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西洋絵画で古典といえばルネサンスのダビンチ、ラファエロ、ミケランジェロと16c初期(1500年あたり)ですが、
西洋クラシック音楽での古典はバッハ、ハイドン、モーツアルトと18世紀後半(1750年代あたり)です。
なぜ絵画と音楽で古典とされる時期がずれているのでしょうか?
各芸術が背後の社会構造を反映したものだとすれば、古典時代も一致するはずではないのでしょうか?

A 回答 (8件)

こんにちは。



「古典」という言葉は多義語です。特に混同されやすいのが、特定の美学、様式としての狭義の意味と、歴史的に評価が定まった文化遺産、もしくは、後世の人にとって手本となるものとしての広義の意味です。質問者様の御質問を拝見していると、そのあたりのことが少し明確でないような気がします。たとえばバッハは、音楽史上はバロックの作曲家であり、古典派には分類されません。あるいは、シューベルトという作曲家は、作曲の様式としてはロマン派に分類されるのが普通ですが、ドイツ歌曲の作曲法の土台を作ったという意味で、「ドイツ歌曲の古典」と言われます。「歴史的に評価が定まった文化遺産」という意味では、古代から近代にかけて、あるいは20世紀の芸術でも、評価が定まっているものは古典と呼ぶことができます。これが、広義での「古典」に当たります。

質問者様が「ずれている」とおっしゃるのは、狭義の意味、「古典主義」を問題にした場合だと思います。「古典主義」は、古代ギリシャ、ローマ文化の、均整、明快、単純、秩序といった形式美を手本とする創作態度のことを言います。しかし、文学、音楽、美術の各分野によって、または国によって、発展の仕方は一様ではないので、多少のずれが生じるのは自然なことです。音楽の場合、古典主義を代表するのが「ウィーン古典派」、つまり、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンです。もちろん、モーツァルトに「ロマン的なもの」を感じる人も昔からいましたし、ベートーヴェンも、古典主義からロマン主義にまたがった作曲家と言えます。しかし、音楽に関しては、時代区分としては、「ウィーン古典派」時代が古典主義時代の中心となります。そして、これとほぼ同じ時代に、古典主義美術もありました。No.6の方が、「新古典主義時代」として触れられている時代がそれに当たります。たとえば、フランスの画家なら、エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(1755~1842)、アントワーヌ=ジャン・グロ(1771~1835)ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748~1825)、ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(1780~1867)、ドイツの画家なら、ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティッシュバイン(1751~1829)アントン・ラファエル・メングス(1728~1779)、クリスティアン・ゴットリープ・シック(1776~1812)、マリア・アンナ・アンゲリカ・カタリーナ・カウフマン(1741~1807)などがいます。美術におけるこの時代を単に「古典主義時代」と呼ばず、「新古典主義時代」と呼ぶのは、最初に古典主義的な考えを持った美術家が、すでにイタリア・ルネサンス時代に現れていたからでしょう。しかし、これはほぼイタリアに限られることで、後は少し遅れてフランス・ルネサンスがあるだけです。実際、ドイツなどでは、今挙げたような「新古典派」の画家を、単に「古典派」の画家として扱っており、「新古典派」という語は、もっと後、20世紀の芸術に使用するのが一般的です。

以上のことからお分かりいただけるように、一応、文学、美術、音楽の各分野で、大体同じ時期に古典主義的な機運があったといえると思います。ただ、18世紀から19世紀にかけての、美術における(新)古典主義の画家は、音楽における古典主義の作曲家ほど一般的に広く知られていないので、気が付きにくいのだと思います。

なお、狭義の「古典主義」は、すでに述べたように、芸術創造における、特定の美学、様式をさしますので、時代を超えて繰り返されます。20世紀の作曲家や画家にも「新古典主義」と呼ばれる芸術家たちがおり、その時代も大体一致します。

以上、御参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。

絵画における新古典主義が、音楽の古典主義とだいたい同時代で
呼応しているというのがわかりました。

お礼日時:2014/09/24 09:17

 ご質問に関する専門知識は全くありませんが。



 「古典」というのは、あるカテゴリーに付けられた名称、すなわちラベルです。ですが問題は名称じゃなくて、カテゴリーそのものでしょう。では、そのカテゴリーはどういう風に定義されているのだろうか。

