痔になりやすい生活習慣とは?

「誘う」と書いて、「いざなう」とも「さそう」とも読めます。意味ばかりか、送り仮名まで同じです。こういう場合、読み分け方をどうすればいいのでしょうか。(つまり、どういうときが「いざなう」で、どういうときが「さそう」なのでしょうか。)

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A 回答 (9件)

古文は別として、現代文で「誘う」と書いてあったら基本的にすべて「さそう」でいいと思います。

ただ雰囲気的に「いざなう」と読むのもアリ、あるいは「いざなう」の方がふさわしいかも、と感じる場合はあって、それはどういう時か、というと、まず、「文体が気取っててお洒落で、あるいはポエム指向で」「誘う主体が人でない場合」です。

「カツオはワカメを展覧会にいざなった」は、やや不自然、
「お兄ちゃん、今度展覧会に行くとき私もいざなってね」はかなり不自然(だがおもしろい)、
「秋の風にいざなわれ、ワカメは展覧会にやってきた」ならアリ、という感じ。

「Aと読ませたいのにBとも読めてしまう動詞」は、他にもいくつかあります。
「開く(あく/ひらく」「擦る(する/さする)」「注ぐ(つぐ/そそぐ)とか。
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この回答へのお礼

たいへんよく分かりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2014/03/07 18:20

ウエーバーの有名な楽曲に「舞踏会への誘い」がありますが、この読み方は「ぶとうかいへのいざない」と決まっています。

質問者様が例にあげておられます「展覧会へ誘う」も、展覧会という一般的ではあるけれど芸術品の鑑賞に(女性を)連れて行くというすくなからず雅な、高尚な例として挙げたのだろうと考えられます。もちろん「展覧会にさそう」と読ませる例も世にはたくさんあるだろうと思われます。少なくとも現代の口語ではほとんど使用されない言葉ですので、疑われる場合は文章になったものでしょうし、前後に気取った感じがあり、高尚な、あるいは女性心をくすぐるような状況で使われる場合に使われやすいということを頭に入れてご検討されてはいかがでしょうか。作者がここは「いざなう」と読ませたい、と思っていても、読者がそういった検討のうえでそうは読まなかった場合、作者が悪かったといって良いと思います。
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この回答へのお礼

ああ、展覧会は風雅で高尚なものだから「いざなう」なのですね!
私はてっきり、昔ー古語ーいざなうが一般的な読み方? と勘違いしていました。現代は文化水準も上がり、普段着でぶらりと展覧会・観劇などに行きますが、昔は正装?だったかも、ですね。

お礼日時:2014/03/08 12:32

立派な古文と思っています。


ただ、月の満ち欠けに、十六夜(いざよい)なんてあります、最もこれ自体も古い言葉ですか、現在は月齢で言うため味も素っ気もないので言葉としては残っています、同じ類と思います。
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この回答へのお礼

古語や古文を今も使う例は多くありますね。その一つなのでしょう。

お礼日時:2014/03/08 06:44

>残るのは「気取った言い方」かどうかだけの違いですかね。



「雰囲気出したいとき」に「いざなう」が似合うのでは。
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この回答へのお礼

そうですね。その程度の違いしかないようですね。

お礼日時:2014/03/08 06:42

「誘う主体が人でも、いざなうと読むのが似合う場面」を思いつきました。


官能系です。「女が男をベッドに誘う」とか。「妖しく誘う」とか。
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この回答へのお礼

ほんとうですね!
すると、古語と現代語でもないし、主語が物か人かでもないし、なんでしょうね。
残るのは「気取った言い方」かどうかだけの違いですかね。

お礼日時:2014/03/07 19:34

「いざなう」は、「いざ」という勧誘の意味の感嘆詞(いざ、鎌倉)と、「なう」という接尾語からできています。

「誘う」と書くのは当て字ですが、まあ、「いざなう」と読ましたければ、普通は平仮名で表すか、振り仮名をつけたりしますね。
漢字の「誘う」をどちらで読むか、となると、前後の文章から、大げさに、風流に「さそう」場合は、「いざなう」と読むべきでしょう。「旅に誘う」の場合、単に誰それを「旅に誘う」だったら「さそう」、寂しさが私を「旅に誘う」だったら「いざなう」とかね。
漢字だけで「誘う」と書いてる場合、まず「さそう」と読んで間違いはないと思います。先の例文も、両方とも「さそう」と読んでも間違いではありません。
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この回答へのお礼

