あなたの人生に効く作品がみつかる手書きのカード♪>>

先日、日本史の授業で「沖縄は中国のもであり、日清戦争に勝利したため日本のものとなつた。」 と教えられました。


私はずっと、沖縄は琉球王国という独立した国であったと思っていたので自分が無知だったのだと思いましたが、帰って親に聞いたところ否定されました。

そしてネットで調べると、中国人が勝手に沖縄は中国のものだったと主張しているだけ、と出てきました。

日本史の先生なのにこんな嘘を教えるとは思えずどれを信用していいのかわかりません。

結局、琉球はどのような歴史で日本の沖縄県となったのですか?
よろしくお願いいたします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (13件中1~10件)

冊封関係を理解しないと難しいのではないでしょうか、冊封について先に説明します。



冊封とは、近隣の強大国に貢物を持って行き「貴国の偉大さを称え、皇帝として受け入れますので、うちの国と私が王であることを認めてください」と願い出ます。強大国の王は「よし、私を皇帝(つまりあんたより偉い)と認めるなら、私も慈悲深さを発揮して、お前の領地は侵略しないし、お前を領主(王)と認めよう。よく来たな。褒美を持って帰れ」と貢物よりも多くのお土産を持たせて帰す、と言うやり取りのことを言います。

これにより、皇帝である強大国は軍事力を使うことなく周辺の国を従わせ、属国とすることができますし、周辺国も強大国から認めてもらうことで、近隣の争いのある国に対しても「おらのところは皇帝から領主のお墨付きをもらったんだから、うちの国を攻めると皇帝が黙っていないぞ!」と主張することができます。

事実、近隣国同士の争いは戦争の火種になりますので、皇帝はそういう近隣国同士の調整も行っていたといえます。

東アジアでは、基本的に中国(唐や隋・明・清など)が常に皇帝を称する大国であり、近隣の朝鮮やモンゴルの一部、ベトナム、沖縄(琉球)一時期の日本などが冊封を受けていた国に相当します。

では、冊封を受けていたから「大国の属国であり、現代的に言えば領土に入るか?」と言われれば、「入る可能性は高い」と言わざるをえません。

これは、なにも中国が主張しているということではなく、西洋的な国際法の考え方からも援用される部分があります。
西洋においての国と国関係はローマ帝国とそこから分離した各諸国、そして皇帝との関係性が基本になっています。そのため「ローマ帝国の属国または属領は、ローマ帝国の領土」という考え方が基本になり、アジア的な冊封関係もそれから類推して『領土的範疇に入ってもよい」と考えられているのです。

ただし、そうは言っても「ヨーロッパ各国」も独立国になっているわけですから、そのための条件というのはいろいろと複雑にあるわけです。

ただし、ウクライナとロシアの現在の問題のように(ソ連時代、ウクライナはソビエト連邦の一部(構成国)一度でも大国の一部になった形跡があれば、大国はいつまでもそれを主張し続けるし、それが的外れであるとは言い切れない、ということもあるのです。

ヨーロッパ各国が独立を維持できるのは、すでに大国であるローマが無い(その末裔である神聖ローマもすでにない)ので、主張する国がないからです。神聖ドイツ帝国だった時代までは、戦争が多かったのはそういう理由(領土主張)もあります。

で、沖縄です。

沖縄が「中国の一部であったか、独立国であったか」というのは、上記の冊封体制と現代の国際法両方をかんがみて、さらに歴史的経緯からすれば「どちらも正しい」ということになります。

日本の場合は卑弥呼の時代に冊封を受けていても、大和朝廷が成立して以降「独立するから冊封はしないよ」とメッセージを発していますし、その後元寇などを撃退して独立を保っています。
朝鮮については、日清戦争後の下関条約で中国の属国から独立しましたし、ベトナムは何度も戦争して独立を担保しています。

ところが、沖縄に関しては、あまりにも小さな国であったこと、隣に日本と言う別の大国もあったこと、で「二つの大国と等距離を取ることで、独立を維持する」と言う政策をとったことで、中国から見ても「お前の国が一応の独立国だったのは、うちのおかげ(つまりうちの属国)」ですし、日本から見ても「お前の国が一応の独立国だったのは、うちのおかげ(つまりうちの属国)」(日本も(正確には鹿児島藩が)冊封を琉球から受けていた)お前んとこはうちの属国だろう、ということになります。

実際に琉球は、どちらの国からも独立を維持するために軍事的な配慮は一切せず、刀の代わりに扇子を腰に差し、舞踊や歌などの文化的な力で特色を維持していました。

結局、日本の都合で琉球処置と言う形で鹿児島藩に組み込むことになるわけですが、中国の側から見ると「うちの属国である琉球を日本が奪った」という見方も成り立つわけです。

ですので、沖縄の歴史的経緯を見ると
・中国から見れば、ずっとうちの属国で日本が武力で奪った
・日本から見れば、うちの属国だったけど必要があったので、藩に組み入れた。
・沖縄から見れば、ずっと独立国だったけど日本に武力で併合された。
ということになります。

教師の見方が一概に間違っているとはいえませんが(と言っても下関条約というのはちょっとどうかと思う)、日本で歴史を教えている教師の言い方としては、いくらなんでも偏りすぎではないかと思います。

日本人だから「日本の領土で間違いない」とはいいませんが、各立場の視点すべてを説明してもそれほどの手間ではないでしょうし「歴史」と言うものの見方(立場によって違う)ということを説明するのは歴史教師の義務だと思うんですけどね。
    • good
    • 36

ごめん。


こう言ったら「みもふたもない話」だけど、ただ単にその日本史の先生が「沖縄と台湾を間違えている」だけではない?
それだったら、「日清戦争の結果、日本領になった」とおりなので、筋がとおります。

それこそ「単なる言い間違いだった」とか?
一度先生に確認されたらどうでしょうか。
    • good
    • 14

すでに良回答も多く、その跡追いになりますが、歴史的に琉球(沖縄)は日本と中国に「両属」していました。

その帰属が最終決着したのは、日清戦争で日本が勝利したとき(1895年)と言われています。それに対し、1874年調印の日清議定書(日清両国間互換条款及互換憑単)にて決着したなどというのは、おそらくネトウヨサイトからの引き写しであって、大学入試にも通用しないでしょう。
さて、琉球帰属問題については、例えば下記の沖縄県立総合教育センターの琉球文化アーカイブをご覧ください。

