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このQ&Aサイトでは、しばしば質問者と回答者とが争ひをする場面を見かけます。内容的には、感情的になるほどのものとは思へないのですけれど。本当に大切なものを守るときにこそ、真剣になるべきです。

私はさういふとき、双方をなだめるのですが、火に油で、事態が悪化し、仲裁に入つた私が双方から攻撃を受けることになります。

聖書には、中立を否定することばがあります。
では、中立に意義はあるのでせうか。

「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。 」
    新約聖書 マタイ福音書12章30節

A 回答 (19件中11~19件)

はじめまして。

plapotaさん。

>聖書には、中立を否定することばがあります。

これは中間を否定しているとも読めます。中間というのは反対概念の中間です。つまりこの引用文は論理的に矛盾概念で構成している、と。

【反対概念】
http://kotobank.jp/word/%E5%8F%8D%E5%AF%BE%E6%A6 …


「味方すること」と「敵対すること」が矛盾概念ならトートロジーになる。

【トートロジー】
http://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83 …


「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、…」と

「私たちの意見が不一致ならば、私たちの意見は反対である」は同じ形。


>では、中立に意義はあるのでせうか。

 「中」を両極の狭間ということではなく内側と捉え、対立者の心の内の内、意見が同じであるところに立場をとって中立者となれば、三者に意見の一致が見いだせます。三者をまるくおさめるということで、この中立には意義はあると思いますよ。
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この回答へのお礼

atomonadosさん、おはやうございます。

読み解くのに時間がかかつて、お礼が遅くなりました。申し訳ございません。
私は哲学的思考が苦手で、このカテゴリにお邪魔しても、話に参加するといふよりも、外部から眺める、といふ姿勢になつてしまひます。議論好き、我が道を行く、論理を通す、人間心理からの追究、などなどいろいろなタイプの人がゐて、私はここの人たちが好きです。タイプの違ひが、ひとつの事象を多方面から解説することになり、私にとつて、最良の学習の場となつてゐます。

atomonadosさんの投稿文は、(哲学らしくない?)人に優しい内容が多く、私にとつては読みやすいものです。いつも、こんな温かい人もゐるんだ、と思ひながら、拝読してをります。

*** *** *** *** ***

整理しながら、読ませてください。

>>これは中間を否定しているとも読めます。
>>中間というのは反対概念の中間です。
>>つまりこの引用文は論理的に矛盾概念で構成している、と。

「当事者」と「中間」とは、まつたく別物といふ意味ですね。

>>「味方すること」と「敵対すること」が
>>矛盾概念ならトートロジーになる。

すみません。「矛盾概念」はそのとほりです。同義語反復といふ点が理解できませんでした。

>>「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、…」と
>>「私たちの意見が不一致ならば、
>>私たちの意見は反対である」は同じ形。

A,B、Cの3区分すべてが、矛盾概念に相当するので、Aにとつては、BもCも同じ程度に「反対」だといふ御指摘ですね。たしかに、これが聖書のことばの構成だとおもひます。

>>「中」を両極の狭間ということではなく内側と捉え、
>>対立者の心の内の内、意見が同じであるところに
>>立場をとって中立者となれば、
>>三者に意見の一致が見いだせます。

今日はみなさん、最後にうまいまとめをなさいます。「内」に入り込めば、「矛盾概念」の構成から脱却できます。ここまで読み進めた甲斐がありました。

>>三者をまるくおさめるということで、
>>この中立には意義はあると思いますよ。

お気遣ひ、ありがたうございます。atomonadosさんはやはり優しいのですね。

お礼日時:2014/05/25 08:32

ここの「初めての方へ」の所で、「禁止事項ガイドライン」を読んで下さい。


このサイトは、QAサイトであり、継続的議論は禁止されています。
「回答」の名のもとに質問や他の回答を批判したり、「お礼」の欄で
回答に反論したりするのは禁止です。
何のためにその欄の名前がついているのか、考えてみましょう。
議論がしたければ、自分でそのようなサイトを開設すればいい。
ひとが開設しているサイトで、解説者の企図に反した使い方を
している輩を発見した時も、それを指摘する回答も禁止です。
ただ速やかに通報して、削除してもらいましょう。