古風で文学的な言い方が、「いざなう」なのでしょうか。雅語かもしれませんね。古語辞典にもありました。ご回答をありがとうございました。

お礼日時:2014/03/07 06:03

感覚的に


「Let`s」が「さそう」
「誘惑する」が「いざなう」
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
念のため広辞苑を見たら、「誘う(いざなう)」の用例に「展覧会にー・う」とありました。展覧会に誘惑したことになるのでしょうか。

お礼日時:2014/03/07 05:58

基本的にはほとんどの場合が「さそう」になります。


現在の日本語においては「いざなう」と読ませたければ「いざなう」と平仮名で書くのが一般的です。

「いざなう」は文学的表現で「さそう」の古風な言い方になり、口語で使うことはまずありません。
そのため文章中の「」内で使われることも基本的にはないです。

用例としては、「~の世界にいざなう」、「過去へといざなう」、「夢へいざなう」というような、
現実とは違う世界へ連れて行くという使い方が多く見受けられます。

「いざなう」には「連れて行く」という意味がありますので、「いざなう」と読ませる場合には
「連れて行く」と言い換えることができます。「連れて行く」と言い換えてしっくりくるようで
あれば「いざなう」だと考えると分かりやすいかと思います。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
念のため広辞苑を見たら、「誘う(いざなう)」の用例に「展覧会にー・う」とありました。強制的に連れていくことはあり得ないのですが・・・。

お礼日時:2014/03/07 05:57

風流な感じのことに さそう 事を いざなう というようです。

 古典の世界へ 誘う(いざなう)。
夢幻の世界に 誘う(いざなう)。 

生活にほど近い事柄(現実的な内容)に さそう ことは さそう ですね。 お茶に誘う(さそう)。
夕食に誘う(さそう)

文の前後(文脈)からその違いは歴然としてくると思います。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます。
念のため広辞苑を見たら、「誘う(いざなう)」の用例に「展覧会にー・う」とありました。編纂者が古い人だからでしょうか、卑近な日常的なものにも使っていました。

お礼日時:2014/03/07 05:54

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Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q「あくまで」「あくまでも」の意味

「あくまで(飽くまで)」「あくまでも」という副詞の意味ですが、辞書をひくと「物事を最後までやりとおすさま・徹底的に」とあります。例文も「あくまでもがんばる、あくまでも主張を貫く」などとあります。

しかし、よく話の中で「あくまでも個人的な考えですが・・・」「あくまでも噂です」「あくまで一例です」「あくまでの話しです」などという風に使われます。このような文章中では「徹底的に」という意味ではないと思うのですが、どうなのでしょうか。

Aベストアンサー

あくまでも、という意味の「徹底的に」という所から転じて、「完全に」とか「中途半端ではなく(どこまでも)」という様な意味合いも持っています。


「あくまでも個人的な」
完全に個人的な

「あくまでも噂です」
=「あくまでも噂[に過ぎません]」
完全に噂に過ぎません

「あくまで一例です」
=あくまで一例[に過ぎません]」
完全に一例にすぎません

「あくまでの話です」
・・・すみません、この用法は聞いた事がありません。

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q「いずれか」と「いづれか」どっちが正しい!?

教えて下さいっ!
”どちらか”と言う意味の「いずれか」のかな表記として
「いずれか」と「いづれか」のどちらが正しいのでしょう???

私は「いずれか」だと思うんですが、辞書に「いずれか・いづ--。」と書いてあり、???になってしまいました。
どちらでもいいってことでしょうか?