(1)カテゴリーが個々の作品の属性として定義されるのだとしますと、石器時代の作品が発掘されたら、あるいは昨日作られた作品であっても、それらが「古典」というカテゴリーに属すかどうか論じることができるはず。…いや、とてもそうだとは思えません。
(2)カテゴリーが「西暦何年~何年の間に●●地域で作られた作品」と定義されるのだとしますと、これは単にその地域の年表にラベルを付けただけのことです。同年代同地域で作られた作品なら、どんなに似ていなくても同じカテゴリーに属す。大作家による作品も、幼児の作品も同じ扱いである。逆に年代か地域が違えば、どんなに似ていても同じカテゴリーには属さない。…そんな馬鹿な。
(3)カテゴリーが「ある一群の作家によって作られた作品」と定義されるのだとしますと、カテゴリーはそれら作家たちを他から区別するだけのものです。彼らの作品と同じような特徴を持つ同時代の作品が発見されても、それはこのカテゴリーには含められない。…そりゃないでしょう。
 となると、そのカテゴリーは、作品の持つ幾つかの特徴、それが作られた年代、地域、それを作った作家、などなどをないまぜにして、「ナントナクひとまとめにできるよね」というほどのユルい基準でまとめられているのではないか。

 さてご質問によれば、絵画と音楽では同じ「古典」と呼ばれるカテゴリーが、少なくとも年代に関して一致していない、とのご指摘です。

 そこで、絵画と音楽において「古典」は正確に共通の概念である、と仮定しましょう。すると、絵画と音楽の両方において、年代は「古典」カテゴリーを区別するためには使われていないということになります。ならば、ある作品が「古典」かどうかを見分けるためにはどうすれば良いか。絵画と音楽の両方をやる作家がほとんど居ないとすると、作家に関する区別は使い物にならないでしょう。なので、作られた地域や、作品の持つ幾つかの特徴、などで判別することになります。絵画における「特徴」と音楽における「特徴」で互いに比較できるようなもの、というと、たとえばタイトルとか主題。それ以上詳細な特徴であって、音楽と絵画に共通するものなんてあるのかいな。ですから、地域とタイトルとか主題。絵画と音楽ではこういったことでカテゴリーが定義される。ということになります。
 しかしこれだけじゃ、ある曲が音楽で言う「古典」のカテゴリーに属するかどうか判別するのは無理だし、絵画でも同様に無理。ですから、「絵画と音楽において「古典」は正確に共通の概念である」という仮定は、とても成立ちそうにありません。つまり、音楽史家と美術史家が協議して共通の「古典」の意味を取り決めた、ということじゃない。


 ところで、あるカテゴリーに付けられた名称、すなわちラベルは、元来、ただの固有名詞であって、そこにさしたる意味はない。(鈴木くんが歩くとシャンシャン鳴る、という訳じゃないのと同じです。)別に、他の名称で呼ぶことに決めても構わなかったのだけれども、カテゴリーに関するさまざまな連想や特徴を思い出し易くする単語を選んでラベルにした。そして、ひとたびそう決めて皆がその固有名詞を使うようになれば、もうやたらには変えられない。せいぜいその程度のものです。

 ということはですね、「音楽で言う「古典」と絵画で言う「古典」は、そもそも互いに比較不可能な概念である。言い換えれば、本来無縁な別個のカテゴリーに、同じ単語でラベルを付けてあるに過ぎない」ということじゃねーでしょうか。

 ではなぜそんな一致が生じたかといえば、たとえば
(a) 音楽で「古典」と呼ばれるカテゴリーAと、美術で「古典」と呼ばれるカテゴリーBは、それぞれ、そのカテゴリーから連想される社会の歴史に関する概念が、同一あるいは類似したものであったために、どちらも(たまたま)同じ名称を選択した。あるいは、
(b) 音楽なら音楽史において、美術なら美術史において、それぞれ現代に繋がる基礎となっているカテゴリーに「古典」と名付けた。(そういう例をもう一つ挙げるなら、「古典落語」)
(c) 美術史において「古典」という名のカテゴリーが作られたので、じゃあ音楽史でも「古典」と呼ぶカテゴリーを拵えよう、ということでできた(順番は逆かも知れないが。)
などの仮説が考えられましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
哲学的な概念操作での回答だと感じました。
もうすこし個別具体の歴史的な事例からアプローチするほうが
実り豊かなものになりそうです。

