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徳川家康の四男忠吉は何故徳川ではなく松平姓なのでしょうか?
忠吉は二代将軍で家康の三男の秀忠の同母弟です
格式的には徳川でも問題ないと思います
のちに武田を継いだ弟の信吉でさえ一時期徳川姓を名乗っていたし
御三家となる家康の三人の末子たちも徳川です
忠吉の扱いに疑問です

A 回答 (1件)

松平忠吉は、


天正9年(1581年)東条松平家の家忠が病死すると、その家督を継いで三河国東条城1万石を領した・
つまり、養子の家の姓を名乗った。


関ヶ原の戦いで、初陣を飾って福島正則と先陣を争い、島津豊久を討ち取るなどの功を挙げ
清洲52万石にまりましたが、
関ヶ原の戦いの折に負傷した傷がもとで、享年28歳で。死去。

長生きすれば、徳川姓に復したかも。
「僕だけ、松平なんてそれじゃ松平じゃなくて不公平」と
言ったというのは後世の創作です\(^^;)...マァマァ


zzzzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
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この回答へのお礼

ありがと

お礼日時:2014/08/31 09:28

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