「これはヤバかったな」という遅刻エピソード

全盛期の徳川家康と豊臣秀吉の家臣団どちらが強いでしょうか?

A 回答 (5件)

徳川家康と豊臣秀吉の両者の家臣団は、時代や政治的状況などによって強さが異なります。

当時の日本は戦国時代であり、家臣団のパワーバランスは常に変動していました。

徳川家康は、創造した「徳川幕府」の支配システムや強固な軍事力を持つ家臣団を持っていましたが、豊臣秀吉は経済力や政治的な手腕などを持つ家臣団を有していました。両者の家臣団にはそれぞれ強みがあり、全盛期においてはどちらが強いと言えるかは明確には言えません。
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戦い方のスタイルが違います。


秀吉は味方の損害を最小限する戦い方で戦わずして勝を最良と
してました、相手を味方にするが最良で、軍師の黒田官兵衛は
説得力に長けていました、次は兵糧攻めや水攻めの長期戦です、
秀吉軍は死ぬ確率が低いので喜んで秀吉に従いました。

家康の軍は三河国以来の屈強な侍大将が揃っていました、
軍隊の戦闘力では家康軍の方が勝っていると思います。

ゲームは勝ち負けで色分けしますが、戦国時代は領地の奪い合い
ですので多くの領地を得た方が勝るので、秀吉に軍配を挙げます。

ついでに、上杉謙信と武田信玄では、個々の戦では、上杉謙信軍が
勝っていますが、最終的には信濃国を手中にした、武田信玄に軍配を
挙げます、敵対していた真田家を軍師の山本勘助が説得して、味方に
して、信濃攻略の足固めをしたのが大きいですね、軍師の役割は
敵対する相手を味方にするのが一番の役割なのです。
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残念ですが無理がありますね。


大坂夏の陣の徳川勢には元豊臣家臣が多数入っています。
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豊臣秀吉の全盛期は、徳川家康も秀吉の家臣のひとりでしたから、当然秀吉でしょう。



家康が秀吉に臣従する前の話でも、当然秀吉でしょう。
家康が自分の方が強いと思っていたのなら、秀吉に臣従するはずがありません。石川数正が秀吉方に走ったのも、理由は色々あるにしても、家康を見限ったのも秀吉の方が強いと思っていたからでしょう。

それに秀吉が家康討伐を諦めたのは、東北大震災級の「天正大地震」に領地が広範囲に襲われ、被災地救援と復興に全力を尽くすために合戦どころの話じゃなくなったからです。
紀州や四国などの平定が終わって後顧の憂いが無くなり、家康討伐のために前線拠点の大垣城に軍需物資を大量に運び入れ、徳川を圧倒する大軍の編成も終わって、いつでも出陣できる体制が整っていましたから、大地震が来なければ、家康は討ち死にするか降伏するかしかなかったと思われます。
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この回答へのお礼

時空を越えて大坂夏の陣の時の徳川家康軍と徳川家康抜きの豊臣秀吉全盛期軍では?

お礼日時:2023/02/02 21:40

小牧長久手の戦いで、徳川軍の判定勝ち。

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この回答へのお礼

全盛期でオールスターのもしの時です。

お礼日時:2023/02/02 20:17

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