お礼日時:2014/09/24 08:38

多国、多分野にまたがっている文化史の難しい質問で、正確に回答するには複数の国の複数の分野の芸術によほど精通していないと非常に回答が困難だと思われるのですが、



とりあえず、17世紀なかば~19世紀初めまでのフランス美術史の流れから。

1・古典主義の時代(17世紀中ごろ~18世紀初め)

中世末期の社会経済の変化によって、領主の束縛を逃れた農民や商人がブルジョアとして成長する一方で封建諸侯の力がおとろえ、それにつれて、王権が強大になる。こうしてヨーロッパ各国に次々と中央集権的な政治形態、いわゆる「絶対王政」の時代がフランスにおいてルイ14世の時代に頂点を迎え、ヨーロッパにおける芸術と文化のの中心地はイタリアのローマから、もっと経済的に豊かで強力な国家であるフランスのパリへ移ることになる。
そんな中、ルイ14世は王の賛美を種々の芸術に務めさせるため王立絵画彫刻アカデミーを設立、かつてローマでプッサンの弟子であったルブランが校長となり、イタリアルネサンスの美の様式をフランス中の芸術家に押しつけようとするのである。(具体的にはレオナルド、ミケランジェロ、ラファエロらの様式であり、レオナルドの「絵画論」を原則的な教科書として教えていた。)一方、当時イタリア、フランドル等における絵画は、カラヴァッジョ、レンブラントらのいわゆる「バロック美術」の時代であったのだが、そのような美術はアカデミーではレオナルドの原則に反しているという融通の利かない教義的な態度であったので、レンブラントは縦にすべき筆触を横にかいているからだめとか、カラヴァッジョは表現が0点だとか教えていたのである。王立絵画アカデミーにおける美の様式の模範はルブランの師であるプッサンの絵画であった。(しかし彼自身はほとんどローマで活動し、彼自身影響を受けたのはむしろカッラッチらのバロック芸術であった。)このような融通の利かない芸術教育でプッサンのような大芸術家が生まれるわけはなく、やがて1690年ルブランが死ぬと、国家の芸術をしっかり握っていたアカデミーもさすがに次第に規律を緩めるようになる。

2・ロココ時代(18世紀初め~フランス革命前まで)

1717年、ルイ14世が亡くなると、貴族たちは強制的に住まわされていたヴェルサイユを去り、パリに優雅な邸宅を建築するようになる。この新しい邸宅の室内装飾に、貴族たちはそれまでの形式ばった堅苦しい様式からバロック様式を小型化させたような様式、いわゆる「ロココ様式」を取り入れるのである。
一方、先述のように規律を緩めてかなり柔軟になったアカデミーは、1717年、それまでの規律からは考えられないほど自由な筆致、筆触で絵画を描くヴァトーにアカデミー入会を許可するまでになった。この自由な筆致、筆触のいわゆるロココ絵画はパリのみならず全ヨーロッパにおいて大流行し、更にその自由な描法は銅版画のアクアチント、メゾチントなどの新技法の開発にまで刺激を与え、必然的に印刷技術の向上にも寄与することとなったのである。その結果、楽譜の印刷品質が向上し、パンチングシステムなどの技術によって、より演奏方法を細かく指示した楽譜を大量に出版することが可能になり、18世紀音楽の発展に寄与したのである。(ちなみにハイドンが版画家の娘の家庭教師をしていたり、ウェーバーが自身で版画家の下で楽譜を印刷していたのはけっして偶然ではないのである。)
このようにして、パリはヨーロッパにおける文化・芸術の中心地となり、絵画、版画を始めとする美術品は貴族たちの間で投機の対象として競って売買されるのである。こうしたロココ絵画の流行は「古典主義絵画」の存在までをもやや忘れられた存在にし、かの「モナリザ」でさえ1788年まで貴族の客間にひっそり飾られていたほどだったのである。

3・新古典主義時代(18世紀後半から1820年まで)

18世紀半ばから始まったポンペイなどの遺跡発掘による古代ブームは、ルネサンスの芸術家らが模範としたギリシャ美術に対する再評価をうながし、ロココ様式の弱々しい趣味よりもより古代ギリシア美術のような力強い表現を絵画に求める風潮、いわゆる「新古典主義」がヨーロッパで広まるようになる。やがて経済不況をその一つの原因とするフランス大革命の大打撃によって、「貴族文化」の象徴であるロココ時代には終止符が打たれ、以降、第一共和政、第一帝政、王政復古の時代を通じ、「新古典主義」は産業革命を興したより強大な国家イギリスを目指す「国民共同体国家フランス」の政府が認めた「公」の様式となり、プッサンよりもはるかに古代美術を模倣し、賛美するローマ彫刻を学んだダヴィットがナポレオンお抱えの御用画家となる。さらには政府が新古典主義絵画を買い取ることにより、「新古典主義」がサロンを支配し、「アカデミズム」として国家の保護を受けたのであった。そして、アカデミーにおいてもレオナルドの絵画論に沿って教育することが好ましいと改めて確認され、その結果我々がよく知っているように現在もモナリザはルーブル美術館で不動の地位を占めているのである。


