これ何て呼びますか Part2

人間の頭脳が優れているので神の概念を創ることができたと思っています。人間だけが神を信じ、他の動物が神を信じているようには思えないのです。私は人間が創った神を否定する者ではありません。多くの民族が神の概念を持っています。その概念は尊くて先祖崇拝や万物崇拝に繋がっています。
もし神が先に存在するとしても人間だけを創ったとは思えないのです。神が他の動物も創ったならば、その動物も神を信じていると思うからです。

A 回答 (10件)

お礼、ありがとうございます。




神が(宇宙etc.を)作ったというのは、
人間がものを作るということからの類推であり、
同時に、
神の擬人的表現なのでしょうね。

ですが、
だからと言って、
宇宙を作った神さまがいるかどうかは、分からない。

まっ、わたしは、そのような擬人的な神さまは存在しない、と思いますけれどもね。
聖書などで説かれるような創造神は存在しない、と考えてよろしいのではないですかね~。
こうした神さまは、人間が作った、デッチ上げた《神さま》だと思いますよ。

この回答への補足

私はよく分らない神様にはお賽銭を上げる気持ちになれないのです。祭壇にも手も合わせることができません。元々の信仰心も弱いのでしょう。疑い深い性格でもあります。
逆に熱心な信者には哀れみを感じてしまいます。教団に大きなお金をあげるのも馬鹿らしいく思います。
でも無神論者ではありません。納得できる神様には手を合わせて拝みます。お願いや誓いも立てます。でも心の中心にあるのは釈尊の仏教です。

補足日時:2014/07/21 23:10
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この回答へのお礼

皆さん、ありがとうございました。この回答をベストアンサーにします。

お礼日時:2014/07/21 23:10

こんばんは。




神という言葉、神という概念や観念を作ったものは、人間です。

しかし、
だからと言って、
「神」という言葉や概念を作ったのが人間であるから、「神」という言葉で指し示される対象である《???》(神さま?)を人間が作ったとは言えません。
また、
「神」という言葉で指し示される対象である《神》が存在するか、存在しないかも、これとは別の問題です。

ヒョッとしたら「神」という言葉で名指される《神》は存在するかもしれないし、
ただ、人間の頭の中、観念や概念として、《神》なるものは存在しているだけかもしれません。
そして、
どちらが正しいのかを確かめることはできません。
#7の《ぶらげろ》さんがおっしゃるとおり、
経験界や現象界に属する私たちは、その手段、術(すべ)を有していません。



☆もし神が先に存在するとしても人間だけを創ったとは思えないのです。神が他の動物も創ったならば、その動物も神を信じていると思うからです。
◇人類・ホモサピエンスとは別の系統に属するネアンデルタール人は、
お墓を作ったり、死者と花をともに埋葬していたそうですよ。

ひょっとしたら、ホモサピエンスとは異なるネアンデルタール人は、原始的な宗教と神を持っていたかもしれませんよ。
であるとしたら、
質問者さんのこの主張は揺らいじゃいますね(ニコニコ)。

また、
猫はひょっとしたら神を有し、神さまを信じているかもしれない(笑い)。
そのことを、人間がただ知らないという可能性も否定できない。

この回答への補足

お答えは常識的な考えで妻も同じだと思います。しかし、私にとって創造主としての神と言う考えが心に響かないのです。何か取って付けた様で嘘くさいのです。猫の神様などには興味がありません。ネアンデネルタール人は現代人と戦って滅ぼされた人間です。現代人と混血したとも言われています。
元々人間であった神様は納得できるのです。キリストや天照や大国主や道真公などなどです。神様ではないが、釈尊や孔子なども納得です。もともと人間なので人間が創った神様に誤りはありません。
しかし、アラーやゼウスや大日如来などは私にとって納得できないのです。また、宇宙を創ったのも神様だというのも納得できません。これらも人間が創った概念だと思うのですが、間違いでしょうか。

補足日時:2014/07/21 19:36
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誤:「神は人間が創ったもの」


         ↓
正:「宇宙は自己が創ったもの」

(無(=不確定性無限)の潜在としての認識可能性
(感受表面での量子相互作用=現在=光速)からの
自我仮説(時間の流れ=記憶=過去=超光速)と
時空仮説(空間の広がり=予測=未来=光速下)の
相補分化)

