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先日、日本史の授業で「沖縄は中国のもであり、日清戦争に勝利したため日本のものとなつた。」 と教えられました。


私はずっと、沖縄は琉球王国という独立した国であったと思っていたので自分が無知だったのだと思いましたが、帰って親に聞いたところ否定されました。

そしてネットで調べると、中国人が勝手に沖縄は中国のものだったと主張しているだけ、と出てきました。

日本史の先生なのにこんな嘘を教えるとは思えずどれを信用していいのかわかりません。

結局、琉球はどのような歴史で日本の沖縄県となったのですか?
よろしくお願いいたします。

A 回答 (13件中1~10件)

wikipedia (

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84% … ) +α だと
・琉球王国があった (清と冊封関係を結んでいた一方で薩摩藩にも服属していた)
・日本が琉球王国を廃して琉球藩→沖縄県とした (いわゆる「琉球処分」)
・日清戦争の結果下関条約で清は日本に台湾を割譲, 同時に沖縄が日本の領土として確定
・第二次世界大戦の結果アメリカ軍の統治下にはいる
(アメリカが日本から独立させようと手を尽くすも失敗)
・1972年にアメリカから日本に返還
という感じでしょうか. だから「沖縄は中国のもの」は微妙 (清と冊封関係を結んでいたことから形式的には「清の臣下」といえる), 「日清戦争に勝利したため日本のものとなった」は「ほぼ最終的な結果として正しい」ということになろうかと.
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12世紀、源為朝(鎮西八郎)が今のの沖縄県の地に逃れ、その子が琉球王家の始祖舜天になったと言う説が有ります


元々台湾と同じにみられたり あまり重要な拠点とみられなかったため 統治されずに14世紀頃から琉球王国として 1609年に日本の薩摩藩の侵攻による実質的な支配下に入って統治されました。
19世紀以降では 中国の統治がなく日清戦争の結果下関条約で沖縄が日本の領土として確定してるので
中国は沖縄と呼ばずに 琉球と呼び 曖昧な12世紀以前に中国が統治したとして 中国の一部に組み込み作戦を実施しています。
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>日本史の先生なのにこんな嘘を教えるとは思えずどれを信用していいのかわかりません。



教師の組合に「日教組」ってのがあって、この組合は、日本の共産党と繋がってます。

日本の共産党は、中国共産党の手先、手下みたいな者です。

ですから、日本の教師は、平気でウソをついて、中国に有利な大嘘の歴史を、貴方たち(子供たち)に教えます。

>結局、琉球はどのような歴史で日本の沖縄県となったのですか?

その質問を日本人に聞いたら、日本に有利な答えをします。

その質問を沖縄人に聞いたら、沖縄人有利な答えをします。

その質問を中国人に聞いたら、中国に有利な答えをします。

その質問を韓国人に聞いたら、韓国に有利な答えをします。

その質問を米国人に聞いたら、米国に有利な答えをします。

なので、歴史ってのは「他人に聞いてはいけない」のです。全員が全員、必ずウソを答えます。全員が全員、自分たちに有利な解釈をして、自分たちに有利な答えをします。

本当の事が知りたかったら、自分の足、自分の目、自分の耳で確かめましょう。

因みに「歴史」ってのは「当時の権力者が、自分の都合の良い事柄だけを歴史書として残し、自分が不利になるような事実は闇に葬る」というのが積み重なって作られています。

なので、貴方が学習してきた「歴史」の殆どが「当時の権力者の都合の良いように書かれた大嘘の積み重ね」です。「本当の事」なんて、歴史の中に0.0000001%くらいしかありません。
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その教師は嘘は言っていません。


が、言葉が足りませんでしたね。

琉球が日本に属することになったのは、江戸時代の薩摩藩による琉球侵攻の時です。
それまでは琉球は中国への朝貢国でした。独立国ではありますが、完全な独立国とは言い難いものが有ります。

まず、中国には「中華思想」というものがあります。
中国(その時々により国名は変わりますが)が世界の中心であり、
中国の周辺の蛮族は、いずれ中国の元にひれ伏すものであるから、結果的に全世界は中国の物である。というものです。
ちょっと極論を言いましたが、つまりは
「中国の周辺国は、実質的に中国の物」というわけです。

そして、「中国の直轄地ではないけれど、中国の子分のような国」のことを「朝貢国(ちょうこうこく」と言い、
それらの国は中国の文化などの恩恵を受ける代わりに、毎年貢物を中国に送っていました。
琉球もこれらの国のうちの一つです(韓国も似たような立場でした)。