>西洋絵画で古典といえばルネサンス
おそらく、そう考えたのはルネサンス当時の人たちというより、むしろそれを模範としてあがめた、後の時代の人たちの考えではないでしょうか。

>なぜ絵画と音楽で古典とされる時期がずれているのでしょうか?

そもそもヨーロッパ文化において「古典主義」をどう定義するのか、非常にあいまいで難しい部分があると思われるのですが、
今述べたように、特にフランス美術史において、「古典主義時代」が一度すたれて、大革命前後に「新」古典主義として再び復活するという歴史的な過程の中で、おそらくハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンの活動した時期が美術における「新古典主義時代」と重なりあったという事情も原因の一つとしてあるのではないでしょうか。(ちなみにバッハを「バロック音楽」に分類したり、モーツァルトを「ロココ的」だ、と評したりする人もいるようです)
また、美術と音楽とでは文献の残しやすさが異なるように思われます。美術の場合、紀元前の作品の姿がそのまま現代のわれわれでも見ることができるのですが、音楽の場合、やはり前に述べた印刷技術等の事情から「奏法が明確に指示されている楽譜」を残すことができたのはおそらく17世紀以降の文献でしょう。いわゆる「クラシック音楽」が1700年以降に集中しているのもそういう事情が一つにはあるように思われます。先に述べたように、美術では複数の時代に「古典主義時代」があるので、わざわざ後のほうに「新」をつけて分類しなければならなかったのですが、音楽史のほうでは以前の「古典主義」の音楽が一旦すたれてしまったわけではないのでおそらく「新」をつける必要がなかったのではないでしょうか。(単なる私の推測です)

>各芸術が背後の社会構造を反映したものだとすれば、古典時代も一致するはずではないのでしょうか

各芸術が背後の社会構造を反映しているのは確かだと思います。今述べたように美術の歴史の裏にも大きな社会の変化が存在します。しかし、芸術作品そのものは「芸術家」がそれぞれの時代に作ったものであり、仮に背後の社会構造が同じであったとしても、「後々の時代まで模範となるべき」という意味の「古典的」な作品が、同時代であったからといって、複数の分野においてどれだけの質、量の作品がそれぞれ創作されるかは分野ごとに異なるのではないのでしょうか。例えば、音楽における「ロマン派」の時代と美術における「ロマン派」の時代とでは、明らかに音楽における「ロマン派」の作品の量、規模が美術のそれを上回っています。一方逆に「印象派」の時代は美術作品の量、規模は音楽作品のそれよりも明らかに上回っております。
要するに、~時代という見方は芸術作品そのもの1つ1つを味わうことよりも芸術作品群を分類、整理することに重きをおいた見方なのではないかと、私には思われるのです。古典主義といわれるプッサンの絵画を後期印象派の画家セザンヌは芸術上の目標としていたそうですが、真の芸術の価値を知る人にとっては~主義というレッテルはそれほど重要ではない、そんなことを言われているような気がします。芸術作品一つ一つの本質を理解する上では、やはり、そういった分類に細かくこだわりすぎるのは程々にしておいたほうがよろしいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。

革命等の現実社会の変動が直接に作品に現れるというより、
芸術家の生活手段のありようが、
その表現に影響を与えている部分もあるのかと思いました。
・キリスト教の教会に雇われて絵を描く、演奏する
・王侯貴族に混じって絵を描く、演奏する
・富裕層を前に美術館やサロンで展示、演奏会を開く
など

> 芸術作品一つ一つの本質を理解する上では、やはり、そういった分類に細かくこだわりすぎるのは
> 程々にしておいたほうがよろしいのではないでしょうか。
芸術のほうから見ると、おっしゃる通りですね。

今回の質問は、歴史や社会構造の変遷に主眼があります。
古典以降のロマン主義や印象派、20cの抽象主義、現代アートなどは
相互作用してかなり同時代的に展開しているので、
古典とされる時代だけが250年もずれていて疑問に思った次第です。

