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次の文章はどこがおかしいでしょうか。それとも、おかしいところはないでしょうか。

話を聞いている人、読んでいる人が、どうすれば興味深く聞いたり読んだりしてくれるのか、考えながら書かなければならない。

(補足) これは、樋口裕一氏の本「わかりやすい文章を書く技術」の一節です。その166~167ページに次のように書いています。

>面白く、わかりやすく伝えるには、相手の反応をうかがいながら(書くことにおいては読み手の感じ方・捉え方を想像しながら)話を進めなければならない。話すことと書くことには共通点が多い。
>読者の方も、テレビなどでコメディをやっていた人がシリアスな芝居をすると、とてもうまいものだなぁと感心することがあるのではないだろうか。伊東四朗さん、ビートたけしさんなどコメディ出身者の多くが味のある演技を見せてくれる。映画「『鉄道員(ぽっぽや)』で見せた志村けんさんの演技も見事だった。コメディをやっていた人たちは、どのようにすれば相手に受けるのかを知っているのだろう。

>それと同じことで、話を聞いている人、読んでいる人が、どうすれば興味深く聞いたり読んだりしてくれるのか、考えながら書かなければならない。
>(以下省略)

A 回答 (10件)

No.4です


わざわざお礼を記入頂きありがとうございます。
尚、補足でお問い合わせを頂きましたので説明させて頂きます。

>話しを聞いている人、本を読んでいる人が、興味を持って聞いたり読んだりしてくれるようにするのには、どうすれば良いのかを考えなければならない。
とするのは、どうでしょうか。

「本を」を追加されたことで、文章の主旨がより明確になったと思います。
出典の表題が「わかりやすい文章を書く技術」とのことですので、「本を」の代わりに「文章を」でもよろしいのではないかと思います。
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この回答へのお礼

重ねての回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/17 15:55

 夜分に失礼します。

なるほど質問者様の立場は文章と喧嘩してしまうとの形なのですね。それでは文章を読んで違和感ばかりをお持ちになることも理解できました。

 >読者に少しでも「あれっ?」と思わせるような書き方をすれば、読者にとってそれは非常に迷惑な話です。読者は、その本を理解するために読み返すことになります。すなわち、著者はそこで読者に読み返すことを強要していることになります。
何を書いているかわからない本は無理して読む必要はないという意見もありますが、無理して読み直すことによって理解しようという読者もいる訳です。著者はそのことをもっと自覚すべきです。

 文章の世界にも幾つかの領域があります。大別するなら二つに分けることができます。一つは物語の文章、そしてもう一つは説明の文章です。
 けれども何れの世界にも型どおりの文章でないものが多く含まれることも事実です。文法的な側面からすれば逆接接続詞を使う表記及び表現であり、文章展開としては序論・本論・結論の形ではなく、結論から提示しそれを検証していく形もあります。自分が気に入らないからといってそうした形を排除したまま、或いは書き手に文句を言うのは筋違いではないでしょうか。
 読み返しは必ずしも強要とはいえない。なぜそうなるのかとの論理展開を確認するためには必要な作業といえます。つまりは本なり文章と読み手の対話ともいえ、更には初対面の人と話す時の状況に近いともいえます。
 相手がどの様な人物であるのかを知るにはどの様な方法をとるでしょう。「あれっ?」と感じさせてしまうのは、無意識の前提として自身の見解や思い込みを是とするとの意識が働いているからでもあり、それでは異見が出された時に無意識のうちに拒否反応を示してしまうともいえます。
 ですから「本を読む時の注意」としては、頭の中を真っ新にして向き合うことと、その本の中で論旨に乱れがないかどうかを基準として付き合うことをお勧めします。一つの結論に対し、論証過程に齟齬や矛盾があれば結論も成り立たず、それを無理矢理こじつけている時に感じるのが、本来の「あれっ?」や「おやっ?」です。
 こうした前提を踏まえて一つの提案をさせていただく形になりますが、それは文章や本の論旨と読者が持つ価値観との間で喧嘩することは、文章や本を読むこととは全くの別問題であることを頭の片隅にでも置かれておくことをお勧めします。

 質問に例示された三つの段落の関係は、第一段落が枕振りの抽象的な表現、それに具体性を与えるのが第二段落、そして第三段落は第一段落の内容を繰り返すことで著者の主張とする。これだけのシンプルな構造です。