沖縄の歴史(全8ページ)
http://rca.open.ed.jp/history/story/epoch4/syobu …
〔引用開始〕
1872(明治5)年、明治政府は東京に使者を呼び、尚泰王を「琉球藩王」に任命することを告げました。
これがいわゆる「琉球処分」のはじまりです。〔中略〕
明治政府が、琉球に対してすぐに廃藩置県を実施しないでいったん藩にし、さらに尚泰を「藩主」ではなく「藩王」としたのは、琉球や中国の反発を回避するためにも段階的に王国解体をおこなう必要があったからです。
〔中略〕
宮古島の船が遭難して台湾に漂着、そこで乗組員66人のうちの54人が地元住民に殺害されるという事件が起こりました(琉球船の台湾遭難事件)。〔中略〕
そこで明治政府は、1874(明治7)年、台湾へ3,600名余の兵をさしむけました。これが台湾出兵です。
この争いは、イギリスの調停で和解が成立しましたが、日中両国間で交わされた条文には「台湾の生蕃が日本国属民を殺害したので、日本国政府はこの罪をとがめてかれらを征伐したが、これは自国の人民を守るための正当な行動であった」とあり、琉球人を「日本国属民」と明記しています。つまり日本政府は、中国に「琉球人=日本人」ということを認めさせたのです。
〔中略〕
琉球藩は何の対策もみいだせず、日清両属的な状態を従来通り維持したいと嘆願するのみでした。〔中略〕
1879(明治12)年3月末、政府の命を受け、警官と軍隊をひきいて来琉した松田は、「琉球藩を廃して沖縄県を設置する」ことを王府に通達しました(廃藩置県)。これにより、旧琉球王国の土地・人民およびそれに関するすべての書類は政府に引き渡されました。
〔中略〕
琉球問題は、廃藩置県による沖縄県設置で完全に解決されたわけではありませんでした。清国は依然これを認めず、また琉球でも清国に救援を求め続ける人たちがいました。
清国から琉球問題の調停依頼を受けた米国前大統領のグラントは、伊藤博文ら政府高官と協議し、日清交渉をとりつけました。その交渉の場で日本側が出した案が、日本の中国国内での欧米なみ通商権を認めることと引きかえに、宮古・八重山を中国へ引きわたす、というものでした。これがいわゆる「分島・増約案」です。〔中略〕
しかし、いざ調印の段階になると、清国側は国内の混乱や日本の東アジア進出の危機感をおぼえて調印をためらいました。〔中略〕
その後、日本の朝鮮進出によって日清間の対立は激化し、ついに日清戦争(1894~1895年)が勃発しました。この戦争で日本が勝利をおさめ、台湾が日本の植民地となったことにより、琉球問題はあいまいにされたまま日本に属することになりました。
〔引用終り〕

つまり、台湾出兵の結果である日清議定書(1874年)は、宮古島の船員に対する日本の外交的保護権を、中国に認めさせました。それは間接的に、琉球が日本領土であると認めさせたことになります。
しかし間接的にであって、まだ日本は琉球王国の王府を接収しておらず、書類を押さえていませんでした。「琉球人は日本人」と言っても実質性が欠けていました。それが実質的になったのは、1879年の第二次琉球処分(沖縄県設置)によってです。
ただし、その後も清国は異議を唱え、この琉球問題はしばらく決着しませんでした。仮に決着していたならば、その後の日清交渉で「分島・増約案」が出て日本がこれを一蹴しなかったことと矛盾します。
結局、日清戦争で日本が勝利したことを以て、(そのときの講和条約に琉球処分に関する言及はないけれど)日本帰属が固定化されました。79年の「実質的」が固定化したわけです。
下記の山川教科書準拠のサイトにも、日清戦争の日本の勝利により琉球帰属問題は決着がついたと書いてあります。まあこれは日本史というより世界史のサイトですが、学校の授業で疑問が生じたら、このような教科書準拠のサイトで調べてみるのがよさそうに思われます。

世界史の窓 - 琉球帰属問題
http://www.y-history.net/appendix/wh07-035.html
〔引用開始〕
琉球帰属問題
〔中略〕 1874年には、琉球の漁民が台湾の先住民に殺害された事件を機会に、日本は琉球は日本に属するとして台湾出兵を強行した。清朝は強く抗議したが、イギリスの調停によって開戦には至らず、事実上、琉球を領土とする日本の行動が認められることとなった。
 その後も、琉球に対する清朝の宗主権の主張は続き、琉球内部にも清朝への帰属を主張する動きもあった。そこで明治政府は1879(明治12)年、軍隊・警察を派遣して威圧した上で、琉球藩を廃止して沖縄県を設置した。これの課程は日本史上では「琉球処分」と言われているが、形式的ではあれ独立国家であった琉球を日本が併合したものであり、それによって清朝の宗主権の一つが失われたことを意味している。清国の駐日公使はただちに日本に抗議し、琉球帰属問題はなおも日本と清国の間で継続されることとなった。
 折から世界一周旅行の途中で来日していたアメリカ合衆国の前大統領グラント(南北戦争の北軍の英雄として戦争後に大統領に選出されたが大統領としては問題が多く、評価は低い)が、日本と清国の調停役を引き受けた。しかし両国の主張は歩み寄らず、この問題は1894年の日清戦争の一つの要因となった。そこでの日本の勝利により、事実上、琉球帰属問題は決着がついた。
〔引用終り〕

世界史の窓 - このサイトについて
http://www.y-history.net/
〔引用開始〕
高校で世界史を学んでいる皆さん、教えている先生方、さらに世界史・歴史一般に興味をお持ちの皆さんに参考にするために設けたページです。世界史ノートは山川詳説世界史に準拠し、それを補うための穴埋め式ノートです。
〔引用終り〕
    • good
    • 9

#9です。



勝手に補足します。

国、っていうのはそもそも条約や話し合いできれいに収まるものではありません。ましてや「領土意識」に関しては、歴史的な経緯を踏まえる必要があります。

他の方が「現在の国際法では属国はなく、独立国である」と指摘していますが、私が言っているのは「領土意識の歴史的経緯」であり、国際法上に基づく主権の確立ではないのです。

逆をいえば「領土意識」をきちんと考えておかないと、国際政治はギクシャクします。

たとえばウクライナは国内法的にも国際法的にも、きちんとした手続きを踏んで独立したのに、ロシアはそれを許さず軍事攻勢を行っています。
国際法上はきちんとしているのに、なぜロシアはそれを邪魔するのか?

