先日、日本史の授業で「沖縄は中国のもであり、日清戦争に勝利したため日本のものとなつた。」 と教えられました。
私はずっと、沖縄は琉球王国という独立した国であったと思っていたので自分が無知だったのだと思いましたが、帰って親に聞いたところ否定されました。
そしてネットで調べると、中国人が勝手に沖縄は中国のものだったと主張しているだけ、と出てきました。
日本史の先生なのにこんな嘘を教えるとは思えずどれを信用していいのかわかりません。
結局、琉球はどのような歴史で日本の沖縄県となったのですか?
よろしくお願いいたします。
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
冊封関係を理解しないと難しいのではないでしょうか、冊封について先に説明します。
冊封とは、近隣の強大国に貢物を持って行き「貴国の偉大さを称え、皇帝として受け入れますので、うちの国と私が王であることを認めてください」と願い出ます。強大国の王は「よし、私を皇帝(つまりあんたより偉い)と認めるなら、私も慈悲深さを発揮して、お前の領地は侵略しないし、お前を領主(王)と認めよう。よく来たな。褒美を持って帰れ」と貢物よりも多くのお土産を持たせて帰す、と言うやり取りのことを言います。
これにより、皇帝である強大国は軍事力を使うことなく周辺の国を従わせ、属国とすることができますし、周辺国も強大国から認めてもらうことで、近隣の争いのある国に対しても「おらのところは皇帝から領主のお墨付きをもらったんだから、うちの国を攻めると皇帝が黙っていないぞ!」と主張することができます。
事実、近隣国同士の争いは戦争の火種になりますので、皇帝はそういう近隣国同士の調整も行っていたといえます。
東アジアでは、基本的に中国(唐や隋・明・清など)が常に皇帝を称する大国であり、近隣の朝鮮やモンゴルの一部、ベトナム、沖縄(琉球)一時期の日本などが冊封を受けていた国に相当します。
では、冊封を受けていたから「大国の属国であり、現代的に言えば領土に入るか?」と言われれば、「入る可能性は高い」と言わざるをえません。
これは、なにも中国が主張しているということではなく、西洋的な国際法の考え方からも援用される部分があります。
西洋においての国と国関係はローマ帝国とそこから分離した各諸国、そして皇帝との関係性が基本になっています。そのため「ローマ帝国の属国または属領は、ローマ帝国の領土」という考え方が基本になり、アジア的な冊封関係もそれから類推して『領土的範疇に入ってもよい」と考えられているのです。
ただし、そうは言っても「ヨーロッパ各国」も独立国になっているわけですから、そのための条件というのはいろいろと複雑にあるわけです。
ただし、ウクライナとロシアの現在の問題のように(ソ連時代、ウクライナはソビエト連邦の一部(構成国)一度でも大国の一部になった形跡があれば、大国はいつまでもそれを主張し続けるし、それが的外れであるとは言い切れない、ということもあるのです。
ヨーロッパ各国が独立を維持できるのは、すでに大国であるローマが無い(その末裔である神聖ローマもすでにない)ので、主張する国がないからです。神聖ドイツ帝国だった時代までは、戦争が多かったのはそういう理由(領土主張)もあります。
で、沖縄です。
沖縄が「中国の一部であったか、独立国であったか」というのは、上記の冊封体制と現代の国際法両方をかんがみて、さらに歴史的経緯からすれば「どちらも正しい」ということになります。
日本の場合は卑弥呼の時代に冊封を受けていても、大和朝廷が成立して以降「独立するから冊封はしないよ」とメッセージを発していますし、その後元寇などを撃退して独立を保っています。
朝鮮については、日清戦争後の下関条約で中国の属国から独立しましたし、ベトナムは何度も戦争して独立を担保しています。
ところが、沖縄に関しては、あまりにも小さな国であったこと、隣に日本と言う別の大国もあったこと、で「二つの大国と等距離を取ることで、独立を維持する」と言う政策をとったことで、中国から見ても「お前の国が一応の独立国だったのは、うちのおかげ(つまりうちの属国)」ですし、日本から見ても「お前の国が一応の独立国だったのは、うちのおかげ(つまりうちの属国)」(日本も(正確には鹿児島藩が)冊封を琉球から受けていた)お前んとこはうちの属国だろう、ということになります。