この回答への補足

>そして第三段落は第一段落の内容を繰り返すことで著者の主張とする。これだけのシンプルな構造です。

その「第三段落」を私は問題視しています。そこには明らかに表現の重複やねじれのようなもの(上手く表現できませんが)があります。

主語と述語が対応していなかったり、「あれ」とか「それ」とかが何を指すのかはっきりしなかったりといったケースと同じです。だからこそ、読んでいて「あれっ?」となるのです。

素直に読み進むことができないとなると、読み返すことになります。著者は、読者にそういう余計な手間をかけないようにわかりやすく記述して貰いたいと、私は思います。

補足日時:2014/03/17 16:07
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この回答へのお礼

>夜分に失礼します。なるほど質問者様の立場は文章と喧嘩してしまうとの形なのですね。それでは文章を読んで違和感ばかりをお持ちになることも理解できました。


「夜分」であろうがなかろが、それはまったく関係ありません。回答があったからと言ってもそれをすぐに見なければいけない訳ではありません(すぐに見ることのできない状況もあり得ます)。

私は、文章を読んで違和感ばかりを持っている訳ではありません。共感する文章に対してはそれなりに評価しています。そういうブログに出逢えば、私は共感するコメントをするように心がけています。

回答ありがとうございました。

http://mondai-kaimei2011.blog.so-net.ne.jp/2014- …

お礼日時:2014/04/14 12:39

No.7の方の回答と同意見です。



ですので別の解釈と意見を以下に。

抜粋された部分の大意を解釈すると、大筋で文章を書く人が気をつけるべき、
心得を述べており、これに対して反論する余地も残しています。

内容的には一般的に述べられており、新しくはありません。

しかし、書き手と言うのは非常にクレバーですから、表向の対象とは別の人に
向けて、別の意味をこめている場合があります。

たしかに、この文章には、

「誰かを助けようとする記事」に見せかけつつ「誰かを批判する」

ニュアンスがありますね。

斜めに大意をつかむと、

「考えの足りない奴は面白い文章をかけない」

と言っておりますから、

「文章がかけない奴は、考えが足りない」

と、言うメッセージにも受け取れてしまいます。

わかりやすい文章を書きたくて、悩んでいる人向けの本のはずです。

そう言う人に対して、思いやりが足りないかもしれませんね。

漠然と腹が立つ本、記事、映画、アニメがあると思います。

こうした仕組みが使われております。

なんだか悔しく成る場合は、はめられたと思いましょう。

ですので、

上手に話せなくても、上手に書けなくても、いいのです。

しかし、心の自衛はしないとけない。

書き手は、時々こういうことをしますので、

相手の不誠実な意図を見抜ける程度に、読み方を学ぶ必要があります。

偉そうにいってますが、
私も学生時代はまったくわからず、好きな作者に心を傷つけられた経験があります。

国語の時間に、先生が教えていたことは、

こうした書き手の暴力から、自分を守る技術だったのだと分かりました。

ですので、私の意見。

質問者さんが言うほど、文章がわかり辛い訳ではない。

ただ、読む人の事を本当に、この作者が考えているならば、

自分の本をありがたいと思って読む人のことをもっと想像するべき。

その人の事情をもっと考えるべきですね。

以上、ご参考になれば。

この回答への補足

>自分の本をありがたいと思って読む人のことをもっと想像するべき。

そうですね。本を読んで理解しようという読者を困惑させないように、著者はわかりやすく書く責務があるはずです。

読者に少しでも「あれっ?」と思わせるような書き方をすれば、読者にとってそれは非常に迷惑な話です。読者は、その本を理解するために読み返すことになります。すなわち、著者はそこで読者に読み返すことを強要していることになります。

何を書いているかわからない本は無理して読む必要はないという意見もありますが、無理して読み直すことによって理解しようという読者もいる訳です。著者はそのことをもっと自覚すべきです。

補足日時:2014/03/15 16:14
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/14 12:00

 既に優れた回答が寄せられていますので、多くを説明することを控えさせていただきますが、一言。


問題の文章には、構成としてさほどの破格や崩れも観られず、日本語としても崩壊している状態とは言い難いでしょう。
 第一パラグラフ(最初の>部分)では、枕振り(課題設定)がなされ、それを受ける形が第二パラグラフ(次の>部分)が提示され、具体的に補足する形。
 そして第三パラグラフ(三番目の>部分)の冒頭にある「それ」は第一および第二パラグラフの内容趣旨を「文章を書く人」はどう心掛けねばならないかを説明している。全体として、たったこれだけの内容です。
 但し「読者によっては誤読する可能性」を誘発させると考えられる点として
(1)第三パラグラフの文では「主語の省略」がみられる
(2)その「主語」が読み手によっては、幾つかに別れる可能性もあり、それによって全く文意が逆になり得る可能性もある
 との問題点です。

