10:02

#15です。



>「かしこまりました」を謙譲語にしている文献がほかには見当たらない……ということであるなら、少数派なんですかね。
 :
それはあまりに結論付けが性急ではないでしょうか。

#12で上げた「かしこむ【畏む】[自動詞]《「受ける」意の謙譲語》つつしんで承る。承諾する。」(「全訳読解古語辞典」三省堂)」がありますし、このような古風な敬譲語については、今では一部のビジネス敬語ハウツー本には生き残っていますが、それ以外では古い本を捜すことになります。
そもそもこれらの論議に欠かせない根本史料の一つは、菊地「敬語」の文献欄にも掲載のある次の書籍になるでしょう。
山田孝雄「敬語法の研究」東京宝文館(1924年刊)
この「第三章 口語の敬語法 第5項 動詞の敬語」において、次のように列記しています。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1812543/21
甲…絶対謙称(謙譲語B相当):まうす。いたす。…うけたまわる。かしこまる。…
乙…関係謙称(謙譲語A相当):いただく。あがる。うかがう。あげる。…

ここでは「うけたまわる」については、大石や菊地の「謙譲語A」とは仕訳が異なっています。

また木枝増一「高等国文法新講. 品詞篇」東洋図書(昭和12-13年刊)、この「第4章 動詞 二謙譲の動詞」においては次の通りです。
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1117756/125
謙譲の動詞:うけたまわる(聞く意)、かしこまる(敬承の意)…

この動詞としての「かしこまる」ですが、それが対話の世界における慣用の対応語としての「かしこまりました」になっていったこと、それがいまだに、ビジネス語においては当然のごとく生き残っているということでしょうか。

「上司の指示に対する受け答えは、「かしこまりました」「承知しました(いたしました)」です。この前に「はい」という返事がつけば満点です。」(「上司の指示に「わかりました」は使えない」(本郷陽二監修「頭のいい人の敬語の使い方」日本文芸社))

候文以降長年にわたり様式化された書式や手紙文において、また長幼や身分の弁えが前提となった会話応答語においても、今や大きな変容の時代に差し掛かっている中で、さらに手紙ほど固くなく、会話語ほどくだけてない、EメールやMixiなどの電子通信・会話語が大きな領域へと拡大と一途を遂げつつあるなかでの、待遇表現とは敬語体系とはいかなるものとなりつつあるのか、それには早急な極め付けや自説の押し付けではなく、「知らないことは知らないとする、それが知るということだ(不知為不知、是知也)」ということではないでしょうか。Slow but sure.
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>それはあまりに結論付けが性急ではないでしょうか。 
 それは失礼しました。もう少し気長に考えることにします。

 あげていただいた書籍を手にするか否か、かなり悩んでいます。

>この動詞としての「かしこまる」ですが、それが対話の世界における慣用の対応語としての「かしこまりました」になっていったこと、それがいまだに、ビジネス語においては当然のごとく生き残っているということでしょうか。
 そうなのかもしれません。
 当方は、「何も考えていないだけなのでは……」と疑っています。
 例にあげていただいた書籍もそうですが、たいていの書籍もサイトも、「かしこましました」を強い謙譲語性をもつ言葉として扱っている気がします。
 しかし、「謙譲語」であるか否かを明記している資料はほとんど見たことがありません。検討している例も……。
 そのことに対する疑問が、そもそもの質問の趣旨です。

お礼日時:2014/03/11 22:08

>ただ……〈大辞林が「参るを丁寧語と記している」のは当然のこと〉ですか?


[大辞林」も「謙譲語」という説明があります。(1)を見落とされているのではありませんか。(2)が丁寧語です。

>「三省堂のサイトとWikipediaの一覧表」に関しては「丁寧語」の定義がさっぱりわからないので……(とくにWikipediaは)。

 「上げる」の注
旧来の規範では謙譲語とされていたが「謙譲語から美化語に向かう意味的な変化」が定着しつつあり、文化審議会答申「敬語の指針」において敬語意識の多様性に留意すべき一例とされた。

「休む」(寝るの丁寧語)「亡くなる」日本国語大辞典(小学館)は「尊敬表現や謙譲表現を用いるべき人に対しても、単に「なくなる」ということもできる。」としている。
それ以外については説明できません。