実際に琉球は、どちらの国からも独立を維持するために軍事的な配慮は一切せず、刀の代わりに扇子を腰に差し、舞踊や歌などの文化的な力で特色を維持していました。
結局、日本の都合で琉球処置と言う形で鹿児島藩に組み込むことになるわけですが、中国の側から見ると「うちの属国である琉球を日本が奪った」という見方も成り立つわけです。
ですので、沖縄の歴史的経緯を見ると
・中国から見れば、ずっとうちの属国で日本が武力で奪った
・日本から見れば、うちの属国だったけど必要があったので、藩に組み入れた。
・沖縄から見れば、ずっと独立国だったけど日本に武力で併合された。
ということになります。
教師の見方が一概に間違っているとはいえませんが(と言っても下関条約というのはちょっとどうかと思う)、日本で歴史を教えている教師の言い方としては、いくらなんでも偏りすぎではないかと思います。
日本人だから「日本の領土で間違いない」とはいいませんが、各立場の視点すべてを説明してもそれほどの手間ではないでしょうし「歴史」と言うものの見方(立場によって違う)ということを説明するのは歴史教師の義務だと思うんですけどね。
No.13
- 回答日時:
ごめん。
こう言ったら「みもふたもない話」だけど、ただ単にその日本史の先生が「沖縄と台湾を間違えている」だけではない?
それだったら、「日清戦争の結果、日本領になった」とおりなので、筋がとおります。
それこそ「単なる言い間違いだった」とか?
一度先生に確認されたらどうでしょうか。
No.12
- 回答日時:
すでに良回答も多く、その跡追いになりますが、歴史的に琉球(沖縄)は日本と中国に「両属」していました。
その帰属が最終決着したのは、日清戦争で日本が勝利したとき(1895年)と言われています。それに対し、1874年調印の日清議定書(日清両国間互換条款及互換憑単)にて決着したなどというのは、おそらくネトウヨサイトからの引き写しであって、大学入試にも通用しないでしょう。さて、琉球帰属問題については、例えば下記の沖縄県立総合教育センターの琉球文化アーカイブをご覧ください。
沖縄の歴史(全8ページ)
http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch4/syobu …
〔引用開始〕
1872(明治5)年、明治政府は東京に使者を呼び、尚泰王を「琉球藩王」に任命することを告げました。
これがいわゆる「琉球処分」のはじまりです。〔中略〕
明治政府が、琉球に対してすぐに廃藩置県を実施しないでいったん藩にし、さらに尚泰を「藩主」ではなく「藩王」としたのは、琉球や中国の反発を回避するためにも段階的に王国解体をおこなう必要があったからです。
〔中略〕
宮古島の船が遭難して台湾に漂着、そこで乗組員66人のうちの54人が地元住民に殺害されるという事件が起こりました(琉球船の台湾遭難事件)。〔中略〕
そこで明治政府は、1874(明治7)年、台湾へ3,600名余の兵をさしむけました。これが台湾出兵です。
この争いは、イギリスの調停で和解が成立しましたが、日中両国間で交わされた条文には「台湾の生蕃が日本国属民を殺害したので、日本国政府はこの罪をとがめてかれらを征伐したが、これは自国の人民を守るための正当な行動であった」とあり、琉球人を「日本国属民」と明記しています。つまり日本政府は、中国に「琉球人=日本人」ということを認めさせたのです。
〔中略〕
琉球藩は何の対策もみいだせず、日清両属的な状態を従来通り維持したいと嘆願するのみでした。〔中略〕
1879(明治12)年3月末、政府の命を受け、警官と軍隊をひきいて来琉した松田は、「琉球藩を廃して沖縄県を設置する」ことを王府に通達しました(廃藩置県)。これにより、旧琉球王国の土地・人民およびそれに関するすべての書類は政府に引き渡されました。
〔中略〕
琉球問題は、廃藩置県による沖縄県設置で完全に解決されたわけではありませんでした。清国は依然これを認めず、また琉球でも清国に救援を求め続ける人たちがいました。
清国から琉球問題の調停依頼を受けた米国前大統領のグラントは、伊藤博文ら政府高官と協議し、日清交渉をとりつけました。その交渉の場で日本側が出した案が、日本の中国国内での欧米なみ通商権を認めることと引きかえに、宮古・八重山を中国へ引きわたす、というものでした。これがいわゆる「分島・増約案」です。〔中略〕
