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                 唯心論 唯物論

人間は精神である、精神は性質である、人間が性質であるという考え方から行けば 

(神経伝達)物質等の性質などが複合して人間の精神 意識(性質)を形成しているわけで 

唯心論でいう心も実は自然の中の性質から出来ており 

唯物論でいう人間は物ではなく性質が本質なのだと言うことが分かると思います 

これによって唯心論と唯物論の統合が図れるのではないでしょうか?

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A 回答 (10件)

心は時間の流れ=記憶=過去、物は空間の広がり=予測


=未来である。
量子論の根幹を成す不確定性原理において、位置(S)と
運動量(St)、時点(T)と質量(Ts)のそれぞれの対に於て、
一方の値を確定しようとすると他方が無限不確定に発散す
るという事において、時間性と空間性は、相補的に対発生
していると言える。

唯物論の拠って立つ物理の極限において、「有限な存在性
は認識される事によって生じる」という唯心論に至る。
しかしその「唯心論」は、一般に考えられているような、肉体
的な自覚における『心』ではなく、唯物論=物理を自覚化
(宇宙全体が自己である)した上でのものである。
時間軸(心)と空間軸(物)の相補分化において、何の議論も
なく既に統合されている(強い人間原理)。
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この回答へのお礼

心は時間の流れ と言う一面はあるかもしれません

でも 自間の流れが心だ と言う説明ではよく分りません

物が空間に広がりと言う一面はありますが

それが 予測で=未来と言うのはよく分りません。

心は性質の反応と言う一面を持ち 物はエネルギーと性質からなる と思います

その性質を「属性」と軽んじて来たのは間違えです

性質は普通目には見えませんが真理に則りエネルギーに働きかけます(フィードバック)

時間性と空間性が対発生するとすれば 心と物が一体になってるのでしょうね。

それは人間の姿でもあります。

心の定義が問題ですね。宇宙全体が自己 な人がどれだけいるのでしょうねえ?

どうも大変ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/26 18:52

精神は"性質"である。

確かに相互作用において相手側に作用しうるという意味において精神も"性質"を持っている、と言えるでしょうね。しかし"性質"は精神のすべてではない、一部に過ぎない、故に精神は"性質"であるという断定は飛躍しているように思います。そして最後の結論に至るまでどんどん飛躍に次ぐ飛躍があるように思います。

20歳ごろ、人間は物質で出来ている、物質を構成しているのは原子、原子は広い宇宙の中にぽつぽつと存在する天体のようなもの、ならば人間の大部分は真空で出来ている、俺は真空なんだ、真空が俺を作っているんだ、そんなとりとめも無い"思いに浸った"ことがありました。若いうちに哲学に凝るのは良いとは思いますが、、、、
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>性質とは現象のことを言っているのではないでしょうか?



ようするに、「○○にはこれこれこのような性質がある」という言い方はしても「○○は性質である」という言い方は基本的にはしないのですよ。
「○○は性質である」と言うと「○○(という言葉)は何かの性質を表現する際に使われる言葉、あるいは概念である」という風に解釈されてしまいます。
なので「人間は性質である」という文章は「人間とは『何々には人間という性質がある』というような際に使われる言葉である」という意味の文章として解釈されてしまうのです。
当然意味不明ですよね。

こればかりは質問者さんが「いや、私は性質という言葉をそんな意味には使っていない!」と言い張っても無意味なわけです。
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この回答へのお礼

人間が性質であるというのは、人間には一般には身体(肉)と精神(人間性を持つ)がありますが、その身体、肉の部分はあまりに動物的すぎて人間性とは呼べない、だからその人間の主体たる人間性を持つ精神をこそ人間と呼ぼう、という訳です。

性質のことは考えて見られると面白いですよ、実際に物質などは性質を持ってますからね。概念じゃないんです 性質が存在するんです。勿論「熱い」とか「性質」というのは言葉に過ぎませんが。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/28 09:58

>人間は精神である、精神は性質である、人間が性質であるという考え方



「人間は精神」、これはまあいいです。そういう解釈もありえます。正しい間違いではなく解釈の違いのレベルですが。

「精神は性質である、人間が性質である」、これは変ですね。間違いとか正しいとかの問題ではなくて、性質という言葉を独自解釈して使っているので表現がおかしいです。
性質はなんらかの現象の特性を意味する言葉であって現象そのものを意味する言葉ではないのですよ。
質問者さんの他の方との受け答えを見るに、質問者さんが性質という言葉で表現したいであろう概念は『現象』ではないかと思います。

