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私は精神は物質やエネルギーで言う性質で出来ていると思うのですが

なぜそう思うのかというと 宇宙、地球の色々な物質やエネルギーに関わるものを探しても

我思うう故に我在り と言う様な自我を持った精神を実現するものが性質という言葉で表されるもの以外に見当たらないのです。

そして精神は性質で出来ていると考えると色んな事が上手く説明できます。

例えば脳の脳内物質や脳波、ホルモンなど その様なものが反応して精神が働くとしたら

それらの性質が働き合って 合成されたり発散したり 性質はそれらの物質などに必ず在りますから、

それらの働きで精神が実現するとしたら、精神の質は性質しかないと思えるのです。

如何でしょうか?

前回は霊が科学的に何か質問してよくわかりませんでしたが 精神はどでしょう?

皆さんのご意見をお伺いしたい者です。よろしくお願いします。

A 回答 (13件中11~13件)

よく、心や精神を物質同士の化学反応だとかエネルギーと同一視する人がいます。


唯物論・科学主義の立場をとる人には自然界には物質しか存在せず、心とか精神のように形のないもの、見ることができないモノは脳の活動の随伴現象とか化学反応の結果のエネルギーとかに類するものと考えざるを得ません。
だけど、化学反応とかエネルギーは他からはできてもみずからはコントロールできないから、主体性を持っておらず、それに対して心とか精神は主体的なモノですから、両者は異なります。

それと「性質」とは、「属性」ということだろうと思いますが、心や精神はデカルトにすれば実体であって、属性ではありません。
「性質」とか「属性」は実体を構成するもの、その派生体で、いわば付属物です。
そして付属物は本体とは違います。
本体とは主語であって、付属物は述語です。
だから、主語と述語を一緒にはできません。
たとえば、物体にはいろいろな属性、性質があります。
しかし、性質があり、属性があるからといって、本体があるとは限りません。
それに、他にも同じ性質、同じ属性を持っているものはいくらでもあるから、それをもってして本体を特定できません。
そして心や精神が実体だということは、いかなる性質にも属性にも依存せずに、それ単独で存在するということです。
それでなかったら、実体の定義に反するでしょう。
デカルトが「われ思う、ゆえにわれあり」と言ったのは、私の存在はただ思考のみによって確証されるということであって、いかなる性質も属性も必要ないということです。
つまり、私の存在、私の心や精神は直接的に知られるのであって、性質や属性を迂回する必要がないということです。

唯物論・科学主義にとっては結局のところ心とか精神の存在は謎です。
というのも世界には物質しか存在しないという前提が間違っているからです。
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この回答へのお礼

性質は主体化しませんか?

実体とはなんでしょう?精神は実態じゃないのでしょうか?

単独で存在するものが在りますか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/03/22 14:26

こんばんは


以前「人間とは?」というご質問に出たものです。貴方の言葉使いは独特で、私にはしっかり理解できない部分があるので、今回もうまくコミュニケートできるか不安ではあるのですが、チャレンジしてみます。
まず
>精神は性質で出来ていると考えると
こういった部分に違和感があります。 AはBでできている、という場合、Aが性質でできているという言い方がちょっと理解の外なのです。性質というのは、なにかの表現的な従属物であっても、そのもの自体にはなりえないと考えます。たとえば色だとか、軽い、重いとかいう形容詞、言葉で表されてもそのもの自体は実体のない抽象的なものだったりします。つまり性質自体で実体を構成することは不可能なのです。
Aが幽霊の様な実体のないものであってもそれは同様です。幽霊は赤(色)である、という文は一定の意味を持ちますが、幽霊は赤でしかない、という文はもう意味を持ちません。それに性質という言葉は性質の一種ですらなく、性質という言葉自体が性質の中ではもっともおおまかであいまいな言葉なのですから最悪です。

そういったことを考えながら貴方の「性質」をじっくり見ているのですが、われわれが「性質」という言葉を考える以外の意味を貴方がそこにこめているとしたら、また違った解釈ができるのかもしれない、と思ったりします。どうかそのあたりを補足していただけないでしょうか。

私見によれば、人間の精神、心は、脳の働きの総合的な、神経構造全体の複雑なシステムから生じているものだと考えています。
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この回答へのお礼

例えば「観念」はどうでしょう 精神は観念で出来ている

精神は概念で出来ている。

性質という言葉はその様なものも含むと思うのです

赤いとか重いとか軽いとか 観念でもあり概念でもあるでしょ

それは性質の一面を言っていると思うのです

分かりにくいと思いますが 性質とはその様なものだと考えるのです。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/03/21 23:16

こんばんは。



科学的な理解に興味があるようですね。

前回の質問も含めて、現在において科学的考えがどこまで進んでいるかを知りたいなら

「DNAに魂はあるか」F.クリック著 講談社をお薦めします。

20世紀最大の生物学の発見といわれる、DNAの2重らせん構造を提唱しノーベル賞を受賞した、ワトソンとクリックのクリックが執筆したものです。

精神いわゆる「意識とは何ぞや?」という問題は、ディユ・ボア=レーモンが1880年の講演で「宇宙の7つの謎」のひとつとして科学界に挑戦状を突きつけた問題ですが、100年以上たってもまだ未解明。

この本のなかで哲学者は現実の実験よりも思考実験を好み現象を日常的言語で説明することだけが重要だと考える人々であるというかなり意地悪な定義があると述べてます。

科学で証明するためには、頭の理屈でなく、どのような実験をしたら証明できるかという仮説を立てなければなりません。

哲学カテでどのような回答が来るか、私も興味があります。

追伸

私は科学者はやめ哲学者になりつつあります。
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この回答へのお礼

精神はまさに様々な無数の性質を持ちます

それだけでも精神は性質で出来てるのではと思わせます。

なにか科学的な実験が出来るといいですねえ

精神と物質・エネルギーの関係を知ることは価値が有ることだと思います。

科学はそれほど詳しくはないですが 宗教でそういう競技はあります(^^ゞ

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/03/21 22:06

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