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こんにちは。

日本は真珠湾を攻撃しましたが、力の決定的に違うアメリカに勝てると本気で思っていたのでしょうか?

似たような質問も探しましたが、私にはどうしても日本が当時どう考えていたのかわからないのです。

戦争に勝てると思っていたのか?
それとも何か考えがあったのか?

どなたか詳しく解説していただけないでしょうか?

A 回答 (18件中1~10件)

すみません、訂正します。


陸軍側は「及川古志郎」ではなくて「板垣征四郎」でした。

この回答への補足

回答してくださった皆さん、ありがとうございました。
私自身でももう少し考えてみます。

補足日時:2004/05/13 15:16
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この回答へのお礼

補足ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/05/13 12:07

>「勝つ」という言葉の意味こそ、私にはわかりません。


だからこそ質問しているともいえます。

簡単です。
戦争とは、血を流す政治です。政治目的=戦争目的であり、これ達成することが勝利です。戦闘は、政治目的を達成するための手段に過ぎません。
日露戦争で日本は、戦いに勝って戦争に負けました。この不思議な現象も上記を理解すれば納得がいくと思います。

先の戦争における日本の政治目的は中国大陸や東南アジア地域に勢力を拡大すること、これを阻止して既得権益を守るのが連合国側の政治目的でした。もっとも、この目的は固定的なものではなく、当時の状況によって値上がりすることもあります。「ハルノート」はその好例です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/05/13 12:06

陸軍は戦線の拡大を想定しきれず、「勝てる」と考えていました。


海軍は軍事力の違いを冷静に分析していて「負ける」と考えていました。

ちなみに、その議論を戦わせたのは及川古志郎(当時陸相=陸軍中将)、米内光政(当時海軍大将…だったはず。。。)と聞いています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/05/13 12:06

まあ、日本の「誰が」を絞らないと答えにくい質問ではあります。

北朝鮮が本当に拉致を行っていないと日本人は信じていたのか、とかいう類の問題に似ています。
 想像に過ぎませんが、勝てるとは多くの人が思っていなかったにもかかわらず、勝てるというムード、戦争をしなければならないというムードに流されて正常な判断ができなくなった、正常な判断を口に出せないような状態ではなかったかと思います。判断すること考えること自体が悪だというような罪悪感が伴うような状況ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/05/13 12:05

私は、現在66才です。


あの日のこと、いや、開戦ではなく、終戦の日のことです。昨日のように覚えています。
その私の父が云っていたのに「やらない訳にはいかなかったんだヨ」と云っていたのを覚えています。
「一発目(真珠湾)は日本のようだが、アメリカからやってきたんだ。」
とも云っていました。
そうならば、勝も負けるも、やるだけやらなければ、と考えていたのではないでしようか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

回答に不足があるわけではありませんが、
もう少し回答を待ちたいと思います。

お礼日時:2004/05/12 15:12

太平洋戦争開戦の疑問については、


『日本の戦争―なぜ、戦いに踏み切ったか?』著者:田原総一郎
が、まあまあわかりやすいです。

この本の記述全てに同意するわけではないのですが、
時代が昭和に入ってからの内容については、だいたいあって
いると思います。


それから、私なりの意見を幾つか補足します。

・日本のアメリカへの宣戦布告は、独ソ戦のドイツの勝利
 をあてにしていた

日本が対米戦争の開戦を検討していた時期というのは、ドイツ
がモスクワめがけて、快進撃していた時期なんですね。
当時、ソ連軍は敗退を重ねており、ドイツの勝利が確定した
かのように、日本からは見えたんです。
それでドイツがソ連をやっつけてしまえば、ヨーロッパ大陸
でドイツに敵対するのはイギリスだけとなり、やがてジリ貧
となってイギリスもドイツに屈服するだろう。そうなると
アメリカだけで全世界を相手に戦争できなくなるから、今の
うちに戦争を吹っかけておけ、みたいな考えをしていたらしいです。
しかし結果として、ドイツ軍はモスクワを目の前にして、
進撃が止まり、日本の甘すぎる予想は外れてしまったわけです。

・政府が陸軍を中心とした軍部を抑えきれなくなっており、
 その陸軍は官僚制度の硬直化で、まともな情勢分析が
 できなくなっていた。

当時の陸軍参謀のアホらしさについては、弁護する気すら
起きません。
詳しくは、下記の質問の私の回答を読めば、だいたい理解
できるかと思います。

『帝国陸軍について』
 http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=410339

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4093892 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