しかし、いざ調印の段階になると、清国側は国内の混乱や日本の東アジア進出の危機感をおぼえて調印をためらいました。〔中略〕
その後、日本の朝鮮進出によって日清間の対立は激化し、ついに日清戦争(1894~1895年)が勃発しました。この戦争で日本が勝利をおさめ、台湾が日本の植民地となったことにより、琉球問題はあいまいにされたまま日本に属することになりました。
〔引用終り〕
つまり、台湾出兵の結果である日清議定書(1874年)は、宮古島の船員に対する日本の外交的保護権を、中国に認めさせました。それは間接的に、琉球が日本領土であると認めさせたことになります。
しかし間接的にであって、まだ日本は琉球王国の王府を接収しておらず、書類を押さえていませんでした。「琉球人は日本人」と言っても実質性が欠けていました。それが実質的になったのは、1879年の第二次琉球処分(沖縄県設置)によってです。
ただし、その後も清国は異議を唱え、この琉球問題はしばらく決着しませんでした。仮に決着していたならば、その後の日清交渉で「分島・増約案」が出て日本がこれを一蹴しなかったことと矛盾します。
結局、日清戦争で日本が勝利したことを以て、(そのときの講和条約に琉球処分に関する言及はないけれど)日本帰属が固定化されました。79年の「実質的」が固定化したわけです。
下記の山川教科書準拠のサイトにも、日清戦争の日本の勝利により琉球帰属問題は決着がついたと書いてあります。まあこれは日本史というより世界史のサイトですが、学校の授業で疑問が生じたら、このような教科書準拠のサイトで調べてみるのがよさそうに思われます。
世界史の窓 - 琉球帰属問題
http://www.y-history.net/appendix/wh07-035.html
〔引用開始〕
琉球帰属問題
〔中略〕 1874年には、琉球の漁民が台湾の先住民に殺害された事件を機会に、日本は琉球は日本に属するとして台湾出兵を強行した。清朝は強く抗議したが、イギリスの調停によって開戦には至らず、事実上、琉球を領土とする日本の行動が認められることとなった。
その後も、琉球に対する清朝の宗主権の主張は続き、琉球内部にも清朝への帰属を主張する動きもあった。そこで明治政府は1879(明治12)年、軍隊・警察を派遣して威圧した上で、琉球藩を廃止して沖縄県を設置した。これの課程は日本史上では「琉球処分」と言われているが、形式的ではあれ独立国家であった琉球を日本が併合したものであり、それによって清朝の宗主権の一つが失われたことを意味している。清国の駐日公使はただちに日本に抗議し、琉球帰属問題はなおも日本と清国の間で継続されることとなった。
折から世界一周旅行の途中で来日していたアメリカ合衆国の前大統領グラント(南北戦争の北軍の英雄として戦争後に大統領に選出されたが大統領としては問題が多く、評価は低い)が、日本と清国の調停役を引き受けた。しかし両国の主張は歩み寄らず、この問題は1894年の日清戦争の一つの要因となった。そこでの日本の勝利により、事実上、琉球帰属問題は決着がついた。
〔引用終り〕
世界史の窓 - このサイトについて
http://www.y-history.net/
〔引用開始〕
高校で世界史を学んでいる皆さん、教えている先生方、さらに世界史・歴史一般に興味をお持ちの皆さんに参考にするために設けたページです。世界史ノートは山川詳説世界史に準拠し、それを補うための穴埋め式ノートです。
〔引用終り〕
No.11
- 回答日時:
#9です。
勝手に補足します。
国、っていうのはそもそも条約や話し合いできれいに収まるものではありません。ましてや「領土意識」に関しては、歴史的な経緯を踏まえる必要があります。
他の方が「現在の国際法では属国はなく、独立国である」と指摘していますが、私が言っているのは「領土意識の歴史的経緯」であり、国際法上に基づく主権の確立ではないのです。
逆をいえば「領土意識」をきちんと考えておかないと、国際政治はギクシャクします。
たとえばウクライナは国内法的にも国際法的にも、きちんとした手続きを踏んで独立したのに、ロシアはそれを許さず軍事攻勢を行っています。
国際法上はきちんとしているのに、なぜロシアはそれを邪魔するのか?