 (1)の問題を文の骨格として説明するなら「誰が」考えながら書かねばならないのかとの主題と関係してもきます。
 そのまま読めば筆者なり著者になりますが、その直前にある「話を聞いている人、読んでいる人が」の「が」を中には主格を表す格助詞と勘違いする読者がいる可能性もあり得るでしょう。この「が」の扱いを「対象を特定させる」目的と明確にするならば、「話を聞いている人、読んでいる人にとって」とすれば、確実に誤読を防ぐことができます。
 そして「筆者著者は考えながら書かなければならない」とすれば、文意を確実に伝えるところとなります。

 >それはプロとして恥ずべきことです。プロならプロらしく厳しく意見するべきだと、私は思います。
 >読み手の都合を考えない著者がいることに私は怒りを覚えます。著者は、読み手に負担を掛けないような記述を心掛けるべきです。

 仰りたい気持ちは解ります。けれどもそれは質問者様が個人でお持ちになる文章理解であって、それを全てに適用するというのは如何でしょう。
 編集者や校正者の仕事の中心にあるのは「文意を変えない」との仕事とされています。そのため、中には態々と今では使われない言葉を文の中に忍ばせるなどの高等技術を駆使する方もいらっしゃり、また編集過程の最後は「著者校正」ですから、著者が許諾を示させねば編集者は脱稿を認めることはありません。下手をすれば振り出しに戻って全てをやり直すかお蔵入りになります。
 しばしば俎上に挙げられる法律家の文章があります。法に携わる方々は不特定の相手に対し、懇切丁寧に説明しようと「勝手に考えて」文章を練りもしますが、それが逆効果を生んでもいるとの皮肉な現象もあります。
 中学校から大学院までの課程にいる学生を相手にしてきた経験からすれば、貴重な時間と仰るほどの大仰なものでもないでしょう。それほど目くじらを立てる意味があるのかなとも感じます。
 生徒や学生の文章を目の前にしたら、きっと質問者様はめまいを起こして卒倒してしまうことであろうと感じます。

この回答への補足

>生徒や学生の文章を目の前にしたら、きっと質問者様はめまいを起こして卒倒してしまうことであろうと感じます。

樋口裕一氏がその著書「わかりやすい文章を書く技術」の中で同様のことを書いています。

樋口氏は、わかりやすい文章を書くことを指導している訳ですが、その著書の中にも訳のわからない記述や、表記の不統一があります。教える立場の人がこういうことでは、生徒がまともに書けるようにならないのも無理もないのではないかという気もします。

私が問題にしているのは、第三パラグラフです。

>それと同じことで、話を聞いている人、読んでいる人が、どうすれば興味深く聞いたり読んだりしてくれるのか、考えながら書かなければならない。

これを分解すると次のようになります。

  話を聞いている人が ⇒ どうすれば興味深く聞いてくれるのか、
 (本を、文章を)読んでいる人が ⇒ どうすれば興味深く聞いたり読んだりしてくれるのか、

  考えながら書かなければならない。

この文章がおかしいのは、「話を聞いている人が考えながら書かなければならない」となるからです。つまり、

(誤)考えながら書かなければならない。⇒(正)考えて話したり書いたりしなければならない。

ということです。

補足日時:2014/03/17 16:40
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/14 12:00

他者の興味を探り、それに引擦られての文章が良い物であるはずがない。

そもそも、基本概念に重大な誤りがある。

自身の信念、思想哲学に忠実であることが、第一であるべき。そういうことは当たり前のことで、他者(観衆・読者等)にその都度引っ張り回されていては、一貫性とか、統一感のある全体文脈が形成されない。作品ごとに、その都度、見方や視線の角度が変わっていては、文学分野ならば、そういうものは「純文学」とは言えないし、国文科の「卒論」対象にも成り得ない。あるいは、その都度、言い方が変わる作家の「作家論」など、何を言っても合格になってしまう。