>「かしこまりました」は謙譲語ではない、ということでよろしいでしょうか。
 わたしの仮説が否定されない以上は、謙譲語ではないと答えておきます。

 kine-oreさんのコメントを拝読しますと、この人は学者のお一人だと感じます。紹介されている「渡辺実の『敬語体系』の分析」は何とか分かりますが、「敬語体系における相似的階層構造」になると理解できる範囲を超えています。 
 
学問的な話題は、やはり学者に任せるべきではありませんか。(というアドバイスです)
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>(1)を見落とされているのではありませんか。(2)が丁寧語です。
 見落としてはいません。
 (2)は、「3分類」なら謙譲語、「5分類」なら謙譲語II(丁重語)でしょう。
 そもそも「3分類」なら(1)と(2)を分ける理由がわかりません。
 いずれにしても「丁寧語」はないと思います。「(やや)丁寧な言い方」くらいならわかりますが。
 
>文化審議会答申「敬語の指針」において敬語意識の多様性に留意すべき一例とされた。
「丁寧語」ではないはずです。

>「休む」(寝るの丁寧語)「亡くなる」日本国語大辞典(小学館)は「尊敬表現や謙譲表現を用いるべき人に対しても、単に「なくなる」ということもできる。」としている。
「三省堂のサイトとWikipediaの一覧表」は『日本国語大辞典』に従っていますかね。
 ちなみに「なくなる」に関する菊地本の解説は下記です。P.262には〈「死ぬ」の意の婉曲表現あるいは美化語〉とあります。この「美化語系」や「美化語」を「丁寧語」と解釈することはできなくはなさそうですが。「休む」は敬語扱いしていません。
 当方の『敬語再入門』の感想文からひきます。
================引用開始
【引用部】
Q.「なくなる」は「死ぬ」の尊敬語ですか。
 「死ぬ」という直接的な表現を避けて婉曲に述べた故人への配慮の表現ですが、身内にも使うので、普通の意味での尊敬語とはいえません。むしろ美化語(→§52)系でしょう。「なくなられる」「おなくなりになる」と言って初めて尊敬語になり、これは身内には使えません。(P.61)
 ひとつ疑問が解けた。「なくなる」自体はやはり尊敬語ではない。
================引用終了

>学問的な話題は、やはり学者に任せるべきではありませんか。
 ちゃんとした学者がちゃんと書いてくれればよいのですが……。
 当方はネット上で目にする学者の論文はほとんど理解できません。

お礼日時:2014/03/11 21:56

#13です。



>「為手尊敬」「受手尊敬」「聞手尊敬」……字面がちょっとですが、意味は明解ですよね。カッコ書きでいいので、このニュアンスを入れてほしかった。
 :
菊地「敬語」の文献欄(473頁)の渡辺実「国語文法論」は大変刺激的な著作で、大いに勉強させられたものでした。
その最後の「附」という追加項目として「敬語体系」の概説があり、この視点との対照なしには今日的な敬譲表現論は語れないのではないかと不安を覚えるほどでした。
参考:盧顕松「渡辺実の「敬語体系」の分析」
https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream …

「敬語の指針」の5分類、特に謙譲語と丁寧語の二分化の背景について、素材敬語から対者敬語へ、「他者に対する自己の存在」への傾斜の行末を論じている次の論文も気になります。
川岸克己「敬語体系における相似的階層構造」
http://lib.jimu.yasuda-u.ac.jp/library/reposit/b …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 渡辺実氏の名前はつい最近mixiでのやり取りにも出てきました。「せっかく」と「わざわざ」の話でした。
 どこまで専門的な話を参考にするか悩ましいのですが、ご紹介の論文は当方にはむずかしそうです。

 で、本題に関しまして。
 大石氏の見解は勉強になりました。ありがとうございます。
「かしこまりました」を謙譲語にしている文献がほかには見当たらない……ということであるなら、少数派なんですかね。

お礼日時:2014/03/11 10:16

 質問者の補足について、いちいち引用していると、いつも長文になるので、今回はご意見を含んだ上で書きます。


Web上の辞書は信用できないというお考えですが、質問者が要求されるのが「謙譲語II」に関する記述であれば、「大辞林」「大辞泉」の再新版が出てから何年か経っているはずだから、ないのが当然です。一方、敬語の指針の答申がでたのは平成19年でした。その後の文科省の扱いがどうなったかというと、新展開は見られなさそうです。まだ教育にどう生かすか、という所までは行っていないようです。
 したがって、辞書の方でも用語等の書き換えは進んでいないと思います。いわば、様子見の段階でしょう。質問者が指摘された、大辞林が「参るを丁寧語と記している」のは当然のことでした。それ以外に書きようがなかったからです。ただ、デジタル辞典を称している「大辞泉」はネット上では2万語以上補充されたそうですから、次のような記述に影響は見られると思います。