それはロシアの領土意識の中で、ウクライナはロシアの属国(というか旧ソ連の構成国)であり、その国がロシアよりもEUに近づくのが、ロシアとして困るからです。
「それはロシアの都合だろ」という人もいるでしょう。その通りです。でも、それを言うなら尖閣諸島だって、戦後すぐまでは中国も日本領と認めていました。(1953年1月8日付け「人民日報」)
中国の言うポツダム宣言もカイロ密談もうそなのです。これがうそだとなったときの次の中国の言い訳が「尖閣は元々中国の領土であり、それをいうなら沖縄だって中国の領土だった、なぜなら冊封を受けた属国だったからだ」ということなのです。
これが現代の国際法上からしてなんの根拠もないことは、知識のある人なら知っています。でも「歴史的にうちの国にお世話になったなら、うちにお返ししてもいいんじゃない?」と考えるのが人間の性(サガ)なのであり、それをプロパガンダにして煽る人がでるから国際問題の火種になるわけです。
だからこそ、歴史的な経緯をきちんと意識しておくことが重要なのです。#9には、中国人の見方・日本人の見方・そして沖縄の見方をきちんと書いてあります。
どのような史実であっても、沖縄が大国に翻弄され続けているのは現代も同じです(米軍基地は、台湾問題・朝鮮問題などのために戦略的に駐留しています)
歴史を一方的な見方で決め付けること、現代の感覚・価値観で決め付けることは一番してはいけないことである、と私は考えます。
No.10
- 回答日時:
その教師が、どのような根拠でそう言っているのかわかりませんが。
とりあえず、No9の方に真っ向から反対するようですが、
朝貢すること(あるいは中国の王朝から見て冊封されること)と、近現代的な意味での、「属国」ましてや「植民地」「領土」ということは全く違います。
冊封国を、近現代的な国際関係の意味で「中国の属国」ととらえる見方は、少なくとも歴史学あるいは国際関係論の上では完全に否定されていると言ってよいです。
(中国のナショナリストはそう主張するのかもしれませんが)
例えば、「朝鮮は中国の王朝に朝貢していた」という歴史的事実は、近現代的な意味で「朝鮮が中国の属国であった」ということではありません。
というわけで、
沖縄(琉球)は中国のものでも日本のものでもない独立国であったが、日清戦争で勝利したため日本のものとなった(日本の領土であることを中国が認めた)。
というのが事実に近いと思います。
No.8
- 回答日時:
回答と称して無関係な内容や、自分の意見を語りたくはないので、
質問の主旨を確認しておきたいのですが、
【琉球が日本領となった時期とその理由】でよろしいのでしょうか
(=「それ以前の歴史や、両国の主張やら、それらへの個人的ないけんのような何か」ではない)
>琉球はどのような歴史で日本の沖縄県となったのですか?