それはロシアの領土意識の中で、ウクライナはロシアの属国(というか旧ソ連の構成国)であり、その国がロシアよりもEUに近づくのが、ロシアとして困るからです。

「それはロシアの都合だろ」という人もいるでしょう。その通りです。でも、それを言うなら尖閣諸島だって、戦後すぐまでは中国も日本領と認めていました。(1953年1月8日付け「人民日報」)

中国の言うポツダム宣言もカイロ密談もうそなのです。これがうそだとなったときの次の中国の言い訳が「尖閣は元々中国の領土であり、それをいうなら沖縄だって中国の領土だった、なぜなら冊封を受けた属国だったからだ」ということなのです。

これが現代の国際法上からしてなんの根拠もないことは、知識のある人なら知っています。でも「歴史的にうちの国にお世話になったなら、うちにお返ししてもいいんじゃない?」と考えるのが人間の性(サガ)なのであり、それをプロパガンダにして煽る人がでるから国際問題の火種になるわけです。

だからこそ、歴史的な経緯をきちんと意識しておくことが重要なのです。#9には、中国人の見方・日本人の見方・そして沖縄の見方をきちんと書いてあります。

どのような史実であっても、沖縄が大国に翻弄され続けているのは現代も同じです(米軍基地は、台湾問題・朝鮮問題などのために戦略的に駐留しています)

歴史を一方的な見方で決め付けること、現代の感覚・価値観で決め付けることは一番してはいけないことである、と私は考えます。
    • good
    • 6

その教師が、どのような根拠でそう言っているのかわかりませんが。



とりあえず、No9の方に真っ向から反対するようですが、
朝貢すること(あるいは中国の王朝から見て冊封されること)と、近現代的な意味での、「属国」ましてや「植民地」「領土」ということは全く違います。

冊封国を、近現代的な国際関係の意味で「中国の属国」ととらえる見方は、少なくとも歴史学あるいは国際関係論の上では完全に否定されていると言ってよいです。
(中国のナショナリストはそう主張するのかもしれませんが)

例えば、「朝鮮は中国の王朝に朝貢していた」という歴史的事実は、近現代的な意味で「朝鮮が中国の属国であった」ということではありません。

というわけで、
沖縄(琉球)は中国のものでも日本のものでもない独立国であったが、日清戦争で勝利したため日本のものとなった(日本の領土であることを中国が認めた)。
というのが事実に近いと思います。
    • good
    • 1

回答と称して無関係な内容や、自分の意見を語りたくはないので、


質問の主旨を確認しておきたいのですが、

【琉球が日本領となった時期とその理由】でよろしいのでしょうか
(=「それ以前の歴史や、両国の主張やら、それらへの個人的ないけんのような何か」ではない)


>琉球はどのような歴史で日本の沖縄県となったのですか?

回答:1874年の「日清両国互換条款」(経緯は↓)
《↑以前は、日中両国が領有権を主張していました。(動画も参照)》

1871年に宮古島から沖縄に向かう船が遭難し、台湾に漂着し、船員が台湾の原住民に殺戮されるという事件が起りました。
日本は、この事件に対する清国の責任を追及しましたが、
清国は「化外の地の野蛮人のした事であり、台湾は統治不能だから責任は取れない」と返答しました。

↑ですが、琉球が清国の領土なら、清の国内問題の筈であり、であるならこの日本の行為は内政干渉になります。
しかし、清国は日本への責任を認めつつ、これを「台湾の住民がバカで狂暴だからどうしようもない」と責任を取る事を拒否しています。

日本はこれを受けて、島民への懲罰を兼ねて攻撃を行い占領しました。

その後清国と「日清両国互換条款」が調印され、以下の事が決定します。

1:清は日本軍の台湾出兵を保民の義挙と認める。
2:遭難民に対する見舞金と戦費賠償金を日本側に支払う。

↑により、清国は日本軍の台湾出兵は自国民(日本人)の為の行動だったと公式に認めたことになります。
これは、事件の原因になった、虐殺された琉球人=日本人 と認めたことになり、
琉球=日本領 ということになります。

これは国家間の条約なので、国際世界に対しても宣言したことになります。


以上は、日清戦争(1894年)以前の事なので、
琉球が「日清戦争に勝利したため日本のものとなつた」というのは誤りということになります。

それ以前に、質問者様の仰る「もの」の定義が不明なので、回答が難しいです。
(これについては他の回答者様達も仰っていますが、)
属国や領土に組み込まれていたという意味なら違うと思います。
(これらの詳細は、質問の主旨からはずれるので、詳細な説明はしません)

当時の琉球は清国に朝貢していましたが、それ=支配を受けている というわけではありません。
ベトナムやタイなどの他の国も同様です。
中国の歴代王朝ですが、中華思想により、周辺国が朝貢という形を取らないと国交を結んだり貿易をしませんでした。
阿片戦争以前のイギリスも一応この形式を取っています。
(かの国は、属国どころか奴隷状態でしたが)

薩摩藩にとっては利益さえ得られれば良かったので、このような考えの清国を刺激して問題を起こす事は望んでいませんでした。
その為に明治まで支配の2重構造が続いた為に、このような問題が起こりました。