            大辞泉の「参る」の説明
2 主として会話に用い、聞き手に対し、「行く」「来る」を、へりくだる気持ちをこめて丁重に表現する丁寧語。
(ア)「行く・来る」の先方が聞き手のところの場合には、その先方を敬いながら、「行く・来る」を丁重にいう。「明日、お宅へ―・ります」「御当地に―・って、はじめて知りました」
(イ)単に「行く・来る」を丁重にいう場合。このときにも謙譲の気持ちは残るので、敬うべき人の動作には用いない。現在、「先生もまいられますか」のような言い方は適切でないとされる。「私の家に弟が―・るはずです」「列車が―・ります」「雨が降って―・りました」

「敬語の指針」にいち早く反応したのは、当然ながら国語学者と敬語に関心を持つアマチュア(わたしも含む)、そしてネット上に「敬語」付いて書く人々です。すでにこの考えが支配的になると予想し、先取りする形で書物を出版していた学者もあり、ネット上にもWikipedeaの記事が書かれたました。
 しかし冷静に考えてみると、この分類法の変化によって、従来からの敬語の用法に根本的な変化はありません。あるとすれば敬語の説明の変化でしょう。

 一方、問題にされた三省堂のサイトとWikipediaの一覧表ですが、同一人物が書いた物か、どちらかが引き写したと思います。質問者がおっしゃる「丁寧語」はどちらにも載せてあります。取り敢えず、紹介だけします。
 上げる(注)・申す・参る・おる・求める・参る・亡くなる(注)・致します・頂く・休む
の10語です。「致します」が有る理由は不明ですが、(注)が付いているものはそのサイトに理由が記されています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 いわば「様子見の段階」という面はあると思います。
 ただ……〈大辞林が「参るを丁寧語と記している」のは当然のこと〉ですか?
 3分類では、現在の謙譲語Iも謙譲語IIの区別なく「謙譲語」としていたので、「参る」は謙譲語だったのでは? 当方は敬語のちゃんとした勉強を始めたのはほんの数年前で、なんとか5分類で考えようとしているのせいもあって、そのへんは曖昧です。
 Wikipediaの「敬語」の表を見ても、『大辞泉』の「謙譲語」の項を見ても、〈区別なく「謙譲語」としていた〉と思うのですが……。

『大辞泉』の「参る」の項も不明点が多いのですが、『大辞林』よりもマシな気がします。本題から外れるのでパスします。ちなみに、2013年10月19日の朝日新聞には下記のようにありました。その影響かもしれません。
================引用開始
独自性を問われる生き残り競争の中、大辞泉が追究するのは「生きのよさ」だ。電子版は4カ月に1回、2千~3千語を増やしている。(夕刊1面)
================引用終了

「三省堂のサイトとWikipediaの一覧表」に関しては「丁寧語」の定義がさっぱりわからないので……(とくにWikipediaは)。これも本題から外れるのでパスします。

 本題に関して確認させていただきます。
「かしこまりました」は謙譲語ではない、ということでよろしいでしょうか。
 No.2のコメントを見るに、「承知する」も〈「謙譲語」とは断じ難い〉ということですよね。

お礼日時:2014/03/10 20:42

#7です。



><謙譲語A><謙譲語B>……いまは謙譲語I、謙譲語IIと言うようです。
 :
菊地康人は「敬語」はもちろん、そのコンパクト版「敬語再入門」においても謙譲語AB分類で記載しています。
ところが11年後の文化審議会「敬語の指針」に合わせて、翌年文庫版となった時点で謙譲語I・IIとしたものです。

ABでは外国語だから忌避したとすればローマ数字に替えたことで、1)通信では環境依存文字(I・II)で使用不可、2)アラビア数字では序数か基数か混乱しやすいし中間表示12が二桁(十二)と混同する、3)大文字のアルファベットIを代用すると分かり難く中間的な謙譲語ABの表示では謙譲語IIIとなり中丸やブランクなしでは表示できなくなる、3)どうせアルファベット使いならABが簡単・明解─など不都合だらけですが、ABでは既に1975年に大石初太郎が唱えていたことから止むを得ず、その明快性より文化審議会としてのメンツを先行させたのかと疑りたくなります。