この回答への補足

いま回答番号9を読んでゐて、ふと気付きました。psytexさんの最後の3行はパラドクスを意識なさつてゐるのですか。実にあざやかです。

私はこちらのみなさんに今後も御教授いただくことを望んでをります。よろしくお願ひいたします。

補足日時:2014/05/25 07:02
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この回答へのお礼

psytexさん、こんばんは。いちどお話したかつたものですから。物理カテゴリなども拝見して、知識の深さに感銘を受けてをります。

私は、おもに法律の勉強をしてきました。いちばん大切だと思ふことは、法のために人がゐるのではなく、人のために法がある、といふ姿勢です。私は、OKWaveサポート担当さんとも、会話してゐます。規則にしばられて人間を見ないやうな人たちではありません。規約違反であつても、なぜそんなことをするのか、その背景を考へてくださる優しい人たちです。

ただ型にはめられたなかで窮屈になるのではなく、利用者も運営者も、ともに、このサイトがどうあるべきかを考へてゆきたいとおもひます。それが今回の目的です。そのための貴重なご意見を寄せてくださり、ありがたうございました。

お礼日時:2014/05/25 05:25

>>悟りに達するためには中立であることに


>>何の意味もありません。

>佛教でも、聖書と同じく、中立には否定的なのですか。佛典は数が多すぎて、どういふときにどれを読めばよいのかわかりませ>ん。また、御教授くださいませ。

お釈迦様は、輪廻転生を繰り返す迷える衆生に「中庸」を説きます。一言で言えば、「道を歩むにおいて、何事も極端はいけない」ということです。目的地にたどり着くには、道の真ん中を歩む限り道をはずれることはありませんが、両端をなぞっていると、
どうしても道を外れてしまいがちです。

ただ「中立」であるから「中庸」という訳ではありません。例えば、泥棒一家に生まれた子供にとって、親と一緒に泥棒するのが「中庸」なのか、「中立」的に何もしないのが「中庸」なのか、警察に親を突き出すのが「中庸」なのか、簡単には判断できないのです。

仏典は、仏教の本質に近いものとして、できるだけ上座仏教系の書物をお勧めします。
大乗仏教系の経典は全て偽経で、お釈迦様の教えと遠く隔たったものが多いです。

さらに仏教を入り口にインド哲学の道に入り、併せて量子物理学で補強していくと、宇宙(≒ブラフマン)が直観できるようになります。
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この回答へのお礼

sariputraさん、二度もありがたうございます。

>>お釈迦様は、輪廻転生を繰り返す迷える衆生に
>>「中庸」を説きます。

四書五経の『中庸』と同内容と解してよろしいですね。あの本は薄いうへに、有名なので、読んだことをすぐに自慢できます。実にいい本です。

>>ただ「中立」であるから「中庸」という訳ではありません。

むづかしいものです。
何もしないのが「中立」で、
結果的に正しい道が「中庸」となるわけですか。

>>仏典は、仏教の本質に近いものとして、
>>できるだけ上座仏教系の書物をお勧めします。
>>大乗仏教系の経典は全て偽経で、
>>お釈迦様の教えと遠く隔たったものが多いです。

私もさうおもひます。内容、成立年代の考証はもちろんのこと、大乗の原典があまり残存してゐないことも問題です。極端にいへば、残つてゐないのは、佛さまがその必要はない、と判断なさつたのだ、とするのが宗教的立場です。このあたりが科学の世界とは違ひます。

>>仏教を入り口にインド哲学の道に入り、

逆の道をたどるわけですね。ウパニシャッド等は、まだ読んだことがありません。

>>併せて量子物理学で補強していくと、
>>宇宙(≒ブラフマン)が直観できるようになります。

申し訳ございません。パウリやシュレディンガーとの関連が見えません。これは、お許しください。夜遅くまで、ほんとうにありがたうございました。

お礼日時:2014/05/24 23:33

 ぷらぽたさん こんばんは。




 まづ 引用箇所を増やします。

 △ (マタイによる福音書/ 12章 22-32) ~~~~~~~~
 30: わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。
 31: だから、言っておく。人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、“霊”に対する冒涜は赦されない。
 32: 人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 さて
 ★ 中立に意義はあるのでせうか。
 ☆ クリスマスツリーを例に挙げれば カザリは必ずしも すぐれた仕事をおこなった〔だけ〕とも思えないところがあると見ています。

 けっきょく過去から継がれで来たもろもろのカザリが むしろすでにシガラミとなっていて あたらしい人もそれに巻き込まれた上で 立派な業績を挙げたことになる場合がある。このような仕事に飾りがあたえられるといった一面 これがなきにも非ずだと考えています。

 ので ツリーの飾りは カザリ≒シガラミであると見る見方を捨てきれません。

 にんげんは モミの木本体だけでよいではないか。とまで この議論は行きつかせようとしています。

 ――これは 《中立》のもんだいではないか。





 たとえば エレミヤ書 31:31 以降のくだりを出して来て それをどう解釈するのかと問うて もしよほど特殊な事情や背景がないのならば クリスチア二ズムは――カトリックにせよプロテスタントにせよ―― オシエを広めるための組織もその組織にもとづきオシエを守る行動も 要らないとならなければウソである。ゆえに 自己解体せよ。
 ――というのは 《中立》の立ち場だと思っています。






 そのころブディズムが入って来て 崇仏派と排仏派とに分かれてあらそった。ころしあいにまで成った。崇仏派についていたにもかかわらず ウマヤドのミコは 権力をにぎったときには 《和を以って貴しと為し さからふこと無きをむねとせよ》とのたまいました。

 文句あっか。勝った者にはしたがえ。と言っています。――という見方を提示しています。

 和なるナラワシは もともとアマアガリなどには見向きもしないふつうのスサノヲ市民らが 互いにけんかをもしつつ 生活共同をたもっている姿なのであって ただこれをパクッタに過ぎない。――という指摘をしています。

 そもそも和を乱そうと思ってなら 文句を言ったりけんかを吹っかけたり一揆を起こそうとしたりはしない。これが スサノヲ市民のど根性である。――という物言いをさかんに言い続けています。

 和を乱しているのは 誰だ?


 これは 一方の極のほうへ振り切った振り子をもとに戻す《中立》の立ち場から 議論をしているものと思っています。

 
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この回答へのお礼

bragelonneさん、こんばんは。「おみな」と「をみな」、ありがたうございました。大野晋さんの名前がよくでてきますね。タミル語の件以外は、すこぶるまつとうな人なのですけれど。

>>にんげんは モミの木本体だけでよいではないか。

さうですね。キリスト教も、私は極論すれば聖書さへあればいいやうに感じます。

>>自己解体せよ。
>>――というのは 《中立》の立ち場だと思っています。

はい、第三者からみれば、性的被害などの問題を持ち出すまでもなく、異状に見えます。

>>崇仏派についていたにもかかわらず 
>>ウマヤドのミコは 権力をにぎったときには
>>《和を以って貴しと為し さからふこと無きをむねとせよ》
>>とのたまいました。

はい、そして、1万円札を発行して、財政を牛耳りました。これが日本の伝統なのですね。

>>そもそも和を乱そうと思ってなら 文句を言ったりけんかを吹っかけたり一揆を起こそうとしたりはしない。

bragelonneさんらしい生き方です。でも、たしかにそれも必要です。

>>和を乱しているのは 誰だ?

私です。

>>一方の極のほうへ振り切った振り子をもとに戻す
>>《中立》の立ち場から 議論をしているものと思っています。

うまく、結論をまとめるものです。これはkanto-iさんの得意パターンです。仲がよいのですね。sariputraさんに返事ができるやうに、もう一度読んで準備しておきます。ありがたうございました。

お礼日時:2014/05/24 23:03

こんばんはです。




以前ご紹介しましたカマキリのお兄ちゃんが、
何と、物理カテで質問をしております。

今回は、質問を考えたな(笑い)

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8609205.html


○○が予想されますので、お早めに御一読を(ニコニコ)。


で、本質問にお答えします。


☆私はさういふとき、双方をなだめるのですが、火に油で、事態が悪化し、仲裁に入つた私が双方から攻撃を受けることになります。
◇わたしも、あの方から、「サナダムシ」などなど攻撃されています。
わたしは、これでも、
《ぶらげろ》さんと他の回答者さんとの妥協点や落とし所を、なんとか、見つけようとしているのですけれども・・・。
力不足で、なかなかうまく行きません。


☆では、中立に意義はあるのでせうか。
◇ゴータマ批判には、弁護の役を。
ゴータマ讃美には、釘を刺す役をしており、中立の立場をとろうとしております。
ですから、
端(はた)からは、態度や立ち位置の定まらない、《コウモリ》野郎と思われているに違いない。

また、
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8584722.html
では、
わたしは《独我論》を説くかのように誤解されています。
わたしは、基本的に《(素朴)実在論》も《独我論》・《観念論》・《唯心論》の立場をとらないんですけれど。
そのことを理解してもらおうと、回答をすればするほど、火に油を注ぐような事態になっております。
諸悪の根源は、わたしにあるかの状態に至っています(ポリポリ)。

ですが、
ちょっと質問者の考え方を揺らしただけで、回答した甲斐はあったな。


☆「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。 」
◇ユダヤ・キリスト教は、光と影、白と黒、生と死しかないので、中立的な立場は存在し得ないのでしょう。
基本的に、生と死しか存在し得ない砂漠の思想・オシエだと思います。
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この回答へのお礼

>>以前ご紹介しましたカマキリのお兄ちゃんが、
>>何と、物理カテで質問をしております。

ありがたうございました。私の質問など、どうでもよくなりました。ずつと気にしてゐたことです。すぐにファイル保存しました。真面目な回答が笑へます。一生の宝です。初めて哲学カテゴリに来たとき、いきなりあんな話がでてきたので、衝撃でした。でも、その後もいろいろ楽しいことがいつぱいで、とても勉強になつてゐます。

遅くなりました。NemurinekoNyaさん、こんばんは。

>>あの方から、「サナダムシ」などなど攻撃されています。

nananissethe3rdさんのことは、毎日検索して、所在を探してゐます。哲学カテゴリだけは、いろいろいざこざがあつた方が楽しくていいとおもひます。といふよりも、批判好きな人をここに集めてしまへば、平和なQ&Aサイトになります。

>>《ぶらげろ》さんと他の回答者さんとの妥協点や落とし所を、
>>なんとか、見つけようとしているのですけれども・・・。

おふたりだけのやりとりが多いやうです。質問を絞つて、短くすれば、ほかの人も参加しやすいのではないかと、おもひます。正直、私も回答文を書くまでがたいへんです。

>>では、中立に意義はあるのでせうか。

ここからは、雑談ですね。

>>ゴータマ批判には、弁護の役を。
>>ゴータマ讃美には、釘を刺す役をしており、
>>中立の立場をとろうとしております。

これは判ります。私の「釈尊の成道」の質問のときもさうでした。2件の回答内容の違ひが楽しめました。

>>わたしは、基本的に《(素朴)実在論》も
>>《独我論》・《観念論》・《唯心論》の立場を
>>とらないんですけれど。

すみません。このあたりの哲学用語がよくわかりません。(ほんとうです。これから調べます。)「筋肉」とかいふ万人に理解可能な哲学用語はないのですか。

>>ちょっと質問者の考え方を揺らしただけで、
>>回答した甲斐はあったな。

カマキリだけで、充分動揺しました。

>>諸悪の根源は、
>>わたしにあるかの状態に至っています(ポリポリ)。

頭のいい人は、ねたまれるものです。

>>生と死しか存在し得ない砂漠の思想・オシエだと思います。

確かに聖書を読んでゐて、常に選択を迫られる、そんな感覚があります。だから、bragelonneさんは、のんきな私を容赦してくれないのでせうか。

哲学以外でも、数学、物理学、その他、何でも教へてくださいませ。さうさう、クラシック音楽の質問をしたとき、物理カテゴリのTann3さんがいつも明解な回答をくれるのですが、お知り合ひですか。

お礼日時:2014/05/24 22:30

仲裁に入るということは、対立するABのどちらかの考え方にもう一方を引き寄せる


努力をするか、ABとは別のポジションを提示してそちらに両者を引き込む努力をしなければ
なりません。
つまり中立ではいられなくなるのです。従って仲裁が火に油を注ぎ事態が悪化する、両者から攻撃を
受けるという事態は往々にして見受けられます。

中立であるということは、両者が対立する分野において、両者とも関係を持たないということです。

中立であることで、当面は火の粉が自分にかかりにくくなりますが、
両者の争いが決着した後は、その勝者からも敗者からも疎まれるリスクがあります。

中立という概念は、他者との相対的関係性が存在することを前提として作られた概念ですが、
実は、この世に存在するそうした関係性・相対性というのは、すべて幻であり、実体はなく
悟りに達するためには中立であることに何の意味もありません。

中立の立場に囚われて中立・中立と言っている間は、いつまでも悟りの境地に達することはないのです。

もちろん、ただ対立を煽るだけの新約聖書の記述にも囚われてはなりません。
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この回答へのお礼

sariputraさん、こんばんは。私の質問に投稿してくださるのは初めてです。ありがたうございます。お名前はどこからの由来なのですか。出典はあまりにもたくさんありますけれど。私は、般若心経そのものは苦手ですが、歌になつたものはときどき聞きます。特に香港の歌手、王菲のバージョンが気に入つてゐて、「舎利子、是諸法空相......」、ときどき、口をついてでてきます。

>>引き寄せる....引き込む努力をしなければなりません。

はい、そのとほりです。

>>仲裁が火に油を注ぎ事態が悪化する、
>>両者から攻撃を受けるという事態は
>>往々にして見受けられます。

私がさうです。反省してゐます。

>>中立であるということは、
>>両者が対立する分野において、
>>両者とも関係を持たないということです。

このサイトではそれが最善なのかとおもひます。
ただ、国際世界では、さうもいかず、永世中立国のオーストリアが軍事占領を受けた例もあります。

>>悟りに達するためには中立であることに
>>何の意味もありません。

佛教でも、聖書と同じく、中立には否定的なのですか。佛典は数が多すぎて、どういふときにどれを読めばよいのかわかりません。また、御教授くださいませ。

>>中立の立場に囚われて中立・中立と言っている間は、
>>いつまでも悟りの境地に達することはないのです。

私は、b.........eさんから「八方○○」と呼ばれます。初めて付き合つた女の子(小学生ではありません)がそんなタイプだつたので、その影響を強く受けてゐます。それ以来、抜けられません。むしろ、「八方○○」と言はれるのが気に入つてゐるくらゐです。

>>ただ対立を煽るだけの新約聖書の記述にも
>>囚われてはなりません。

これは、b.........eさんに訊いてみます。
ありがたうございました。

お礼日時:2014/05/24 21:40

中立に意味はあると思います。



ただ、仲裁をして欲しいと思われてない人達に
仲裁に入っても邪魔をしてるに過ぎないでしょう。
残念ですけど、望まれてないのです。
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この回答へのお礼

kanto-iさん、こんばんは。毎回私の質問に回答、しかも、すてきな言葉をいただいて感謝してをります。先回の言葉もさつそく、bragelonneさんのページで使用しました。きちんと引用であることを明示しました。STAP論文とはちがひます。kanto-iさんの表現はあまりに綺麗ですので、少しからかつてみたくなります。しつこかつたのは、お許しください。

>>仲裁をして欲しいと思われてない人達に
>>仲裁に入っても邪魔をしてるに過ぎないでしょう。

職場のいざこざの仲裁は自信があるのですが、ネット上のやりとりはむづかしいものです。いい大人が、ただの子供の喧嘩をしてゐるだけのやうに見えることもあります。OKWaveサポート担当さんの目に留まると、たいていは削除処理になります。削除されると、なほさら怒る、結局悪循環です。だからそのまへに止めようと思ふのですが、うまくいきません。

>>望まれてないのです。

kanto-iさんがおつしやるなら、そのやうにするつもりです。ありがたうございます。

お礼日時:2014/05/24 20:12

こういったサイトでの、質問_相談事へご投稿をされる方は、真に困った事(内容)含み、文面からある程度の読解力+判断基準(経験談含み)なりを、持たれていらっしゃらなければ”回答とかお答え等は、無理でしょう。


*曖昧模糊(あいまいもこ)とした”いいとも・悪いとも_どっちつかず”は、意味・価値がありません。返信作文は、対外嫌われます。
*新約聖書 マタイ福音書12章30節 *:残念ながら、教会ではありませんので。 そういう古風?な事では、現実感がゼロなので、無理・逆効果になるでしょう。
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この回答へのお礼

yama891さん、こんばんは。和服がお似合ひですね。

御指摘ありがたうございます。おつしやるとほり、私の投稿文は、しよつちゆう削除対象となります。

文面を拝見しますと、ご指導と同時に、おもひやりが感じられ、すなほに受け入れよう、といふ気持ちになります。

>>残念ながら、教会ではありません

私も教会ではありません。聖書は世界最大のベストセラーであり、自分をふくめ、世界人口の何割かが、行動規範として大切にする有用な書物です。さういふ意味でつけくはへました。読み飛ばしてくださつても結構です。

これにこりず、またよろしくお願ひいたします。

お礼日時:2014/05/24 19:16

>「わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている。



キリスト教の信者でないものは滅びればいいということですね。

これが宗教戦争の根幹にある以上、何を言っても始まらないですね。

日本は宗教に対しては中立ですがそれを憲法のしている国もありますものね。
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この回答へのお礼

maiko0318さん、こんにちは。はやばやと、ありがたうございます。

宗教と戦争のかかはりについての御意見、ありがたうございます。おつしやるとほりと存じます。maiko0318さんの優しいお気持ちが伝はつてきます。

私はこのQ&Aサイトに書きこみを始めて、2箇月足らずです。こんなに批判好きな人が多いことに驚いてゐます。傷ついてサイトを去つてゆく人もたくさんゐるといふ話を耳にします。

このサイトでの現実問題として、争ひの仲裁をすると、うまくいかない、といふことは判つてきました。この点では、聖書の記述は、合つてゐるとおもはれます。
(仲裁と中立を混同した表現になつてゐます。お許しください。)

maiko0318さんのやうなやさしい人がふえてゆくことを望みます。

お礼日時:2014/05/24 18:16

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