この本については知っています。
もうすぐ読む予定になっているのです。
その前に考えてみたかったのです。

お礼日時:2004/05/12 15:11

ハルノートは理不尽な要求でした。


当時、朝鮮半島だけみてとっても、国家予算の半分程度を費やしてインフラ等に費やしたそうです。
ましてや日露戦争で勝ち取った満州を無条件に手放せというのは無茶が過ぎると思いますね。
現在泥沼化したイラクから撤退せよとアメリカに要求しても、彼らはそれを到底聞き入れないでしょう? それよりはるかにひどい要求だったと思います。
アメリカはそれを見越してハルノートを突きつけたようです。先に仕掛けたのは日本ですが、それをさせたのはまぎれもなくアメリカだったということですね。
今も昔も強引さはちっとも変わっていません。

当時日本は太平洋戦争を3段階で考えていたそうです。
確か、攻撃→防衛→持久 だったと思います。(うろ覚えです。ごめんなさい)
つまり持久なんて考えていた時点で、軍部も最初から勝てないということは理解していたのかもしれません。山本五十六も2年程度が限界と考えていたようですし、客観的に事態を把握できる人物であれば、到底持久戦など不可能と考えていても不思議ではありません。

陸軍・海軍などの縦割りの権力構造こそが、この敗戦の元凶のひとつかもしれませんね。
もっとも今の権力構造も当時に負けないくらいビッチリ縦割りなわけですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/05/12 15:10

難しい問題を提起なさいましたね。

一言では言いづらいです。そこで、私としては、この問題に全力で取り組みます。つまり、私の知っているあるいは調べた様々な事実を今後、提示しようと思います。で、ご質問の件ですが、日本はアメリカに勝てると本当に思っていました。間違いないです。例えば、大本営陸軍部つまり陸軍参謀本部の作戦課作戦班長の辻 政信中佐は米軍を舐め切っていました。作戦の神様と言われた人ですらこんなていたらくだったのです。敵の実力も知らずに。三八式歩兵銃で武装し夜間の白兵突撃で 簡単に勝てると思っていたのです、自動小銃で武装したアメリカ軍に。
 辻参謀は日本陸軍・帝国陸軍を最も象徴しているかと思うので、引き合いに出しました。 

 今私は先の大戦がまるで悪かったような発言をしましたが、そうは思いません。恐れ多くも多大な死者を出しましたが、アジアやアフリカの植民地解放・民族独立の気運を高めるのに多大な貢献をしたと考えます。  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

戦争に「いい戦争、悪い戦争」があるのかどうか?
私自身も考えます。

お礼日時:2004/05/12 15:09

「勝つ」とはどういう意味でしょう?



日本がアメリカを占領して統治すること?あるいはアメリカ軍の大部分を壊滅させること?当時の日本は、そのようなことは全く想定していませんでした。

日本の戦争目的は、南方の資源地域を確保して自存自立の態勢を築くことでした。よって、資源地域を支配する米英勢力を駆逐するとともに、米英にある程度の打撃を加えて資源地域における日本の覇権を認めさせることができれば、それが「勝利」でした。
南方の資源地域は米英にとっても重要な利権でしたが、死活的なものとまではいえない(と、当時の日本は理解していた)から、日本が軍事作戦に「当面」勝利し、かつ、米英が態勢を立て直すまでに植民地支配に反発する現地勢力と反米英連合を結成すれば、米英も奪還を諦めざるを得ない。これが当時の日本が描いた勝利の構図です。
大東亜共栄圏や五族協和の王道楽土などというスローガンは、占領地の国民と反英米という一点において利害を共有しようとした日本の政治的意志の表現でした(結果として日本は敗れましたが、植民地支配を道連れにすることはできました)。

上記のような意味で、日本には勝てる(戦争の目的を達成できる)可能性がありました。ただ、他国の支持をあてにするなど、あまりにも不確定要素が多かった(バクチ的)ことは否めません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

「勝つ」という言葉の意味こそ、私にはわかりません。
だからこそ質問しているともいえます。

お礼日時:2004/05/12 15:07

一部の冷静識者は「勝てるわけない」と思っていたようです。

No.1さんでしょうか?神風が吹くと言う馬鹿げた神話も信じられていたようですね。私の父母も戦争中に育った世代でして情報を操作して日本が不利な情報は一切流していなかったせいもあり本当に日本が
負けるとは思っていなかったようで、竹槍で「やぁ~」とかやっていたそうですよ。本土決戦になったら本気であんなもので戦う気でいたのでしょうかね?原爆を一発落とされたら木っ端微塵なのにね・・・(笑)今、考えると実に滑稽ですね。
結論を言うと何も策なんかなかったおでは考えられます。軍部の一部が熱くなってしまい誰も抑えられなくなてしまったのでしょうね。又、当時、経済封鎖をされてもうジリビン状態で死中に活を求めるような考えもあったのではと考えられます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
参考にさせていただきます。

お礼日時:2004/05/11 19:03

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