例えば、日本の大新聞がダメなのも、まさに、そのあたりが好い加減な為。あれだけの大部数を発行しようとすると、どうしたって、ミーちゃん、ハーちゃんに受け入れられる馬鹿情報を発信し続けなくてはいけなくなる。

海外の有名な新聞が、30万部前後であるわけで、このあたりの数字が適切(限界)。このあたりまでの数字に限定できていれば、ハイクラスを狙った、つまり、知的下層者には、届かなくて良い報道が可能になる。

あらゆる人に届けようと思った時、それは、噛み砕いたり、安直な言葉を駆使することを強いられたりして、必ず、間違った情報として伝達されることになる。安直表現が、真実から、本質から、情報内容を遠去けていく。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/17 15:54

#2です。



1.
>「それ」とは何か。「それ」と言われてもピンと来ない。ここは、「味のある演技をする人が観てくれる人(視聴者)のことを考えて演技しているのと同様に」とすべきではないか。

「それ」というのは、基本的に直前に書かれている内容を指す場合がほとんどです。
今回の例の場合、
『それ=コメディをやっている人たちが、どのようにすれば相手に受けるのかを知って(演技して)いること』です。

2.
また著者は、「話す」ことと「書く」ことを混同している。「話す」ときには「聞く」人のことを考えて「話す」必要があるが、「書く」ときに考えなければならないのは、「読む」人のことだ。

おっしゃるとおりですが、「混同している」わけではありません。
「どうすれば興味深く聞いたり読んだりしてくれるのか、考えながら書かなければならない」というのは、「どうすれば興味深く聞いてくれるのか、また、どうすれば興味深く読んでくれるのか、考えながら書かなければならない」という意味なのに、「どうすれば興味深く聞いてくれるのか」に対応する「(考えながら)話したり」という部分を書き忘れている。
ということです。
いずれにせよ、ここは、筆者の書き間違い、ということになります。
ただ、全く意味が通じなくなる非論理的な文ではないので、筆者の言いたい本質は伝わるはずです。
いわゆるケアレスミスという部類の間違いになると思います。
あとは、ケアレスミスでも絶対に許さん!と思うか、まあ、全く意味が通じないわけじゃないから、これぐらいなら許せるが、とりあえず気をつけて欲しいもんだなあ、と思うかの違いだけでしょうね。

この回答への補足

>いわゆるケアレスミスという部類の間違いになると思います。

確かにケアレスミスだと思います。

しかし、どうしてそういう迂闊なミスをするのかと、私は思います。

著者は推敲の大切さも訴えています。こういうミスを見逃しているということは、推敲をしていないのではないかと邪推してしまいます。

これは著者だけの責任ではありません。編集者の責任でもあります。著名な人気のある著者に対して何も言えない編集者もいるようですが、それはプロとして恥ずべきことです。プロならプロらしく厳しく意見するべきだと、私は思います。

読んでいて「おやっ?」と思うところがあると、読み返すことになります。そうすると余計な時間を掛けることになります。それは読者の貴重な時間を無駄に奪うことになります。

読み手の都合を考えない著者がいることに私は怒りを覚えます。著者は、読み手に負担を掛けないような記述を心掛けるべきです。このことは、“「書く技術・伝える技術―一読理解、誤解なし!仕事の効率がぐんぐん上がる!!”の著者の倉島 保美氏も指摘しています。

補足日時:2014/03/05 15:06
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

著者は、その本で次のようにも書いています(172ページ)。

>「人のふり見て我がふり直せ」のことわざにも通じるが、他人のヘタな文章を添削する行為は、自分の文章を書くときの参考になる。ヘタでわかりにくい文章の成り立ちは、わかりやすい文章の反面教師となる。

自分で「反面教師」という言葉を使っています。笑ってしまいます。

お礼日時:2014/03/05 15:31

>話を聞いている人、読んでいる人が、どうすれば興味深く聞いたり読んだりしてくれるのか、考えながら書かなければならない。


確かに、一瞥しただけでは咄嗟に読み取り難い文章です。

「どうすれば」の位置が混乱の原因でしょう。
おかしいとか、おかしくないというよりも癖のある文章だということです。
補足以下に示された文章も、一瞥しただけでは読み取り難い文章です。
()を入れること自体が文章全体を読み難くします。
「だろうか」「くれる」「だった」「だろう」では、読んでいるほうがくたびれてしまいます。