この回答への補足

そんなに難しいことを聞いているのではありません。手を合わせる神様のことです。人間だけが神様を創っていると思っているのです。その難しそうな仮設も人間だから考えられるのではないでしょうか。宇宙と神様の関係など難しいので考えるつもりもありません。

補足日時:2014/07/20 19:48
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 こんにちは。



 神とは 神が存在するとしたときのその神の 仮りの表現です。ほんとうの神を何とか理解しようと考え補助線として引いた言葉です。

 本体は 人間にとって 分かりません。分かるか分からないかが分からないナゾです。

 これを《非知》と言います。

 ○ 《非経験の場》=《非知》なるナゾ ~~~~~
  
   経験事象
    可知
      既知
      未知
    不可知 (知り得ないと知った)
 
   非経験の場
    非知 (知り得るか知り得ないかが知り得ない)

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 むろん
 ★ 人間が創った神
 ☆ は いくらでも あります。思考と想像による産物です。つまりは 観念の神です。

 観念や思考や想像は 人間にとっての経験事象です。よって 《非経験の場》ではなく 《非知》ではなく 神ではありません。
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この回答へのお礼

なるほど。妻はそのような気持ちでいるようです。なので朝晩5分も神棚を拝んでいます。一番近い神社のお札が置いてあります。おそらく妻は置いてあるものは何でもよいのです。私の仕事は大手化学メーカーで研究開発とその管理でしたので不可知なものには感心がないのです。

お礼日時:2014/07/20 10:46

”神が他の動物も創ったならば、その動物も神を信じていると思うからです。


     ↑
そういう論法に対して、キリスト教などは答えを
用意しております。

神の姿に似せて人間を創った。
何故か。

神は人間を特別な存在として創ったのだ。
他の動植物などを含め総ての存在は、人間の為に
存在するのだ。

故に、人間だけが神を信じることが出来る知能、特権を与えられた
のである。


なにしろ、オウム真理教などとは異なり、二千年の歴史が
ありますから、大概の疑問には答えが用意されている
ということです。

そして、どうしても回答不能な問いに対しては
「偉大なる神の意図の総てを人間が知ることはできない」

のです。
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この回答へのお礼

なるほど。私は神というより神様も拝む仏教徒なのです。キリストという人間が神様になったものだと理解しています。人間としての姿が無いと興味がありません。天照は卑弥呼、豊受は台与。天神は道真、大黒は大国主という感じです。だから人間が神様を創った。日本猿はまだ神様を創ってはいないと思っています。

お礼日時:2014/07/20 08:53

君の言う事を正論と誇ろうと考えているならば、生命の概念とその発祥の必然性に関してノーベル賞が取れる位の知見があるからだろうな。


でも、当然そんなものは無いだろ。
くだらない事を言っているだけだよ。
引っこんでろ。

この回答への補足

生命の起源にも大変興味があります。しかし。なるほどと思ったことがありません。神と生命の起源が関係すると思ったことなどありません。

補足日時:2014/07/20 09:21
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この回答へのお礼

自己主張ではなく、バチ当たりなことを思っているのかなあという気持ちなのです。神様よりも仏様を拝むからだとも思います。

お礼日時:2014/07/20 09:21

哲学カテゴリとしては的外れな回答になるかもしれませんが…。


私は哲学問答にはほとんど興味を持てないので。
ですが質問者さんのご質問がどうもはっきりしないので、とりとめなく書きます。


ヒトの大脳が神を創造した→○

ヒトの大脳が優れているので神の概念を創ることができた→×

否定されるのは「ヒトの大脳が優れている」の部分です。
正確には進化生物学等では常に相対的に扱うので、「抽象概念の把握に優れる」という表現はされるようですが、
「人間の頭脳が優れているから」は単純に人間の優越感情による表現にすぎないとして退けられるそうです。
優越感も進化の過程で生じた抽象概念のひとつにすぎないので。