Aベストアンサー

「いずれか」が正しいです.
「いづれ」は「いずれ」の歴史的かな遣いですので,昔は「いづれ」が使われていましたが,現代では「いずれ」で統一することになっていますので,「いずれ」が正しいです.

Q思うと想うの使い分け

想いという漢字は
使い方がなんとなく分かるのですが
(でもハッキリ分からないので教えてください)
想うという漢字はどのような時に
使うのでしょうか?
思うばかり使ってしまいます。
どんなときに使い分けるのか
知りたいです。

Aベストアンサー

日本語に取り込まれた「思」「想」は殆ど、同義語みたいになってしまいやかましい使い分けが無くなってしまった昨今です。両者の字義を中国古代からの習慣から調べてみると以下のような違いが判りました。そっくり日本語に当てはめるのはいささか冒険かもしれませんが元の意義を把握しながら使い分ければピタッとハマった文章表現が可能になるんではないでしょうか。
----
「想う」;
「希望が有るゆえにおもう」「希望しておもう」「目論んでおもう」
「敬慕しておもう」「故人を追慕しておもう」
「恋しくおもう」「心配しておもう」「想像しておもう」
「懐かしくおもい出す」「懐かしくおもう」「おもい起こす」
「推し量っておもう」「する積もりでおもう」
「見込みがあっておもう」「心にかけておもう」
「気にかけておもう」「思索しておもう」「思考しておもう」などなど。

*「想」の本来の字義は"希望"です。異字体として「冀」(キ・こいねがう)があります。
----
「思う」;
「深くおもう」「考えておもう」「懐かしくおもう」
「慕っておもう」「故郷などを偲んで(しのんで)おもう」などなど。

*「思」の古代の漢字は"田"の部分が、四角マスの上に"点"が一つとその四角マスの中に"メ"で一字でした。日本語で言うところの"ひよめき""おどりこ""しんもん""そうもん""泉門""顋門"の意味です。生まれたばかりの赤ちゃんの頭蓋骨が完全に縫合し終わらないときに脈拍につれて動いて見える前頭と後頭の一部分のことを指します。骨と骨の隙間の部分です。
「思」の下の"心"は心臓のことで、転じて"こころ"です。
したがって「思」の字義は、『脳の奥深くでおもう』みたいな感じになるようです。
--------
両者を比較すると、
「想う」はなんかこう植物的な感じで詞的(poetic)ですね。
「思う」は「想う」よりも動物的な感じがします(私見)。
つまり「思う」のほうがより人間(human)らしく、具体的な意思表示の感覚がします。
--------
>どんなときに使い分けるのか知りたいです。
以下、我流です;
小学校が懐かしく想う。小学校が懐かしいと思う。
日本の将来には明るさがあると想う。日本の将来は明るいと思う。
ふるさとの母を想う。ふるさとの母を気遣って思う。
もう成功するんではないかと想う。もう成功したと思う。
来年には昇進すると想う。来年には昇進したいと思う。
我が子の将来を想う。我が子の将来を心配して思う。
彼女は本当は綺麗だと想う。彼女は本当に綺麗だと思う。

以上、このように「思って」います(^^♪。

日本語に取り込まれた「思」「想」は殆ど、同義語みたいになってしまいやかましい使い分けが無くなってしまった昨今です。両者の字義を中国古代からの習慣から調べてみると以下のような違いが判りました。そっくり日本語に当てはめるのはいささか冒険かもしれませんが元の意義を把握しながら使い分ければピタッとハマった文章表現が可能になるんではないでしょうか。
----
「想う」;
「希望が有るゆえにおもう」「希望しておもう」「目論んでおもう」
「敬慕しておもう」「故人を追慕しておもう」
「恋しく...続きを読む

Q「いかる」と「おこる」の違い

子どもに聞かれて困っています。
「いかる」は「怒り」と名詞形になりますが
「おこり」という名詞形はあんまり聞きません。

「いかる」のは広範な感じで、「おこる」は個人的?