    • good
    • 1

沖縄が中国領(中国のもの)だった歴史があるのなら


日本も中国領だった歴史がなきゃいけません。

日本史の中でそんな歴史はありますか?
韓国も同じですね、韓国が中国領だった歴史はありません。
属国と領土は違うのです。
    • good
    • 0

 沖縄は明治五年に日本に併合されるまで長い間独立した王国でした。


 それまでは、薩摩による支配を受けていましたし、中国に朝貢もしていました。
 中国には冊封(さくほう)という制度があり、近隣の国と国どうしの君主関係を結び朝貢と言う贈り物を求めました。朝貢を受けるとそれに倍する下賜品を与え、主従の関係の確認としました。中国に朝貢する国の王は形式的に中国の王が任命し、証として金印を与えました。重臣には銀印を与えたそうです。中国にとっては経済的にはメリットよりデメリットの方が大きかったようですが、近隣国からの侵略を受けにくいというメリットがあったのでしょう。この辺は授業でやったかもしれません。
 また、冊封国が他国から侵略を受けると中国から軍隊を派遣して制圧しました。
 秀吉の軍が朝鮮半島を責めたとき、明軍が出てきたのはこのためです。
 朝鮮王国は、中国に朝貢していたのです。

 沖縄も中国に朝貢していたので、中国のものと言う言い方もできるかもしてませんが、独立王国であったことは間違いありません。

 しかし、沖縄を日本に併合した後も中国(清)との間で決着がつかず、日清戦争の原因の一つともなりました。

 日清戦争後に日中(日清)間で領土が確定したことは確かですが、日清戦争に勝利したため日本のものになったというのは、微妙ですが間違いと言えるのではないでしょうか。
 沖縄県民の持つ歴史観にもよると思います。

 参考になりそうなURLを貼っておきます。

 冊封
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81

 沖縄県の歴史
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84% …
    • good
    • 0

明治維新以前の沖縄は琉球王国として独立した存在でした。

当時の大国支那の周辺国と同じく、冊封国として中国に朝貢を続けていました。日本とも交易を行っていました。冊封国は属国と違い、大国中国に攻撃されないように貢ぎ物をしていた国と言うぐらいの意味です。朝鮮もその一つでした。その後薩摩藩の服属国になり、薩摩藩の施政権が及ぶようになりましたが、安全保障の観点から支那政府(清)への朝貢も続けていました。当時の清は世界の超大国だったのです。明治5年に当時の明治政府は琉球の取り扱いの検討を始め、明治12年に廃藩置県により正式に日本国に編入されました。これを琉球処分と言います。

この琉球処分は明治27年の日清戦争の15年も前のことです。日清戦争は朝鮮の扱いをめぐって行われた戦争で、沖縄は関係ありません。過去に沖縄(琉球)が支那(中国)の領土だったことは一度もありません。ひどいことを教える先生ですね。嘘と言うより、騙しですね。
    • good
    • 1

その教師は嘘は言っていません。


が、言葉が足りませんでしたね。

琉球が日本に属することになったのは、江戸時代の薩摩藩による琉球侵攻の時です。
それまでは琉球は中国への朝貢国でした。独立国ではありますが、完全な独立国とは言い難いものが有ります。

まず、中国には「中華思想」というものがあります。
中国(その時々により国名は変わりますが)が世界の中心であり、
中国の周辺の蛮族は、いずれ中国の元にひれ伏すものであるから、結果的に全世界は中国の物である。というものです。
ちょっと極論を言いましたが、つまりは
「中国の周辺国は、実質的に中国の物」というわけです。

そして、「中国の直轄地ではないけれど、中国の子分のような国」のことを「朝貢国(ちょうこうこく」と言い、
それらの国は中国の文化などの恩恵を受ける代わりに、毎年貢物を中国に送っていました。
琉球もこれらの国のうちの一つです(韓国も似たような立場でした)。

ここで、中国と琉球の考えの違いを説明しておきます。

中国:中国に貢物をしているのだから、琉球は中国のものである
琉球:自分たちは中国ではないが、中国の敵になるのは嫌なので、貢物を毎年贈って安全を確保する

そういうわけで、中国は今でも「沖縄は中国の物」と言うわけですね。
尖閣諸島も同じ理屈です。中国の近くにあるものは、中国の物なわけです。
…無茶苦茶だとは思いますが、そういう理屈の元から生まれたのが「沖縄は中国の物」なわけですね。

そして琉球は江戸時代に日本に侵略されたわけですが、
侵略を受けてすぐに「自分たちは日本人だ」とは思わないわけですね。
ですので、形式的には日本に属しているが、できれば独立したい、というのが当時の琉球の人たちの気持ちだったわけです。

そこで明治維新が起き、日清戦争が勃発します。

この時、琉球の人たちの一部が琉球を脱出し、清に助けを求めます。
「琉球を日本から解放してくれ」と、清にお願いしたわけですね。

ところが、日清戦争で日本が勝利します。

そこで、琉球の人々は「清に救援してもらう」ことを諦め、「琉球(沖縄)は日本である」と意識を変えるようになったわけです。

これらの事情があるので、
「琉球が建前上日本に属したのは江戸時代」
「日清戦争によって、実質的にも沖縄は日本になった」
と、二つのことが言えるようになるわけです。

ですから、その教師も、ご両親も、正しいことを言っているわけです。

そして中国としては、
 ・中華思想により、もともと沖縄は中国の物のようなものである
 ・日清戦争時、琉球の人が清に「琉球救援」を頼んできたので、沖縄は日本の物ではないといえる
この二つを理由に、「沖縄は中国の物」と主張するわけです。
これも、まったくの間違いと言うわけではありません。
(理屈が納得できるかどうかはさておいて)

そういうわけで、
 ・その教師は嘘は言っていない
 ・ご両親も嘘は言っていない
 ・中国も、一応は、変なことは言っていない
と言うことになります。
    • good
    • 2

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q台湾は中国なの?

 率直に聞きますが、台湾は中国なんですか。 国際的に台湾は中国であると認めているんでしょうか。 ていうかそもそも台湾て国なんですか?国じゃないんですか? 台湾が中国なら、なんで台湾生まれの人は中国出身ではなくて台湾出身というのですか?
 
 非常にばかな質問かも知れませんが、誰に聞いてもあいまいな答えしか返ってこないのでよくわかりません。 はっきりとした答えをききたいです。 台湾の人は台湾を中国の一部だとは思ってないとか、ききますが実際はどうなんですか。 ていうか逆? 中国が認めてないの? 誰か分かりやすく説明してほしいです。 
 
 ちなみにこの疑問が生まれたのは、F4という台湾のアイドルグループが流行っていることを「華流」というのをきいたからです。 華は中華人民共和国の華ですよね? 

