映画のエンドロール観る派?観ない派?

私は今高校一年生なんですが、耳が聞こえづらいように思います。

小学校のときに30回以上聞き返して結局聞こえず呆れられたり、友達が何度も大声で何かを叫んでるなと思ったら、それが自分の名前だったということもありました。
その時は集中力や周りの騒音、相手の声の音量などの問題だと思っていました。
ですが先日、学校で友達と超至近距離(私の耳と友達の口は15cm以内)で話しているときに全く何を言っているかわからないことがあり、不安になりました。最早「○×※☆%~」と言葉ではない声を発しているように聞こえました。でも周りにいた他の友達は皆聞こえていました。私より遥かに話した友達から離れた場所にいた子も聞こえていました。声自体は大きく聞こえていたのに、凄く集中して聞いても言葉に思えませんでした。
友達だけでなく、バイト先や家族と話していても声はちゃんと聞こえるけど言葉が何と言っているかわからないということがあり、凄く困っています。

大音量でイヤフォンやヘッドホンを使用するなど、特に耳が聞こえづらくなるといわれることはしていません。イヤフォンやゲームはほとんど使用しません。


これはどうにかしたら治るのでしょうか?
耳の聞こえも人それぞれだと思うので、運動神経抜群の人と運動音痴の人がいるように私は人より聞くことが苦手なのかな、病気ではないのかもしれないと思ったりもします。
病院に行くべきか悩んでいます。アドバイスください。よろしくお願い致します。



最後に、今回初めて質問させていただくので至らない点があれば申し訳ありません。

A 回答 (2件)

ご質問の内容から、声があるのは分かるがその内容が聞き取りづらいもしくは言葉として聞こえないということと理解しました。



言葉だけでなく、音楽も同じような症状でしょうか?それとも言葉だけが聞き取りづらいのでしょうか。

当方は専門家ではないですが、単純に耳の聞こえの問題であればどんな音でもだいたい同じような聞こえ具合になると思います。例えば、テレビの音を大きくしてしまうとか。

自覚症状があり、日常生活に影響があるのですから、もし、自分に同様な症状があった場合は病院で検査すると思います。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。
母に相談して耳鼻科へ行くことにしました。

相手の声の大きさには問題ないんです。叫んでるくらい大きいときは、うるさいなと思うほどなので。でも、その声が「あ」や「い」といった日本語にある発音に聞こえないんです。
例えて良いのかわかりませんが、耳が不自由な方が話す声のように、発音が曖昧に聞こえるんです。

お礼日時:2014/08/20 20:05

参考になるかわかりませんが。



日本人のおくゆかしさから来るのか、

私もそうだったのですが、
会社に入って、電話営業を始めた頃、1・2ヶ月
取引先様(電話相手)が何を話しているのかまったく
聞き取れず、頭がおかしくなったかと心配になりました。
(身内、友人などでは、そんなことがないのに)

後輩が同じような状況のようなので、安心しております。

後づけで、思い返してみれば。
極度の緊張から、血圧が上がって耳の音を感じる部分が、
圧迫されて、一時的に聴こえづらい状況が、
発生していたのではないかと、思い出しています。

参考になれば、幸いです。

余談、(読み飛ばしてください。)
学校の聴覚検査で、異常と判断されていない事を前提としての話ですが。
ついでに、耳と脳と神経に何らかの物理的異常が無くて、この様な場合。

外界の認識に特定の趣向がある、可能性があれば、
そのような、事がおこりうるような気がします。
勝手な仮説ですが。(科学的かつ物理的な検証です。心情的な物ではありません。)
脳の構成上、人型の脳の場合、[何らかの空間]と[対象による影響]を事象として 認識したがる
傾向にあるように、思います。(感じています。)
また、意識は、体のありとあらゆる知覚された情報から、趣向によって必要とされる
内容を選択して、他を切り捨てる作業に他なりません。(俗に言う取捨選択)
意識は、そうありたいので、その状態が長く続く事を望んでいるとすれば、
脳のどこかで、人間の声に対し聞きたくないと、望んでいるので、聴こえない?
(聞きたいとおもうあまり、緊張して聴こえずらくなる事とは、別です)
ですが、別に、聞きたくないと思っている訳ではないのに、、、。(矛盾)

ココが、人が、脳の事を考えるときに、心情的な可決に答えを求めたがる部分です。

実際に、意識とは関係なく、同じ事を、数ヶ月続けていると、
無意識でも、それをする事が出来るようになることが、判っています。
(家具の組立て等、手足を使うものでは実証済みです。)
この事が、逆に働いている、?(不明?)

くわえて、幼児期(3歳未満)に日本語圏以外で生活の経験がある場合。
脳が、外国語の言語野が形成されている。
(俗に言う英語耳?日本語耳?みつごの魂百まで、等)
この場合、3ヶ国語目 以降で上手に機能するようになることが多いようです(なれ?要領?)

言語自体の理解方法は、現象に名詞を符号する事による、記憶の体系化、の進化によって
もたらされた物と考える事もできます。

実際には、必要な事は、体験であり。言葉による擬似体験では、無い場合が多く。
あまりにも、危険を伴う場合、あえて疑似体験で、生存確率を増してきた。(アイディア)

という観点から考えると、普段のたわいもない会話は、聴くに値しない内容なので、
聴こえない?(コミュニティ・ギャップ)

人間、ひとり・ひとり、言葉の意味する、対象は一つとして同じでは、ないのですから。
、、、、、、etc。

不安を取り除く意味でも、身体的異常がないことを確認して、そこからのスタートで
問題ないのでは?

まったくの個人的意見ですが
あとは、自己暗示も含めた、会話に対する興味と、なれ が必要に思います。
とにかく、肩に力をいれずに、リラックスして、(脳との対話には非常に重要)
(例:トラに襲われて追いかけられているときに、のんびり考えてはいないはず?)
自分自身どうし、付き合っていくしかないのでは、無いでしょうか。
これも、ある意味、個性では?、これから未来に向けた、人間の進化の一つかもわかりません。
もしかすると、言葉によらないコミュニケーションが可能な、ニュータイプ?(ガンダム)
夢は、いろいろ、ですが、、、。

個人的には意識が、魂なのかは、別にどちらでもかまわないし、考えたくもないのですが。
あくまでも、機能として考えた場合。
人の体は、生物としての器なので、生物限界が来るまで、上手に乗りこなしてください。
健闘お祈りしております。
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この回答へのお礼

実体験を交えて色んな視点からご回答いただき感謝致します。本当にありがとうございました。
ちなみに学校の聴力検査では全く異常はありませんでした。そして日本語以外は話せないです。

お礼日時:2014/08/20 19:52

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