そもそも菊地康人は、大石初太郎においてはあくまでも「便宜的なものとはことわらずに、この呼称をとられる」と語りながら、彼自身が審議会入りしてからはなお一層「便宜的なもの」へと<改悪>してしまったようにも思われてなりません。

「敬語」の記載からすると本当なら、次のような渡辺実の6分類説を念頭に置いていたように思われます。(参照:257頁)
尊敬語  →為手尊敬
謙譲語A →受手尊敬
謙譲語AB→敬語抑制
謙譲語B →卑下謙遜
丁重語  →聞手尊敬
丁寧語  →品格保持
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>明快性より文化審議会としてのメンツを先行させたのか
 ちょっと笑ってしまいました。
 たしかに「謙譲語I兼謙譲語II」より「謙譲語AB」のほうが素直ですね。

 当方は最初に目にしたのが謙譲語Iと謙譲語IIなので、何も考えずにそう呼んでいました。

>「敬語」の記載からすると本当なら、次のような渡辺実の6分類説を念頭に置いていたように思われます。(参照:257頁)
 この記述は失念していました。ありがとうございます。
「為手尊敬」「受手尊敬」「聞手尊敬」……字面がちょっとですが、意味は明解ですよね。カッコ書きでいいので、このニュアンスを入れてほしかった。
「品格保持」もいいなぁ。

お礼日時:2014/03/09 21:18

>>ご質問はあくまでも「辞書やサイトで、謙譲語か否かを明記しているものがあったら教えてください」でしたので、#4にて大石初太郎のケースをあげ、#7ではそのような見解と別の視角もある点に触れました


 その点は理解していると思います。(←弱気)
 :
ここでの#4は誤りで、正しくは#3です。お詫びと共に訂正いたします。
#3で上げた大石初太郎の仕分け謙譲語Bについては、挨拶語「かしこまりました」の形として、会話の世界での相手に対する応答語としての位置づけなのでしょう。
その原形となるのは次の古語でしょう。
「かしこむ【畏む】[自動詞]《「受ける」意の謙譲語》つつしんで承る。承諾する。」(「全訳読解古語辞典」三省堂)
この場合は話題の世界での補語を高める謙譲語Aと見做せます。

なお、ご質問にもありましたが、このような語解での「つつしんで承る。承諾する。」について、特に後段の「承諾する」については前段の「つつしんで」が重なった意味合いを考慮して、本来は「「承諾する」の謙譲語である「つつしんで承諾する」や「承諾申し上げる」と明記されるべき表記の簡略形であると見るべきでしょう。

ちなみに同書での次の記載(特に(2)と語義解釈)を引用しておきます。
「うけたまわる【承る】[他動詞](1)(「受く」の謙譲語)お受けする。(2)(「承諾する」の謙譲語)承諾申し上げる。(3)(「聞く」の謙譲語)お聞きする。拝聴する。(4)(「見る」の謙譲語)」拝見する。【語義解釈】目上の人のことばや命令をお受けする意の謙譲語で、転じて、承諾する、拝聴する意にも用いられる。」

一方、菊池康人「敬語」においては、謙譲語Aである「承る」の「聞く」の意ではなく「引き受ける」意のように「応答として使う場合(この場合は「かしこまりました」と同じような働き)もあるにせよ、あまり一般的ではない。」(「同書」343-4頁)と説明しています。

このように応答語や挨拶語として用いられる場合には、本来の謙譲語Aである側面が薄れて、会話の世界において直接対面している相手への謙譲語Bの面が強調されるのだと見てはいかがでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 No.13のコメントを尊重し、kine-oreさんへのお礼に限って謙譲語A謙譲語Bの書き方をします。

>ここでの#4は誤りで、正しくは#3です。お詫びと共に訂正いたします。
 一瞬戸惑いましたが、すぐに単純なミスとわかったので、そんなことでいちいち「お詫び」するのはやめてください。そんなことが一般化したら、人一倍入力ミスが多い当方はコメントしにくくなります(泣)。

『敬語』の343-4頁の記述を確認しました。
 これ微妙ですね。「承る」を「応答」として使う場合は「かしこまりました」と同様で、謙譲語Aではない……ととれる気もします。
 なにしろ菊地本は「かしこまりました」を謙譲語にしていませんから。
 にわか菊地信者としては、〈「かしこまりました」は謙譲語ではない〉のほうに傾きつつあります。

お礼日時:2014/03/09 20:50

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!