あなたの習慣について教えてください!!

こんにちは。
まえまえから疑問に思っていることを聞いてください。
古代の戦争では、中国の三国志や日本では織田信長の時代などは、
ドラマにしても映画でも豪傑、英傑などと義だの節義だのと勇ましさばかり取り上げられて、
偉人みたいに言われるのに、戦車や飛行機がでてくる現代戦では、
戦争の悲惨さばかりが取り上げられます。
現代戦で英雄などあまり聞きません。
これはなぜですか。
私の考えでは、現代戦は人が瞬時にたくさん死にすぎたためかなとおもいます。
ご回答お待ちしております。よろしくお願いいたします。

A 回答 (12件中1~10件)

 このご質問の意図は恐らく「歴史としての現在史をどう扱うか」との大きな課題が背景にあると存じます。


現代の私達からみれば、三国志や信長は全て過去の人であり事象になります。
 これを三国志の時代なり信長の時代の人がどう感じていたかとの視点をお持ちになれば、現代の私たちと恐らくは同じ感覚を持っている人もいるでしょう。けれどもそうした考え方がその時代の支配的な空気であったかといえば、これにも疑問符が付きます。全員が全員おなじ意見を持っていたなどとは断言もできない。
 信長の時代ならば、比叡山の焼き討ちや長島一揆の征圧などで、信長に対する世間の評価も二分化されました。一方は天下布武のためならば犠牲はやむを得ないとの考えもあれば、神仏をも恐れぬ行為との非難もありました。
 ですから、その人の時代によって、歴史認識にも変化が生じもします。戦争人としての信長を僕は評価しようとも思いません。逆に新たな秩序に基づく社会構造の確立を求めたとの政治家としてならば評価もします。
 現代ならば、インド独立の父として知られるマハトマ・ガンジーの姿勢は非暴力主義として知られてもいて、武力を伴わない革命の代名詞でもあるが、カンボジアのポルポトが行ったのは血による粛清ではあっても革命とはならず、人間を大量殺戮したり投獄したりするなどの方法で権力の座に就いた者が英雄であるなどとはいえもしません。
 乱世の中国を統一し、史上初めて皇帝の座に就いた秦の始皇帝が英雄ですか?。彼の事跡には焚書坑儒との忌まわしい行為もありますよね?
 ナポレオンだって同じです。旧体制を打破するとはいったものの、自らが権力の座に就いだけの話です。英雄でも何でもありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
私は「大きな課題」などもっておりません。
ふと思いついただけです。
考えていると分けがわからなくなってきますね。

お礼日時:2014/08/20 14:54

人間対機械ですから、虚しいだけなのでしょう。

結局WW2から変わり、機械対機械に成り、虚しさだけ残るようになったと考えます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/20 15:12

日本国が負けたからです。



GHQの政策で、日本が侵略戦争を起こした、と庶民を誘導したからです。

日本の戦犯も、アメリカに作られたものです。

もし、日本が戦争途中で和解していたら、彼らは英雄になっていたかもしれません。

我々も、日露戦争後の国民と同様、日の丸を振って、軍隊を迎えていたかもしれません。

日露戦争後にも、悲惨な国民は多くいましたが、村の英雄として称えられました。

勝てば官軍です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/20 15:12

>現代戦で英雄などあまり聞きません。

これはなぜですか
戦争のやり方が変わってしまった結果です。
戦車とか飛行機とか使う武器が発達したのも原因の一つですが、そればかりではありません。
戦争が行われる場所といいますか、実際に勝敗を決めるために必要な戦闘地域が大規模になってしまった結果です。
ドラマや映画にでてくるような古い時代の戦争は、いわば陣取り合戦のように拠点の争奪戦だけで勝負がつきました。
戦争の規模というか戦闘を行う範囲が広くなった結果面の取り合いに変わってしまいました。
拠点の取り合いだけであれば、個人の判断や行動だけで勝負を決めることができました。
いわばその場の個人対個人の勝負ということになります。
信長は次々と拠点を潰していっただけです。
面の取り合いということになると、個人の能力を超えますので、複数の人間が必要になってきます。
結果として、組織対組織の勝負ということになります。
つまり個人が埋没してしまいます。
いわゆるスポーツの個人競技と団体競技の違いと同じです。
サッカーや野球でも、勝敗を決めるゴールやホームランを入れたり打ったりした選手が称賛されることがありますが、試合の途中でのプレーで、すぐに逆転されて結果として負けた場合には、個人記録が残るだけで勝ったときのように称賛はされません。