明解な答えも欲しいですし、みなさんの感覚でもいろいろ聞かせてください。

Aベストアンサー

小学館の「使い方の分かる類語例解辞典」から関係部分を抜粋して以下のとおり紹介します。
1.「おこる」は、「足を踏まれておこる」のように直接的、物理的な原因によることが多いが、「いかる」は、「侮辱的な発言にいかる」のように、抽象的、精神的原因によることが多い。
2.「おこる」は、「父におこられた」のように、叱(しか)る意味でも使われる。
3.「いかる」は、「いかれる波」のように荒れ狂う意、「肩のいかった人」のように、角立ってごつごつしているの意でも用いられる。

対比表
烈火のごとく~
おこる ○
いかる ○
モラルの低下を~
おこる △
いかる ○
ぷりぷり~
おこる ○
いかる ×

「憤る」との使い分けも記載されていましたが、省略します。

Q「云う」と「言う」の違いは?

小説で多分作家さんによってだと思いますが、
「~と云った」「~と言った」と使い分けられていますが、
これってどう違うんですか??

「聞く」が「訊く」となっているのも気になって
調べてみるとちゃんと意味があるみたいですが、
こっちはわかりませんでした。

Aベストアンサー

はじめまして。

1.「いう」は以下のような、使用区別があります。

言う:
(1)心に思うことを言葉で表します。
(2)「~と呼ぶ」「~と名づける」の意味で使います。
(3)物が音を立てる(戸ががたがた言う)時などに使います。
例:Aが~だと言った。

云う:
(1)「伝える」が語源です
(2)人から聞いたことを「云う」
(4)伝承・伝説として伝わることを指して「~と云われている」
例:昔から~だと云われてきた。

謂う:
(1)「謂」は「理由、わけ、事情」という意味があります。
(2)「謂れ」=「因縁」「由緒」と考えるとわかり易いです。
例:この家の謂れは~


2.「きく」は以下のような、使用区別があります。

聞く:
物音や人の話を耳でとらえます。
例:人の話を聞く。

聴く:
「(限定的に)身を入れて聴くこと」を言います。
例:音楽を聴く。国民の話を聴く。

訊く:
(1)「訊ねる=問いただす」から来ています。
(2)意味は「尋ねる」ということです。
例:道を訊く。詳細を訊く。

以上ご参考までに。

はじめまして。

1.「いう」は以下のような、使用区別があります。

言う:
(1)心に思うことを言葉で表します。
(2)「~と呼ぶ」「~と名づける」の意味で使います。
(3)物が音を立てる(戸ががたがた言う)時などに使います。
例:Aが~だと言った。

云う:
(1)「伝える」が語源です
(2)人から聞いたことを「云う」
(4)伝承・伝説として伝わることを指して「~と云われている」
例:昔から~だと云われてきた。

謂う:
(1)「謂」は「理由、わけ、事情」という意味があ...続きを読む

Q「怖い」と「恐い」の違い。

「こわい」には、「怖い」と「恐い」が有りますが、この意味の違いが解る方、教えて下さい。

Aベストアンサー

「こわい」を辞書で引けば、「怖い/恐い」のように出てきて、どちらも同じということです。
しかし、一般的には「こわい」は「怖い」という風に書きます。
「恐い」という書き方は、「常用外」ということになっています(でも、そう書いてはいけないということはありません)。

似たような形容詞に「おそろしい」があります。
この場合は大抵「恐ろしい」と書きます。「怖ろしい」とは、あまり書きません。

以上のようなことから、私も「こわい」→「怖い」、「おそろしい」→「恐ろしい」と書くようにしています。

「こわい」と「おそろしい」の意味や用法は少し違います。
辞書には次のように出ています。

――「草原で恐ろしい毒蛇にあい、怖かった」
「恐ろしい」は、「怖い」に比べて、より客観的に対象の危険性を表す。

ということは、「怖い」のほうが、より主観的というわけです。

また、それぞれの漢字の使われ方は、
「怖」:こわい、心配しておびえる。
「恐」:おそれる、おそろしい。
というのが、常識的なところだろうと思います。

以上のようなことから、私は、毒蛇にあった場合などは「怖かった」と書きます。
「恐かった」と書くと、ちょっと感じが違いますし、「わざわざ常用外の書き方をするのは、何か意味があるに違いない」と、気を回されても困りますので。
まあ、普通の「こわい」は 、「怖い」でよろしいと思います。