人類の大脳は複雑・巨大化により、仮説では6万年ほど前に抽象概念を獲得したと考えられているそうです。
そのために、人類は死への恐怖に四六時中苛まされることになりました。
この部分は「脳はいかにして“神”を見るか」という本に詳しいです。

たとえばシカがいたとします。近くの藪がガサっと動くとシカは警戒します。捕食者がいるかもしれないからです。しかし警戒してもそれ以上動きがなければ捕食者はいない。シカは警戒を解きます。
ですが、抽象概念を獲得した人類にはそれができない。
藪が動いたのは現実の捕食者ではなかったかもしれないが、自分に害をなす悪霊がいるのかもしれない。目に見えない存在である悪霊への対抗手段を自分は持っていないかもしれない。
いくらでも想像できるわけです。
この根源にあるのが死への恐怖です。死への恐怖と抽象概念の組み合わせは、ひっきりなしの不安を人類にもたらしました。
それを解消するために生まれたのが宗教的感情です。

「なぜ、脳は神を創ったのか?」でも似たようなことを書いています。
人類は死への恐怖を持っています。これは単なる生存本能的な性質です。
人類は、自分自身が不完全な存在だということを知っています。
なので、死への恐怖を和らげるために「何か完全な存在がいて、その存在が与えてくれたストーリーがある」というふうに宗教を造り上げたのです。
「完全な存在」が、神です。
なので、ご質問が「神は人間が創ったものか」であれば、答えはイエスです。

正直に言って、神を信じるのは個人の自由です。人間には信じるもの、すがるよすがが必要です。
それは否定できませんが、本当に真実神が実存すると信じている人は、宇宙の広さについてあまりにも無知だと思う。



ご質問の他の部分について。
「他の動物が神を信じているようには思えない」は「人間の目からはそのように見えない」であって、実態がどうかはまた別なので保留。

神の被造物が全て神を信じているについても同じ理由で保留。
神に創られたが、神を認識できないので信心が生じない、神を認識できるが信心はしない、そういう可能性もあります。

この回答への補足

動物の話はこじつけのようなもので、自分が認識できないものは感心がないのです。妻は毎朝夕に神棚に向かい5分は拝んでいます。私は元旦だけ拝みます。私はお経には関心があります。妻はお経には関心を示しません。私は神社に行けば感謝の気持ちで拝みます。しかし神社では由緒書きを読んでから拝みます。だから私にとって神はもともとは人間なのです。

補足日時:2014/07/19 22:48
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まず哲学的に言えば、人類が居なければ「神」は居なかった。


当たり前。

では他の動物種(植物種)は神を持つか?
会話、情報交換出来無いのでさっぱり分りません。

私は「神」を信じていますが、非常に「特殊」なのでだれも同意して呉れないでしょう。
私の神は「世界は創った、あとは知らん」という「いい加減」な奴なので、祈るとかしても「無駄」。
一方定義が定義なので「生物」「無生物」に「責任がある」、だが何もしてくれないから「どうでも良い」。

それって神の定義から外れていると云う意見もあるでしょうが、こいつが一番「無矛盾」。
他の神には「突っ込み場所」満載。

この回答への補足

私の先祖や民族の神を信仰します。神社に行っても民族の神に手を合わす気持ちです。万物崇拝とは食べたものが肉体になることへの感謝の気持ちです。したがってアラーの神などには興味がありません。もちろん宇宙の神など抽象的でわけが分りません。

補足日時:2014/07/19 22:02
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この回答へのお礼

天地創造の神は概念的には理解しますが、わたしにとってはそれだけです。お賽銭を上げる気持ちになりません。

お礼日時:2014/07/19 23:07

羊には羊の 熊には熊の神がいるのを貴方が知らないだけ

この回答への補足

羊の神を私は認識することができません。認識できないものを信じる気持ちは持てません。
私が日蓮宗の仏教徒であるので、釈尊と言う人間を尊敬するためかも知れません。民族の先祖を神だと思っています。

補足日時:2014/07/19 22:10
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ここは、判らないことや疑問なことを質問して回答してもらう場所です。


自分の主義主張をひけらかす場ではありません。

この回答への補足

申しわけありません。私はこのように思っているのですが、哲学的な問題がありますかと言う質問です。

補足日時:2014/07/19 22:13
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