「人間は精神である、精神は現象である、人間が現象であるという考え方」
「私は精神です 現象で出来ています。」

なら日本語としてしっくりきます。
説明不足な部分は多々ありますけど。


無理に性質という言葉を独自解釈して使っているから他の回答者さんが混乱しているのではないでしょうか。議論がかみ合っていません。
質問者さんは「性質」という言葉をAという質問者さん独自の意味で使っているのに対してNemurinekoNya さんやurigadai2013 さんたちなどは「性質」と言う言葉を一般的なBという意味に解釈しているので齟齬が生じている、そのように私は思います。
このAという意味が一般的であればいいのですが、一般的ではありません。
存在性の質問でも思いましたが、質問者さんは既存の言葉(存在とか性質とか)に質問者さん独自の意味を持たせて話す癖があるようですね。
例え質問者さんが良いことを言っていたとしてもそれでは誤解されるだけですよ。
他人に自分の考えを説明するときは独自解釈した言葉は使わないことです。
どうしても使いたいのなら丁寧に分かりやすく説明することが必要です。
他人は質問者さんの頭の中を覗き込むことは不可能なのですから。



後はちょっとした突っ込みを。
>人間の頭の中にだけ「精神」と呼ばれる特別なものが出来る道理はどの様なものなのでしょうか?
人間の頭の中にだけとは限りません。他の動物の頭の中にもあるかもしれませんしコンピューターの中にもあるかもしれませんよ。
我々には想像もできないだけでそこらの石ころにもあるかもしれません。昔の日本など、アニミズムと呼ばれる類の宗教観を持つ文化では無機物にも精神や魂があるという考え方は珍しいものではありません。
あるいは人間にも精神は存在してないかもしれません。存在していると我々が思いこんでいるだけで。

ただ、人間の精神は脳に物理的、あるいは化学的に干渉すると精神も変質することは明らかなので生化学的で機械的な現象であることは確かでしょうね。
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この回答へのお礼

石ころやPCい精神と呼べるものがあるでしょうか?

在るとすれば それは尊重されなければなりませんが・・・

アニミズムは昔の話でしょう

>性質はなんらかの現象の特性を意味する言葉であって現象そのものを意味する言葉ではないのですよ。

特性とはなんでしょうか やはり特別な性質 という意味ではないでしょうか?

性質と言うものは名前ではありません 作用を持つものです

光などの色にしても三態の変化の温度にしても ただの特色ではなく 何らかの作用を持つものなのだと思います。

エネルギー(や物質)の働き方が性質なのです。

性質とは現象のことを言っているのではないでしょうか?

性質という言葉をググっても辞書を引いてみてもそのへんは書いてありません

性質という言葉は案外漠然と使われているのです。

まあ私は不勉強ものですので性質という言葉を自分の解釈で使っていますが、正しい解釈が示されていないのでは と思えるのです。

色々とご教示 どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/27 21:28

 ★ (No.6お礼欄) しかし私が自分のことを何者かと考えると 肉体に宿った精神であると 私は考えます。


 ☆ 《肉体に宿った精神》って言ってるぢゃん?

 肉体から離れた精神 ではないのでしょう?


 なら 《わたし》は 身と心〔とから成る自然本性〕として存在します。
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この回答へのお礼

全くお騒がせをしております

人間とは精神であるというのは 僕の持論の定義なので

回答者様が違和感を感じるとすれば

人間とは心と体があって人間であると考えてくださっていいのです。

ただ私が考えて来た折々に動物的な法則に則る体が人間と呼べるだろうかと

私とは精神のことだと 思うに至ったというだけの話であります

すみません

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/27 15:47

 No.1です。

お早うございます。
 ご返答をありがとうございます。

 ★ (No.1お礼欄) ~~~~~~~~~
 私は精神です。貴方は精神じゃないですか?

 身体は「私の」身体です 私自体ではありません。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ けれども

 ★★(趣旨説明欄) (神経伝達)物質等の性質などが複合して人間の精神 意識(性質)を形成しているわけ 
 ☆ なのではないのですか? つまり《細胞や神経組織》は 《身》ではないのですか?

 身体が精神の基体であるなら その身も わたしなる存在であるでしょう。
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この回答へのお礼

まあ 脳があって精神があるわけですから

身体も人間だという考えが多いでしょう

でも精神のない植物人間の体だけの人を人間と呼べるでしょうか?

成る程仏像などより人間的かもしれません

しかし私が自分のことを何者かと考えると 肉体に宿った精神であると 私は考えます。

五体不満足でも精神があれば人間

体はあっても意識が戻る可能性がなければ 人間と言えますか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/27 11:30

ものにより、ありがとうというこころが感じる。

好きというこころが感じる。愛というこころが感じる。こころとこころが感情を与えてくれる、
そのことに気がつかない人が、唯という言葉を使いたがる。
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この回答へのお礼