「わかりやすい文章を書く技術」????反面教師でしょうかね~

おこがましいですが書き換えて見ました。

話しを聞いている人、読んでいる人が、興味を持って聞いたり読んだりしてくれるようにするのには、どうすれば良いのかを考えなければならない。

・・・読んでいる人に、興味を持って聞いたり読んだりしてもらうのには、どうすれば良いのか考えなくてはならない。

この回答への補足

>話しを聞いている人、読んでいる人が、興味を持って聞いたり読んだりしてくれるようにするのには、どうすれば良いのかを考えなければならない。

確かにわかりやすい文章になりました。さらに書き加えるならば、

>話しを聞いている人、本を読んでいる人が、興味を持って聞いたり読んだりしてくれるようにするのには、どうすれば良いのかを考えなければならない。

とするのは、どうでしょうか。

補足日時:2014/03/05 14:20
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この回答へのお礼

なるほどと思います。
そういう書き方もありますね。
著者が書いている文章よりはるかにわかりやすいです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/05 14:17

興味深く とは 理解される意味なのでしょうね



読み聞いたものは 同感 共感 反感 異論 対論 どんな反応でもあり

但し 無関心やスルーされ無い様になんだろうね

感動 又は ショックや刺激受ける 是も反応なんだろうが

詩や短句でも 得られますよね 是は 想定が交感したのだろうが

読む以上の世界か?

この回答への補足

私がおかしいと思うのは以下の点です。

>それと同じことで、話を聞いている人、読んでいる人が、どうすれば興味深く聞いたり読んだりしてくれるのか、考えながら書かなければならない。

「それ」とは何か。「それ」と言われてもピンと来ない。ここは、「味のある演技をする人が観てくれる人(視聴者)のことを考えて演技しているのと同様に」とすべきではないか。

また著者は、「話す」ことと「書く」ことを混同している。「話す」ときには「聞く」人のことを考えて「話す」必要があるが、「書く」ときに考えなければならないのは、「読む」人のことだ。ここは、

>文章を読んでくれる人が、どうすれば興味深く読んでくれるのか、考えながら書かなければならない。

とすべきではないか。

以上です。

補足日時:2014/03/05 14:10
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/17 15:52

「考えながら書かなければならない。

」という表現が2箇所出てきますが、これは、
「考えながら話したり、書いたりしなければならない。」のようにする必要があります。

その他は、論理的には特に問題のない、極めて自然な文章になっています。
ただ、これは、あくまで樋口氏個人の考えを文章にしたものですから、その考え方に同意できるか否か、ということは、また別の問題として考える必要があるでしょう。
そういった点を踏まえた上で、どの箇所がわかりづらいか、おっしゃっていただければ、それに沿った回答も可能になるかと思います。
 

この回答への補足

>その考え方に同意できるか否か、ということは、また別の問題として考える必要があるでしょう。

まったくその通りです。反対するにしても賛成するにしても、相手の言っていることがどういうことかがわからないことには、どうにもなりません。

私がおかしいと思うのは以下の点です。

>それと同じことで、話を聞いている人、読んでいる人が、どうすれば興味深く聞いたり読んだりしてくれるのか、考えながら書かなければならない。

「それ」とは何か。「それ」と言われてもピンと来ない。ここは、「味のある演技をする人が観てくれる人(視聴者)のことを考えて演技しているのと同様に」とすべきではないか。

また著者は、「話す」ことと「書く」ことを混同している。「話す」ときには「聞く」人のことを考えて「話す」必要があるが、「書く」ときに考えなければならないのは、「読む」人のことだ。ここは、

>文章を読んでくれる人が、どうすれば興味深く読んでくれるのか、考えながら書かなければならない。

とすべきではないか。

以上です。

補足日時:2014/03/05 14:07
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/17 15:51

僕は音楽を書きます。


作曲も作文と同じ感覚なのですが、どうすれば聞き手に一番伝わるか、聴いてもらえるか…これはいつも思ってます。

『人の意見や思想を尊重しなさい、自分の考えや想いにも尊重を求めなさい』
僕の恩師はそう言ってました。
つまりは、自己満足じゃダメってことか…と理解してますが未だに答えはわかりません。
自己の正義なんて誰かにとっては悪だったりもしますよね。
自分が良いと思っても誰かにしたら良くなかったりしますよね。

回答になってませんねf(^^;
失礼しました。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/03/05 14:01

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