Aベストアンサー

他の方も言っておられますが、日本政府の立場を一言で言えば「台湾は中国の一部」となっています。これは日本だけではなく、中国と正式な国交を持っている全ての国がそうだったかと思います。逆に、中国と国交を持っていない国が台湾を独立国として認めています(世界中で二十~三十くらい)

ですが、実質的に現在の台湾は独立国のようなものです。独自の政体・軍隊・法体系をもっており、中国とは対立しています。また、2020年のオリンピック開催国に立候補もする話があるようです。

> 台湾の人は台湾を中国の一部だとは思ってないとか、ききますが実際はどうなんですか。

これは微妙な問題です。台湾人もこの問題に関しては一枚岩ではないからです。

現在の台湾の政権は「対中国・親日・親米」ですが、野党の中には「親中国・反日・反米」をスローガンとしている者もおり、またその意見も台湾の人たちの一定の支持を得ています。

極端な人たちの中には、すぐにでも中国と統一すべき、という意見もあります。
しかし、逆に「いや、中国は他国だ。戦争をしてでも我々は独立国家となるべきだ」という意見もあります。
まあ、こういう多様な意見が出る事自体、台湾は一党独裁・言論弾圧の中国とは一線を画した民主主義国家と言えます。

中国にとって、台湾は魅力的な土地ですから是が非でも欲しがります。ここが手に入れば、台湾島を軍事基地化して日本・米国・東南アジア諸国にかなりの圧力を加えられますから。

だから、日本は台湾が中国の一部とは認めていますが、米国との会談などで中国への台湾への圧力を問題視したりしています。米国もこれに同調しています。

本気で軍事力を行使された場合、日米両国は台湾側に付く可能性も否定できないなど、この地域は本当に紛争地帯の様相を呈しています。

他の方も言っておられますが、日本政府の立場を一言で言えば「台湾は中国の一部」となっています。これは日本だけではなく、中国と正式な国交を持っている全ての国がそうだったかと思います。逆に、中国と国交を持っていない国が台湾を独立国として認めています(世界中で二十~三十くらい)

ですが、実質的に現在の台湾は独立国のようなものです。独自の政体・軍隊・法体系をもっており、中国とは対立しています。また、2020年のオリンピック開催国に立候補もする話があるようです。

> 台湾の人は台湾を中...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q沖縄の歴史について簡単に教えてください!

沖縄の歴史を教えてください。
本土復帰とかよく聞きますが、以前はどの国だったのですか?アメリカの植民地?
琉球とも呼ばれますが、以前は中国だったのでしょうか?
沖縄の過去について全然知りません。
知っている方御教授下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

時代をおって順に書きますね。

もともとは
日本でも中国でもない独立国家「琉球王国」でした。
各国と貿易をしていて
もちろん日本ともいていたので友好国だったのですが、
1609年江戸幕府の命で侵攻してきた薩摩軍によって侵略されてしまいます。
それからは、日本の一部となっています。

「本土復帰」の話ですが、
これは太平洋戦争で、
日本で唯一、陸上戦が行われたのが沖縄なんです。
そこで、沖縄はアメリカ軍に占拠され、
アメリカの統治下におかれました。
つまり、アメリカになったのです。
本土に復帰したのが1972年ですから、
僕より少し上の世代の人たちは、
「沖縄に行くにはパスポートが必要」
という感覚を子供のころの記憶にとどめている人も多いです。
未だに米軍基地が沖縄にたくさんあるのはこのためです。


参考URLに事細かに載っています。
長いですが、
最初から最後まで全部読んでもらえれば、
バッチリ理解できると思いますよ。

参考URL:http://www.tradition-net.co.jp/links/okinawa/history2.htm

時代をおって順に書きますね。

もともとは
日本でも中国でもない独立国家「琉球王国」でした。
各国と貿易をしていて
もちろん日本ともいていたので友好国だったのですが、
1609年江戸幕府の命で侵攻してきた薩摩軍によって侵略されてしまいます。
それからは、日本の一部となっています。

「本土復帰」の話ですが、
これは太平洋戦争で、
日本で唯一、陸上戦が行われたのが沖縄なんです。
そこで、沖縄はアメリカ軍に占拠され、
アメリカの統治下におかれました。
つまり、アメリカになったので...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q琉球の兵が薩摩に対抗できなかった理由 1609年

1609年に薩摩の兵3000が琉球に侵攻し4000の琉球の兵が破れて和睦のあと支配されることになった件で疑問があります。
帆船で長期航海を行い(激しい船酔いや士気の低下も想定される)、兵糧も十分ではなく土地勘もない薩摩の兵が、なぜ琉球を短期間で侵略出来たのでしょうか?琉球の方が交易も活発で薩摩よりも豊かであるような気がします。また薩摩は関ヶ原で直前に兵力を失っているとも思えます。
なぜ薩摩が琉球に侵略できたのでしょうか?琉球の兵力、軍備、他国との戦闘(琉球が他国を侵略したような事実もあれば)など付随する情報がありましたらお願いします。薩摩側の被害も教えてください。

Aベストアンサー

薩摩が琉球を侵略できたのは、琉球軍の作戦が悪かったからです。

その前にまず・・・

1.薩摩軍の航海について・・・薩摩軍はまず琉球の支配下にある奄美諸島の攻略に行きます。島々を攻略しながら沖縄に近づいていきますが、島と島との間は短く、ほとんど1日から2日で到着しており、海上で何日も過ごすという事をしていません。
島々の制圧期間を除くと、薩摩の山川港から奄美大島までは途中の島で一泊しましたが、それを入れて2日で着いていますし、その次の徳之島へも1日で着き、その次の沖永良部島にも1日で着き、次の沖縄本島にも1日で着いています。
島々での戦闘があったから薩摩から沖縄本島への到着は20日以上かかりましたが、航海日数だけで言えば必ずしも長くありません。これを長期航海と呼べるのか・・・私は疑問に思います。
また、薩摩は朝鮮出兵で水軍を出していますし、関が原の戦いにおい残存部隊が本国に戻る際には、海路であり黒田水軍と戦ってもいます。豊臣政権以降の薩摩の兵は海路を利用して派兵される事が多いので、船に慣れている者も多いと思います。