お礼日時:2014/09/24 09:26

音楽に関しては、楽器が重要な要素になっていると思われます



1600年頃までは楽器といえばオルガン、リュートなどで、器楽に比べて声楽が中心でした
その後「バロック時代」以降になって、クラヴィコード、チェンバロ、ピアノといった鍵盤楽器
ヴァイオリンなどの弦楽器、さらに木管楽器・金管楽器などそれまでに無かったさまざまな楽器が登場します

このような多彩な演奏ができる楽器の登場によって、それまで声楽中心であった音楽も
器楽として独立した音楽芸術を作り出し、作品の規模も大きくなっていったと考えられます

極端な話、絵画は色々な色の絵具と筆で、複雑な表現をするに対して
音楽は異なった音色の楽器がないと複雑な表現ができない、ということではないでしょうか
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この回答へのお礼

技術的な要因もあるのですね。

絵画のほうはテンペラ、フレスコから、
1500年代のダビンチによる油彩、遠近法、スフマートで飛躍的な革新が起こり
その記念碑としてモナリザが位置しますが、
楽器の革新は1800年代のベートーヴェンによる交響曲編成オーケストラの
完成まで待つことになりますね。

お礼日時:2014/09/24 09:10

美術史には詳しくないですが、葉加瀬太郎さんが西洋芸術はまず建築から新しいムーヴメントが起こって、次に絵画にその影響が出て、最後に音楽に影響を与えるといっててなるほどと思いました。


だから時代だけを無理やり合わせると、建築では新しいムーヴメントが起きていても、音楽にはまだそのムーヴメントは起きていないという矛盾が生じますので、そのジャンルにおいて新しいムーヴメントが起きた時代に合わせるなら時代がズレるのは当然といえば当然かもしれないですね。
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この回答へのお礼

建築の新しい動きというと、1450~1520年あたりのルネサンスを指すのかと思います。
各芸術が建築→絵画→音楽と影響しあうモデルですね。

私は、その背後の社会構造が個別に各芸術に影響を与えるモデルを考えてました。
 
現実社会→建築
現実社会→絵画
現実社会→音楽

お礼日時:2014/09/24 08:48

音楽が趣味のシニア男性です。

演奏(器楽)も合唱(オペラ)もします。

音楽史は、ルネッサンス(カッチーニ伊、他)、バロック(モンテベルディ伊、バッハ独、他)、
古典(クラシック、モーツアルト前後)、前期ロマン(ベートーヴェン、ブラームス他)、
後期ロマン(マーラー、また東欧の民族主義音楽・・・後期ロマンに入れるのは厳しいか、等)、
そして現代、となります。

絵画について調べたところ以下のURLがありました(竹内さんと言う人の作)。
    http://www5b.biglobe.ne.jp/~michimar/kaiga/000.h …

ルネッサンスは「ルネッサンス」であり、「古典」とはいわないようです。
全体としては概ね、似たところがあるようです。
いかがでしょうか。

(個人的にはここまで似てるとは思いませんでした。
 なお「建築」と対比すると更に面白いかも。))
   
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この回答へのお礼

絵画史、音楽史の概略を比較してみて
上記の疑問となったわけですが
さらに建築も含めて考えると良さそうですね。

お礼日時:2014/09/24 08:39

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E% …

ロマン主義は教条主義、古典主義の対概念としてとらえられるもので、アメリカの哲学者・アーサー・ラブジョイ(en:Arthur Oncken Lovejoy)は「ロマン主義の時代」を1780年から1830年としている

Arthur Oncken Lovejoy (October 10, 1873 – December 30, 1962)

以上引用

「なんでも 反対である!」
というような、発想で●●主義を唱えたのはこのへんからかと。
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この回答へのお礼

ロマン主義に対する反対概念として、古典が措定されていったので
ロマン主義は同じ時代なのに、古典時代にズレが出て来てるということですね。
非常に納得しました。

お礼日時:2014/09/24 08:36

それぞれの評論家(名付け親)が違う人だからです。




http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%85%B8% …

時代による区分

17世紀
バロック - 古典主義 - オランダ黄金時代の絵画

古典社会があってその社会が基盤となり絵画や音楽を規定しているわけでなく。

いやぁうちんとこの分野じゃ、これ古典(現代につながる大元)だよね
と、それぞれの分野で言っているだけの話。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/09/24 08:36

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