オリンピックのメダルも団体競技の場合に出場した選手全員が表彰されます。
勝敗を決めたゴールを入れた選手が特別表彰されることはありません。
シーズンが終わると選手個人よりもチーム全体の能力や監督の能力が議論されます。
場合によっては、その監督を選定した裏方の責任まで議論されます。
監督も次々と変えられてチームが勝つか負けるかが最大の関心となります。

戦争も同じことです。
第二次世界大戦で日本軍が自滅して負けたてしまったのも、日露戦争時代のように拠点での勝負で決着がつくと思い込んでいたために、局地戦で勝った勝ったとむやみに面を広げてしまった結果、どうにもならなくなってしまいました。
米軍は局地戦とは別に日本列島全体に爆弾をバラマキました。
中国軍も広い大陸中を逃げ回て日本軍を消耗させてしまいました。
ベトナム戦争でもベトナム軍は国中のジャングルで戦闘を行い米軍を消耗させてしまいました。
現在続いている中東地帯での戦争もお互いに限られた兵力で広い砂漠地帯を縦横無尽に動き回りお互いに決着がつきません。

後は戦争に対する考え方が変わってしまったのも一つの原因です。
物的或は人的破壊を伴う戦闘行為だけではなく、経済制裁などの手段が用いられるようになりました。
経済の規模が大きくなり一つの国の中だけでは納まらなくなり、地球規模での活動が必要となりました。
国家という限られた地域にだけ押し込められるとたちまち破綻してしまうようになりました。
この方法には個人の出る幕はありません。
現在は相手の国のSNSを破壊すれば勝負をつけることが可能になり始めています。
将来の戦争は全く目に見えない戦争となるでしょう。
英雄も豪傑も完全に出る幕がありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
面の戦いになって、移動手段が発達したのが原因のひとつなんですね。

お礼日時:2014/08/20 15:09

”戦車や飛行機がでてくる現代戦では、


戦争の悲惨さばかりが取り上げられます。
現代戦で英雄などあまり聞きません。
これはなぜですか。”
   ↑
昔は、国家というのは王侯貴族だけの
モノでした。
だから戦争も、王侯貴族だけのモノでした。
戦争はプロ同士の戦い、という様相でした。
だから英雄も数多く出たのです。

しかし、近代になると民主制国家が誕生し
国家は国民総てのモノになります。
そうなると戦争も、女子供を含めた国民
総ての総力戦となりました。

だから、戦争による犠牲者にも庶民一般が
中心となり、悲惨、ということになったのです。
同時に、英雄も姿を消しました。


”私の考えでは、現代戦は人が瞬時にたくさん死にすぎたためかなとおもいます。”
     ↑
これはある意味正鵠を射ています。
昔の戦争でも庶民の巻き添えはありましたが、
近代戦では庶民が全面に出て来ました。
武器の発達も手伝い、戦死者が桁違いに
大きくなったので悲惨さが目に余るように
なったのです。

ちなみに、これは靖国神社に祀られている
人の数です。

明治維新     8000柱
日清戦争    16000
日ロ戦争    88000
大東亜戦争 213万4000
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
明治維新は血を流さない革命だと聞いたような気がしますが、8千人も死んでいるとは。。。

お礼日時:2014/08/20 15:03

現代戦で英雄などあまり聞きません。



質問者が多分日本人だからでしょう。

マッカーサーが大統領選に意欲を燃やし、アイゼンハワーがやド・ゴールが実際にアメリカ、フランスの大統領になったのは戦勝国の戦争における英雄だからです。

イスラエル
基本的に戦争で勝ち続けて存続している国家ですので、戦争の英雄が国家の指導者になります。
建国間もない頃のメイア ベングリオン シャレット以外の首相はほぼ全員軍隊での輝かしい活躍によって英雄として政界入りしている。
===