「こわい」を辞書で引けば、「怖い/恐い」のように出てきて、どちらも同じということです。
しかし、一般的には「こわい」は「怖い」という風に書きます。
「恐い」という書き方は、「常用外」ということになっています(でも、そう書いてはいけないということはありません)。

似たような形容詞に「おそろしい」があります。
この場合は大抵「恐ろしい」と書きます。「怖ろしい」とは、あまり書きません。

以上のようなことから、私も「こわい」→「怖い」、「おそろしい」→「恐ろしい」と書くようにして...続きを読む

Q漏斗=「ろうと」と「じょうご」の使い分け

漏斗と書いて、「ろうと」とも「じょうご」とも読みますが、
どう違うのでしょうか。
広辞苑によると「ろうと」は、「じょうご」に同じ。
一方、講談社の日本語大辞典では、「じょうご」には銅製らしきものの写真がついて、「ろうと」にはガラス製らしい図解がついていました。
使い分け方があるのでしょうか。
教えてください。 

Aベストアンサー

意味は下の方と同じですけど、
もっとつっこんだ説明をすると〔漏斗〕「漢語的表記」(じょうご)というのは
こぼれずよく入るので、上戸の意としても用いられます。

漏斗(じょうご)というのは口の小さな容器にはめて液体を注ぎ入れる用具の事です。口は円形で下方へ行くに従ってつぼんで、先は管状になっています。
(下の方は醤油を例にしています。)

漏斗(ろうと)は漏斗(じょうご)と意味は同じです。
ただ、使う用途が違うだけです。
理科の実験で液体を注ぎ入れる用具を「漏斗(ろうと)」。
それ以外の液体を注ぎ入れる用具を「漏斗(じょうご)」と言うんです。

意味は同じでも材質は全く違いますからね。

Q「引導を渡す」という言葉について

「引導を渡す」という言葉について、教えていただけますか。
この言葉は、(とどめを刺す)様な意味で使われることはあるのでしょうか。
例えば、
「(壊れかけの)会社の車に、おれが引導を渡してやった。」
とかいう使い方をすることがあるでしょうか。
(壊れかけの車を、ごまかしごまかし使っていたのを、もう諦めて、廃車にする)
ような意味では使われるような気がするんですが、
ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか、
教えていただけますか。
なんとも分かりづらい質問で、申し訳ありません。

Aベストアンサー

 
「引導」というのは、元々中国で古くから使われていた言葉で、特に「道教」では、一種の気息術か、呼吸法で、大気を吸い込むことを言いました。しかし、普通の言葉として、「手引きする」「案内する」というような意味をあいます。

仏典を漢訳するとき、サンスクリット語 parikarsana の訳語に、この「引導」を選んだのです。「法華経」では、人々を導いて仏道に入らせる意味で使われています。また、死者を済度する意味でも使います。

後に、死者の葬儀の時、導師が、棺の前で、法語や仏教の教えの詩(ガーター)を語って、死者を、迷界から浄土へと導くよう試みる儀式のことになります。

これを、「引導を渡す」と言います。「迷界から浄土へ導く」とは何かと言うと、これは、死者に、「死んだ事実」を確実に認識させ、現世への執着を棄て、悟りの仏道へと進むよう説くことだとも言えます。

つまり、「お前は間違いなく死んだ」ということを、死者に宣言する儀式にもなります。民主主義的とか何とか関係なく、端的に「事実」を語り、事実を宣言する儀式だとも言えます。死の不可逆性を悟って、始めて、浄土への道も開かれるからです。