回答:1874年の「日清両国互換条款」(経緯は↓)
《↑以前は、日中両国が領有権を主張していました。(動画も参照)》
1871年に宮古島から沖縄に向かう船が遭難し、台湾に漂着し、船員が台湾の原住民に殺戮されるという事件が起りました。
日本は、この事件に対する清国の責任を追及しましたが、
清国は「化外の地の野蛮人のした事であり、台湾は統治不能だから責任は取れない」と返答しました。
↑ですが、琉球が清国の領土なら、清の国内問題の筈であり、であるならこの日本の行為は内政干渉になります。
しかし、清国は日本への責任を認めつつ、これを「台湾の住民がバカで狂暴だからどうしようもない」と責任を取る事を拒否しています。
日本はこれを受けて、島民への懲罰を兼ねて攻撃を行い占領しました。
その後清国と「日清両国互換条款」が調印され、以下の事が決定します。
1:清は日本軍の台湾出兵を保民の義挙と認める。
2:遭難民に対する見舞金と戦費賠償金を日本側に支払う。
↑により、清国は日本軍の台湾出兵は自国民(日本人)の為の行動だったと公式に認めたことになります。
これは、事件の原因になった、虐殺された琉球人=日本人 と認めたことになり、
琉球=日本領 ということになります。
これは国家間の条約なので、国際世界に対しても宣言したことになります。
以上は、日清戦争(1894年)以前の事なので、
琉球が「日清戦争に勝利したため日本のものとなつた」というのは誤りということになります。
それ以前に、質問者様の仰る「もの」の定義が不明なので、回答が難しいです。
(これについては他の回答者様達も仰っていますが、)
属国や領土に組み込まれていたという意味なら違うと思います。
(これらの詳細は、質問の主旨からはずれるので、詳細な説明はしません)
当時の琉球は清国に朝貢していましたが、それ=支配を受けている というわけではありません。
ベトナムやタイなどの他の国も同様です。
中国の歴代王朝ですが、中華思想により、周辺国が朝貢という形を取らないと国交を結んだり貿易をしませんでした。
阿片戦争以前のイギリスも一応この形式を取っています。
(かの国は、属国どころか奴隷状態でしたが)
薩摩藩にとっては利益さえ得られれば良かったので、このような考えの清国を刺激して問題を起こす事は望んでいませんでした。
その為に明治まで支配の2重構造が続いた為に、このような問題が起こりました。
No.7
- 回答日時:
沖縄が中国領(中国のもの)だった歴史があるのなら
日本も中国領だった歴史がなきゃいけません。
日本史の中でそんな歴史はありますか?
韓国も同じですね、韓国が中国領だった歴史はありません。
属国と領土は違うのです。
No.6
- 回答日時:
沖縄は明治五年に日本に併合されるまで長い間独立した王国でした。
それまでは、薩摩による支配を受けていましたし、中国に朝貢もしていました。
中国には冊封(さくほう)という制度があり、近隣の国と国どうしの君主関係を結び朝貢と言う贈り物を求めました。朝貢を受けるとそれに倍する下賜品を与え、主従の関係の確認としました。中国に朝貢する国の王は形式的に中国の王が任命し、証として金印を与えました。重臣には銀印を与えたそうです。中国にとっては経済的にはメリットよりデメリットの方が大きかったようですが、近隣国からの侵略を受けにくいというメリットがあったのでしょう。この辺は授業でやったかもしれません。
また、冊封国が他国から侵略を受けると中国から軍隊を派遣して制圧しました。
秀吉の軍が朝鮮半島を責めたとき、明軍が出てきたのはこのためです。
朝鮮王国は、中国に朝貢していたのです。
沖縄も中国に朝貢していたので、中国のものと言う言い方もできるかもしてませんが、独立王国であったことは間違いありません。
しかし、沖縄を日本に併合した後も中国(清)との間で決着がつかず、日清戦争の原因の一つともなりました。
日清戦争後に日中(日清)間で領土が確定したことは確かですが、日清戦争に勝利したため日本のものになったというのは、微妙ですが間違いと言えるのではないでしょうか。
沖縄県民の持つ歴史観にもよると思います。
参考になりそうなURLを貼っておきます。
冊封
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81