現首相 ネタニヤフ
兄のヨナタン・ネタニヤフは1976年のエンテベ空港奇襲作戦で戦死したイスラエルの英雄。弟のイド・ネタニヤフは放射線技師および作家。兄弟は三人ともイスラエル国防軍のエリート部隊、「サイェレット・マトカル」に所属した。

シャロン
1956年の第二次中東戦争(スエズ戦争)では第202空挺旅団を率いて、シナイ半島中部のミトラ峠に降下している。

バラック
この間のバラックの活躍で良く知られているのはミュンヘンオリンピック事件におけるイスラエルの報復作戦の一件である。女装した彼は部隊を率いてベイルートのPLOの幹部等が宿泊するアパートを奇襲し、標的とした幹部3名の暗殺に成功した。

ラビン
。1962年には、イスラエル国防軍の参謀総長となり、その指揮により第三次中東戦争(6日戦争)においては、エジプト、ヨルダン、シリアに勝利した。


シャミル
彼の指導下でレヒは1944年の英国の中東担当相モイン卿の暗殺と、1948年の中東担当国連代表、フォルケ・ベルナドット伯爵の暗殺事件に関与した。

ペレス
隊員募集と武器購入の責任者に指名された。1952年に彼は国防省副長官となり、1953年には国防省長官に就任する。


ベギン
どパレスチナ人の虐殺を行ったという悪名でも知られている。また、「パレスチナ人は2本足で歩く野獣である」と公言していた。


メイア
無し

エシェルコ
第一次世界大戦ではイギリス軍のユダヤ軍団(Jewish Legion)に参加している。

ベングリオン
無し

シャレット
無し
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/20 14:59

先の大戦の英雄は、他国には存在します。




日本は先の戦の敗戦国で、戦犯国です。

ですので、その当時の日本の行動や存在そのものが「国際社会」から見て「悪」と規定されています。

そうでなければ、日本を日本人を虐殺した理由の説明が付かないからです。


どの様な時代でも、国でも、民族でも、英雄も悪漢も存在します。

当然、戦前戦中の日本に於いても同様です。

別にメディアが戦争批判をするのは構わないのですが、私等は其れを片手落ちに思えて仕方がありません。

ちょっと他の国を見てみれば、先の大戦の英雄は存在します。

しかし日本には(メディア上では)其れが観られません。

語ってはいけないと、メディアが騒いだからです。

「紫電改のタカ」等の作品も、ほんの40年前には発表が出来たのですが、今では息が出来ないほどに「言論規制」されています。


現代戦の日本の歴史に於いて英雄が存在しないのは、イデオロギーが原因です。

これから続々と出てきますよ。

特攻隊員の遺書等を読んでみて下さい。

彼らを単純に「犠牲者」と言う括りでほざく事が、如何に冒涜かが判ります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/20 14:56

近代戦は、高度に組織化された「システムの戦い」ですから、独断専行するような「英雄」はむしろ害悪です。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/20 14:48

追記します。



今、現在も、戦地で戦った方々はもちろん、戦争遺族の方たちや、
原爆被爆者の方々が生きていらっしゃいます。
空襲の被害者が、裁判をしているところもあるようです。

そんな現代において、名将が語られにくい状況は、少なからず
あると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/20 14:48

現代戦においても、名将は多々いるようです。



あまり知られていないのは、現代戦の英雄話をすると、戦争を美化
しているようで、煙たがれる風潮があるからだと思います。
中学校や高校でも、現代戦に入ると、受験をかぶるので、じっくり
勉強がなされていないことも、多少はあると思います。

その点、中世、古代は過去の話なので、いくらでも語るは自由なところが
あるのではないでしょうか。
昔ばなしにおいては、英雄が活躍するのがお約束です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/20 14:47

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