最初に、こういう「引導を渡す」という形の儀式をしたのは、中国黄檗集の祖、黄檗希運で、彼は9世紀頃の人です。

仏教用語から転じて、「最終的な宣告をして、諦めさせる」という意味があるようですが、これは「最終的な宣告をする」にウェイトがあります。引導を渡しても、相手が納得するとか、諦めるとは限らないからです。

仏教なら、「お前は死んだのだ、そのことを知り、成仏せよ」と引導を渡しても、死者が納得せず、この世への未練から、亡霊などになったり、輪廻に落ちるということは、別に珍しいことでもないからです。

他方、「止めを刺す」というのは、殺したはずの相手を、生き返る余地などないように、念を押して、首を突くとか心臓を刺して、死を確実にすることです。ここから転じて、念を入れて、終わらせるという意味になります。

「敵の攻撃に止めを刺した」というのは、単に攻撃を撃退するだけでなく、もう攻撃できないよう、念を入れて撃退・壊滅させることでしょう。またこれで、最後の最後だということで、「日本画のあの分野では、現代ではA氏がとどめを刺した」という風に使います。

>「(壊れかけの)会社の車に、おれが引導を渡してやった。」

これは用法としてあると思います。「引導を渡す」というのは、かなり転用されます。

>ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか

「引導を渡す」と「とどめを刺す」では、意味が元々違います。しかし、或る場面だと、二つの言い方で、どちらでも使える場合があります。「総務にかけあって、あの車は、おれがとどめを刺してやった」というのは、同僚などに語る場合は使うと思います。

そもそも車に向かい、「お前はすでに死車だ、そのことを知り、迷わず成仏せよ」などというのはおかしい訳です。この場合の「引導を渡す」は、「もう無用の車だと宣言する」ということでしょう。車に擬人的にこう言っているのだとしても、車に同意や納得を求めている訳ではありません。

だから、もう壊れかけ、実は廃車となっているはずの車に、最後の止めを刺して、実質廃車にした、という意味で、「止めを刺した」はありえると思います。

会社か総務の方針かなどで、とっくに廃車(死者)になっている車が、迷って、この世にいるのを、お前はもう廃車だ、この車はもう廃車だ、と宣言することが、「引導を渡す」であり、またそのことは「とどめを刺す」ことにもなるからです。

(もっと偉い人が、車を廃車にしない総務の担当に、廃車にしなさいと、引導を渡す、ということはあります。しかし、担当にとどめを刺すとは言いません。担当に引導を渡し、車にとどめを刺した……というような言い方になるでしょう。無理に例を作ると)。

「引導を渡す」と「止めを刺す」は、元々の意味が違いますから、特定の場面でしか、この二つの表現は成立しません。それも、かなり口語的で、「砕けた表現」の場合に、両方使えると思えます。

だから、この場合は、あれは廃車だと思っている同僚に向かい、軽く言う場合は、「おれが引導を渡した」「おれがとどめを刺した」は使えますが、上司に向かい、「課長、私が、あのぼろ車にとどめを刺しましたよ」というのは、酒の席だとかで冗談めかして言うならともかく、ちょっと使わない方が適切です。

>ここでは、単に(とどめを刺す)という意味で使えるかどうか

ここでは、話す相手や場面によりますが、「引導を渡す」は、「止めを刺す」という意味で使えると思います。しかし、この二つの表現は、本来起源が違うので、一般的な使用の慣習などで、判断しなければならないと思います。

口語調で、少し乱暴に言う場合以外は、基本的に、違う表現・言葉だと考えた方がよいと思います。
 

 
「引導」というのは、元々中国で古くから使われていた言葉で、特に「道教」では、一種の気息術か、呼吸法で、大気を吸い込むことを言いました。しかし、普通の言葉として、「手引きする」「案内する」というような意味をあいます。

仏典を漢訳するとき、サンスクリット語 parikarsana の訳語に、この「引導」を選んだのです。「法華経」では、人々を導いて仏道に入らせる意味で使われています。また、死者を済度する意味でも使います。

後に、死者の葬儀の時、導師が、棺の前で、法語や仏教の教えの詩(...続きを読む


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