ここで、中国と琉球の考えの違いを説明しておきます。

中国:中国に貢物をしているのだから、琉球は中国のものである
琉球:自分たちは中国ではないが、中国の敵になるのは嫌なので、貢物を毎年贈って安全を確保する

そういうわけで、中国は今でも「沖縄は中国の物」と言うわけですね。
尖閣諸島も同じ理屈です。中国の近くにあるものは、中国の物なわけです。
…無茶苦茶だとは思いますが、そういう理屈の元から生まれたのが「沖縄は中国の物」なわけですね。

そして琉球は江戸時代に日本に侵略されたわけですが、
侵略を受けてすぐに「自分たちは日本人だ」とは思わないわけですね。
ですので、形式的には日本に属しているが、できれば独立したい、というのが当時の琉球の人たちの気持ちだったわけです。

そこで明治維新が起き、日清戦争が勃発します。

この時、琉球の人たちの一部が琉球を脱出し、清に助けを求めます。
「琉球を日本から解放してくれ」と、清にお願いしたわけですね。

ところが、日清戦争で日本が勝利します。

そこで、琉球の人々は「清に救援してもらう」ことを諦め、「琉球(沖縄)は日本である」と意識を変えるようになったわけです。

これらの事情があるので、
「琉球が建前上日本に属したのは江戸時代」
「日清戦争によって、実質的にも沖縄は日本になった」
と、二つのことが言えるようになるわけです。

ですから、その教師も、ご両親も、正しいことを言っているわけです。

そして中国としては、
 ・中華思想により、もともと沖縄は中国の物のようなものである
 ・日清戦争時、琉球の人が清に「琉球救援」を頼んできたので、沖縄は日本の物ではないといえる
この二つを理由に、「沖縄は中国の物」と主張するわけです。
これも、まったくの間違いと言うわけではありません。
(理屈が納得できるかどうかはさておいて)

そういうわけで、
 ・その教師は嘘は言っていない
 ・ご両親も嘘は言っていない
 ・中国も、一応は、変なことは言っていない
と言うことになります。
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明治維新以前の沖縄は琉球王国として独立した存在でした。

当時の大国支那の周辺国と同じく、冊封国として中国に朝貢を続けていました。日本とも交易を行っていました。冊封国は属国と違い、大国中国に攻撃されないように貢ぎ物をしていた国と言うぐらいの意味です。朝鮮もその一つでした。その後薩摩藩の服属国になり、薩摩藩の施政権が及ぶようになりましたが、安全保障の観点から支那政府(清)への朝貢も続けていました。当時の清は世界の超大国だったのです。明治5年に当時の明治政府は琉球の取り扱いの検討を始め、明治12年に廃藩置県により正式に日本国に編入されました。これを琉球処分と言います。

この琉球処分は明治27年の日清戦争の15年も前のことです。日清戦争は朝鮮の扱いをめぐって行われた戦争で、沖縄は関係ありません。過去に沖縄(琉球)が支那(中国)の領土だったことは一度もありません。ひどいことを教える先生ですね。嘘と言うより、騙しですね。
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 沖縄は明治五年に日本に併合されるまで長い間独立した王国でした。


 それまでは、薩摩による支配を受けていましたし、中国に朝貢もしていました。
 中国には冊封(さくほう)という制度があり、近隣の国と国どうしの君主関係を結び朝貢と言う贈り物を求めました。朝貢を受けるとそれに倍する下賜品を与え、主従の関係の確認としました。中国に朝貢する国の王は形式的に中国の王が任命し、証として金印を与えました。重臣には銀印を与えたそうです。中国にとっては経済的にはメリットよりデメリットの方が大きかったようですが、近隣国からの侵略を受けにくいというメリットがあったのでしょう。この辺は授業でやったかもしれません。
 また、冊封国が他国から侵略を受けると中国から軍隊を派遣して制圧しました。
 秀吉の軍が朝鮮半島を責めたとき、明軍が出てきたのはこのためです。
 朝鮮王国は、中国に朝貢していたのです。

 沖縄も中国に朝貢していたので、中国のものと言う言い方もできるかもしてませんが、独立王国であったことは間違いありません。

 しかし、沖縄を日本に併合した後も中国(清)との間で決着がつかず、日清戦争の原因の一つともなりました。

 日清戦争後に日中(日清)間で領土が確定したことは確かですが、日清戦争に勝利したため日本のものになったというのは、微妙ですが間違いと言えるのではないでしょうか。
 沖縄県民の持つ歴史観にもよると思います。

 参考になりそうなURLを貼っておきます。

 冊封
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%8A%E5%B0%81

 沖縄県の歴史
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84% …
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沖縄が中国領(中国のもの)だった歴史があるのなら


日本も中国領だった歴史がなきゃいけません。

日本史の中でそんな歴史はありますか?
韓国も同じですね、韓国が中国領だった歴史はありません。
属国と領土は違うのです。
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回答と称して無関係な内容や、自分の意見を語りたくはないので、


質問の主旨を確認しておきたいのですが、

【琉球が日本領となった時期とその理由】でよろしいのでしょうか
(=「それ以前の歴史や、両国の主張やら、それらへの個人的ないけんのような何か」ではない)


>琉球はどのような歴史で日本の沖縄県となったのですか?

回答:1874年の「日清両国互換条款」(経緯は↓)
《↑以前は、日中両国が領有権を主張していました。(動画も参照)》

1871年に宮古島から沖縄に向かう船が遭難し、台湾に漂着し、船員が台湾の原住民に殺戮されるという事件が起りました。
日本は、この事件に対する清国の責任を追及しましたが、
清国は「化外の地の野蛮人のした事であり、台湾は統治不能だから責任は取れない」と返答しました。

↑ですが、琉球が清国の領土なら、清の国内問題の筈であり、であるならこの日本の行為は内政干渉になります。
しかし、清国は日本への責任を認めつつ、これを「台湾の住民がバカで狂暴だからどうしようもない」と責任を取る事を拒否しています。

日本はこれを受けて、島民への懲罰を兼ねて攻撃を行い占領しました。

その後清国と「日清両国互換条款」が調印され、以下の事が決定します。

1:清は日本軍の台湾出兵を保民の義挙と認める。
2:遭難民に対する見舞金と戦費賠償金を日本側に支払う。

↑により、清国は日本軍の台湾出兵は自国民(日本人)の為の行動だったと公式に認めたことになります。
これは、事件の原因になった、虐殺された琉球人=日本人 と認めたことになり、
琉球=日本領 ということになります。

これは国家間の条約なので、国際世界に対しても宣言したことになります。


以上は、日清戦争(1894年)以前の事なので、
琉球が「日清戦争に勝利したため日本のものとなつた」というのは誤りということになります。

それ以前に、質問者様の仰る「もの」の定義が不明なので、回答が難しいです。
(これについては他の回答者様達も仰っていますが、)
属国や領土に組み込まれていたという意味なら違うと思います。
(これらの詳細は、質問の主旨からはずれるので、詳細な説明はしません)

当時の琉球は清国に朝貢していましたが、それ=支配を受けている というわけではありません。
ベトナムやタイなどの他の国も同様です。
中国の歴代王朝ですが、中華思想により、周辺国が朝貢という形を取らないと国交を結んだり貿易をしませんでした。
阿片戦争以前のイギリスも一応この形式を取っています。
(かの国は、属国どころか奴隷状態でしたが)

薩摩藩にとっては利益さえ得られれば良かったので、このような考えの清国を刺激して問題を起こす事は望んでいませんでした。
その為に明治まで支配の2重構造が続いた為に、このような問題が起こりました。

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冊封関係を理解しないと難しいのではないでしょうか、冊封について先に説明します。



冊封とは、近隣の強大国に貢物を持って行き「貴国の偉大さを称え、皇帝として受け入れますので、うちの国と私が王であることを認めてください」と願い出ます。強大国の王は「よし、私を皇帝(つまりあんたより偉い)と認めるなら、私も慈悲深さを発揮して、お前の領地は侵略しないし、お前を領主(王)と認めよう。よく来たな。褒美を持って帰れ」と貢物よりも多くのお土産を持たせて帰す、と言うやり取りのことを言います。

これにより、皇帝である強大国は軍事力を使うことなく周辺の国を従わせ、属国とすることができますし、周辺国も強大国から認めてもらうことで、近隣の争いのある国に対しても「おらのところは皇帝から領主のお墨付きをもらったんだから、うちの国を攻めると皇帝が黙っていないぞ!」と主張することができます。

事実、近隣国同士の争いは戦争の火種になりますので、皇帝はそういう近隣国同士の調整も行っていたといえます。

東アジアでは、基本的に中国(唐や隋・明・清など)が常に皇帝を称する大国であり、近隣の朝鮮やモンゴルの一部、ベトナム、沖縄(琉球)一時期の日本などが冊封を受けていた国に相当します。

では、冊封を受けていたから「大国の属国であり、現代的に言えば領土に入るか?」と言われれば、「入る可能性は高い」と言わざるをえません。

これは、なにも中国が主張しているということではなく、西洋的な国際法の考え方からも援用される部分があります。
西洋においての国と国関係はローマ帝国とそこから分離した各諸国、そして皇帝との関係性が基本になっています。そのため「ローマ帝国の属国または属領は、ローマ帝国の領土」という考え方が基本になり、アジア的な冊封関係もそれから類推して『領土的範疇に入ってもよい」と考えられているのです。

ただし、そうは言っても「ヨーロッパ各国」も独立国になっているわけですから、そのための条件というのはいろいろと複雑にあるわけです。

ただし、ウクライナとロシアの現在の問題のように(ソ連時代、ウクライナはソビエト連邦の一部(構成国)一度でも大国の一部になった形跡があれば、大国はいつまでもそれを主張し続けるし、それが的外れであるとは言い切れない、ということもあるのです。

ヨーロッパ各国が独立を維持できるのは、すでに大国であるローマが無い(その末裔である神聖ローマもすでにない)ので、主張する国がないからです。神聖ドイツ帝国だった時代までは、戦争が多かったのはそういう理由(領土主張)もあります。

で、沖縄です。

沖縄が「中国の一部であったか、独立国であったか」というのは、上記の冊封体制と現代の国際法両方をかんがみて、さらに歴史的経緯からすれば「どちらも正しい」ということになります。

日本の場合は卑弥呼の時代に冊封を受けていても、大和朝廷が成立して以降「独立するから冊封はしないよ」とメッセージを発していますし、その後元寇などを撃退して独立を保っています。
朝鮮については、日清戦争後の下関条約で中国の属国から独立しましたし、ベトナムは何度も戦争して独立を担保しています。

ところが、沖縄に関しては、あまりにも小さな国であったこと、隣に日本と言う別の大国もあったこと、で「二つの大国と等距離を取ることで、独立を維持する」と言う政策をとったことで、中国から見ても「お前の国が一応の独立国だったのは、うちのおかげ(つまりうちの属国)」ですし、日本から見ても「お前の国が一応の独立国だったのは、うちのおかげ(つまりうちの属国)」(日本も(正確には鹿児島藩が)冊封を琉球から受けていた)お前んとこはうちの属国だろう、ということになります。

実際に琉球は、どちらの国からも独立を維持するために軍事的な配慮は一切せず、刀の代わりに扇子を腰に差し、舞踊や歌などの文化的な力で特色を維持していました。

結局、日本の都合で琉球処置と言う形で鹿児島藩に組み込むことになるわけですが、中国の側から見ると「うちの属国である琉球を日本が奪った」という見方も成り立つわけです。

ですので、沖縄の歴史的経緯を見ると
・中国から見れば、ずっとうちの属国で日本が武力で奪った
・日本から見れば、うちの属国だったけど必要があったので、藩に組み入れた。
・沖縄から見れば、ずっと独立国だったけど日本に武力で併合された。
ということになります。

教師の見方が一概に間違っているとはいえませんが(と言っても下関条約というのはちょっとどうかと思う)、日本で歴史を教えている教師の言い方としては、いくらなんでも偏りすぎではないかと思います。

日本人だから「日本の領土で間違いない」とはいいませんが、各立場の視点すべてを説明してもそれほどの手間ではないでしょうし「歴史」と言うものの見方(立場によって違う)ということを説明するのは歴史教師の義務だと思うんですけどね。
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その教師が、どのような根拠でそう言っているのかわかりませんが。



とりあえず、No9の方に真っ向から反対するようですが、
朝貢すること(あるいは中国の王朝から見て冊封されること)と、近現代的な意味での、「属国」ましてや「植民地」「領土」ということは全く違います。

冊封国を、近現代的な国際関係の意味で「中国の属国」ととらえる見方は、少なくとも歴史学あるいは国際関係論の上では完全に否定されていると言ってよいです。
(中国のナショナリストはそう主張するのかもしれませんが)

例えば、「朝鮮は中国の王朝に朝貢していた」という歴史的事実は、近現代的な意味で「朝鮮が中国の属国であった」ということではありません。

というわけで、
沖縄(琉球)は中国のものでも日本のものでもない独立国であったが、日清戦争で勝利したため日本のものとなった(日本の領土であることを中国が認めた)。
というのが事実に近いと思います。
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