沖縄県の歴史
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84% …
No.5
- 回答日時:
明治維新以前の沖縄は琉球王国として独立した存在でした。
当時の大国支那の周辺国と同じく、冊封国として中国に朝貢を続けていました。日本とも交易を行っていました。冊封国は属国と違い、大国中国に攻撃されないように貢ぎ物をしていた国と言うぐらいの意味です。朝鮮もその一つでした。その後薩摩藩の服属国になり、薩摩藩の施政権が及ぶようになりましたが、安全保障の観点から支那政府(清)への朝貢も続けていました。当時の清は世界の超大国だったのです。明治5年に当時の明治政府は琉球の取り扱いの検討を始め、明治12年に廃藩置県により正式に日本国に編入されました。これを琉球処分と言います。この琉球処分は明治27年の日清戦争の15年も前のことです。日清戦争は朝鮮の扱いをめぐって行われた戦争で、沖縄は関係ありません。過去に沖縄(琉球)が支那(中国)の領土だったことは一度もありません。ひどいことを教える先生ですね。嘘と言うより、騙しですね。
No.4
- 回答日時:
その教師は嘘は言っていません。
が、言葉が足りませんでしたね。
琉球が日本に属することになったのは、江戸時代の薩摩藩による琉球侵攻の時です。
それまでは琉球は中国への朝貢国でした。独立国ではありますが、完全な独立国とは言い難いものが有ります。
まず、中国には「中華思想」というものがあります。
中国(その時々により国名は変わりますが)が世界の中心であり、
中国の周辺の蛮族は、いずれ中国の元にひれ伏すものであるから、結果的に全世界は中国の物である。というものです。
ちょっと極論を言いましたが、つまりは
「中国の周辺国は、実質的に中国の物」というわけです。
そして、「中国の直轄地ではないけれど、中国の子分のような国」のことを「朝貢国(ちょうこうこく」と言い、
それらの国は中国の文化などの恩恵を受ける代わりに、毎年貢物を中国に送っていました。
琉球もこれらの国のうちの一つです(韓国も似たような立場でした)。
ここで、中国と琉球の考えの違いを説明しておきます。
中国:中国に貢物をしているのだから、琉球は中国のものである
琉球:自分たちは中国ではないが、中国の敵になるのは嫌なので、貢物を毎年贈って安全を確保する
そういうわけで、中国は今でも「沖縄は中国の物」と言うわけですね。
尖閣諸島も同じ理屈です。中国の近くにあるものは、中国の物なわけです。
…無茶苦茶だとは思いますが、そういう理屈の元から生まれたのが「沖縄は中国の物」なわけですね。
そして琉球は江戸時代に日本に侵略されたわけですが、
侵略を受けてすぐに「自分たちは日本人だ」とは思わないわけですね。
ですので、形式的には日本に属しているが、できれば独立したい、というのが当時の琉球の人たちの気持ちだったわけです。
そこで明治維新が起き、日清戦争が勃発します。
この時、琉球の人たちの一部が琉球を脱出し、清に助けを求めます。
「琉球を日本から解放してくれ」と、清にお願いしたわけですね。
ところが、日清戦争で日本が勝利します。
そこで、琉球の人々は「清に救援してもらう」ことを諦め、「琉球(沖縄)は日本である」と意識を変えるようになったわけです。
これらの事情があるので、
「琉球が建前上日本に属したのは江戸時代」
「日清戦争によって、実質的にも沖縄は日本になった」
と、二つのことが言えるようになるわけです。
ですから、その教師も、ご両親も、正しいことを言っているわけです。
そして中国としては、
・中華思想により、もともと沖縄は中国の物のようなものである
・日清戦争時、琉球の人が清に「琉球救援」を頼んできたので、沖縄は日本の物ではないといえる
この二つを理由に、「沖縄は中国の物」と主張するわけです。
これも、まったくの間違いと言うわけではありません。
(理屈が納得できるかどうかはさておいて)
そういうわけで、
・その教師は嘘は言っていない
・ご両親も嘘は言っていない
・中国も、一応は、変なことは言っていない
と言うことになります。
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