2.兵糧について・・・薩摩は琉球遠征にあたり五ヶ月分の兵糧を用意しました。3月4日に出航し4月初めには琉球は降伏しています。1ヶ月で戦いは終わっており、薩摩軍の兵糧が十分ではないというのは疑問です。

3.土地勘について・・・琉球を攻めるにあたり、水先案内人としてトカラ列島の七島衆が薩摩に味方しています。

4.豊かさについて・・・琉球が降伏した後、薩摩の検地では琉球は11万3千石と出ています。当時の島津は58万7千石ですから、琉球の石高は薩摩の五分の一です。石高から言うと、琉球が薩摩より豊かであったかについては疑問符が残ります。

5.兵について・・・諸説ありますが薩摩は関が原で1500の兵を動員し、三分の二を失ったと言われています。ただ、薩摩の石高から言えばもっと兵を動員する事は可能でした。例えば豊臣秀吉の朝鮮出兵では1万人の動員を命じられています。兵士の動員方式に百石三人制というのがありますが、これを薩摩に当てはめれば1万7千人は動員可能であり、しかもこれは限界の数値ではありません。関が原で薩摩が兵を失ったのは事実ですが、薩摩の動員能力から言うと、損害は少ないものでした。

6.薩摩の損害は100から200人ほどだそうです。

琉球軍の敗因・・・まず琉球王国の一角を占めていた奄美諸島では、薩摩の鉄砲にしてやられました。
奄美大島では島民3千人を集め砦を築いて薩摩軍に抵抗しようとしましたが、薩摩の鉄砲に敗退しました。
「棒の先から火が出る武器に驚いて逃げ去った」とか、徳之島でも「目にもとまらず棒の先から火が出て打ち倒した」とあり、どうやら奄美諸島の人達はあまり鉄砲の事を知らず、その威力の前に敗退したようです。
沖縄本島の場合は、作戦ミスです。
琉球軍は北部の良港である運天港を守るために千人の兵を今帰仁城に配置しましたが、まずここを薩摩軍に攻められ壊滅します。
薩摩軍はその後、読谷山の付近で海路、那覇港へ向かう部隊と、陸路、首里へ向かう部隊の二つに分かれ、二方向より進撃します。
琉球軍は薩摩軍が那覇港に来ると思い三千の兵をここに配置し守りを固めていました。薩摩の水軍はその那覇港の守りの堅さに一度は敗退しています。
しかし、琉球軍は陸路、進撃してくる薩摩軍の早期察知には失敗しており、気付いた時には手遅れで首里目前でこの薩摩軍を食い止めるには兵力が100人ほどしかなく、この部隊も結局薩摩軍に壊滅させられました。
そして首里に迫った薩摩軍に琉球の王は降伏を決断します。
つまり琉球軍は多いとは言えない貴重な防衛戦力を北部に派遣して各個撃破され、情報収集を疎かにして薩摩の進撃路を読み誤って陸路の防備を疎かにし、薩摩軍に敗北しました。
つまり琉球軍は情報と兵力の集中に誤りがあったための敗北です。
なお、沖縄本島の戦いでも薩摩の鉄砲に痛手を受けたようなので、薩摩の鉄砲にしてやられたという部分もあるかと思います。

薩摩が琉球を侵略できたのは、琉球軍の作戦が悪かったからです。

その前にまず・・・

1.薩摩軍の航海について・・・薩摩軍はまず琉球の支配下にある奄美諸島の攻略に行きます。島々を攻略しながら沖縄に近づいていきますが、島と島との間は短く、ほとんど1日から2日で到着しており、海上で何日も過ごすという事をしていません。
島々の制圧期間を除くと、薩摩の山川港から奄美大島までは途中の島で一泊しましたが、それを入れて2日で着いていますし、その次の徳之島へも1日で着き、その次の沖永良部島にも1日で...続きを読む

Qもしも中国が日本に侵攻して戦争になった場合、私たちは殺されるがままですか?

社会党や一部の公明党の言うように、仮に自衛隊を廃止したとします。

もしも中国が日本に侵攻してきた場合、どうやって国民の命を守るのですか?
私たちは殺されるがままですか?

中国と北朝鮮が沖縄を核爆弾で攻撃して米軍を壊滅させ、九州に侵攻してきたと仮定します。
自衛隊がなかったら、どうやって国民の命を守るのですか?
九州の人たちは殺されるがままですか?

Aベストアンサー

まぁ、自衛隊なしでは日本があっさり占領されるのは皆さんの言う通り。米国も自国の軍隊すら持たないような非常識国家を助ける真似はしないでしょうね。日本の代わりを探すでしょう。自衛隊が廃止された時には在日米軍も撤退してますよ。
そして、中共が日本人を虐殺する確立は物凄く高い。それは、中国の今までの行いを調べれば分かる筈。
しかしながら、どうも、自衛隊を信用していない人も多いですね。あと、法律問題について。
”自衛隊が居たら”では、既に質問の趣旨と異なりますが、自衛隊は当然国を守るために動きます。
しかし、”国を守る”ために個々の国民まで守るとは限らない。戦術・戦略上、住民を見捨てることもあるでしょう。これは、”100人の犠牲で1万人が救われるなら…”というやつですね。国を守る軍隊としては、世界的にも極めて当然の措置でしょう。
ここの辺りが信用ならないって言われる所以でしょうが、軍隊は国を守ることが大前提で、それに付随して国民を守っているという事になっているのですから、その辺の認識の違いから”信用ならん!”となるのでしょうね。
それと法律問題。日本存亡の危機という時に法律が機能するでしょうか? 当然日本防衛に不利なる法律など機能する訳がありません。そんなのは超法規的に行動するに決まっています。これも世界的にも歴史的にも常識では?(小規模紛争で”日本存亡の危機”って程でもない時には困りますけどね)
それと、質問では既に核兵器が使用されていますが、まぁ、実際には現状(21世紀中頃までは確実に)ではまずあり得ない状況ですね。
やったら、米国が報復しますし(自国軍隊が被害を受けているのだから、当然の処置)、中国経済(世界経済も)も日本経済が破綻すれば壊滅的打撃を受けます。第2次世界恐慌ぐらいは起こるかもしれません。落ち目でも世界第2位の経済力を誇っているのですから、それぐらいの影響は与えます。
そうなれば、中国は戦争どころではありません。世界大戦でもない限り、経済あっての戦争なので。
更に、中国軍が日本に大軍を派兵する能力があるのか? 上記の全部の前提ですが、先ずこれが無理ですよね。どうやって数個~数十個師団規模、数万~数十万人の人員を日本に寄越すのでしょうか。中国は陸軍の国です。陸続きなら強大な戦力を有していますが、海を挟む日本にそれだけの兵力を派兵することは物理的に無理です。(どこでもドアでも開発したという前提???)
ここで自衛隊が居れば、自衛隊の空海戦力は世界有数で間違いありません。弾がないとかよく言われますが、他先進国の軍隊でそれ程の継戦能力を有する国がどれ程ありますか? 米国ぐらいでしょう。
最初の1週間程度を全力で防衛できる程度に弾があれば、後は世界に誇るジャパニーズマネーが弾は用意するでしょう。その為に、世界最大の軍需産業を有する米国の兵器も使用できるように互換性を持たせているのですから。
日本を過小評価し過ぎです。過大評価もダメですけどねぇ。上記ぐらいなら適当なところじゃないでしょうか。

