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勝海舟については、3月18日に、「勝海舟の人物像」というタイトルで質問いたしました。

(下記アドレス)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8518809.html

この中で、0fool0 さんのご回答にあった、「コレデオシマイ」が、気になっています。この「コレデオシマイ」という最期の言葉、私も、何かの歴史参考書で読んで、うろ覚えに知ってはいたのですが、大して気にしていませんでした。

しかし、上記の質問以降、この「コレデオシマイ」の意味が気になっております。なにが、「コレデオシマイ」だったのでしょうか?相当意味が深いかも知れませんし、ただ、「自分が死ぬ」という意味かも知れません。

私の質問を閲覧された皆さんは、勝海舟のこの最期の言葉を、どのように解釈しますか?「意味」とか「海舟のその時の心境」とか、「その他」どんなことでもかまいません。

私は、その質問への0fool0 さんのご回答に対する「お礼」の中で、『「コレデオシマイ」……意味が分からないというか、大人物なのでしょうが、「寂しさ」を漂わせます。これも海舟像なのかなという気がします。』と、記述していますが、さしたる根拠があるわけでもありません。

又、皆様方からご回答をいただいても、それに対して、「正しいとか、誤っているとか」を判断する力もありませんので、ベストアンサーは選びません。それでもよろしければ、自由な発想で、「その瞬間の海舟の気持ちなど」を想像していただき、ご回答していただければと思い、質問させていただきました。

A 回答 (3件)

>なにが、「コレデオシマイ」だったのでしょうか?



徳川慶喜側の文書によると・・・。
勝さんは、明治維新後も「慶喜の朝敵扱い」を気にしていた様です。
徳川宗家はもちろん、各大名が爵位を授かるなかで(徳川慶喜家は)爵位を受ける事が出来ませんでしたからね。
※足利尊氏直系の足利家(阿波公方)も、(朝敵扱いで)爵位を授かる事が出来ませんでした。
明治天皇と慶喜の会見に尽力した結果、会見が実現。
慶喜の朝敵扱いが終わり、徳川慶喜家は公爵となります。
※徳川慶喜の子孫は、自営業のカメラマンです。慶喜の写真趣味を受け継いでいる?
これで、思い残す事が無くなったので「これで、おしまい」なのでしよう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

私の、これまでの質問に対して、海舟と慶喜公は、ことあるごとに、対立していたという趣旨のご回答もいただいておりますが、それでもなおかつ、海舟は、死ぬ間際まで、慶喜公のことを気にかけていた、ということですね。

お礼日時:2014/03/29 06:02

血を吐き、地を這う思いで生きてきての発言では?



貴方も尋ねるならば、それを見習うべきではないでしょうか?

今の貴方の心境では説明しても理解は出来ないでしょう。

この回答への補足

追伸
私の質問文を、再度読み直して見ましたが、単なる誤解だと思いますよ。文章というのは難しいですね。いずれにしても、「堂々と、胸を張って、喧嘩する」ほどのことでもありません。

補足日時:2014/03/29 07:20
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。びっくりしました。なんと、「お礼」を申し上げてよいのか?

もう死ぬまで治らない病気を2~3抱えて、病院通いをしている爺さんに、今更、勝海舟のような偉人と比較をされて、「血を吐き、地を這う思いを見習うべき」といわれても、困惑するばかりです。私生活では「血を吐くこともあります」が。(T_T)(T_T)

ただ、「このサイトに質問すること」に、ほんの少し楽しみを見つけているだけなのですが。

「説明しても理解は出来ないでしょう。」というのは、……???……このような言い方をする人は、結構多いですよね。……ご回答の趣旨は何でしょうか?私は、どのような「心境」なのでしょうか?きちんと説明をしてから、それでも理解できないときに、「説明しても理解は出来ないでしょう。」と言うべきことではないでしょうか?

説明もしないで、「言ったって分からない」という言い方は、私が一番嫌う「言い方」ですね。

お礼日時:2014/03/29 06:13

こんにちは。



これは「氷川清話」でしたか?
まあ、当人に聞くしかない話でしょうが、
ただ私なりに海舟の心情を忖度すれば、
ようよう肩の荷をおろしたような感慨はあったやも知れません。

一時とは言え、その背に日本と言う国の未来を背負った・・・
私はそう思います。
私は西郷さんと言う人物を評価もし、敬愛もしております。
ただ、その大西郷にして、
あの当時、勝海舟ほどの見識があったろうか・・・
私ははなはだ疑問です。

海舟と言えば私は天障院と勝との心暖まる逸話を思います。
また天障院と和宮、このお二人にも心を砕かれた・・・
海舟に対する評価は当時から今に至るまで様々です。
ただ、一人の人間が背負うにしては、誠に重いものでしたでしょう。

「コレデオシマイ」、
私は分かるような気もするのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

「ようよう肩の荷をおろしたような感慨はあったやも知れません。」というのは、何となく、分かるような気がします。(*^_^*)すみません。素人ですから、「何となく」としかいえません。

特に、背負った荷物が「日本と言う国の未来」であれば、大きいですよね。ただ、私は、海舟が背負ったのは、「日本の未来」もさることながら、「徳川慶喜」という荷物の方が大きく、重たかったのではないか?と。(*^_^*)

「大西郷にして、あの当時、勝海舟ほどの見識があったろうか・・・私ははなはだ疑問です。」……おっしゃるとおりだと思います。そもそも、生き方、考え方が、全く異なるような気がします。わたしは、あの二人は、おそらく比較の対象にならないと思います。

「海舟と言えば私は天障院と勝との心暖まる逸話を思います。」……天障院と和宮、私も、このお二人に、今、興味を持っています。

「ただ、一人の人間が背負うにしては、誠に重いものでしたでしょう。」……海舟ばかりではありませんよね。私も、幕末・維新を、駆け抜けた人々を、そのように感じながら、小説や、参考書などを読んでいます。

「コレデオシマイ」……名言中の名言かも知れませんね。

お礼日時:2014/03/29 07:40

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