面白いですねえ 良い話だと思います

物によって心が感じる だから唯ではない 両方在る

成る程どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/26 20:57

「人間は精神である」ということは精神は人間の実体だということ。


だから「精神は性質である」とは言えない。
だからその続き「人間が性質であるという考え方…・」は間違い。

「神経伝達物質等の性質・・・・・」というけれど、神経伝達物質は性質ではなく、あくまで物質。
だから神経伝達物質等が「複合しても人間の精神、意識を形成」しない。
物質をいくら集めても物質。
そして意識は性質ではなく、人間が本質的に有するもの。
意識を持たなかったら人間ではない。
もし意識が性質とか属性だったら、人間に付属するものだから、付属するものがなくても人間ということができるが、意識は人間に付属するものではないのだから、性質ではありえない。

次に「唯心論でいう心も実は自然の中の性質からできており・・・・・・」というのも間違い。
心は自然とは独立の実体なのだから、自然の中の性質とは独立。
自然の中の性質によってできているとは言えない。

次の「唯物論でいう人間は物ではなく、性質が本質なのだということが分かると思います」といいますが、ぜんぜん分かりません。
唯物論でいう人間は物です。物質から出来上がっています。
性質から出来上がっているのでもなく、性質が本質なのでもありません。
物質は実体であり、その性質とは独立です。

「これによって唯心論と唯物論の統合が図れるのではないでしょうか?」といいますが、図れません。
考え方が間違っているからです。
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この回答へのお礼

どの様な物質も性質を持っているのではないでしょうか?

人間の頭の中にだけ「精神」と呼ばれる特別なものが出来る道理はどの様なものなのでしょうか?

物質と性質が独立しているのは分かりますが

ならば性質はどの様な働きをしているのでしょうか?

それは分っているのでしょうか?

ありがとうございます。

お礼日時:2014/06/26 18:59

☆人間は精神である、精神は性質である、


◇ふつ~、こうは考えませんね。
(精神の)性質は精神に属するものと考えます。
質問者の性質は、質問者に属するものですよ。
質問者の性質が、質問者を作っているわけではないでしょ。


☆(神経伝達)物質等の性質などが複合して人間の精神 意識(性質)を形成しているわけで 
◇今回は機械論的なアプローチですか。
「精神は性質である」という与太話はさておき、
古くからある考え方で、「あっ、そうですか」となってしまいます。

と同時に、こうした機械論(決定論)を徹底していくと、
「私たちには自由や自由意志なんてものはない」
なんてことになりますが・・・。

私たちの下す決定は、それに先行する事象によってのみ決まるなんてなりませんか。
現在の性質によって決まるのだとしても、
その現在の性質がそれに先行する性質によって決定される、その結果に過ぎないので。


☆唯心論でいう心も実は自然の中の性質から出来ており 
◇仏教の唯心論の一つである《唯識》は、物質や自然などは、人間の心が作ったものとされております。
《種子・bija》が世界を現出させる。
bijaは、功能・saktiのですから、心的エネルギーといった感じのものでしょうか。
より正確には、その潜勢態、可能態というべきなのでしょうが。
こうした考え方もあります。

潜勢態・可能態は、デュナミスか・・・。
エネルギーの語源とされる《エネルゲイア》の対概念だな。

アリストテレスか・・・。



☆唯物論でいう人間は物ではなく性質が本質なのだと言うことが分かると思います 
◇物は、人の心が作り出した物かも知れない。
《神の観念》なのかもしれない。


☆これによって唯心論と唯物論の統合が図れるのではないでしょうか?
◇仏教の唯識思想の方が、質問者のこうした考え方よりも、はるかに高度で、かつ、首尾一貫した、包括的な理論体系を有しています。



ではでは。
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この回答へのお礼

>(精神の)性質は精神に属するものと考えます。

それでは精神は何で出来ているのでしょうか?


>質問者の性質が、質問者を作っているわけではないでしょ。

私は精神です 性質で出来ています。


>と同時に、こうした機械論(決定論)を徹底していくと、
>「私たちには自由や自由意志なんてものはない」
>なんてことになりますが・・・。

無数の性質が集まって精神を形成してるのです

無数の可能性があります。因果律に従いますが

自由と言えるものもあると思います。


>◇仏教の唯心論の一つである《唯識》は、物質や自然などは、>人間の心が作ったものとされております。

これは違うと思います 唯識の一番の間違いです。

唯識論が正しいとお考えでしょうか?

どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/27 08:16

 こんにちは。




 ★ 人間は精神である、精神は性質である
 ☆ 人間は 身と心とから成ります。精神と身体とです。

 《性質》というのは 身体が柔軟か堅固か あるいは 精神がやわらかいか頑なかといった属性を言っているものと思います。

 ★ 唯心論と唯物論の統合が図れるのではないでしょうか?
 ☆ 唯心論と唯物論とについて説明します。


 

 1.
 一般に 日本人はその生活において 功利主義という意味で現実主義ですね。だいたいの話です。

 2.
 その反動からなのでしょうか あるいは 反動でも何でもなく現実主義をきれいに装うためにでしょうか 他方では 精神論も 盛んです。つまり この場合 精神が大事だという訓戒を垂れるものです。その言い草としては 極端な精神主義に聞こえる場合があります。

 3.
 日本人は 唯心論か唯物論かと問うてどう答えるかと言えば 唯心論だと返ってくるでしょうね。唯物論だという人は 上の現実主義のことを指して そういうのでしょう。

 4.
 ですが このような概念は 一般に 概念じたいを知らないはずです。唯物論といえば 物が大事だとする我利我利亡者のことぐらいにしか捉えていません。いや 心が大事だと反論するくらいが 唯心論ということになっています。

 




 5.
 西欧の話ですが 唯物論は 無神論ですが 無神というのは 唯心論ないし精神ないし理性の――究極の――神と けっきょくは同じことです。

 6.
 もともとの絶対者としての神の想定から派生して 出てきました。
 想定したのなら その神は 人間が作ったのであると考え直したんでしょうね。神学の秘密は 人間学なりというわけです。ですから モノかココロかと問います。ただし究極ということでは ちょっと工夫がこらしてあります。

 7.
 《究極》というのは もはや人間の能力によっては それを表象し得ないところという意味です。

 8.
 ところで かたちあるものは 形相(イデアまたはエイドス)と質料(モノ) あるいは 精神(こころ)と質料(からだ)から成っています。

 9.
 そこで これらの双対を 一たん引き離して それぞれの究極を問い求めました。
 
 10.
 前者(形相ないし精神)の源である第一精神が 歴史の狡知をも演出する神であるとなります。つまり 理性の神です。

 11.
 後者(質料)の源は モノの究極である第一質料であり 特にこれを《物質》と言うというわけです。
 この物質も けっきょくは 神なのです。理性の究極なる神と同じなのです。
 世界は 《物質》なる神――または 無い神――の自己運動として成り立ちそれとして推移するのだと。
 
 12.
 したがって 唯心論も唯物論も これら両者を 無理に別々のものだと見なして どちらかを唯一としただけです。

 13.
 ですから 唯物論は 無神論ですが――つまり物質は 神ではないと言い張るのですから 《無い神》であるようですが―― とは言っても 《質料》の究極を問い求めたというかたちにおいては けっきょく理性の〔究極の〕神であると考えるべきです。
 





 14.
 日本人は これらのどちらでもないと思いますよ。そういうふうには 分けて考えていないという意味です。

 15.
 強いて自慢をすれば 中道だということになります。唯心論にも唯物論にも片寄りません。

 16.
 その意味では 無理なく造作なくすでに
 ★ 唯心論と唯物論の統合が図れ
 ☆ ていると言えるかも知れません。

 17.
 茶化して言えば 神さんは 先祖の霊の中にまた大自然の中にひとつにおさまっています。現われ方が分身として やほよろづの神々となるだけです。



 18.
 ただし ゴータマ・ブッダの説くダルマが これはアン-アートマン(無我)という見方にもとづき 《無い神》であるはずなのですが これについてどうも あいまいです。あいまいにしたまま 平気でいます。

 19.
 先ほどわれわれ日本人は 中道を行くと言いましたが これが 決してそうではなく 中庸に落ちつくどころか けっきょくさらに堕ちて 両義性のどっちつかずの《あいまい教》におさまってしまっているようです。

 20.
 ゴータマ氏のアン-アートマン説は どちらかと言えば 唯物論です。

 21.
 唯仏(仏です)論は 後世に興ったアミターバ・ブッダ(阿弥陀仏)やマハーワイロ―チャナ(大日如来)のほうであり どちらかと言えば これらが 唯心論です。別様に 唯識論というかたちを立てるのもありますが。
 
 22.
 これらの多様性を ひとつの神のもとにまとめていると言えば言えましょうし その中身にかんしては 整理はされておらずまた整理をしないほうがよいのだと考えられ けっきょく思想としては何でもありの様相を呈しています。わるく言えば 《のっぺらぼうの顔無し》です。

 ・・・・(おあとがよろしいようで)・・・
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この回答へのお礼

 >☆ 人間は 身と心とから成ります。精神と身体とです。

私は精神です。貴方は精神じゃないですか?

身体は「私の」身体です 私自体ではありません。


私の考えには心も物も両方あります。そのどちらかが在ってどちらが無いということはありません

神は心と外界がつながって出来たのでしょう 主に心にあります。 尤も私の心には神はありませんが。

アリストテレスの形相と質量ですか。

形相因と精神をゴッチャにするんですか?

神は信仰する人には必要でも日本人の多くには必要ないと思いましすが

日本人があいまい教だというのは分かります 理性的な思想を持たない人が多いです。人が言ったことで考えるようです。

色々教えて頂き どうもありがとうございます。

お礼日時:2014/06/27 08:45

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