まぁ、自衛隊なしでは日本があっさり占領されるのは皆さんの言う通り。米国も自国の軍隊すら持たないような非常識国家を助ける真似はしないでしょうね。日本の代わりを探すでしょう。自衛隊が廃止された時には在日米軍も撤退してますよ。
そして、中共が日本人を虐殺する確立は物凄く高い。それは、中国の今までの行いを調べれば分かる筈。
しかしながら、どうも、自衛隊を信用していない人も多いですね。あと、法律問題について。
”自衛隊が居たら”では、既に質問の趣旨と異なりますが、自衛隊は当然国を守る...続きを読む

Q民主党の国会議員には、なぜ、元在日朝鮮人が多いのか

衆議院だと、民主党の議員の3人に1人(分裂前)は、元在日朝鮮人です。
民主党の国会議員には、なぜ、元在日朝鮮人が多いんでしょうか?
考えられるのは、3年前の衆議院選挙のとき、民主党が、朝鮮総連や韓国政府から、巨額(数百億円だそうです)のワイロをもらい、その見返りとして、党公認の立候補者に、多くの元在日朝鮮人を立てた、ということです。
でなければ、こんな異常な議員構成には、なりません。
日本人にだって、政治家になりたい人は、たくさんいます。
日本人を差し置いて、朝鮮人を候補者に立てる理由としては、さしあたり、”金”しか考えられません。
また、民主党の政治家と、韓国の政治家の異常な親密ぶりは、裏取り引きがあることを推察させます。
この推論に、異論のある人は、いますか?

Aベストアンサー

「人種・民族」と「国籍」の違いが理解できない人や、
「民主党の国会議員には、なぜ、元【在日朝鮮人】が多いのか】
という質問に、
「日本人も【在日】だ」とか答えてしまう読解力のかわいそうな常連さんが湧いていますね。


>民主党の国会議員には、なぜ、元在日朝鮮人が多いんでしょうか?

回答:民主党は朝鮮人の為の政党でもあるからです。


>衆議院だと、民主党の議員の3人に1人(分裂前)は、元在日朝鮮人です。

そこまで多いかは疑問ですが、以下の理由で他の党よりは多いと思います。
(旧社会党より多いかは疑問ですが)


>日本人を差し置いて、朝鮮人を候補者に立てる理由としては、さしあたり、”金”しか考えられません。
>また、民主党の政治家と、韓国の政治家の異常な親密ぶりは、裏取り引きがあることを推察させます。

民主党は、在日韓国朝鮮人や、日教組などのサヨク組織から支援を受けています。

【マスコミが報道しない民主党の実態】
http://www.youtube.com/watch?v=sppB9R6dxMU


以前は民主党の党員には外国人でもなれました。(このような制度は民主党以外ありません)
そして、党員は党の代表選挙への投票権がありました。
(与党の場合、代表=首相 ということになります)
↑は国会で問題になり現在は廃止されていますが、↓の事から外国人の影響力が全くなくなったわけではないと思います。

【国会中継、西田議員が野田の民潭癒着を激しく糾弾】
http://www.youtube.com/watch?v=yAVJr_l0ss8&feature=player_embedded
【韓国マダンに集まる売国議員の皆さん】(白真勲・田嶋要・奥野総一郎・中後淳・加賀谷健)
http://www.youtube.com/watch?v=10T4W1AenJY
【売国奴・岡崎トミ子を追求!!】((韓国の反日デモに参加)
http://www.youtube.com/watch?v=J5Euglb42jg
【“売国的行為”土肥議員が民主会派復帰 竹島領有権放棄訴える共同宣言に署名】
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121017/plt1210171551007-n1.htm
(土肥氏は昨年2月27日、ソウルでの「3・1節」の関連行事に出席し、竹島について「日本政府は歴史教科書歪曲と独島(竹島の韓国名)の領有権主張によ り、後世に誤った歴史を教え、平和を損なおうとする試みを直ちに中断しなければならない」と記された共同宣言に署名したのだ。)

「竹島領有権主張問題 共同宣言文の骨子」
一、日本は恥ずかしい過去に対し、歴史の真相を糾明し、日本軍慰安婦、サハリン強制徴用被害者など、歴史の被害者に対する妥当な賠償措置を履行しなければならない。両国の善隣関係は、真実の謝罪と賠償が出発点となる。
一、日本は、平和憲法改正と軍国主義復活の試みを直ちに中断しなければならない。
一、日本政府は歴史教科書歪曲と独島(注、竹島の韓国名)の領有権主張により、後世に誤った歴史を教え、平和を損なおうとする試みを直ちに中断しなければならない。


他にも外国人参政権法案を何度も国会に出してきたり、
今の国会でも人権侵害救済法案を通そうとしています。(動画参照)
(そんな法案より、するべき仕事は山ほどあるはずです)

【人権侵害救済法案の廃案を訴える日本国民の会】
http://jinkenhouanhaianproject.web.fc2.com/index.html

https://www.youtube.com/watch?v=YEt5D1uxSv0

「人種・民族」と「国籍」の違いが理解できない人や、
「民主党の国会議員には、なぜ、元【在日朝鮮人】が多いのか】
という質問に、
「日本人も【在日】だ」とか答えてしまう読解力のかわいそうな常連さんが湧いていますね。


>民主党の国会議員には、なぜ、元在日朝鮮人が多いんでしょうか?

回答:民主党は朝鮮人の為の政党でもあるからです。


>衆議院だと、民主党の議員の3人に1人(分裂前)は、元在日朝鮮人です。

そこまで多いかは疑問ですが、以下の理由で他の党よりは多いと思います。
(旧社会党...続きを読む

Q沖縄が正式に日本になったのはいつですか?

沖縄が正式に日本国の仲間入りしたのはいつでしょうか?
あと、琉球王国はどうなったのでしょう?王家の血筋の人たちは沖縄にいるんでしょうか?

征服?されてまったくトラブルも無く順応しているというのはすばらしいことだと思います。
内戦になっていてもおかしくなかったような気もします。

そこら辺のところ教えて下さい。

Aベストアンサー

質問に対する答えではなく、tomotaroさんの回答に対する補足ということで。
(あくまで訂正補足ということで、他意はありません)

>また農耕を開始した民族アマミキヨは「海の人」「海部」といわれ九州から南下した人々です。
このことからいっても古代から日本には違いないです。
最近のミトコンドリアDNAでは南方から北方へ移動したという結果が出ています。
また「アマミキヨ」という民族はあくまで一説で、メジャーな説ではありません。

>その最初の人は源為朝(日本ですよね!)
これはあくまで作話で、事実ではありません。
薩摩下における地位向上のために創作されたものです。

>1429年本島の南部の按司(領主)であった尚巴志が中山王の武寧を倒し中山王となり北山・南山を滅ぼし統一王朝を開きました。
中山王・武寧を倒したのは1406年、
その後即位したのは尚巴志でなく父の尚思紹です。
で、北山・南山を攻略し統一を果たしたのが1429年です。

>この王朝が明治になるまで続いたわけです。
その後尚巴志の系統・第一尚氏王統は滅び、
第二尚氏王統(血縁関係はない)が誕生し、明治に至ります。

>1441年島津氏は室町幕府の将軍義教から恩賞として琉球国を与えられました。
いわゆる嘉吉附庸はまったくの虚構であることがわかっています。
事後のアリバイ工作にすぎません。

質問に対する答えではなく、tomotaroさんの回答に対する補足ということで。
(あくまで訂正補足ということで、他意はありません)

>また農耕を開始した民族アマミキヨは「海の人」「海部」といわれ九州から南下した人々です。
このことからいっても古代から日本には違いないです。
最近のミトコンドリアDNAでは南方から北方へ移動したという結果が出ています。
また「アマミキヨ」という民族はあくまで一説で、メジャーな説ではありません。

>その最初の人は源為朝(日本ですよね!)
これはあく...続きを読む

Q日本のミサイル防衛にTHAADが無いのは何故?

【ワシントン共同】米陸軍当局者は26日、米領グアムに配備した高性能の地上発射型迎撃システム「高高度防衛ミサイル」(THAAD)が完全な稼働状態に入ったことを明らかにした。との報道です。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130427/amr13042709290001-n1.htm
一方日本の場合イージス艦から発射するミサイルとPAC3でTHAADはありません。
日本の場合THAADは無くても良いのですか?


 

Aベストアンサー

>日本の場合THAADは無くても良いのですか?

はい、必要ありません。

THAAD (Terminal High Altitude Area Defense) Missile は射程 200km、射高 40km~150km の地上発射型迎撃 Missile で、High Altitude Area Defense (高高度域防御) の部分だけを見て ICBM (Inter-Continental Ballistic Missile:大陸間弾道弾) をその頂点付近の宇宙空間で迎撃するかのように誤解されがちですが、Terminal (末端の/終末の) のいう言葉が示すように、目標に向かって高度を下げて大気圏 (成層圏よりも上の 40km~150km にある化学圏) に突入してきた最終段階での弾道弾を撃墜する Missile です。

一方、日本が Aegis 艦に搭載している SM3 (Standard Missile 3) 161B Block IA は射程 400km、射高 250km で、先端部が Kinetic 弾頭と呼ばれる高機動弾頭になっているように、空気のない大気圏外での超高速運動能力を持たせたものとなっていて、THAAD よりも高性能な Missile になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=Clny6teU5ik&feature=youtu.be

最初に海上自衛隊に配備された「こんごう」の SM3 161B Block IA は高度 160km を飛行する模擬弾道弾の直撃撃墜に成功していますし、現在は日米共同開発になる Block IIA の地上試験を終えて来年に飛行試験、2018 年には現在の Block IA を Block IIA に置き換える予定になっています。

http://www.youtube.com/watch?v=A6CIu9fRk3k

地上発射型で射程が 200km しかない THAAD では幅数百km 長さ 2000km 余りの日本列島に数十基の発射機を配置しなければならず、何時 Terrorism だの過激な反対運動の前に壊されるか判ったものではないのに比べ、SM3 は部外者など近付けない Aegis 艦の中にありますし、相手国の Missle 発射機から 400km 以内の海域に派遣すれば 1 隻で事足ります。

相手国が日本に向けて発射する Missile の Course は決まっていますので、日本列島近海に配置する Aegis 艦の数も数隻あればよく、既に海上自衛隊は上記「こんごう」型 Aegis DDG (Missile 護衛艦) を 4 隻、次級の「あたご」型 Aegis DDG を 3 隻運用していますので、2~3 隻が定期整備中であっても常時 4~5 隻は緊急配備に就くことができるようになっています。

>日本の場合THAADは無くても良いのですか?

はい、必要ありません。

THAAD (Terminal High Altitude Area Defense) Missile は射程 200km、射高 40km~150km の地上発射型迎撃 Missile で、High Altitude Area Defense (高高度域防御) の部分だけを見て ICBM (Inter-Continental Ballistic Missile:大陸間弾道弾) をその頂点付近の宇宙空間で迎撃するかのように誤解されがちですが、Terminal (末端の/終末の) のいう言葉が示すように、目標に向かって高度を下げて大気圏 (成層圏よりも上の 40km~150km ...続きを読む

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング